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テスラモーターズのType S

テスラモーターズの電気自動車に試乗
―ガソリン車以上の性能があって初めて電気自動車は普及する

Photo:テスラモーターズのモデル S ⒸMitsuhiko Satoda

テスラモーターズの電気自動車に試乗ーガソリン車以上の性能があって初めて、電気自動車は普及する

by 里田実彦(さとだ・みつひこ)

 速度ゼロから時速100kmまで、わずかに4.4秒。こんなスポーツカー並みのスペックを持つ電気自動車がある。テスラモーターズのモデル S。電気自動車の常識を破る、そんな自動車に試乗してきた。

Photo:モデル S フォトギャラリーより
ⒸTesla Motors, Inc.

 「らしくない」、それが第一印象だ。

なにが「らしくない」のか、まずスタイリングだ。その姿は、ヨーロピアンスポーツカー。低い重心と流線形の大きなボディは、アウトバーンを疾駆する姿を彷彿とさせる。
電動自動車というと、あくまでも印象だが、コンパクトでいかにも一昔前のSF映画に出て来そうな、楕円球をベースにしたようなスタイルを連想してしまう。そもそも、エンジンを積まない電気自動車は、エンジンルームがないこと、ガソリンタンクが必要ないことから、デザインの自由度が高い。加えて「未来の車」というイメージ、これまでの自動車とは違うことをアピールするためのデザインが多いように思える。また、エコカーとしての存在理由があり、小型で使い易いというイメージもあるのだろう。
そして、もうひとつ、実は別の国産電気自動車に乗ったこともあるのだが、正直に言ってパワー不足、航続距離不足を感じた。大型化すると重くなる。それだけバッテリー、モーターに優秀なものが求められる。それゆえに、電気自動車は小型なのでは無いかと邪推してしまう。

Photo:モデル S フォトギャラリーより
ⒸTesla Motors, Inc.

テスラモーターズのモデル Sが「らしくない」のは、そこだ。いわゆる外車サイズで、重量は2tを超える。見た目だけの印象ならば、燃費などどこ吹く風でアウトバーンを飛ばすスポーツカーなのだ。外見からは、「これが電気自動車だ」というアピールは見当たらない。よく見ていくと、マフラー(排気マフラー)がないということに気付かされる程度だ。

実際に試乗してみると、今度は「らしい」と思える部分が次々と見つかる。フロントパネルには17インチの大きなタッチスクリーンがあり、そのままナビゲーションシステムとなるだけではなく、運転中もバックモニターとして後方の広い視界を確保している。そして、シフトレバーが存在しない。ハンドル脇にあるレバーで全ての操作が完了するのだ。始動は当然、スイッチ。後方から静かなモーター音が聞こえてくるが、その音は小さく、本当にこれから走るのかと疑問さえ感じる。アクセルを踏んで、走りだすと同時に驚いた。エンジン特有の一瞬の溜めは無く、すぐにすっと前進を始める。重心が低く、車重が重いせいもあり、非常に安定感がある。直線に入り、さらにアクセルを踏んでみた。

Photo:ボンネットを開けると広々としたラゲッジスペース ⒸMitsuhiko Satoda

あっと言う間にスピードが上がる。エンジンの回転が上がる感触が無いまま、シートに背中が押し付けられる。なんと、停止状態から100km/hまでにかかる時間は5秒を切る。アクセルを離すと、ぐっと速度が落ちる。いわゆるエンジンブレーキよりも効く。慣れればアクセルだけでスピードコントロールが全て出来てしまうだろう。アクセルを戻した際は回生ブレーキが働き、発電機で電気を起こしてバッテリーに充電するのだという。
これだけのパワーは、そこいらのスポーツカーと遜色が無い。ここでふたたび「らしくない」。航続距離500kmという数字だ。東京/大阪間を無充電で走破できる。
今回の試乗は都心での一般道だったが、できれば高速道路、それも新東名で走りたい。いや、アウトバーンでなにも気にすること無く走りたいと思わせてくれる。

試乗が終わり、車を降りてから更に驚かされた。ボンネットを開けると中はラゲッジスペースなのだ。当たり前のことだが、そこにあるべきエンジンは無い。更に後部ハッチを開けるとそこも広い空間がある。大人でも二人は乗れる予備シートまで付いている。エンジンとガソリンタンクがないと言うことはこういうことなのだと改めて知らされる。バッテリーは床下に敷きつめられ、低い重心での安定性確保にも一役買っている。モーターは最後尾にあるが、スペースを圧迫する大きさでは無いのだ。

Photo:モデル S フォトギャラリーより
ⒸTesla Motors, Inc.

 電気自動車は、国産でも市場に出まわっている。だが、正直、売れているとは言い難い。メーカーもガソリン車と並行して販売しているため、販売に積極的では無いのだろうか。現在の一般的な電気自動車のスペックでは、実用にそぐわないという話も聞く。なによりも、これまで慣れ親しんだガソリン車に明らかに劣る性能の自動車を買うだろうか。ガソリン車で出来たことを基準に、だれしも電気自動車を見る。最高速が遅い、航続距離が短い、あれができない、これもできない。でも環境に優しいから買おうか。誰もそんな気にはなれないのだ。環境問題を旗標にするならば、「我慢しないで環境に優しい」ことが重要だ。そうでなければ普及しない。

テスラモーターズのモデル Sは、そんな我慢がほとんど無い。ガソリンを一切使用しないのに、環境に優しいという顔をしていない。それが、本当に世の中に普及する電気自動車の姿なのかもしれない。

機会があれば一度試乗してみて欲しい。きっと「らしくない」と思うはずだ。

PROFILE

里田実彦(さとだ・みつひこ)

ライター/ディレクター

1990年、リクルート入社。その後、株式会社エニックス(現スクウェア・エニッ クス)を経て、制作プロダクションに入社し、コピーライター /ディレクター となる。
1999年、独立。ダイレクトマーケティング関連、ビジネス誌での執筆、企業パン フレット、WEBサイトなどの制作に数多く携わる。
2011年、有限会社std代表取締役に就任、全業務を移管する。
多くの取材の過程で、全国の各種工場などのもの作りの現場を見る機会に恵まれ る。また、多種多様な業界の考え方、ビジネスモデルを見聞できる ことも職業 上の役得を考えている。
趣味は、乱読と博物館廻り、古書店廻り、昭和の日本映画鑑賞。

TOKYO RAINBOW PRIDE 2014
—みんなが自分らしく生きられる日はもうすぐそこ…

Photo:Tokyo Rainbow Pride 2014 のセンター・ステージ ⒸArisa Ishikawa

TOKYO RAINBOW PRIDE 2014
—みんなが自分らしく生きられる日はもうすぐそこ…

by 藤牧 望(ふじまき・のぞみ)& 中村 聡子(なかむら・さとこ)

 4月27日、東京代々木公園を舞台にTOKYO RAINBOW PRIDE 2014 が開催された。TOKYO RAINBOW PRIDE(以下、TRP)とは、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)と呼ばれる性的マイノリティーの方たちがアライ(Ally=LGBTを支援する人たち)と共に、「“生”と“性”の多様性」を祝福し、その存在を知らしめ、差別のない社会を実現するため、共にメッセージを発信するための「場」だ。2012年に始まって、今年で第3回目を迎える。春というよりは、もはや夏を感じる陽気のなか、私たちは代々木公園に到着した。

Photo:大勢の人たちで賑わうブース
ⒸArisa Ishikawa

 公園内に入るとすぐ、ファッションやアクセサリーにレインボーカラーを取り入れた人たちの姿が目に飛び込んできた。虹の七色は多様性の象徴である。それを見て、今回初めてTRPに参加する私たちの期待は高まった。
 イベント広場に到着すると、そこはむせ返るような熱気に溢れていた。思い思いのコスチュームを身にまとった参加者、ビラを配る外国の人たち、TRPに協賛する企業のブース、そこに立つスタッフ、さらには世界各国の大使館のブース。LGBT当事者も、支援する側のアライも、みな生き生きとした表情を浮かべ、自分の、そして自分たちの社会の“生”と“性”の多様性を祝福しているように見えた。

 実はこの日、青学BBラボの協力教員で英国大使館職員の佐野直哉さんと英国大使館のご厚意によって、私たちは英国大使館ブースのお手伝いをさせていただくことになっていた。ブースでは”Love is GREAT”というタトゥーシールを貼り、撮影してその写真をコラージュし、”UK”という文字を作るという企画を行っていた。英国大使館がTRPに参加することには「英国大使館、そして、英国はLGBTの方々を歓迎する環境が整っています」というメッセージが込められている。私たちは会場内を回ってイギリスについてのパンフレットを配ったり、ヴォランティアとしてささやかながらお手伝いをさせていただいた。スタッフとしてお手伝いをすることによって、ほかの団体のメンバーや参加者の方とも親しくお話をすることができたのは、今回のイベントに参加した最大のメリットとなった。

Photo:駐日英国大使ティム・ヒッチンズ氏と
ⒸArisa Ishikawa

 また、本当に幸運なことに、駐日英国大使ティム・ヒッチンズ氏にも直接お話しを伺う機会に恵まれた。イギリスは多様性に対して極めて寛容な社会であり、今年3月には同性婚が合法化されている。それまではシヴィル・パートナーシップという制度があり、同性愛者どうしでも準夫婦のような関係が認められていたが、今回の同性婚合法化で、より幅広くカップルとしての権利が認められ、税控除などを受けることもできるようになった。3月の法制化の結果、大使の妹さんの同性婚も実現したそうだ。

 とはいうものの、イギリスという国が始めからLGBTにとって住みよい国であったわけではない。例えば30年前に遡ると、イギリスの外務省では同性愛者が働くことはできなかった。その後、LGBTの権利がストレートの人たちと同等に守られるようになって、様々な人が外務省で働くようになり、今ではとても多様、かつ、ダイナミックな組織になっているそうだ。様々な人が働く組織では、多様な考え、意見が生まれ、それぞれの考えは大事にされるというわけだ。ヒッチンズ大使は「政策などを理解するために、想像力や様々な意見を理解する能力は何よりも重要で、個人的にも組織的にも、多様性は非常に重要であると認識している」と述べた。

 そもそもイギリスが多様性に寛容なのには理由がある。ご存知のように100年前イギリスは大英帝国の時代であり、世界中に数多くの植民地があった。そこからやってくる移民たちによって現在のイギリス社会は多様性豊かなものになった。世界のあちこちに存在するかつての大英帝国の植民地では、そういった影響が現在に伝えられているところも多い。実際、大使夫人のお父上、つまり大使の義父はインドの方だそうで、「イギリスとインドとの深い結びつきがなければ自分は妻に会うことができなかった」と、大使は振り返った。

Photo:虹色の風船は多様性の象徴
ⒸArisa Ishikawa

 そんなイギリスにやってくる日本人の留学生や観光客に対して、「イギリスのどんな部分を知って、感じてもらいたいですか?」という質問に対しては、「いかにして個性をつちかうのか。自分の考えをしっかりと遠慮なく発言できるようにするにはどうすれば良いのか。それを、イギリスを訪れることで少しでも学んで頂ければうれしいです」とのこと。  
 この日ヴォランティアとして参加した私たちも、「みんな一生懸命、個性をつちかうように!」という大使の言葉を胸に刻み込んだ。

 TRPに参加して、一番強く感じたことは「“生”や“性”に対してここまであけっぴろげに語れる日本」というものを生まれて初めて体験した驚きだ。かろうじて局部しか隠していないようなコスチュームを着た人や、売られているグッズなどを見ても、通常の日本の常識であったらタブー視されてしまうようなものまで、何の躊躇もなく存在する自由な空間。また、そこに訪れている人々の中に家族連れが多かったのも印象的だった。
 一見すると子供には似つかわしくない場所と映るかもしれない。しかし、今ここにきている子供たちは、将来大きくなってもLGBTやあらゆる多様な価値観に対して何の差別意識も抱かない人に育つのだろうと考えると、日本の未来だってそんなに捨てたものではない、むしろ明るい!と思えてきた。自分にとっても、全く未知の世界であったが、とても楽しかった。また来年もぜひとも参加したいと感じる、貴重な経験だった。

 最後に、お忙しい中、インタビューに応じて頂き、大変興味深いお話をしてくださった駐日英国大使ティム・ヒッチンズさん、英国大使館員の大野真美子さん、ジョー・オルシノさん、そして、こんな素敵な機会をくださった佐野直哉さん、本当にありがとうございました。 

*駐日英国大使館は、雇用機会の平等を旨とし、様々な方からのご応募をお待ちしております。現行の求人情報は、駐日英国大使館サイトをご覧ください。

*The British Embassy is an equal opportunity employer and strongly encourages applications from a diverse range of candidates. For more information on the Embassy’s recruitment, please visit https://www.gov.uk/government/world/organisations/british-embassy-tokyo/about/recruitment.

