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イギリスのクリスマス

Photo:聖堂でのクリスマスキャロル ⒸAkiko Bianchi

イギリスのクリスマス

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラーとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:賑やかな通りのクリスマスの飾り
ⒸAkiko Bianchi

 12月1日になるといよいよクリスマスシーズンの本格到来です。子供達はいつもよりも少し早起きしてアドベントカレンダーを開け、夕食時にはアドベントキャンドルを灯します。
 アドベント期とはイエス・キリストの降誕を待ち望む期間で、断食と悔い改めの時。正確には12月1日に始まる訳ではなく、キリスト教の宗派によってクリスマスの4週または6週前の日曜日から始まります。
 アドベントカレンダーとはクリスマスまでの日数をカウントダウンしたもの。伝統的なものは木製や紙製で日にちの書かれた小窓を開けるとキリスト生誕にまつわる話や聖書の一説などが書かれています。
今では毎日違うチョコレートが小窓を開けると出てくるものが一般的ですが、おもちゃや化粧品や香水、ジュエリー、お酒など、中には10万円を超える贅沢なものまであります。
 また、12月になるとクリスマスマーケットもあちこちで開かれ、珍しい商品を扱うお店や個人の小さなお店なども出店され、普段目にする大量生産の商品とは違う品揃えに心弾みます。
娘たちは英国国教会の学校に通っているためこの時期はクリスマスに関わる楽しい行事が目白押しです。初等部では毎年行われるキリスト生誕にまつわる演劇発表会やクリスマスキャロル礼拝など、キリスト教の信仰があるなしに関係なく、親子共々楽しみにしています。
 また、いつもの制服の代わりにクリスマスらしいセーターや髪飾りのできる日や、伝統的なクリスマスの食事が給食に出たり、クリスマスリース作りも。
そして、中高等部ではクリスマスにちなんだ仮装や、生徒や先生のバンドによるクリスマスコンサート。そして誰もが楽しみにしているクリスマスキャロル礼拝。この礼拝では、聖書の一節の朗読、牧師の話とともに教会に響き渡るパイプオルガンの演奏や、聖歌隊の美しい歌声に心洗われます。

 イギリスへ留学してまもなくあるイギリス人夫妻と出会いました。とてもよくして下さり、必ずクリスマスにご自宅へ招待して下さいました。私の知るイギリスのクリスマスはこのご家庭でのクリスマス。豪華ではないけれど、丁寧に手の込んだ愛情溢れるクリスマスです。
 クリスマスの準備は10月末に始まりました。それは、クリスマスに欠かせないクリスマスプディングを作るため。クリームが沢山の華やかなケーキやブッシュドノエルではありません。干し葡萄やスグリ、レモンやオレンジの皮などを卵とパン粉を混ぜブランデーに漬けた伝統的なケーキです。15世紀から伝統的に作られ、材料はキリストと12聖人にあやかり13品です。モミの木は12月初めの週末に公園や教会のモミの木売り場で木を選び、車の上に乗せて持ち帰り飾りつけ。慣習なのか、大学時代にその週末には多くの学生がクリスマスの準備をする日だからと実家に帰って行ったのを覚えています。私は誰よりも早く12月23日にその夫妻の家へ行き、クリスマス当日の食事の準備やジンジャーブレッドハウスを作ったり、貧しい方へのプレゼントを用意したりしました。遠くの大学へ通う夫妻の2人の娘や親戚は24日午後に到着。24日は夜中に行われる教会のミサへ向かいます。大学進学や仕事のために街を離れた人たちもクリスマスには故郷に戻って来ます。ミサへの教会までの道すがら、その懐かしい友人宅を訪ねては、モルドワイン(赤ワインにスパイスやオレンジなどを入れた温かいワイン)やホットチョコレート、ミンツパイ(ドライフルーツやジャムが入った一口サイズのパイ)などを頂きながら近況報告。そして、その家の友人と一緒に次の家へ。そうやってどんどん人が増えながら、皆で教会へ向かいます。