青学BBラボで講演するジャーナリストの北丸氏

第4回 LGBTってなんだろう?
ジャーナリスト:北丸雄二さん in 青学BBラボ

ラボを訪れたジャーナリストの北丸雄二さん Ⓒ Takumi Akitaya

第4回 LGBTってなんだろう?
ジャーナリスト:北丸雄二さん in 青学BBラボ

by 見供 瞳(みとも・ひとみ)

 キャンパスの桜がもう少しで見頃という2014年4月2日の午後、ジャーナリストの北丸雄二さんが青学BBラボを訪問し、ラボの学生たちに向けて「LGBTについて知っておくべき基礎的なこと」について講演して下さった。

 北丸さんは長い記者生活の後、現在はNYと東京を拠点に、独特の切り口からLGBTについて積極的に発言をしているジャーナリストで、著述活動や日本のラジオ番組でも活躍している。日頃、北丸さんのtwitterの呟きや記事などを拝見させていただいていて、正直、「とっつきにくそう」というイメージを持っていたのだが、彼が部屋に入ってきて一言話したときから、その印象は変わった。

彼は席に着くやいなや、まず、私たちに次の問いを投げかけた。
「今までの人生の中で、周りにLGBTの友だちがいたという人はいるかな?」
これに対して、ほとんどの学生は手を上げなかった。この状況を目にした彼は、冗談っぽい笑顔で、「手が挙がらなかった人はね、その程度の人間だと思われていたということです。打ち明けられる相手だとは思われなかったんだよね、きっと・・・」と言った。

 統計データによると、10人に1人はLGBTが存在していることになる。実際には、統計データ以外にカムアウトしていない人を含めると、日本の場合、全人口の10〜15%がLGBTということになるらしい。だから、10人の友人がいれば、必ず、自分の親しい人にもLGBTがいるはず・・・というわけだ。

 北丸さんは、その話の後、日本において1990年代に初めてLGBTについて考える一回目の社会的な盛り上がりがあったが、積極的に発言していたのは女性の記者ばかりで、人権など社会的な文脈ではなく、文学や映画の中におけるLGBTについて取りあげるケースが多く、文化的なアプローチに終始していたように思うと指摘した。それが、昨年、合衆国の多くの州で、また、フランスなどで同性婚が法制化され、オバマ大統領をはじめ、世界に大きな影響力を持つ人たちからLGBTの権利を擁護する発言が相次いだことから、ようやく日本のメディアの男性記者たちも、LGBTを重要なテーマとして取りあげるように変化の兆しが見えるという。実際、今年に入って以後、新聞やネットのニュースでLGBTに関する記事を見ない日はないぐらいだ。

 それから、米国でLGBTの権利を主張するきっかけとなったNYの『ストーン・ウォール事件』など、日本の学生が日頃、触れる機会のないLGBTの歴史を俯瞰するお話、また、現在の日本社会におけるテレビでのLGBTキャラクターの表現については、求められるイメージのままに「おねえキャラを演じている」ことについて疑問を投げかけた。というのも、実際のLGBTの方たち・・・身の回りにいる10人の友人たちの中の一人は、TVに出てくるキャラクターと同じであるはずがないということである。

 さらに「日本の芸能界は、歌舞伎などに見られるように、男が女を演じることに抵抗は元々薄く、日本の場合、男と女の見た目の性差は少なかった」と、北丸さんは語った。そのことから「日本では、性差についての教育が抜け落ちているのかもしれない」ということを指摘された。

 お話は、江戸時代から明治時代にかけての日本における男色文化、特に、時代によって変化する言葉についても及んだ。「昔は<硬派の男>という言葉は『男と関係を持つ』という意味だったのだが、今では<硬派の男>という言葉は『信念を強く持った一途な男』という意味合いで使われている。
 一方、この<硬派>と対義語のように使われる表現の一つとして<軟派>という言葉がある。昔の人々は<軟派>を『女性と関係を持つことを好む』という意味で使ったが、今では「軟弱な男」という意味合いで用いられたり、女性を誘うことそのものを「ナンパ」と称していると、北丸さんは指摘した。

 日本はLGBTに関して比較的寛容な社会であると思われているが、一方、それについて書くことで、自分がそうではないかと思われることに、特に男性の間での抵抗が強かったため、一部の作家を除いて、ジャーナリストらはLGBTについて公に書くことを避けてきたという。しかし、今日では新聞や雑誌でもLGBTに関する情報が増えてきている。このことに関して彼は、若いジャーナリストたちは、今の若者全体がそうであるように、LGBTに対しての抵抗が薄くなってきており、社会自体も、多様性に寛容な方向へと変化しつつあるのではないかと述べた。
 最後に北丸さんは、日本のLGBTが抱えている政治的課題は“人権・市民権・社会的保証・社会権”であるとして、社会が変われば「今まで否定してきた人のほうがやがては少数派になるだろう」と締めくくった。

 この言葉には、私たち若者だから出来ること、しなければならないことや、日本の社会が発展を続けるため、誰もが住みやすい社会環境を作るためにも、自分たちが色々なことに関心を持ち、それを言葉にして、行動を起こしていくことが重要であるというメッセージが込められていると感じた。

 今回のレクチャーでは、今の自分を見つめ直す機会を与えられたような気がする。特に印象深かったことは、北丸さんが最初に指摘した「LGBTの友だちが身の回りにいるかと尋ねられて、手が挙がらなかった人は、その程度の人間だと思われている」という言葉である。10人に1人はLGBTとされている社会の中で、今まで生きてきた20年間で、私はカミングアウトをされるに値しない人間だったということを初めて気づかされた。この言葉によって、今まで自分が、いかに自分を取り巻く環境に無関心であったか、何もしてこなかったということを考えさせられた。

 LGBT問題だけでなく、社会に対して、私自身を含め、多くの日本の若者は関心が薄いように思える。自分だけしか見えておらず、「自分が動かなくても誰かがやってくれる。」と思いがちではないだろうか。自分を取り巻く環境に関心を向けてこそ、初めて多くのことが見えてくる。周りを見渡し、自らが積極的に考え、行動することこそが大切なのだと感じた。

 最後に、お忙しい中、私たちにLGBTを始めとして、日本社会が抱える問題について、また、学生・若者に出来ることを分かりやすく話してくださった北丸雄二さんに心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

PROFILE

見供 瞳 (みとも・ひとみ)

現在、国際文化系のゼミに所属していることもあり、海外の文化をはじめ、航空業界について、海外協力、映画、小説などに興味関心があります。本ラボでは、自分自身が興味のあることや自分の糧になることを主体的に行っていきたいと思っています。また、ほかのラボ生とも協力し、時には切磋琢磨し、高め合いながら努力したいです。

将来の希望としては、異文化や海外の人と触れ合うことができるような職業につきたいと思っています。また、関心のある学問についてより深く学ぶため、大学院への進学も視野に入れています。

上海の夜景

第2回 アイザック・マーケティング株式会社
畠山正己代表取締役に聞く〜データ分析との出会いと変遷

Photo:上海の夜景 ⒸErina Fukami

第2回 アイザック・マーケティング株式会社
畠山正己代表取締役に聞く〜データ分析との出会いと変遷

昨今大量のデータを分析して市場開拓などに活かす「ビッグデータ」への関心から、そのバッググラウンドとなる統計学を「ビジネスに活かしたい」と考えるビジネスパーソンが増えています。今でこそデータの活用は当たり前のように叫ばれていますが、その実態をわかっている人は多くはありません。そこで、90年代よりデータや社内に蓄積されたデータに着目し、クライアントのビジネスインテリジェンスをサポートしてきたアイザック・マーケティング株式会社の代表取締役 畠山正己氏が「データ分析の変遷」について6回連載で語ります。今回は連載2回目です。

■IBM最大の危機で、独立の道へ

衝撃のCOMDEXから一年半後、私は友人と一緒に独立することを決めました。というのも、当時“IBM最大の危機”と呼ばれた時代が到来。マイクロプロセッサーの進歩により、いわゆる“オフコン、マイコン、ミニコン”とよばれる対面式コンピューターの出現やマイクロソフトの基本OSがでてきたタイミングでした。競合のメーカーは新しい波に乗っているなか、メインフレームコンピュータに全面的に依存するIBMだけがダウンサイジングの波に飲み込まれていった感がありました。そんなIBMの冬の時代、私が所属していた事業もグループとしては撤退するしかなかったのです。しかし、私自身はこのデータ分析という分野にとてつもない可能性を感じていたので独立し、この事業を続けていくことを決めたのです。

そんなこんなでアイザックグループの前身となる㈱ヒズコミュニケーションズはスタートしました。何もわからない自分にとって会社の設立準備も楽しいもので、マンションの一室を借り、お金もなかったのでオフィス家具はDIY。にもかかわらず唯一の武器である、汎用機“IBM 9370”の導入を決定、着々と準備を進めていました。
当時の汎用機は、搬入するのも一苦労。コンピューターディスクが入っており、傾けたりすることもできないので、道路封鎖をし大型クレーンを使って部屋の窓から入れました。それに、汎用機の設定も素人ができる時代ではないし、IBMにはとても高くて頼めない。エンジニアの友人が仕事を終えてから21:00から明け方まで2週間手伝ってくれ、なんとか分析環境を整える事ができました。

■初めてのピポッドテーブル!

今でこそエクセルの機能である“ピポッドテーブル”を当たり前に皆さん知っていたり、使っていたりすると思いますが、当時は集計も一苦労。当時を代表する表計算ソフト“Multiplan”や“Lotus1-2-3”では集計すらできなかったのです。汎用機でプログラムを組み集計。それをアウトプット用に整形するために5インチのフロッピーディスクにコピーします。それをまた “Lotus1-2-3”で読み込み、列幅・行間を整え、罫線を引いて完成です。今考えてみるとなんともめんどくさいことをやっていました。

そんなある時、マイクロソフが“ピポッドテーブル”いう機能を世に送り出します。今の若い方は信じられないかもしれませんが、表計算しかできないのが表計算ソフトと思っていたので、表計算と集計がひとつのソフトでできるなんてなんと画期的な事かと衝撃が走りました。このピポッドテーブルの出現により、“Multiplan”や“Lotus1-2-3”は市場から淘汰され、市場から姿を消しました。

■アイザックグループ倒産の危機!?

当時の私達が売り物にしていたのは、数字を分析し可視化する作業。いざ会社を作ってみると、そんな重要な会社のデータを簡単にベンチャー企業に託すわけもなく、仕事がとれていたのはIBMの看板という存在がいかに大きかったかと言う事実を思い知らせされました。そのため否応なしに自らデータを収集せざる負えず、当時クライアントから要望の多かった、市場調査と言う新しい事業分野を加え、なんとか持ちこたえていました。

このソリューションは市場に受け入れられる!という絶対的な自信と、最新のテクノロジーを持っていればすぐにお金になる!と思っていましたが、そんなに世の中甘くもなく、バブル崩壊後にも関わらずバブルの気分が抜けない私と友人は、あっという間に準備していた資本金を食いつぶし、赤字は約7000万円まで膨れ上がりました。そんなどうしよう!どうしようと右往左往していた矢先、ある一本の電話で転機が訪れたのです。

(続く)

PROFILE

アイザック・マーケティング株式会社
代表取締役社長
畠山 正己(Masami Hatakeyama)

1979年、大手広告代理店㈱大広に入社。関東および東北の大手食品メーカーや通信業界の広告・マーケティングサポートに従事。その後、1989年にIBMグループの戦略情報システム導入支援を通じデータの世界へ。
1990年、アイザック・マーケティングの前身となる㈱ヒズコミュニケーションを設立。オペレーションズ・リサーチの概念を元に、クライアントの意思決定や戦略策定のためのシステム導入支援、またそれらを利用したサービスの提供を開始する。
1997年、より消費者インサイトを追求するため分社化し、アイザック・マーケティングを設立。
2009年、アイザックグループのグローバル化を推進するため、中国上海に活動拠点を移し、日系企業のマーケティング支援を行う。

創造性を刺激する永康路のカフェ

第6回 中国は世界への扉
上海で元気に働くビジネスウーマン: 中村 友香さん

Photo:創造性を刺激する永康路のカフェ Ⓒ Yuka Nakamura

第6回 中国は世界への扉
上海で元気に働くビジネスウーマン: 中村 友香さん

by 深水 エリナ(ふかみ・えりな)/ 析得思(上海)商務諮詢有限公司 総経理

アグロスパシア株式会社は、「私たちは社会にイノベーションを起こすエンジンだ!」を合言葉に、従来の「ベンチャー」の概念では定義の難しいニッチなテーマ、次世紀のライフ・スタイル研究、地球以外の惑星で生きてゆくために宇宙で必要となる技術…などを取り上げ、そこに関連する人と情報のアグリゲーションを目ざしています。

深水エリナさんは、自身も上海でマーケティング&セールス・コンサルティングを専門とする会社を立ち上げて活躍中ですが、『AGROSPACIA』では深水さんの協力を得て、上海を中心にアジアでダイナミックにビジネスを展開する人たちをご紹介するインタヴューのシリーズを連載しています。

今回の第6回目は、上海の広告代理店にて企画営業として活躍する中村友香さんが登場。中村さんは映画監督になる事を夢見て18歳で渡米。日本へ帰国後、大手広告代理店でテレビコマーシャルやグラフィックの海外制作のプロデューサーとして、様々な国で広告を制作されました。優秀なアートディレクターと仕事を共にする中で、自身から表現するアートの世界に興味を持ち、2006年に退職し、フリーランスでアートキュレーターとしてアートマネジメントの世界へ飛び込みました。2012年に写真の制作会社に転職し、上海支社を立ち上げるため上海へ駐在。2014年8月から、上海の広告代理店にて企画営業として、日系クライアントの広告の企画から実行までのサポートを行っている、これからさらなる活躍が期待される一人です。

Photo:おしゃれな飲食店が多い巨鹿路
グラフィックデザイン:伊瀬 幸恵
Ⓒ Yuka Nakamura

深水:今までどのようなお仕事をされてきたのですか?

中村:アメリカではディレクター/撮影コーディネーターとして、映像の制作に関わっていました。帰国後は、大手広告代理店でテレビコマーシャルやグラフィックの海外制作プロデューサーとして、さまざまな国で広告制作に携わってきました。海外で仕事をすると優秀なアートディレクターと仕事を共にすることも多く、次第にクライアントにニーズに答えるのではなく、自身から表現するアートの世界に興味を持ちはじめ、広告代理店を退職して国内のアーティストの企画展覧会をサポートをするアートビジネスをアジア中心に始めました。現在は、上海の広告代理店で、日系クライアント向けに広告の企画営業をやっています。大手代理店ではできなかった企画全般やクリエイティブソリューションにダイナミックに携わる事ができ、クライアントも自動車メーカーや化粧品メーカーなど幅広い業種に恵まれているのでとても楽しいです。

深水:中村さんは前回駐在時、帰任命令と共に現地で転職を決意されましたよね。そこまで上海に魅了される理由は何なのでしょうか?