Photo:ジンジャーブレッドの家
ⒸAkiko Bianchi

 クリスマスの朝は暖炉前の靴下のプレゼントを開けるところから始まります。一通りプレゼントを開ける頃にはお昼に。そして伝統的な七面鳥とクリスマスプディング(ブランデーバターと一緒に)をみなで楽しく頂きます。その時に欠かせないものがもう一つあります。それはクリスマスクラッカーと呼ばれるもの。クラッカーと言っても食べ物ではありません。筒状になっているものの両端を腕を交差にしてみなで輪になって引っ張り合い、パン!っと言う音とともに片方のみから紙の冠、ジョークやなぞなぞの書かれた紙、小さなプレゼントが出てきます。そして3時に放映される国王のスピーチも必ず観ました。このスピーチは1932年のジョージ5世のラジオ放送から続いています。コロナ禍での国民の心を勇気付けたエリザベス女王のスピーチを覚えている方もいらっしゃるでしょう。12月26日はボクシング・デーと呼ばれる祝日です。名前の由来は、執事や家政婦などクリスマス当日にも働かなければいけなかった労働者たちも26日には家に帰して貰えました。その際に雇い主から箱(ボックス)に入ったプレゼントを渡して貰ったからだそうです。ロンドンなどの大都市を除いては、イギリスは12月24日から26日までは街が静まりかえります。それは日本のお正月三ヶ日にとても似ています。目まぐるしい毎日から一息つかせ、大切な人との時間を楽しむ貴重なひとときです。

 日本やアメリカなどではクリスマスは12月25日に終わりますが、キリスト教国においては、キリスト生誕の25日からクリスマスが始まります。シェークスピアの戯曲「Twelves Nights」や「The 12 Days of Christmas」 と言う歌に見られる様に歴史的にはエピファニー期(公現)までの12日間が本来のクリスマスシーズン。エピファニーの始まる1月6日は東方の三博士がキリストに贈り物を届けた日とされています。イギリスではこの日以降クリスマスツリーを片付けるのが習慣です。不要となったクリスマスツリーは自治体で決める所定の場所へ持っていくと、リサイクル木材として再利用されます。

 ここまで伝統的な習慣を綴ってきましたが、今は遅くとも10月中旬にはクリスマス商品が売られ始め、お店の飾り付けなどもクリスマス仕様となります。11月初旬に売り切れるアドベントカレンダーやクリスマスハンパー、遅くとも11月中にはクリスマスプレゼントを購入しておかないと売り切れてしまう商品もあります。残念ながらこの傾向は年々早まっている様に感じます。不景気が続く中でのマーケティング戦略だとは思うのですが、季節感を失うことを懸念するとともに、クリスマスの頃には新鮮味に欠けてしまったと言う人も少なくはありません。

 サンタクロースの真実を知っている娘たち。それでも、それはまるでなかったかの様にクリスマスを楽しみにし、サンタクロースを信じていた時と同じようにサンタさんへの手紙を書き、クリスマスイブには寝る前にサンタさんへの手作りのクッキーと牛乳、そしてトナカイへにんじんを用意し、「クリスマスの前の夜」を家族で一緒に読んでから寝ます。クリスマスには、離れている家族や友人にもクリスマスカードを送ったり、電話をしたり。そんな子供の頃の想像の世界に再度浸ったり、人との繋がりをもたらしてくれるのがクリスマスのマジックなのかもしれません。メリー・クリスマス!!!

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

多様性を認めた社会での子育て ―同性婚―

Photo:多様性の象徴レインボーカラー ⒸAkiko Bianchi

多様性を認めた社会での子育て ―同性婚―

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラーとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:ミュージカル”Dear Evan Hansen”の舞台 ⒸAkiko Bianchi

「どうしてセオにはお母さんが2人いるの?」(長女4歳)
「ハーパーはお父さんが2人でお母さんがいないのに、どうやって生まれてきたの。妊娠できるのはお母さんだけでしょう?」(次女5歳)
「理科の授業でおしべとめしべがあって初めて種ができるって習ったけど、お母さんが2人やお父さんが2人の家族では、どうやって子供ができるの?」(長女7歳)

これは多様性を受け入れた社会に住む子供たちが幼い時に質問してきたこと。自分の家と違う形の家族を見て疑問に思ったこと。私は小さな子供は違いを指摘しても、根底には差別や偏見はないと信じています。純粋に疑問に思っただけ。これが差別や偏見、タブー、または「普通と違う」と子供の心に刻まれるかは、その時の周りの大人の態度や返答次第。多様性を受け入れ、みなと違うことが当たり前、自分らしくあることが当たり前な社会での子育て。日本と言う単属民族国家で育った私が子供の頃に体験、経験していないことに子供たちが遭遇するため、驚き、その対応に頭を悩ませることも多いのは否めません。「みんなもそうだからこうしなさい」とか、「それが普通」、「当たり前」と言う理屈も通用しません。ここで1番学んでいるのは、私かも知れません。

では、どう答えたか。まず最初の質問に対しては、「あなたのお母さんが恋に落ちたのはたまたま男性だったの。セオのお母さんが恋に落ちたのは女性だったんだね」そして、2つ目の質問、この頃はまだお母さん2人だと妊娠し子供が生まれると思っていた次女。「心優しい女性がお腹を貸してくれたの。10ヶ月という長い間、ハーパーをお腹の中で大事に育ててくれたの」3つ目の質問が1番答えるのに悩みました。長女はまだ7歳。卵子と精子、体外受精、胚移植、代理母までの一連の流れを話しました。できるだけ生物の授業のように。娘が少し大きくなった時に、この件については精子や卵子バンク、代理母の法律など更なる質問がありました。また、養子縁組についても話しました。何らかの理由で親に育てて貰えない子たちが、子供は産めないが子供を切望する親と家族となる。何と素敵なことでしょう。同性婚の問題以前に、歯止めの効かない日本の少子化。例えこれから生まれる子どもの数は増えないとしても、生まれて来た子たちが、家族の一員として育っていける機会を増やすのは素晴らしいことではないでしょうか。

留学先のイギリスの大学は、LGBの人口が多いと言われているところでした。岸田首相は同性婚に対して「家族観や価値観、社会が変わる課題だ」とのべ、慎重でなければならないとの見解をされました。結婚は個人と個人、家族と家族の結びつきであり、それに対し(細かな法的なことを除き)社会全体が変わると言う極端な言い方に対し疑問を感じます。大学ではゲイの人がいたからと言って異様であるわけでもありませんでした。他の大学となんら変わりません。ゲイだからと言って何が違うと言うのでしょうか。同じように大学へ通い、勉強し、友達もいて、恋もする、そして今後の進路を悩み決める。周りのストレートの人と同じです。なぜ、彼らを違うと思うのでしょうか。違う筈がないのです。同じ人間なのですから。もし社会の価値観が変わると言うのであれば、マイノリティーの人の権利も含めたそんな価値観の社会に変わって欲しいと思います。

NYにいた時、もう10年近く前のことです。娘の学校で1人目の性的不合の生徒がカミングアウトしました。その時に、校長先生は全保護者(13学年)に向け説明会を行い、学校は全面的にその様な生徒をサポートすることを伝えました。そのためにはその他の生徒へ説明をし理解も求めること。ただでなくても難しい思春期。その時期に性別不合という精神的にも辛い局面を過ごす生徒が安心して過ごせることへの約束をしました。学校は、子供たちにとって1番身近で小さな社会。そこでこの様に多様性を受け入れた模範をみれたこと、娘たちがその様な中で育った事は、とても幸運だと思います。

学校の先生でも同性愛の方はいらっしゃいます。中学生の長女は授業で同性愛やその差別について実際に同性愛の先生からお話を聞くこともあります。そして、クラスメイトに同性愛の子もいます。イギリスでは5-7%がLGBだと言われていて、その数は増加の傾向にあります。女子校に通っていますが、同じクラスの女の子同士が付き合ったり、別れたり。恋愛関係は共学校にいても起きること。娘たちはそれを問題視していません。5歳の時からの友人(女子)が数年前に心は男性であることを公にし、名前を男の子の名前に変えました。私が学生の頃では考えられないことですが、娘はそれを大きな事件として受け止めてはいません。その友人の内の部分、内面や性格などは変わっていないのですから。最も自分らしいと感じられる名前に変えたのですから、友人としてサポートして当然のことなのです。

カトリック教徒やイスラム教など同性愛を禁止する宗教もあります。その様な理由から友人で同性愛に反対である人も多くいます。ただ、個人的には反対するけれども、彼らの権利は認めると言う方が多い。つまり、お互いの権利とプライバシーを尊重しつつ同じ社会に共存すると言うことなのだと思います。