中村:上海とのご縁は2002年にプライベートで友人を訪ねたのがはじまりです。その後、広告代理店で仕事をしていたときもクライアントの広告制作を行うため十数回上海に来ていました。当時も「上海ステキだな、住んでみたいなぁ。」と思っていたのですが、なかなか実現していませんでした。そんな時、2012年に勤めていた写真制作会社の上海支社立ち上げの話があり、駐在員としてようやく上海に越してくることができました。ただ、残念ながら当時の駐在期間は8ヶ月と非常に短く、「まだ上海でやり残したことがある!」と思い、上海に残るため現地の広告代理店に転職をしました。

Photo:上海の迎賓館
ⒸYuka Nakamura

深水:広告代理店は非常にお忙しいとは思いますが、週末はどのように過ごされていますか?

中村:上海を舞台にした純愛小説を書いています。男性が主人公なのですが、初めて私が上海に来た2002年から2012年までの10年間を舞台にしています。
もともと、アメリカ時代に映画監督を目指していた事もあり、人生に一度くらいは映画を作りたい、とぼんやり考えていました。ここ上海、特にフランス租界地はとても不思議な場所で、西洋と中国が絶妙なバランスで交わっています。ここで生活をしていると日常から意識や感覚がどんどん離れて行き、別世界に住んでいる感覚がします。街角や老房子(古い住居)、小さな路地、歴史的建造物等いたるところから私にとっての非日常的な刺激をもらい、いつしかある物語を考え始めていました。
深水:中村さんのお話を聞いていて、上海と中村さんは切っても切れないご縁のようですね。いつまで上海に滞在される予定ですか?

中村:いかに人生を創造的に生きるか、という事が人生の目標です。その表現の場が、広告でも、小説でも、映画でも何でもいいと思っています。そして、その豊かな創造力をもたらしてくれるのは、フランス租界の街並であり、そこに住む人々、歴史、習慣、文化であると思っています。ここ上海の刺激を吸収し、気のすむまでたっぷり吸い込んだら、その時に日本に帰国しようと考えています。私の人生にとって、上海という街はなくてはならない存在ですね。

PROFILE

中村 友香(Yuka Nakamura)
Beauty Works 営業

横浜生まれ。映画監督になる事を夢見て18歳で渡米。日本へ帰国後、大手広告代理店でテレビコマーシャルやグラフィックの海外制作のプロデューサーとして、様々な国で広告を制作。優秀なアートディレクターと仕事を共にする中で、自身から表現するアートの世界に興味を持ち、2006年に退職し、フリーランスでアートキュレーターとしてアートマネジメントの世界へ。2012年に写真の制作会社に転職し、上海支社を立ちあげるため上海へ駐在。2014年8月より上海の広告代理店にて企画営業として、日系クライアントの広告の企画から実行までのサポートを行っている。

深水 エリナ(Erina Fukami)
析得思(上海)商務諮詢有限公司
総経理
アパマンショップホールディングス、中国・インドでマーケティングリサーチ&コンサルティングを行うインフォブリッジを経て、2013年アイザックマーケティンググループの析得思(上海)商務諮詢有限公司の総経理に。
中国市場で事業を行う日系企業に対し、データ分析(統計解析やデータマイニング、テキストマイニングなど)やデータを軸としたシステム開発、ビジネスインテリジェンスサービスを提供している。
2008年より上海在住。
http://cds-cn.com/

LUSHジャパンの高橋麻帆さんによるレクチャー風景

第3回 LGBTってなんだろう?
レクチャーとディスカッション Vol.3

LUSHジャパンの高橋麻帆さんによるレクチャー風景 Ⓒ Arisa Ishikawa

LUSHジャパンのチャリティ&エシカル・キャンペーン担当をお迎えして

by 書き起こし/文責:村上諒子(むらかみ・りょうこ)、藤牧望(ふじまき・のぞみ)、中村聡子(なかむら・さとこ)

 2014年3月29日に青山学院大学青山キャンパスにて行われた、LUSHジャパンのチャリティ&エシカル・キャンペーン担当者・高橋麻帆氏をお招きしての勉強会『LGBTってなんだろう? レクチャーとディスカッション Vol.1』。連載第3回めは、会場で行われた質疑応答とディスカッションを紹介します。

■会場からのコメント

北丸氏:「地球、人、動物…すべてのいのちがハッピーになること、というピュアな思いで活動されているということでしたが、その一方で企業はどうしても利益を上げる必要がありますよね。その面においては、極めて戦略的にやる必要があります。
 先日のバレンタインデーでは多くのひとがピンクトタイアングルのペイントに参加しましたが、このピンクトライアングルにはナチスの時代に同性愛者が抑圧され、ガス室に送られた壮絶な歴史があります。それを経てアメリカや色々な国のゲイの人たちがピンクトライアングルをLGBTへの連帯のシンボルとして使うようになった。ようやく日本でもLGBTに関する取り組みが行われるようになってきているのは素晴らしいことだと思います」

岩渕氏:「目標を定めて、具体的な結果をもたらすには、何か行動をおこさないといけない。それを民間企業が自主的に行っているということに感銘を受けました。日本では、LGBTに対する表立った暴力行為などはほとんど無いようですが、マイノリティの人たちへの偏見が無いわけではない。そうした問題を議論すらしようとしない社会であることが問題であると思う」

■コメントに対して高橋氏から

高橋氏:「UK などでは、さまざまなムーブメントがあります。学生や多くの企業とつながることで、より大きなムーブメントを作ることができました。日本でも何かキャンペーンを行おうとしたら同じだと思います。コーリション(連携組織)をつくって多くの人たちと手をたずさえることによって、できるだけそのムーブメントを大きくすることが大切です。
 LUSHでは、お客さまと一緒に行動を起こすという意識を持っています。LUSHの店舗で、商品やキャンペーンを通して一つの事実を知ったら、その人がどのようにその問題を持ち帰って、どのような行動を起こすか…その橋渡しの役割ができたらと考えています。お客様ひとりひとりがするそのアクションが、全体の何につながっていくのかということを、強要するのではなく、お客様自身が考えるきっかけになってほしいのです。商品自体もですが、問題意識も含めて、持ち帰るものが多く、それを誰かに伝えることができるようなキャンペーンを目指しています。そのキャンペーンによって何を目指すのか、お客さまをはじめとした多くのひとたちとどのようにコミュニケーションを取っていくのか、という点が非常に重要なのです。

■Twitterを使ったLUSHのピンクトライアングル・キャンペーンで、実は日本での反響が最も大きかったという事実について

岩渕氏:日本では当事者ではない女性の反響がとても大きかったようですが、それは日本だと、プリクラや携帯の写真などで自分が写真に撮られることに抵抗がない人が多いということと関係しているのでは…?

北丸氏:SNSが発達した今、メッセージを発信すればそれは一気に世界中に届く。「伝える」ということにおいて、今はハッシュタグを使って社会を変えることができる時代です。誰でも簡単に出来てしまうので数年後には飽きられてしまうことは考えられますが、少なくとも今は、ポジティヴに考えることができます。次の手を考えながらも、このハッシュタグをはじめとするSNSを使わない手はないですね。LUSHが社会の変革起こそうという意図を持ってSNSを使っているのはとても効果的だと思います。
 LGBTについての課題は、少数の当事者だけの問題ではなく、むしろ、多数の非当事者の問題でもあるということをみんなが認識することは極めて重要でしょう。

■BBラボの意義とこれからの課題

 青学BBラボが、主に非当事者の学生によって行われている活動であることになぜ意義があり、価値があるのか。その答えは北丸氏の「LGBTについての課題は、少数の当事者だけの問題ではなく、むしろ、多数の非当事者の問題でもあるということをみんなが認識すること」という言葉の中にあるのではないだろうか。最後に学生から高橋氏への質問があった。

質問:これから私たちのラボが活動していく上で、意識すべきことは何でしょうか?

高橋氏は少し考えた後に、「なぜ自分たちがこの活動をやっているのかという『ぶれない信念』が必要だと思う。今やっているアクションが何につながっているのか、それを意識していれば、BBラボさんの活動もうまくいくと思います」と述べ、ディスカッションをしめくくった。

 今回の勉強会は、LUSHがキャンペーンを展開するにあたって大切にしてきた信念や活動を社会の変革につなげることの重要性を学ぶ良い機会となった。また、LGBT当事者と非当事者の間の認識の違いや問題解決の糸口を発見できる機会ともなり、青学BBラボが多様性豊かな社会を作るためにできることは何かを考える貴重な機会でもあった。今後は、こうした学びの場を、より多くの人たちと共有してゆくことを目ざしたい。
 青学BBラボにとって出発点といえるこの勉強会で、貴重なお話をして下さったLUSHジャパンの高橋氏に感謝すると同時に、今回学んだことを今後のラボでの活動に生かしていきたいと思う。
(了)

LUSHジャパン、チャリティ&エシカル・キャンペーン・マネージャーの高橋麻帆さん

第2回 LGBTってなんだろう?
レクチャーとディスカッション Vol.2

LUSHジャパンの高橋麻帆さんによるレクチャー風景 Ⓒ Arisa Ishikawa

LUSHジャパンの高橋麻帆さんをお迎えして

by 書き起こし/文責:村上諒子(むらかみ・りょうこ)、藤牧望(ふじまき・のぞみ)、中村聡子(なかむら・さとこ)

 2014年3月29日、青山学院大学青山キャンパスにおいて、LUSHジャパンのチャリティ&エシカル・キャンペーン・マネージャーである高橋麻帆氏をお招きして、青学BBラボの記念すべき第1回勉強会が開催されました。今回の勉強会は『LGBTってなんだろう? レクチャーとディスカッション Vol.1』と題し、英国に本社のある化粧品メーカーLUSHがこれまで行ってきた様々なキャンペーンについてご紹介頂き、中でもLGBTイシューをフォーカスして考える場となりました。
 勉強会にはBBラボのメンバー、一般の学生、岩渕潤子氏をはじめラボ協力教員の方々、さらに、NYから来日中だったジャーナリストの北丸雄二氏にも参加して頂き、多くの新しい気づきと活発なディスカッションが行われました。

■ショップはメディア~エシカル・キャンペーンについて~

ショップで行われたエシカル・キャンペーンの話題になると、高橋氏から興味深い言葉を聞くことができた。

「ショップは最大のメディアである」

キャンペーンを店舗で展開することによって、化粧品を買うためにやって来たお客さんに、ショップに来るまでは知らなかったことについて知ってもらうことができるというわけだ。

エシカル・キャンペーンの最初の事例として紹介されたのは、化粧品のための動物実験反対について。高橋氏によれば化粧品の動物実験は、うさぎを使って行われることが多いのだという。「なぜだと思いますか?」という高橋氏の問いに対して、誰からも答えが出なかったが、理由は「うさぎは傷ついても鳴かないから」だそうだ。2013年の3月、EUでは化粧品のための動物実験が完全に禁止された。この動物実験反対のキャンペーンはうさぎの着ぐるみを来たLUSHの職員がショップの前で檻の中に入るというものだった。これを見た人々は今まで気にしてこなかった問題に直面し、署名をした人も多かったという。

他にはアメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジで行われたサメのヒレ(フカヒレ)を切り取ることに反対するフィニング・フリー・キャンペーンについて。

次に高橋氏は、服を着ないで黒いエプロンだけを身に付けた人々が並んでいる写真を示し、ネイキッド・プログラムについて紹介。エプロンには「なんで私が裸なのか聴いてみて」と書かれていた。このキャンペーンは、余計な商品のパッケージを排除し、必要のないゴミは出さないことを訴えるものだ。
どのキャンペーンを例にとっても、ただ声をあげるだけではなく、ビジュアル的にも大きなインパクトがあるのが印象的。LUSHではショップが表現の場であり、そこで店員が表現者として、社会に変革を訴えるメッセージを発信している。ショップの雰囲気からスタッフが笑顔で明るく、ポジティヴであることが伝わってくる。

■ピンクトライアングル・キャンペーン

「反同性愛法」に抗議するピンクトライアングルをシンボルにしたキャンペーンについて。ロシアでは2013年の6月、未成年者に対する同性愛プロパガンダを禁止する「反同性愛法」が成立した。この法律に明確な抗議を示すため、LUSHは「WE BELIEVE IN LOVE 愛でつながろう #signoflove」というキャンペーンを行った。LGBT (性的少数者)のシンボルであるピンクトライアングルを手に持ったり、顔や腕に書いたりして写真を撮り、その写真を#signofloveのハッシュタグとともにFacebookやTwitterなどに投稿する。このキャンペーンはロシアがG20に出席していた昨年(2013年)の9月に初めて行われ、初日だけで3000件の#signofloveの写真が投稿された。「1日にこれだけの反響があるならば、これは真剣に取り組むべきでテーマであるに違いない」と、その時、高橋氏は考えたそうだ。

次に、高橋氏は色分けされたマップを見せながら、世界の国々でLGBTがどのような状況に置かれているかについて説明をした。世界には同性愛を違法とする国が約80カ国あり、中には同性愛者を死刑にする国もある。そんな中で、このマップで日本はロシアと同じ色で示されている。日本では死刑の対象となったり、違法とされる訳ではないが、LGBTの権利が確立されているとは言いにくいということである。
このキャンペーンは、今年の1月27日から2月14日に再度行われた。ソチ・オリンピック開催直前からバレンタインデーまでの期間ということで、性別によって制限されない愛を訴えるべく多くの人たちが写真を投稿し、世界で700万人が参加したと言う。LUSHはこのキャンペーンの集大成として、2月14日のバレンタインデーにピンクに照らされた東京タワーのふもとでピンクトライアングルの人文字を作るイベントの開催を予定していたが、関東を襲った大雪のために中止となった。しかし、「このキャンペーンで集まった写真はちゃんとロシア大使館に提出しました」と、高橋氏はにこやかに述べた。

■LGBTにフレンドリーであるために

ある会社から「LGBTにフレンドリーな企業を作るためにはどうしたらいいのか」という質問を受けた時、「言葉で説明するのは難しかった。なぜなら、LGBTフレンドリーな企業を作るための決まったルールはないと思うから」と高橋氏は語る。ジェンダーなどのカテゴリーによって人を差別しないことは、職場のカルチャーのようなもの。LUSHのスタッフの中にはLGBTの当事者の人も多くいる。人を性別で決めつけることなく、その人はその人…として考える。それは感覚的なことなので、どうやって伝えるかは難しいと高橋氏は話す。

無意識の思い込みによって安易な決めつけを行ってしまうのはどんな場面か。高橋氏が語った例は次の通り。例えば、男性客が口紅を探していた。店員はそれを女性ヘのプレゼントだと考えて、「女性の方にはこの色が人気です」と言ってしまう。しかしそれは、その男性自身のための物かもしれないし、他の男性へのプレゼントであるかもしれない。この話を聞いて、私たちは無意識のうちに、性別に対するステレオタイプを他人に押し付けている可能性があるということを改めて認識させられた。

(続く)

第1回 LGBTってなんだろう?
レクチャーとディスカッション Vol.1

LUSHジャパン、チャリティ&エシカル・キャンペーン・マネージャーの高橋麻帆さん Ⓒ Arisa Ishikawa

LUSHジャパンの高橋麻帆さんをお迎えして

by 書き起こし/文責:村上諒子(むらかみ・りょうこ)、藤牧望(ふじまき・のぞみ)、中村聡子(なかむら・さとこ)

 2014年3月29日、青山学院大学青山キャンパスにおいて、LUSHジャパンのチャリティ&エシカル・キャンペーン・マネージャーである高橋麻帆氏をお招きして、青学BBラボの記念すべき第1回勉強会が開催されました。今回の勉強会は『LGBTってなんだろう? レクチャーとディスカッション Vol.1』と題し、英国に本社のある化粧品メーカーLUSHがこれまで行ってきた様々なキャンペーンについてご紹介頂き、中でもLGBTイシューをフォーカスして考える場となりました。
 勉強会にはBBラボのメンバー、一般の学生、岩渕潤子氏をはじめラボ協力教員の方々、さらに、NYから来日中だったジャーナリストの北丸雄二氏にも参加して頂き、多くの新しい気づきと活発なディスカッションが行われました。その模様を3回にわたってお伝えします。

■BBラボと勉強会について

 青学BB(Beyond Borders)ラボとは、青山学院大学総合文化政策学部のラボ・アトリエ実習というカリキュラム内で行われているプロジェクトの1つである。2020年オリンピックの東京開催を視野に、日本が他の先進国から大きな遅れをとっているとされるLGBT市場に向けての効果的なマーケティングを考えることを主なテーマとし、女性や子供、外国人、LGBTを含む東京・日本において、様々な価値観を認め合い、すべての人たちが居心地良く共に暮らし、働くことのできる「多様性豊かな社会」とはどんなものかについて考え、活動している。

 今回の勉強会は、青学BBラボが月/1回程度で開催する、LGBTについて考えるレクチャーとディスカッションの記念すべき第一回として行われた。ゲストスピーカーとして「フレッシュ・ハンドメイド・コスメブランド」LUSHジャパンの高橋麻帆氏を迎え、LUSHがこれまで行ってきた動物実験やロシアの反同性愛法に抗議したキャンペーンなどについてレクチャーして頂き、LGBTとは何か、今自分たちが何をすべきかについて考えた。

LUSHは「地球、人、動物、すべてのいのちをもっともっとハッピーに」をコンセプトとして掲げる企業で、コスメ・プロダクトを販売するのみでなく、ビジネスを通じて自然環境保護や動物の権利擁護、人権擁護・支援のための活動に取り組んでいる。また、社会のために自分たちが直接できない活動を行っている団体を支援するチャリティ・助成活動も行っている。
今回お越しいただいた高橋麻帆氏は、LUSHジャパンのチャリティ&エシカル・キャンペーン担当者だ。以前はNPOの団体で活動しており、その時は支援される側の立場だった。しかし、せっかく社会のためになる活動をしているにもかかわらず、日本のNPOは他国の団体に比べてお互いのつながりが弱く、力を出しきれずにいるのが「もったいない」と感じていた。そんな時にLUSHのチャリティ支援を知り、日本での社会活動をより影響力のあるものにしたいとLUSHジャパンに入社し、現在は様々な活動と積極的に取り組んでいる。

なぜLUSHはこれらの活動に取り組むのか。ここから、高橋氏によるレクチャーの内容を紹介する。

■開発から製造まで、すべて自分たちで

LUSHは商品の開発から製造まで、全てのプロセスを他の業者を入れず、自社だけで行っている。すべての工程を自分たちの目で見て、確認できるからこそ、そこに児童労働や動物実験がないことを確認できる…と、高橋氏。「地球、人、動物すべてのいのちをもっともっとハッピーに」というコンセプトの通り、LUSHにはビジネスでお世話になっているすべてのものに負荷がかかってはいけないという考えがある。そのために商品の開発、製造の過程でかかる負担を最小限に減らす取り組みをしているのだという。

■自然環境保護への取り組み

LUSHにはリサイクルに取り組む研究チームがあり、廃棄物の99.7%がリサイクルされている。残りの0.3%が何かというと、工場で出る従業員が吸った煙草の吸殻などだそうだ。また、二酸化炭素の排出を抑えるため、原料の調達は飛行機ではなく、95%以上船便で行っている。そしてLUSHにはもうひとつのこだわりがある。それは、商品が固形であること。シャンプーが液体ではなく、石けんのように固形である「シャンプー・バー」であることで、製造工程における水の量を1年に42万トン節約することができるという。固形であればボトルに入れる必要もなく、プラスチックのゴミも削減することができる。

■エシカル・バイイング

LUSHは原材料の調達をダイレクト・バイイング(直接購入)という方法で行っている。ダイレクト・バイイングとは、LUSHのバイヤーが原材料の生産者に実際に会って、直接買い付けを行うことだ。バイヤーは原材料が高品質で安全であることを確認するだけでなく、生産者と面会して、従業員の職場環境や労働条件が適正であるかどうかの確認をする。製造に関わる人たちすべてがハッピーになる取り組みとして、生産者コミュニティの支援や関係づくりを目ざしている。

■チャリティ活動、助成金、LUSH PRIZE

LUSHは社会のために活動する団体のために助成金を出したり、様々なチャリティ活動を行っている。LUSHが支援するのは活動資金の予算が3500万円以下の小さな団体だ。資金が集まりやすい大規模な組織ではなく、草の根団体を支援することがLUSHのポリシーだという。また、化粧品の動物実験廃止を目指した活動をしている個人や団体を顕彰するために「LUSH PRIZE(ラッシュプライズ)」を創設し、その活動を支援している。

(続く)

SMUキャンパスにて

第4回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– 教育大国シンガポールで考えるこれまでの教育、そして未来へ(インタビュー後編)

Photo: SMUキャンパスにて Ⓒ Yoshiaki Sawada

第4回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– 教育大国シンガポールで考えるこれまでの教育、そして未来へ(インタビュー後編)

by 木村剛大(きむら・こうだい)/弁護士・シンガポール外国法弁護士(日本法)

ご好評を頂いているシンガポールからの木村剛大さんの連載第4回目です。

シンガポール在住の木村さんは、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所に所属する弁護士で、シンガポールのほか、インドネシアやヴェトナムなど、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法務支援を行って活躍中です。『AGROSPACIA』は木村さんの協力を得て、シンガポールのリアリティをご紹介するコラム、現地で活躍する方々のインタヴューのシリーズを引き続き連載していきます。今回はシンガポールに留学中の、エネルギーに溢れる方々にお集り頂いて、座談会形式でお送りします。

Photo: 南洋理工大学キャンパスにて
Ⓒ Teruo Iwamoto

 今回はシンガポールの大学で学ばれている以下の方々にインタビューを行いました。

シンガポール国立大学法学修士課程(LL.M) 大林、シンガポール経営大学法学修士課程(LL.M) 澤田、シンガポール国立大学人文社会科学部(東京大学法学部より交換留学) 竹内、南洋(ナンヤン)理工大学ビジネススクール(MBA)(高麗大学ビジネススクールより交換留学) 岩本、シンガポール国立大学ビジネススクール(MBA) 伊藤、シンガポール国立大学大学院工学部土木環境工学科環境工学専攻 下平、シンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院(MPA) 梶、シンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院(MPA) 横田

「語学学習」という永遠のテーマ

木村:語学学習のコツは日本人にとって永遠のテーマかと思いますが、それぞれご自分の経験からこうすると語学が上達しやすいのではという意見があればぜひ教えてください!

岩本:まず英語以外の語学についての雑感ですが、そもそも英語以外の語学は知識が限りなくゼロに近いところから始めるということもあるからなのか、意識的にも実際の経験曲線的にもモチベーションを高い水準で維持できるような気がします。またシンガポールでは習熟度が初期の段階でも各種言語のネイティブと話す機会が多く持てるので、発音的にも使い回し的にも自然な学習ができているような気がします。中でも、やはり友人と飲みに行ってとにかく言語を使うということは「使える」言葉を増やすという意味で極めて有効なのではないでしょうか。一方、英語に関するところで感じるのは、話者の年齢層にもよりますが、シンガポールで話される英語は日本人の感覚からすると完璧な英語でないことも多いので、英語に関してはその辺りの心理的負担がかなり軽減され話すハードルが下がるかなとも思いますし、また学生に限らず多言語環境に身を置く機会が多くあるのでビジネスシーンでも中級レベルのいろんな言語が飛び交い正確性が棚上げになっていることは事実としてよくあると思います。ここは魅力に感じます。

梶:シンガポールで英語が伝わらないと、こっちもむこうも悪いなと思っている感じがしますよね。そういう意味では岩本さんが言われるように心理的負担は低いので、英語を学びたい人の最初の留学先としてシンガポールはいいかもしれませんね。

大林:友人と飲みに行ってしゃべることが大切というのは岩本さんのおっしゃるとおりですね。先ほどシングリッシュの話が出ましたけど、留学すると様々な国の人が様々な英語を話していることがよく分かります。ネイティブでなくても、文法が完璧でなくても堂々と話すということが大切だと感じています。

木村:皆さん言われるように心理的な側面は私も重要だと思っています。私はシンガポールに来てせっかくだからと中国語の勉強も始めました。そうすると、これまでは日本語に比べて英語は不自由なわけですが、中国語と比べると英語のほうがはるかに語彙力もあるし、話せるわけです。なので、あくまで精神的なものですが、中国語を始めることで英語を話すのが楽になった気がします。シンガポールは中国語も通じる環境なのでいいですよね。チャイナタウンでは中国語しか通じないところも結構ありますからね。

横田:そういう精神的な面は大事かもしれませんね。実は私の場合は木村さんと逆で、パプアニューギニアの共通語は非常に簡単なんです。なんといいますか、文法がないので、単語を並べればコミュニケーションがとれるようになります。中国語と違って発音も日本人には難しくありません。そのため、私はパプアニューギニアへの赴任によって英語に戻るのにかなり心理的なハードルが上がってしまいました(笑) 英語教育についていえば、語学は筋トレのようなものなので、とにかく毎日やるということをもっと意識してもいいかもしれません。一般的には他の言葉に比べたら英語は取っ掛かりやすいですしね。

伊藤:私もNUSで中国語のクラスをとっています。娘がローカルの託児所に行っていて、中国語を話すようになってきたので、コミュニケーションをとるために私も中国語を始めました。必死に勉強しています(笑)。

木村:それは語学学習の最高のモチベーションになりますね!

竹内:僕もNUSで中国語のクラスをとっています。英語の話でいえば、中学、高校は普通の日本の学校でしたので、英語を話す機会が少なくなってだんだん英語力は落ちてくるなという実感がありました。なので、映画を英語で観たり、小説など本を英語で読むようにしたりは意識的にしていました。

木村:一度獲得した英語力を維持するためには継続的に使い続けることが大切ということでしょうか。伊藤さんは高校からいきなりアメリカの大学に進学されたわけですけど、英語は元々得意だったのですか?

伊藤:いえ、全く話せませんでした。ホームステイして毎日英語を使わざるを得ない環境にいて1年半くらい経つと何とかある程度話せるようになるかなとは思います。回りに日本人は少なく、英語話せないとどうしようもないですからね。

下平:私もコツはやはりしゃべるようにするしかないと思っています。留学前はスカイプでフィリピン人講師と英会話をするサービスを利用していました。毎日30分利用しても月5000円程度だったので、おすすめです。

梶:スカイプ英会話は私もやってましたよ!

澤田:スカイプ英会話は私も留学前利用していました!他にはロースクールに行くとやはり専門的な法律の議論をする必要がありますので、最低限専門用語のボキャブラリーを増やすことはどうしても必要になってくると感じています。

竹内:シングリッシュの話ですけれども、周囲のNUSの学生をみる限りでは、英語教育で育った若い世代のシンガポール人の書く文章は他の英語ネイティブの人のものと全く変わらないと思います。文章であれば、シンガポール人が書いたものかそうでないかの区別は難しいと思います。シンガポール人を半ネイティブという人もいますが、ネイティブですよ。

木村:竹内さんは帰国子女で英語が使えることはやはりよかったと思いますか?