ここで皆さんに考えて頂きたいことがあります。それは、自分らしさや少しの理解を求めることは、間違っていることなのか、社会的に認められないことなのか、周りの迷惑になることなのか。ここではあえて、「人権と社会の秩序」と言う畏まった言い方を避けて表現しています。権利の要求や個人主義という言葉は、和を乱す、周りへの迷惑、利己主義と混同するイメージをもたれることが多々あるように感じるからです。それよりももっと小さな日常的なレベルで、考えて欲しいのです。例えば、周りとは洋服の趣味が違う、男の子らしい(女の子らしい)遊びをしない、好きな人と結婚をする。これらは周りの迷惑になるのでしょうか。本来、私たちは誰1人として同じではないのです。ステレオタイプ(社会に浸透している固定観念)から外れている人を即座に「和を乱す人」、「普通でない人」とのレッテルを貼るのではなく、本当にそうなのか今一度考えてみて欲しいのです。LGBの方に対する理解も、移民、障害のある方、全てのマイノリティーの方に対しても同じです。そしてマジョリティー、1人1人に対しても。それぞれの自分らしさや少しの理解を求められた時に、寛容に対応できる社会。岸田首相のおっしゃる社会、本当の意味での「多様性を尊重し包摂的な社会」。そこでは、お互いの権利とプライバシー、それぞれのアイデンティティーを尊重しつつ共存する。その様な社会になれば、国民一人一人がより幸福だと感じ、より生きやすい人生を過ごせるのではないのでしょうか。

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

プラチナ・ジュビリー
~エリザベス女王即位70周年式典が国民の良い思い出に

Photo:ヒースロー空港におけるジュビリー記念モニュメント ⒸAkiko Bianchi

プラチナ・ジュビリー
~エリザベス女王即位70周年の式典が国民の良い思い出に

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラー、内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ・ジャパンによる認定マザーズコーチとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:ジュビリー初日の式典でロンドン上空を飛行した70機の飛行機 ⒸAkiko Bianchi

 田舎の農場で静かな暮らしを夢見ていたエリザベス王女が、その夢は叶わぬものとなり、将来、イングランドを含む英国連邦王国及び王室属領、海外領土(現在14カ国)の国家元首となる道を歩むこととなったのはわずか10歳の時。国王となった叔父のエドワード8世が結婚を反対されたことから王位を1年足らずで退き、エドワード8世の弟、エリザベス王女の父君であるジョージ6世が国王に即位しました。当時は王位継承権は男子が優先だったので、将来女王となりたくはなかったエリザベス王女は、弟が産まれることを心から願ったそう。病弱なジョージ6世は、自身の国王としての期間が長くないことを懸念。そのため、国王はまだ幼かったエリザベス王女を公務に付きあわせ、たとえ若く女王となったとしても職務を遂行できるようにとしたそうです。そして、25歳という若さで女王となったのは1952年のこと。

この時、エリザベス王女はアフリカ外遊中でした。壮大な景色が見れる大きな木の家の上で、夫のフィリップ殿下はジョージ6世の死をエリザベス王女へ伝えました。この王女として木に登り、女王として木から降りたのは有名な話です。そしてあれから70年、イギリス史上で最も長い統治を行なう君主となりました。「ジュビリー」とは、在位期間の節目を祝うもので、エリザベス女王は今まで、シルバー(25周年)、ゴールデン(50周年)、ダイヤモンド(60周年)のジュビリーを祝い、今回のプラチナ(70周年)は4回目。実際の女王の誕生日は4月21日。ではなぜ6月に催されたのか?それは、11月生まれのエリザベス女王の曽祖父のエドワード7世がお祝いをするのに天気の良い時期を選んだのが始まりとのこと。英国国王の公的な誕生日は6月第2土曜日に祝うと制定されました。エドワード7世の目論見通り、天気が変わりやすく霧が多いことで有名なロンドンも、この週末は晴天でした。

ジュビリーのお祝いの行事は4日間に渡って行われました。初日の6月2日には「トゥルーピング・ザ・カラー」と呼ばれる騎馬隊によるパレード。エリザベス女王に代わって、エリザベス女王の第一子であり王位継承権第1位のチャールズ皇太子がパレードの先頭に。それに続いたのは、アン王女。伝統的なスカートで横に座る乗り方ではなく、ジョッパーズで男性と同じ騎乗の仕方に。英国国軍の称号も持つアン王女は、祖母のクイーン・マザーのご葬儀にも男性と同じズボンの軍服で出席したりと、静かにも男女平等を訴え続けています。パレードにてアン王女が時折見守るようにしていたのが、チャールズ皇太子の長男のウイリアム王子。そして、70機の新旧の飛行機が赤、青、白のイギリス国旗の色の煙を出しながら、バッキンガム宮殿上を見事に飛行しました。