竹内:英語力は大きなアドバンテージにはなっています。自分の場合は物心つく前から様々な国の友人が自然にいる環境で英語に慣れ親しむことができて、自然に入り口に立てたことで苦手意識はなかったので、それがよかったのだと今は思います。

横田:やはり、英語は筋トレじゃなくて、自転車みたいに扱えたらもっと行動範囲が広がるツールだと思って楽しく身につけられたらいいですね。

Photo: シンガポール国立大学法学部
ブキティマキャンパスにて
Ⓒ Yoshihiro Obayashi

これまでの教育、そして未来へ

木村:最後に、これまでの教育を振り返って未来につながるご意見があればお願いします。

岩本:私は日本の教育には割りと肯定的なほうです。道徳ですとか技術、家庭科などバランスよく学ぶ機会があるのは人間性を高めますし、それがサービスの品質向上や技術開発などにおいて、同単位の労働力や資本の投下に対して大きな生産性上の効果を生んできたのだと思います。シンガポールでは、道徳は罰金を課せばいい、技術、家庭科はメイドを雇えばいいという発想らしく、ローカルの学校ではこれらの授業は課されないと聞きましたが、そのような学校に通わせてみるとお子さんの様子がどんどん変わっていくのを感じ日本人学校に入れ直した、という話を聞いたこともあります。経済的に豊かになっても日本人的にはあらゆるものの品質に「?」と思うことがあるのはその差ではないかなとさえ思うことがあります。ただし、シンガポールではとにかく成績が非常に重要で名門中学に行けなければ、名門高校に行けない。名門高校に行けなければ名門大学にも行けない、名門大学を卒業できなければ好条件の政府や会社に入れないという日本よりもはるかに厳しい競争環境のようですが、その緊張感には学ぶこともあると思います。実は韓国も同様でSKY(ソウル大学、高麗大学、延世大学)と呼ばれる名門大学に行けないと、サムスンを初め財閥系の主要企業にはまず入れません。日本の教育を肯定する一方で留学による価値はいくつかの面で高いと思っています。その一つとしては土地・文化の理解でしょうか。現地にいれば現地の人の考え方が分かってきますので、国内市場があらゆる業種で飽和していく中でその先の成長をビジネスに取り込んでいくためには近隣にある成長市場の基礎的条件の理解は必須ですし同時に(今のところ)大きなメリットになると思っています。

竹内:今振り返るとインターナショナルスクールでの経験は非常に良かったと思っています。まだ小さくてそんなに勉強という感じでもなく単純に楽しかったからというのもあるかもしれませんが、人数が少なくて先生との距離も近かったですし、様々な国のクラスメイトと会えて楽しかったです。こういう経験は日本の通常の学生生活ではなかなか難しいかなと思います。

横田:私も日本以外の国の人と過ごせる環境というのはもっとあったらよいのかなと思います。関心を持つきっかけになりますし、色々刺激を得る機会も多いでしょう。これまでは日本だけでもある程度のマーケットサイズがあり、日本の中だけでもやって来れていた部分はあるかと思いますが、今後はより外と向き合う必要性が増すでしょう。

梶:これからは日本のことしか知らないと食べていけなくなるのではないかという危機感をもっと意識したほうがよいのかもしれませんね。興味の範囲を広げるという意味で多様性のある環境は増やしていくべきだと思います。ただ、内容的には日本の高校までの教育レベルは高いと思っています。

澤田:法学教育についていえば、日本の教育のレベルは非常に高いと思います。英語で発信するという伝達手段だけが大きな問題なのではないかという気もしています。中学、高校というかなり早い段階でエリートが選別されていくシンガポール型は日本に導入するには厳し過ぎるのではと思ってしまいます。日本では名門大学を出ていなくても成功する人はいくらでもいますが、シンガポールでは例外は非常に狭き門のようです。あと日本は教育の過程でもう少し色々な価値観があってもよいのかな。シンガポールは多民族国家ですし、留学生も多いのでそういう面では優れていますね。

下平:シンガポール型そのものは難しいと思いますが、私はどちらかというとシンガポール型もありなのではないかと思っているほうです。実際、日本国民全員が英語を話せる必要はないですから。ただ、日本の場合、親の所得水準と子供の教育レベルがリンクしている傾向にあるようですので、英語を勉強したい、という子供には、平等に機会を与えることが必要かと思います。多様性という点では日本の大学は海外から学生を呼び込むような方法を考えていかないといけないでしょうね。その点、シンガポールは、積極的に留学生を受け入れるなど、戦略的に取り組んでいますので、日本も参考になるのではと思います。あと日本の英語教育は改善が必要でしょう。もう少し実践的な会話やライティングを重視する必要があると思います。

伊藤:日本の英語教育はだめというのは全会一致でしょう(笑)

木村:そうですね。私も異論ありません(笑) 大林さんは自分のお子さんには早い段階で留学させたいと思いますか?

大林: 英語はもちろんできたほうがよいですが、小さいうちからというのは実はあまり思わないですね。まずは、日本語をしっかりと学んで、日本人として日本の文化をよく分かって欲しいし、その上で本人が海外に行ってみたいと思うタイミングで、英語や他の国の文化を学べばよいと思います。

木村:それでは岩本さんに怒られないよう最後にまとめを入れたいと思います(笑) これまでの教育を振り返って日本の英語教育は問題ありという点とこれからの教育の視点として多様な価値観に触れられることはプラスであるという点では意見は一致していましたね。多様な価値観を経験できる場がインターナショナルスクールなのか、海外留学なのか、将来的に日本の教育機関でこれが身近に達成される環境が生まれるのかは分かりませんが、多様な価値観を知ることで日本を知ることにも通じると留学をして感じています。英語学習のコツとしてはとにかくしゃべる機会をつくること。これには英語を使うハードルをいかに下げるか、どのようにモチベーションをつくるかという精神論も関係してきそうですね。

 シンガポールを選択する理由としては、①東南アジア市場を見据えるため、②シンガポールの政策への関心、③多様な価値観に触れられる環境という3点が大きな視点でしょうか。本連載のタイトルも「東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ」と名付けましたが、様々な分野でシンガポール政府はシンガポールが東南アジアのハブ機能を担うための政策を打ち出しています。教育もシンガポールが政策として力を入れている分野で、海外から学生を呼び込もうとしています。政策によってこれだけの経済成長を遂げてきた国なので、何か期待感を持たせる国とはいえるのかもしれません。一方で、経済合理性が第一の割り切った政策を推進しているため、徹底した学歴社会で敗者復活が極めて難しいという点は、日本人の感覚からはそれで本当によいのだろうか? という疑問も抱くところでもあると思います。

 皆様、お忙しいなか本日は遅くまでありがとうございました。謝謝你們!

(了)


大林良寛(おおばやし・よしひろ)
弁護士 2008年弁護士登録後、弁護士法人淀屋橋・山上合同に入所。主な業務分野、M&A、組織再編等、買収監査、事業再生・倒産、知的財産、債権回収、刑事事件。2013年8月から、シンガポール国立大学法学修士課程のために、シンガポールに留学中。

澤田祐亨(さわだ・よしあき)
弁護士 2008年弁護士登録。伊藤見富法律事務所(Morrison & Foerster外国法共同事業)入所後、小笠原六川国際総合法律事務所を経て、2012年4月東京にて東亜法律事務所を開設。弁護士資格取得前には大手証券会社にて債権投資業務にも従事。現在はシンガポール経営大学法科大学院の法学修士課程(商業法専攻)に在籍し、シンガポールと日本を往復しつつ弁護士業務と並行して学位取得を目指している。企業法務、金融法務を主として取り扱うほか、渉外契約交渉代理、訴訟・ADR等の紛争解決、M&Aにおける法務精査等を通じて、企業に対し幅広い業務支援サービスを提供している。

竹内裕哉(たけうち・ゆうや)
東京大学法学部(第2類公法コース)在学中。学内の交換留学制度を利用し、2013年8月から2014年5月までの予定で2学期間シンガポール国立大学人文社会科学部に留学中。チキンライスとマリーナ・ベイ・サンズだけじゃもったいない、という思いから昨年同じ日本からの交換留学生3人とともにシンガポールの観光動画を作成。ストレーツタイムズ紙に動画が取り上げられる。よかったらご覧になってください!(https://www.youtube.com/watch?v=08AFj0n37jY

岩本照夫(いわもと・てるお)
公認会計士(日本) ディレクター、KPMGシンガポール
1999年に公認会計士第2次試験合格後大手監査法人及び監査法人系アドバイザリー会社にて法定監査、M&A関連の各種デューデリジェンス・ストラクチャリング業務に従事。その後外資系投資銀行にて株式・債権の引受業務、不良債権・PEを中心とした投資業務及び投資ファンドにおける不動産投資業務を経て2012年8月より韓国高麗大学ビジネススクール(MBA)に就学。2013年6月よりシンガポール南洋理工大学ビジネススクールへの交換留学を機にシンガポールへ渡り、修了後現在KPMGのシンガポールオフィスにてASEAN市場の各種市場・競合分析、M&Aに関連する各種アドバイザリー・デューデリジェンス業務、統合支援業務等に従事している。

伊藤友一(いとう・ゆういち)
愛知県名古屋市出身。アメリカのマイアミ大学を卒業後、ビジネス会議を企画運営する会社に就職。 アジアHQのシンガポールに頻繁に訪れた際、多民族・多文化間での考え方や、視野の広さの違いに刺激され、いつかこの地に住み、起業を決意する。その後、日本のベンチャー系の証券会社でのマーケティング職を経て、PR会社で海外企業の日本進出PR活動の支援に従事する。2012年の夏に会社を退社、現在は家族((妻、娘1人))を連れ、シンガポール国立大学にてMBAを取得中。MBAでは海外からの東南アジアに出てきた企業のケースを中心に学んでおり、現在は起業に奮闘中。

下平剛之(しもだいら・たかゆき)
2000年より5年間ほどゼネコンに勤務し、主に海洋土木設計に従事。2005年より環境省に転職し、大気汚染、土壌汚染、水資源管理、除染関連業務を担当。2013年7月よりシンガポール国立大学に留学し、大学院工学部土木環境工学科環境工学を専攻。2014年8月からはシンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院に入学予定。

梶直弘(かじ・なおひろ)
2004年、経済産業省に入省。ITに関する投資促進税制の整備、気候変動やリサイクルなど国内外の環境政策の全体総括、官民合同ファンド「産業革新機構」の創設、同機構に立上げのため出向、経済産業省に戻り採用・研修担当を経て、2013年7月からシンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院に留学中。

横田隆浩(よこた・たかひろ)
1998年、青年海外協力隊員としてパプアニューギニアの山奥にて2年半活動。2001年日本のODA事業の実施機関である国際協力機構(JICA)に入構。国内・本部勤務を経て2007年パプアニューギニア事務所に赴任、4年後の2011年、震災後福島県内の避難所となっていた二本松青年海外協力隊訓練所に赴任。避難所運営・訓練再開業務に従事。2013年7月よりシンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院に留学中。

PROFILE

木村剛大(きむら・こうだい)

弁護士

2007年弁護士登録。ユアサハラ法律特許事務所入所後、主に知的財産法務、一般企業法務、紛争解決法務に従事。2012年7月よりニューヨーク州所在のBenjamin N. Cardozo School of Law法学修士課程(知的財産法専攻)に留学のため渡米。ロースクールと並行してクリスティーズ・エデュケーションのアート・ビジネス・コースも修了しており、アート分野にも関心が高い。2013年8月よりシンガポールに舞台を移し、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所にて、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法的支援に従事した。2014年10月ユアサハラ法律特許事務所に復帰。

Twitter: @KimuraKodai

NUSケントリッジキャンパスにて

第3回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– 教育大国シンガポールの大学で学んで(インタビュー前編)

Photo: NUSケントリッジ・キャンパスにて Ⓒ Takayuki Shimodaira

第3回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– 教育大国シンガポールの大学で学んで(インタビュー前編)

by 木村剛大(きむら・こうだい)/弁護士・シンガポール外国法弁護士(日本法)

ご好評を頂いているシンガポールからの木村剛大さんの連載第3回目です。

シンガポール在住の木村さんは、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所に所属する弁護士で、シンガポールのほか、インドネシアやヴェトナムなど、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法務支援を行って活躍中です。『AGROSPACIA』は木村さんの協力を得て、シンガポールのリアリティをご紹介するコラム、現地で活躍する方々のインタヴューのシリーズを引き続き連載していきます。今回はシンガポールに留学中の、エネルギーに溢れる方々にお集り頂いて、座談会形式でお送りします。

Photo: ケース・コンペでのNUS&NTU混合チーム
Ⓒ Yuichi Ito

 今回はシンガポールの大学で学ばれている以下の方々にインタビューを行いました。

シンガポール国立大学法学修士課程(LL.M) 大林、シンガポール経営大学法学修士課程(LL.M) 澤田、シンガポール国立大学人文社会科学部(東京大学法学部より交換留学) 竹内、南洋(ナンヤン)理工大学ビジネススクール(MBA)(高麗大学ビジネススクールより交換留学) 岩本、シンガポール国立大学ビジネススクール(MBA) 伊藤、シンガポール国立大学大学院工学部土木環境工学科環境工学専攻 下平、シンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院(MPA) 梶、シンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院(MPA) 横田

なぜシンガポール?

木村:本日はお忙しいところ、ありがとうございます。今回は教育熱心な国としても知られるシンガポールのリアリティを伝える記事を書きたくて、実際に学ばれている皆様にお集りいただきました。また、竹内さんは今後進学されるかもしれませんが、これが最後の学生生活になる方も多いかもしれません。そこで、これまでにご自身の経験してこられた教育についても振り返って、これからの教育についても語っていただけたらと思っています。まずは、どのようなバックグラウンドの方がどのような理由でシンガポールに来られたのかお伺いしたいと思います。それでは大林さんお願いできますでしょうか?

大林:僕は、一言でいうとコテコテの大阪の弁護士です。東京と比べると大阪の弁護士で留学する人はかなり少ないのですが、長い目で見たら海外展開するお客さんをサポートできるようにしておくことが大阪の弁護士として必ずプラスになると思って僕はシンガポール国立大学(National University of Singapore、「NUS」)に留学することにしました。シンガポールを選んだ理由は、アメリカがそんなに好きじゃないから(笑)。アジアで勝負したいと思ったからですね。LL.Mが終わった後はシンガポールの法律事務所に勤務する予定です。さらに、その後、バンコクとジャカルタの法律事務所にも勤務したいと考えています。

木村:私はアメリカのロースクールに行きましたので、アメリカとの比較もできればと思います! シンガポール国立大学のLL.Mに行かれる弁護士はまだあまり多くありませんので、プログラムの特徴などお聞きできればと思います。

澤田:私も弁護士ですが、私の場合は独立して東京で法律事務所を経営しています。弁護士になって最初は外資系の法律事務所に就職したのですが、実は海外案件はそんなに多くなく、日本国内の案件を担当することが多かったです。私はずっと日本で教育を受け、日本国内で仕事をしてきたため、海外への憧れがずっとありました。教育レベルや社会システムの洗練度、自分の専門分野との親和性などを考えて留学先としてシンガポールを選び、金曜、土曜に集中して開講されるシンガポール経営大学(Singapore Management University、「SMU」)が仕事をしながら留学するという観点からは最もやりやすいと思い、ここを選びました。

木村:澤田さんは2012年に始まったシンガポール経営大学のLL.Mに行かれた日本人第1号ですよね。独立されていて仕事をしながら留学というパターンははじめて聞きました。仕事と学業を両立する工夫もお伺いできれば大変参考になります!

竹内:僕は法学部の学生です。今回は1年間の交換留学で東京大学からシンガポール国立大学に来ました。東京大学はこれまで全体での海外への留学制度がなくて、最近ようやく制度ができたんです。僕が交換留学を希望したときは英語圏ではカナダとシンガポールという選択肢しかありませんでした。シンガポールは中華系が人口としては多いですが、ビジネスは国際化していますので、東洋と西洋の接点といってよいと思います。中華文化や現地の考え方を知ることは面白そうかなと思い、シンガポールを選択しました。将来的には経済産業省や外務省など海外経験を生かせるような官庁に入りたいと思っています。

木村:竹内さんは帰国子女ですよね? うらやましい(笑)。本日は東大とNUSとの比較や帰国子女の視点でみた日本の教育についてもぜひお話を聞かせてください。

竹内:2歳から7歳まで香港のインターナショナルスクールに行って、7歳から12歳は日本のインターナショナルスクールで過ごしました。その後の中学、高校からは普通の日本の学校です。

岩本:会計事務所のKPMGシンガポールオフィスで働いています。私は2012年から2013年に韓国の高麗大学(Korea University)のMBAに行ったのですが、半年間シンガポールの南洋(ナンヤン)南洋理工大学(Nanyang Technological University、「NTU」)のMBAに交換留学で来たことがきっかけで、そのままシンガポールで就職しました。留学前まで勤務していたある投資ファンドにてアジア諸国における投資マーケットや資金調達マーケットとしての魅力が増しているのを感じており、最初はその観点から韓国の特に資金調達市場に興味を抱いて韓国のMBAに行ったのですが、ウォン高や大統領選の影響などもあって外国人の採用が一時低迷したこともあり、単純に選択肢が多そうだという理由でシンガポールに交換留学をしました。

木村:岩本さんは英語の他、韓国語、中国語も堪能で尊敬の念を抱かずにはいられません。語学学習のコツも後ほどお伺いしたいです!

伊藤:私はシンガポール国立大学のビジネススクールに通っています。私の場合は少し変わっていて元々シンガポールで起業するつもりで、その準備期間という意味もあってMBAに通っています。具体的には、改造車(カスタムカー)用のパーツの販売で、日本の技術や製品レベルは非常に高いのですが、シンガポールや周辺国のレベルはまだまだですのでビジネスチャンスがあると思っています。経歴としましては高校までは日本で、大学からアメリカに行って南オレゴン大学に1年半、その後フロリダのマイアミ大学に編入して2年半過ごしました。化学専攻です。大学卒業後は国際会議の企画、運営を行う会社に就職して東京で1年、シンガポールで1年勤務しましたが、その東京オフィスが閉鎖になりました。その後オンライン証券会社、PR会社を経て自分で事業をやりたいと思ってNUSのMBAに来たという経緯です。

木村:MBAの後すぐに起業される方はそんなに多くはないですよね。伊藤さんは元々車好きだったのですか?

伊藤:MBAは民間企業からの派遣で来ている人が多いですね。元々車好きというわけでもなくて、2012年にシンガポール版東京オートサロンという大きな改造車の展示会に通訳として入ったことがきっかけです。シンガポール、タイ、インドネシアなど東南アジア各国から人が集まってきていて、これはビジネスになるのではないかと思いました。

下平:シンガポール国立大学の工学部で環境工学を専攻しております。私は環境省から留学しておりまして、主に、大気汚染や土壌汚染などの環境管理の仕事に携わっていました。みなさんと同じように、今後アジアを中心として環境ビジネスが伸びる可能性があることから、アジアに留学したかったことと、水資源に関する政策に関心があり、シンガポールを選びました。シンガポールでは大きく分けて、①下水再生水「NEWater」(ニューウォーター)、②海水淡水化、③マレーシアからの輸入水、④雨水などの貯水池という4つの蛇口(Four National Taps)により水を確保しています。2061年にマレーシアからの原水輸入に関する協定が終了する予定であるため、シンガポールは国策としてマレーシアに頼らない水資源確保に力を入れています。また、政府の政策として水資源関連の技術を世界に向けて発信するグローバル・ハイドロ・ハブを目指しています。私はシンガポール国家環境庁(National Environmental Agency)においてインターンを実施する予定で、小さな国という利点を生かしたダイナミックな政策手法についても、いろいろ勉強できればと考えています。

梶:私は経済産業省に勤めています。もともとは理系で情報システムの研究をしていたのですが、イノベーションを起こすためには今の仕組み自体を変えることが必要だと思うに至り経済産業省に入省しました。経済産業省では「産業革新機構」という官民出資の投資ファンドの設立を担当しました。リー・クワンユー公共政策大学院を留学先に選んだのはこれだけの経済成長を遂げてきたシンガポールの政策に興味があったことやアジアの他の国々の政府の職員とディスカッションする機会が欲しかったからです。また、日本で金融関連の仕事をしてきたため、アジアの金融センターとして存在感を示すシンガポールの制度にも興味があったということも理由のひとつです。

横田:私はJICA(国際協力機構)で働いていて、現在はリー・クワンユー公共政策大学院に留学しています。私の場合は青年海外協力隊として2年半、JICAの職員として4年間パプアニューギニア赴任していました。財政赤字が続く日本ではODA予算も97年当時から半額ぐらいに減ってきております。その予算を有効に活用していかなければならないのですが、開発途上国で必要なプロジェクトには日本の公的資金だけでは足りず、世界銀行やアジア開発銀行(ADB)、開発途上国政府の他、民間資金も併せて活用して行く必要があります。それらの資金をまとめて国の開発に活用していくためにはマクロ経済含め客観的に開発プログラムを説明していく必要があると感じていて一度問題意識を整理したいと思っていました。そこで、途上国からの留学生も多いシンガポールで、様々な国の留学生とディスカッションして頭を整理する機会があればよいと思ってシンガポールを選びました。

木村:パプアニューギニアでの生活は想像がつきませんが、刺激が強そうですね。梶さん、横田さん言われるようにシンガポールの大学は多様性に優れており、特にアジアからの留学生が多いという点は特徴ですね。また、下平さん、梶さんが言われるシンガポールの政策への関心は私も同様で、アジアのアート・ハブ、知財ハブ構想を進めるシンガポールの政策が自分の専門性と一致することがシンガポールを選んだ理由のひとつでもあります。

Photo: 女川の高台の神社にて
Ⓒ Naohiro Kaji

シンガポールの大学で学んで

木村:それでは次にそれぞれのプログラムを受けられた感想を伺えますでしょうか? リアリティをお伺いしたいので率直な意見をぜひお聞かせください。クラスメイトはどのようなバックグランドの人ですか? 国は結構ばらばらですか?

大林:NUSのLL.Mは全体で160名くらい、NUS単独のプログラムは90人ほど、シンガポールと上海の2か所で授業を受けるInternational Business Lawのプログラムが40名ほど、ニューヨーク大学とのダブルディグリープログラムが30人ほどです。国で一番多いのはインドですね。続いて中国、その他は、ベトナム、タイ、インドネシア、カナダ、オーストラリア、スイス、オランダ、ドイツ、南米などかなり色々な国から来ています。大体はシンガポールの法学部の学生と同じ授業です。中国法やインドネシア法などもあってクラスのバリエーションは非常に豊富です。

澤田:SMUの特徴は少人数のプログラムでセミナー形式のクラスが多いことだと思います。また、金曜と土曜に終日開講され、社会人でも働きながら通えるように設計されていることも大きな特徴です。そのため、働いている人が多くて平均年齢も少し高めになると思います。平均40歳くらいでしょうか。クラスメイトには法律専門職の他、シンガポール政府の職員、国際調停機関の調停員、シンガポール企業の法務担当者などもいます。LL.Mのプログラムは学部の授業とは完全に切り離されています。授業はプレゼンやグループワークが多くて準備は思ったよりも大変でした。

木村:アメリカのロースクールでは授業中にプレゼンの機会が1回あったのとライティングのクラスで模擬弁論があったくらいでした。お話を伺うとNUSとSMUは同じLL.M.でも大分違いがありますね。SMUは元々ビジネススクールだからMBA的な側面がLL.Mでも強く出ているということでしょうか。大林さん、NUSにはどのような特徴がありますか?

大林: NUSの特徴はアジア圏に重点を置いたクラスが多くあることだと思っています。「アジアにおける比較法伝統(Comparative Legal Traditions in Asia)」というクラスをとりました。タイ、インドネシアなどのアジア各国の歴史から始まってその歴史と法制度がどのように関連しているのかを学ぶクラスです。たとえば、シンガポールはイギリスの植民地でしたので、英国法がベースになっています。一方で、タイは植民地化されたことがないので、かなり独自の法制度が形成されています。2013年の年末に東南アジア各国を巡ったのですが、この授業をとったおかげでビール片手に各国の歴史にも思いを馳せることができました。

木村: アメリカのロースクールではアジアに重点を置いたプログラムがあるところ自体少ないですから、アジアを見据える人にとってNUSのプログラムは面白そうですね。澤田さんは仕事もしながら留学されているわけですが、相当大変ではないでしょうか?

澤田:もちろん大変ですけれども何とかなります。会議をスカイプでやったり、月に1回程度は日本に帰って集中的にお客さんとの打ち合わせをしたりしています。日本とシンガポールは時差が1時間しかありませんので、そういう面でも仕事はやりやすいですね。

木村:なるほど。アメリカだと月1回帰るのはかなり大変そうですが、シンガポールなら東京まで6-7時間程度ですから許容範囲かもしれませんね。次にMBAについてお話を伺えればと思います。岩本さん、お願いします。

岩本:ナンヤンの場合、全体で100名くらいの規模です。フルタイム70人、パートタイム30人くらいですね。構成はシンガポール人が一番多いのですが、その次にはインド人が20人強、次に中国人で後は色々です。シンガポール人は政府系の組織からの派遣も多かったです。日本人は私を含めて3人、韓国人2人、タイ、インドネシア、ミャンマーからも少しずつですが来ていました。

木村:岩本さんの場合、高麗大学のMBAで1年間学んだ後、ナンヤンに行かれていますが、高麗大学のMBAと違いは感じましたでしょうか?

岩本:違いは感じましたね。授業に関してはナンヤンでは印象的な違いが3つほどありました。まず、最初の特徴はクセの強い英語です。多数派はインド人、中国人、シンガポール人ですが、ご存じのとおりこれら3か国の人達は流暢に英語を話すものの日本人にとっては慣れの少ないアクセントなので特に学生同士の議論になるとまず言語レベルで参加するのに骨が折れます。次の特徴は議論の展開の仕方。とにかくまとまらない。MBAはプレゼンやケーススタディのロールプレイといった参加形式での授業が多いのですが、たとえば、アップル社の戦略についてのケーススタディの議論が始まるとします。そうすると、インド人がアップルとの対比でマイクロソフトの戦略の話を始める。そしてシンガポール人がマイクロソフトの戦略の話をリーダーシップの議論やマーケティングの話に展開させます。テーマはアップルの戦略なのですが、いつの間にかマイクロソフトの将来像や株価の話で終了している。日本だと考えられませんよね(笑) 議論は展開するのですが、まとまらないというかまとめない。逆に、高麗大学のMBAは在米・在カナダの韓国系の学生や韓国国内マーケットに縁のある、たとえば自動車や製鉄業などの欧米企業からの留学生が多かったですし、教授陣も欧米からの先生を招くかまたは欧米での指導経験のある教授を抱えているので英語は(特に日本人にとっては)とても聞きなれたものでそのような苦労はほとんどありませんでした。また、授業の展開についてもある意味日本的で必ず最後にフィードバックがあります。最後にまとめを入れて何か示唆を得ようとするのでいわゆるtakeawayがあるというか、「習いました」感は高かったですね。実はこれらの違いは職場でも散見されるところでもあります。最後の特徴は中国文化を踏まえた授業がある点です。孫子の「兵法」を経営に生かすという授業があって、これは非常に興味深かったですね。詳細は端折りますがナンヤンはNUSと異なり元々中国語での教育を行う機関であったということもあってか、中国文化圏ならではのプログラムというのは一つの特徴かと思います。

伊藤:シングリッシュには最初苦労しますよね。NUSのMBAは全体で100名くらい、構成は大体ナンヤンと同じです。もちろんプレゼンとかケーススタディはするのですが、MBAで面白かった授業をひとつあげるとすれば「マクロ経済」でしょうか。クラスの面白さは教授によりますけど、このクラスではゴールドマンサックス出身の韓国人の教授がかなり辛口に韓国批判、シンガポール批判をしていて面白かったです(笑)

下平:工学部でいえば、90%は中国からの留学生という構成になっています。大学卒業後3年間シンガポールで働くという条件で、シンガポール政府から補助が出る制度があり、この制度を利用している中国人が多いようです。日本人は工学部全体で2、3名といったところでしょうか。「排水処理工程」、「ゴミ処理技術」といった技術系のクラスが多いです。シンガポール公益事業庁(Public Utilities Board)、シンガポールの多国籍企業ケッペルや水処理大手のハイフラックスからスピーカーを呼んできて話をしてくれる機会があり、実践的な話も聞けて大変参考になりました。

木村:シンガポールお得意のヒトを集めるための政策ですね。竹内さんは特に面白かったクラスはありましたか?現役学部生の立場から東大とNUSの授業を比較して何か特徴を感じましたか?