Photo:ロンドンの街並み ⒸAkiko Bianchi

 2日目は、セント・ポール大聖堂の感謝の礼拝。この日は女王は周りが体調を懸念したこともあって、ご欠席なされました。礼拝前の午前11時には大聖堂の鐘がロンドン中に鳴り響きました。王室の行事としては始めてのことだそうです。そして、3日目には、エプソム・ダービー。乗馬もされ、馬が大好きなエリザベス女王。即位以来、ほぼ毎年訪れているダービーですが、今年はアン王女が代わりにご出席なされました。そして、最終日、バッキンガム宮殿前に設置された大規模なステージにてコンサートが行われました。このコンサートの始まりのパディントン・ベアとエリザベス女王との可愛らしいやりとり。エリザベス女王がパディントンの大好きなマーマレード・サンドイッチを黒いハンドバックの中から出す仕草は、イギリス中の国民を笑顔にしました。また、伝説のバンド、クイーンのウイ・ウイル・ロック・ユーのビートに合わせて、紅茶の入ったカップとソーサーをスプーンで叩いたのには、本来とても悪いとされているマナーに誰もが驚いたと共に、ビートに合わせて一緒に手拍子を叩いたことでしょう。

Photo:ジュビリーを記念しておこなわれたサー・ワレングリーン氏とロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラによる、王室にまつわる曲を集めたコンサート ⒸAkiko Bianchi

 エリザベス女王のお茶目な演出はこれが初めてのことではありません。2012年のロンドンオリンピックの開会式では、ダニエル・クレイグ演じるジェームス・ボンドがバッキンガム宮殿から護衛をし、ヘリコプターから飛び降り開会式に登場するという演出がされました。この時も、「みんなが笑ってくれることを願って」と微笑みながら仰っていました。 このジュビリーのお祝いは商業施設だけでなく、一般の家でも国旗やイギリスらしい飾り付けがなされました。娘たちの学校でも髪飾りは国旗や国旗の色で登校し、普段は分かれている小中高等部が一緒に祝い、国歌斉唱もしました。ジュビリーの最終日の日曜日には国中でストリート・パーティーが行われ、イギリス中が祝賀ムードとなりました。
 ジュビリー前には、エリザベス女王の体調が心配されたり、性的暴力疑惑を起こしたアンドリュー王子や皇室を批判しアメリカへ移住したハリー王子の参加の是非などが話題になりました。また、ジュビリーに合わせて改修されたビック・ベン(正式名は、エリザベス・タワー)の工事費に6千万ポンド(約100億円)費やされたこと、そしてジュビリー後に増加したコロナの感染率、ジャマイカなどの属領で英国による奴隷制度と植民地化に対するデモも行われました。全て手放しに祝福された訳ではありません。
 ジュビリーの最終日、エリザベス女王がバッキンガム宮殿にて祝賀にご参加され、その直後にウインザー城へとお帰りになる車内のお姿を運よく拝見しました。同乗されていた貴婦人と、とても楽しそうに何かをお話しされていました。コロナの規制が完全に緩和されて初の国を上げてのお祝い。去年の今ではこんなに密になって大勢で何かをするとは思いもよりませんでした。残念ながら、コロナ禍により、近所の方や友人とも疎遠になってしまった人も少なくはありません。その様な中で国民が一緒になって1つのことを祝い、共に過ごし、分かち合う機会をエリザベス女王がジュビリーのお祝いを機に作ってくれたと思えてなりません。

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー、そして内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ ジャパン認定マザーズコーチとして活動。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

マナーハウスで行われた林間学校 
―コロナ禍で林間学校をどう行ったか

Photo:ロンドンから車で2時間ほどのニューベリーのマナーハウス周辺の光景 ⒸAkiko Bianchi

マナーハウスで行われた林間学校 ―コロナ禍で林間学校をどう行ったか

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラー、内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ・ジャパンによる認定マザーズコーチとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:マナーハウス敷地内の風景 ⒸAkiko Bianchi

 コロナウイルスが遠いアジアで起きているものでなく、現実のものとして生活を脅かすものとなったのは、2019年3月でした。英国政府による突然の学校閉鎖とロックダウン。人々はスーパーに列をなし、ティッシューやキッチンペーパー、パスタや小麦粉などが店頭から消えました。そして中高生の学校が再開されたのは、9月の新学年が始まった半年後。そして3ヶ月登校したのち、翌年の1月から3月までまた学校閉鎖。英国政府は学校を最優先事項とし、最後に閉鎖、最初に再開としましたが、学校が再開しても他人を家に招くことが禁止(つまり家で友達と遊べない)、対面での習い事の中止、ホテルやレストランの営業停止など、様々な規制は続きました。子供たちの生活、自由は狭まるばかりでした。その様な状況で、多くの学校は生徒の精神状態、社会性などに対して心配をし、娘の通う学校では、2年連続で林間学校を中止することに強い懸念を示しました。林間学校は友達との友情、先生との信頼関係を築く大切な機会です。学校は、政府の規制を守り、何よりもコロナウイルス集団感染を避けながら、生徒たちのために無事に林間学校を行う方法を模索しました。