竹内:面白かったのは「国際政治経済」(International Political Economy) というクラスですね。経済的な力関係を通じて国際的な政治関係がどのように構築されているかを学ぶというもので、自分の興味とも完璧に一致していました。東大との比較をしますと、大学の成績が就職に大きく影響する面もあるためか、学生はもっとガツガツしていると思います。あと、日本だと大教室の講義というのが一般的ですが、シンガポールでは講義に加えて20名ずつくらいに分かれてチュートリアルがセットになっていて講義の復習をしたり、グループ発表をしたりしますね。だいたいTA(Teaching Assistant)が担当します。

大林:法学部でも学部生は決してノートのシェアをしないそうです。成績至上主義のシンガポールらしいですね。

木村:アメリカでもロースクールの成績は重要なようですが、そこまでピリピリはしていなかった印象があります。チュートリアルは日本ではあまり聞かないですね。伊藤さん、アメリカの大学では一般的ですか?

伊藤:アメリカではまさにそういう講義とチュートリアルのセットというのが多いですよ。有益かどうかはTAによりますけどね。

木村:次に公共政策大学院について、梶さん、横田さん、お願いします。

梶:公共政策大学院は、勤務5年以下のジュニアキャリア用2年コースのMPP(Master in Public Policy)、10年前後のミドルキャリア用1年コースのMPA(Master in Public Administration)、これよりもシニアキャリア用のMPM(Master in Public Management)に大きく分かれており、私と横田さんはMPAのプログラムに通っています。国籍構成については、公共政策大学院の場合、結構明確に枠が設けられていると思っています。具体的にはシンガポール2割、中国2割、インド2割、アセアン2割、日本も含めたその他2割というものです。クラスメイトは大体中央、地方の公務員、国連などの国際機関、それからジャーナリストが多いですね。特に面白かったクラスは2つありまして、①「シンガポールの政策」と②「アジアのソフトパワー」ですね。「シンガポールの政策」はシンガポールの役人のトップと財務省の課長を経験した方が担当してシンガポールの政策の光と影をテーマにしたクラスです。統治機構に関する話なのですが、現実主義、実力主義、汚職防止、といった基本原則から話をしてくれました。他方で、「ソフトパワー」というのは「ハードパワー」(軍事力)と対置されるアメリカで提唱された概念で、軍事力以外の力による他国への影響力のことを指しています。これをアジアで考えるというクラスで、たとえば、日本でいえば「クールジャパン」がどのような背景から生まれて外交的にどのような影響があるのか、インドネシアでいえばアジア最大のイスラム文化圏としてどのように欧米や中東と向き合っているのか、といったことを分析するクラスです。

横田:震災のときに日本に多くの国が支援してくれましたが、それも日本にソフトパワーがあったためといえるかと思います。JICAの協力事業も活動を通じてソフト面でのつながりをつくっていくものですね。私が大事にしたいと思ったのはクラスではないのですが、「ジャパン・トリップ」です。テーマを決めて日本の訪問先にアポをとって多くがアジアの政策担当者である留学生を連れていくのですが、内容は今回の実行委員長であった梶さんよろしくお願いします。

梶:今年は①アベノミクス(経済政策)、②災害復興、③国際関係をテーマとしました。①アベノミクス関係では経済産業省、著名エコノミストを訪問し、②災害復興では未だに災害の傷跡が残る宮城県の女川町や福島県の南相馬市を訪問し、福島第一原発半径5キロのところまで行って現状を実際に見る他、女川町長、南相馬市長からもお話を伺いました。また、東京では、民主党の馬淵澄夫元大臣、内閣府の被災者支援チームからもお話を伺うことができました。③国際関係では、自由民主党の石波茂幹事長、日本再建イニシアティブの船橋洋一氏からもお話を伺うことができました。

横田:このジャパン・トリップはここ4年間続けて行われているのですが、ぜひ今後も続けてほしいです。というのも世界での日本のプレゼンスが落ちている実感があったためです。私は1990年代後半と2000年後半にパプアニューギニアにいたのですが、2000年代後半ではかなり日本の存在感は薄くなっています。公共政策大学院で取り上げられるのも中国とインドの話題ばかりになっています。これでは寂しいです。

木村:ジャパン・トリップはすごい訪問先が揃っていますね。日本からはなかなか会えない方々にシンガポールから他国の留学生を連れて行くことで会えるというのは日本人以外の留学生にとってはもちろん、日本人にとっても非常に貴重な機会ですね!

(続く)


大林良寛(おおばやし・よしひろ)
弁護士 2008年弁護士登録後、弁護士法人淀屋橋・山上合同に入所。主な業務分野、M&A、組織再編等、買収監査、事業再生・倒産、知的財産、債権回収、刑事事件。2013年8月から、シンガポール国立大学法学修士課程のために、シンガポールに留学中。

澤田祐亨(さわだ・よしあき)
弁護士 2008年弁護士登録。伊藤見富法律事務所(Morrison & Foerster外国法共同事業)入所後、小笠原六川国際総合法律事務所を経て、2012年4月東京にて東亜法律事務所を開設。弁護士資格取得前には大手証券会社にて債権投資業務にも従事。現在はシンガポール経営大学法科大学院の法学修士課程(商業法専攻)に在籍し、シンガポールと日本を往復しつつ弁護士業務と並行して学位取得を目指している。企業法務、金融法務を主として取り扱うほか、渉外契約交渉代理、訴訟・ADR等の紛争解決、M&Aにおける法務精査等を通じて、企業に対し幅広い業務支援サービスを提供している。

竹内裕哉(たけうち・ゆうや)
東京大学法学部(第2類公法コース)在学中。学内の交換留学制度を利用し、2013年8月から2014年5月までの予定で2学期間シンガポール国立大学人文社会科学部に留学中。チキンライスとマリーナ・ベイ・サンズだけじゃもったいない、という思いから昨年同じ日本からの交換留学生3人とともにシンガポールの観光動画を作成。ストレーツタイムズ紙に動画が取り上げられる。よかったらご覧になってください!(https://www.youtube.com/watch?v=08AFj0n37jY

岩本照夫(いわもと・てるお)
公認会計士(日本) ディレクター、KPMGシンガポール
1999年に公認会計士第2次試験合格後大手監査法人及び監査法人系アドバイザリー会社にて法定監査、M&A関連の各種デューデリジェンス・ストラクチャリング業務に従事。その後外資系投資銀行にて株式・債権の引受業務、不良債権・PEを中心とした投資業務及び投資ファンドにおける不動産投資業務を経て2012年8月より韓国高麗大学ビジネススクール(MBA)に就学。2013年6月よりシンガポール南洋理工大学ビジネススクールへの交換留学を機にシンガポールへ渡り、修了後現在KPMGのシンガポールオフィスにてASEAN市場の各種市場・競合分析、M&Aに関連する各種アドバイザリー・デューデリジェンス業務、統合支援業務等に従事している。

伊藤友一(いとう・ゆういち)
愛知県名古屋市出身。アメリカのマイアミ大学を卒業後、ビジネス会議を企画運営する会社に就職。 アジアHQのシンガポールに頻繁に訪れた際、多民族・多文化間での考え方や、視野の広さの違いに刺激され、いつかこの地に住み、起業を決意する。その後、日本のベンチャー系の証券会社でのマーケティング職を経て、PR会社で海外企業の日本進出PR活動の支援に従事する。2012年の夏に会社を退社、現在は家族((妻、娘1人))を連れ、シンガポール国立大学にてMBAを取得中。MBAでは海外からの東南アジアに出てきた企業のケースを中心に学んでおり、現在は起業に奮闘中。

下平剛之(しもだいら・たかゆき)
2000年より5年間ほどゼネコンに勤務し、主に海洋土木設計に従事。2005年より環境省に転職し、大気汚染、土壌汚染、水資源管理、除染関連業務を担当。2013年7月よりシンガポール国立大学に留学し、大学院工学部土木環境工学科環境工学を専攻。2014年8月からはシンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院に入学予定。

梶直弘(かじ・なおひろ)
2004年、経済産業省に入省。ITに関する投資促進税制の整備、気候変動やリサイクルなど国内外の環境政策の全体総括、官民合同ファンド「産業革新機構」の創設、同機構に立上げのため出向、経済産業省に戻り採用・研修担当を経て、2013年7月からシンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院に留学中。

横田隆浩(よこた・たかひろ)
1998年、青年海外協力隊員としてパプアニューギニアの山奥にて2年半活動。2001年日本のODA事業の実施機関である国際協力機構(JICA)に入構。国内・本部勤務を経て2007年パプアニューギニア事務所に赴任、4年後の2011年、震災後福島県内の避難所となっていた二本松青年海外協力隊訓練所に赴任。避難所運営・訓練再開業務に従事。2013年7月よりシンガポール国立大学リー・クワンユー公共政策大学院に留学中。

PROFILE

木村剛大(きむら・こうだい)

弁護士

2007年弁護士登録。ユアサハラ法律特許事務所入所後、主に知的財産法務、一般企業法務、紛争解決法務に従事。2012年7月よりニューヨーク州所在のBenjamin N. Cardozo School of Law法学修士課程(知的財産法専攻)に留学のため渡米。ロースクールと並行してクリスティーズ・エデュケーションのアート・ビジネス・コースも修了しており、アート分野にも関心が高い。2013年8月よりシンガポールに舞台を移し、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所にて、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法的支援に従事した。2014年10月ユアサハラ法律特許事務所に復帰。

Twitter: @KimuraKodai

豪華な顔ぶれでのトークイベント

第3回 岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トーク・イベント

豪華な顔ぶれでのトークイベント Ⓒ Konomi Kageyama

第3回 岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀『ヴァティカンの正体』刊行記念トーク・イベント

by 書き起こし/文責:石川亜里紗(いしかわ・ありさ)

 3月1日に『アグロスパシア』で公開した「岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トークライブ速報」に続いて、その内容を3回にわけて紹介するシリーズ。今回は第三回、会場でやり取りされた質疑応答です。

 一般的にヴァティカンというと宗教やアートのイメージが強いですが、本書ではヴァティカンを「究極のグローバル・メディア」と位置付けていることから、今回のトークイベントではグローバル企業Google日本法人、元・代表取締役の村上憲郎氏、ジャーナリストの津田大介氏をゲストにお迎えして、『関西ウォーカー』編集長の玉置泰紀氏の司会によって進行されました。著者は本ウェブ媒体AGROSPACIAの編集長で青山学院大学の客員教授でもある岩渕潤子。会場は下北沢のビールが飲める書店、B&B(Book&Beer)で、この四名による豪華な顔ぶれでのトークイベントとなりました。

■質疑応答

質問:一神教と多神教のものの考え方の違いが根本にあると思うのですが、一神教の場合真理というものがあって、考えれば考えるほど真理は到達できる。到達できるからこそ汎用性があって、みんなに伝えることができる。しかし日本では基本は仏教で、しかも、一方では多神教なので、調べれば調べるほどパーソナルなものになって汎用性がない。アートやパブリックの概念についても、宗教観の違いなどの根本的な部分からして違うのかと思うのですが、日本発の価値観が世界に広がらないのは、その価値観の中に汎用性がないから文章化できず、例えば巧みの技のように複雑化はできるけど、可視化して人に伝えることができないので、そこに問題があるのかなと思ったのですが?

 「擬似一神教ということで国家神道がつくられたのかなというのを感じる」と、玉置氏。もともと神道と仏教において、格式高い神社になればなるほど「対」になるお寺もちゃんとあって、それはまさに多神教の最たるものだった。しかし明治国家をつくるときに一神教の方が統治しやすかろうと廃仏毀釈をやったことなどもあったのではないかと、続けた。

 一神教には恣意的に統一された概念という部分があると思う。ユビキタスという言葉が日本でテクノロジーにからめて使われ始めた際、「八百万の神のようなもの」だと説明した工学博士がいた。しかし、ユビキタスの意味は、いろいろなものに違った神が宿っているという「八百万」の喩えとは違って、いろいろなものの中に同じ概念が、広く、あまねく存在するという意味が正しい理解。一神教国家における価値は絶対基準に基づいていて、判断基準はそれに従うのみだが、日本の場合、良くも悪くも判断基準そのものが変わってOKというころがあるのではないかと、岩渕氏は話した。
 原始仏教は宗教というガテゴリーにおさまらず、哲学として読むことができる。キリスト教や一神教における神について、プロテスタントでは考え尽くそうとしているが、カトリックではマリア信仰などのヨーロッパにおける土俗信仰あり、皆さんが最近はしゃいでいるハロウィンも元々は土俗信仰であるから、一神教Vs.多神教というふうに簡単にわけられるものではないのでは…と、村上氏からはコメントがあった。

質問:優れた人への投資というお話で“優れた”というのは立場によって定義が異なると思うのですが、今回の優れたという定義はどういう状況化において優れたとするのでしょうか?

 ポジションによって最適である人は変わってくると思いますが、投資をする対象の人のどこを見ているのかというと、資質レベルでしかみていない。条件はあまり関係ないのではないか。アメリカ(カリフォルニア)の大学、大学院などでの奨学金対象者の選考プロセスを見ていると、願書の名前や出身地、性別や年齢を審査する側にわからないよう、個人情報部分を黒く塗りつぶしていて、公平性を心がけているんだなぁと思った。一方、日本の場合は、なるべく成功率の高い人にお金をあげて元を取ろうといった傾向が強く、しかも、奨学金を与える対象者の人数も少ないように見える。アメリカの場合は資質があると思う人には、広く、あまねく、お金を与える余裕と懐の深さがあるように見えて、優秀なら奨学金を貰って当たり前といったところだ。ポジションが人をつくるような面もあり、自分は奨学金をもらって人に期待されているという自覚を持たせること、また、奨学金をもらった若者同士で競わせ続け、そのグループの中からリーダーが生まれるような切瑳琢磨の仕組みも良くできている。個人に奨学金などを与えた後、どう育てるかというプロセス管理がアメリカは上手であると、岩渕氏は述べた。

 村上氏は、入学の選考プロセスと、いわゆるビジネスに投資するというプロセスはまるでロジックが違う。投資というのは私利私欲…だと言う。ただ、アメリカが日本と違うとしたら、100社に投資して99社潰れても、1社への投資が1000倍になって戻ってくればいいという考え方をアメリカではする。すでに投資したお金がうまく何サイクルか回った実績があるから、そのような大胆なことがますますできるようになっているのがシリコンバレーの現状。一方、経験の浅い日本のベンチャーキャピタルでは、100社に投資したらどれも成果を出さなければならないと計算するから、明らかに判断が違ってくる。
 投資というのはお金を出してくれる人に対してリターンをどのぐらいで返すか、に尽きる。それが最終的に自制的秩序を生むという信念に基づいて仕事をしているのだ。

 アメリカはフェアだと言い続けているが、入学では必ずしもそうではない。名門校では各タウンごとの入学者数の枠は決まっていて、どうやってその枠に押し込んでいくか、同窓会は競いあっていて、入学試験がないこともあるという意味合いにおいてはアンフェアもいいところ。先ほど入学願書の名前を消しているとあったが、寄付をしている人のファミリー・メンバーかどうかの記入欄があり、それにチェックがあれば入れてしまう。従って、話はそれほどシンプルではないと、締めくくった。

質問:負けっぱなし日本への処方箋として教育について聞きたかった・・・

 どう教育を立て直すかという点においては、師範学校を復活させるしかないと思う。師範学校というのは学費がタダで、お金のない優秀な子が行くための学校であった。第二次世界大戦のようなとんでもない間違いをしでかしてしまう人たちは陸軍士官学校、陸軍大学から出ていて、その陸大の首席の人が決断した戦争で大敗を喫したわけです。いつまでも戦争を終わらせないせいでかなりの人が病死・餓死した。自分たちで問題解決ができなかったわけで、陸師、陸大の教育の中にすっぽりと欠如したものがあったのではないかと思う。話はそんなにシンプルではないだろうが、日本は明治維新以降を事実ベースで検証するという膨大な作業を怠ってきて結果として、今どうしたらいいのかわからなくなっている。そこを考えなければこの国は再建できないと思うと、村上氏は語った。

 最後の質問として、「twitterを流行らせた張本人である津田さんから見て、「アラブの春」でアラブの青年たちが一生懸命SNSを駆使して運動が盛り上がったことについてどんな感想をお持ちでしょうか?」と、村上氏。

 この『ヴァティカンの正体』にもつながると思うのだが、革命を起こそうとしたのはリベラルな大学生だった。先に結論を言ってしまうと、ネットは壊すことはできるが、つくることはできないということでもあると思う。壊すことができた後、リベラルで民主的な新しい大統領がなぜ出てこなかったのかというと、その理由はメディアにある。宗教が根付いているから結局みんな教会(モスク)には行く。そこで結局は最強のメディアであるリアルな場をもっていたムスリム同胞団がおいしいところを全て持っていってしまった。震災後、アラブの春に関わった人に話を聞く機会があったが、ネットがなければあそこまでできなかった。結果的には上手くいかなかったけれど、次はもっと上手くできるかもしれないと話していて、一つの希望だと思ったと、津田氏は語った。

 歴史を振り返ると、ヴァティカンは学術的なバックグラウンドがしっかりした知識人たちがコントロールしたかたちで、教会というリアルの箱をメディアとして使っていた。今の時代、誰もがメディアにアクセスできるようになって、お金も教養もない組織が廉価なメディア、たとえばYutubeを使って自爆テロの候補者を募るようになっている。これは仕方のないことだと思う一方、メディアの使われ方はどんどんこういう方向へ向かっていくのかもしれないと、岩渕氏は懸念する。

 そういう社会状況の中、我々はどうメディアの変化に対処していくのかが求められているわけで、この本を読むと、ヴァティカンはそういう状況にも順応して変わっていくのだろう、果たして一方の日本はどうなのだろうと考えさせられた…と、津田氏。

 最後に、「ヴァティカンの凄いところは、時代にどう対処していくかを絶えず考えつつ、お金はきちんと集め、今まで蓄積した美術品や財宝を散逸させず、更に生き残っていこうとするところがしたたかで尊敬に値する」と、岩渕氏は締めくくった。
 ここから分科会がいくつもできそうな盛り沢山の内容で、時間に限りがあることをみなが惜しみつつ、豪華なゲストを迎えての『ヴァティカンの正体』についてのトークイベントは、定刻をかなり過ぎて終了した。

(了)

「幼児のための美術」で自分が作った作品について語る

第3回 NY:親子でクリエイティブにチャレンジ
伸び伸び楽しむ子供向けのアート体験 ノグチ・ミュージアム

Photo:「幼児のための美術」で自分が作った作品について語る ⒸHana Takagi

第3回 NY:のびのび楽しむ子供向けのアート体験 ノグチ・ミュージアム

by 高木悠凪(たかぎ・はな)

 高木悠凪さんは、2010年にご主人の転勤に伴ってニューヨークにお引っ越し。大学時代、美術史を勉強していた高木さんは、2011年に女の子に恵まれて、以来、お子さんをベビーカーに乗せて美術展へ行くなど、いつも親子で積極的にアートに親しんでいます。

 NYは世界で最も多くのアーティストが集まる街の一つ。メトロポリタン美術館、MoMA、グッゲンハイム美術館など、世界的に名前を知られる美術館だけでなく、ミッドタウン、ソーホー、チェルシーなどに点在するギャラリーも極めて高レベル。マンハッタンの通りを歩くと、どこかしらで美術作品を目にします。日常の中にアートがあり、そういう環境の中で幼少の頃からアートに触れ、子どもたち自身でも気軽にアートを体験できる場があるニューヨークで、小さな子どもたち向けにどんな教育プログラムがあるのか? 今回は、ノグチ・ミュージアムをレポートしていただきます。

Photo:みんなでひとつの作品をつくる
ⒸHana Takagi

 NYのクィーンズ地区、イーストリバーからマンハッタンを望むところにノグチ・ミュージアムがある。誰もが知っている著名な日系アメリカ人美術作家、イサム・ノグチ(1904-1988)により、自身の生涯の代表作を展示するために設計・設立され、1985年に開館した美術館だ。ノグチ自身がみずから手がけてアトリエを美術館に改造したこの施設は、静謐な庭園で作品と向き合うことができる空間となっていて、マンハッタンにはない穏かな空気が流れている。

 この美術館では2歳から11歳の子供のいる家族向けプログラムに力を入れており、参加できるコースは複数ある。ギャラリー内のツアーやガイド、実際に作品制作を体験するワークショップまで、すべてのプログラムをエデュケーション担当者(13名在籍)が受け持ち、日本語でのプログラムも行われている。ご紹介するプログラムの参加費は6名までの一家族につき$10(美術館入館料も含む)だ。

Photo:「オープンスタジオ」彫刻の前でじっくりと取り組む親子
ⒸHana Takagi

コースのひとつは「幼児のための美術」で、2~4歳の子供のいる家族向けプログラム(定員に限りがあるため、事前の予約が必要)だ。春・夏、秋・冬の2セメスター(1セメスターにつき3~4クラス)がある。英語クラスと日本語クラスがあり、選択制。

もうひとつは、毎月第一日曜日に開催される「オープン・スタジオ」。オープン・スタジオは毎回テーマがあり、そのテーマに沿ったワーク・シートを手に家族でギャラリーでの展示を鑑賞し、その経験を基に自分たちで作品を作ってみようという試み。毎月第1日曜日の午前11時〜午後1時まで開催しており、事前の予約は不要、その場で参加可能となっている。

これらのクラスは家族で一緒に「対話する時間」を大切にしており、子供だけではなく、家族で参加するプログラムというのが特徴。

Photo:4つの積木ピースで創造力豊かに表現
ⒸHana Takagi

■ 幼児のための美術
 今回のテーマは『Building Together(一緒につくろう!)』で、日本語で行われるクラス。地階のエデュケーション・ルームに集まった親子たちは、まずはエデュケーション担当の織 晴美さんと一緒にストレッチをして、身心ともにリラックスしていく。いろんな形にカットされた、たくさんの木片が準備され、「ひとり2つを選んで、みんなで大きな彫刻を作りましょう!」と合図が出る。

子供たちは続々と自分好みの形の木片を選び、積木のようにそれぞれ積んでいく。「みんなの積木がどこにあるか分かりますか? みんなでひとつの大きな彫刻が出来ましたね!」と晴美さん。なるほど、こうやって木片が集まればひとつの彫刻になるのだ!と、参加している親子がしげしげと完成した「作品」に見入っている。

「これからはお父さん・お母さんと一緒にひとり4つの木製ピースを使って彫刻を作りますよ! コラボレーションですね!」「選んだ4つのパーツを家族でよく話し合ってどうするか考えてください。それからグルー(のり)を使ってくださいね。」という説明の後、子供たちがこぞって4つの木を選びはじめた。子供を中心に4つという制限の中で家族が一丸となって可能な限りあれこれ形を試し、納得のいく形が決まったら、次は糊付けをしていく。親と子、それぞれ自分の作業に集中している光景が見られ、みんな楽しみつつも真剣な面持ちで作っている。

 糊が固まるまでの間、今度はギャラリーに移動して次の制作の準備に取りかかる。「今日はノグチおじさんのこの作品です。何が見えるかな?」という晴美さんの質問に『“J”の字』『“し”』『ほうちょう』『ブーメラン』『ヘビ』、などなどの声が返ってくる。「では、これは何で出来ていると思いますか?」という質問に『木』『石』など、子供たちは積極的に発言していく。「これは石でてきています。3つの石でできていますね」「これからみんなに封筒と黒い紙を渡します。合図をしたら封筒を開けてください」 合図が出ると、中からたった今みんなで観た彫刻の形と一緒の3つの紙のカタチが出てきた。

「ノグチおじさんの彫刻と同じ形のピースが出てきましたね。ではこれからこのピースを使って、ノグチおじさんのものとは違う形を作ってください!」 このお題に子供たちは、先ほどの木片による彫刻の時と同じように、今度は平面上で3つの紙のピースという制限の中で、あれこれ考え始める。でき上がった頃に「みんながつくった形をシェアしましょう」ということになり、我こそは!と積極的に発表が始まった。「同じピースを使ったのに、みんなそれぞれ違う形だったね」と、晴美さんがしめくくり、みんな揃って、元のエデュケーション・ルームへ。

 先ほどの4つの木片で作ったそれぞれの作品の発表が始まった。「みんなが作ったものについて、何かひとこと言いたいことある?」と晴美さん。子供たちは順に、『飛行機』『石』『家』『階段』『橋と新幹線』『ギター』『ヘリコプター』などと答え、晴美さんがそれぞれの作品をみんなに見せながら子供たちの話を引き出していく。

Photo:晴美さんと一緒にみんなの作品をシェア
ⒸHana Takagi

 誰からも押し付けられず、否定されることがないという安心感、その場が伸び伸びとした雰囲気だからかなのか、恥ずかしそうに話す子も自分の作品を説明し、みんなに見てもらえて、だんだんと誇らしげな表情になっていく。

最後はまたみんなで軽いストレッチをして、身体も心も軽くなって終了という流れだ。

 このクラスで一番印象深かったのが、晴美さんの子供たちへの質問のしかた。温かな眼差しで『何を作ったの?』ではなく、『何か言いたいことあるかな?』なのだ。

晴美さんに聞いてみると、やはり『何か言いたいことがあるかな?』もしくは『あなたのアートについてお話してくれる?』と聞くそうだ。「このクラスでは『何か』をつくるために作らせているのではありません。子供ひとりひとりに、自由に作品をつくる楽しみを知ってもらいたいのです。ここはそれが出来る安全で安心な “あなたの場所” でありたいと考えています」と話してくださった。

このクラスは大変人気のため要予約。予約メールを送り・確認メールが来て予約完了となるのでご注意。

「オープン・スタジオ」は、先述した「幼児のための美術」があまりにも評判が良く、すぐに満席になってしまって『クラスに入れない』という苦情が絶えなかったために始まったそうだ。こちらのプログラムではエデュケーターは同行しないが、よく練られたワークシート(英語)に基づいて、「作品をよく見て、考察し、経験を基に」作品を創っていく。ふだんから、とかく親は子供に何かしらの指示・命令を与えてしまいがちだが、ここでは親子が同等の立場だ。「“作品をよく見る”ということについては、先入観のある大人より子供の方が得意なことが多いのです。大人はわかったつもりでも、実はよく見ていない。子供の方が細部までよく見て、気づくのです」と、晴美さん。家族それぞれのペースで作品と対峙し、制作していく参加者たちは、みな充実した時間を送っているようだ。

地域に根ざし、誰でも気軽に楽しい時間を過ごす。そして家族でじっくりと作品について話し合い、みんなで何かを学ぶ場所。ノグチ・ミュージアムは、このように志高く、質の高い教育普及活動をしているからこそ、支持され続けているのだろう。

PROFILE

高木悠凪(たかぎ・はな)

広島県出身。2010年より、夫の赴任によりNYに駐在中。2011年、女児を出産。
大学時代は西洋美術史を専攻。アクセサリー会社から生活雑貨店勤務を経て現在に至る。
趣味の芸術鑑賞にNYはもってこいの場なので、オペラ、クラシック、ジャズ、メトロポリタン美術館、MoMA、グッゲンハイム…などに足繁く通いながら、育児に奮闘の日々を送っている。
内閣府認証NPO法人 マザーズコーチジャパン認定 マザーズコーチ。
子育て・産後のキャリアチェンジ・家族やママ友の人間関係など、子育てママ向けのコーチングを実施中。
*高木さんへの執筆・講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談などがありましたら、info@agrospacia.comまで。