イギリスには中世封建制度の名残りである王室や貴族、荘園領主に保有されてきた城やマナーハウスと呼ばれる荘園領主の邸宅が多く残っています。有名なところでは「ダウントン・アビー」のロケに使われたハイクレア城や、「ダビンチ・コード」や「プライドと偏見」の撮影に使われたバーリー・ハウス。これらの城や邸宅は歴史的建造物の指定がされているため、維持費や修繕費に莫大な費用がかかります。そのため、多くは博物館やナショナル・トラストと呼ばれるチャリティー、または企業などに売却されています。そして、観光や宿泊、結婚式やイベントにも利用されています。また、ハイクレア城をはじめ、個人で所有されているものの多くは所有者が住んでいますが、同様な使われ方をしています。それはなぜか。多くの個人所有者は貴族など建物を相続した人が多く、美しく壮大な城や邸宅という資産はあっても、現金に乏しい生活を送っているからです。そのための資金稼ぎとして観光やイベント、撮影、狩猟などに自宅を提供しています。コロナ禍において観光業が行えず、資金不足から多くのマナーハウスでは清掃員や庭師、シェフなどを解雇し、自分で邸宅の掃除を行うこととなった貴族の所有者も多くいたそうです。

Photo:スコットランドのエディンバラ郊外にあるホテル ⒸAkiko Bianchi

 娘の学校では、林間学校先にこのマナーハウスに目をつけました。マナーハウスを借り切るのであれば、学校関係者、現地の指導者以外の外の人と生徒が接することのないようにできます。学校は保護者向けの手紙や、生徒への説明会以外にも、生徒と保護者合同の説明会を設けました。林間学校が特にコロナ禍だからこそどれほど重要な意味をなすのか、同時に感染対策を伝え、感染を心配する保護者を安心させました。林間学校へ同行する先生方と現地の指導者も全員ワクチンを2回摂取済み、そして林間学校前と林間学校中も毎日コロナの検査をされました。生徒は政府からの指示によるコロナ検査を引き続き行い、前日と当日も行いました。また、コロナウイルス陽性者との濃厚接触者は参加はできませんでした。

林間学校は旅行が解禁となってすぐのことです。生徒たちは、4日間の屋外テント生活をとても満喫したようでした。湖でカヌーのレース、川で釣った魚を自分達で焼いてディナーに。アーチェリーやハイキング、キャンプ・ファイヤーなども楽しみました。この全てが私有地内であることに驚きが隠せません。イギリスならではの貴重な体験です。娘たちの話を聞いていると、1番楽しかったのは友達との時間だったようです。中学入学の半年後には1度目の学校閉鎖があり、それから2年間で2度の学校閉鎖。様々な規制により友達と遊ぶこともできず、新しい学校での友達作りは容易ではありませんでした。先生方の配慮により、アクティビティーやテントのグループの半数は別のクラスの生徒。林間学校から戻って来て、始めて聞く名前が沢山ありました。授業中は気難しそうな先生が、実はそうでなかったり、ハイキングをしながら勉強以外の話もしたり、先生との新しい関係も築けたようです。

Photo:ウエールズの西南部。首都カーディフから2時間も離れた自然に囲まれた場所での夕日 ⒸAkiko Bianchi

 この林間学校に全保護者が同意したかと言えば、嘘となります。本人や家族に疾患のある人、老いた家族の面倒を見ている人など、感染のリスクを取れない人もいます。反対の声も上がりました。そして、林間学校の前日に行き先の大雨注意報が出ると、中止を叫ぶ声もありました。幸い主人も私も2度の予防接種も終わっており、2人の娘たちも健康。最善の感染対策がなされる中でのコロナウイルスの集団感染のリスクと、自然の中で友達との友情を育て、先生との信頼を築く。この2つを天秤にかけた時に、幸運にも後者を選べました。集団感染もなく、生徒たちが林間学校を満喫できたからこそ、今は手放しで成功を讃えられます。学校はそうでない可能性も承知だったはず。

もし集団感染が起こっていたら、学校はどうしていたのでしょうか。責任や信用も問題となります。更に校長先生は、イギリス国内だけでなく、ヨーロッパやアメリカでも知られ、タトラー社の最高の校長先生に与えられる賞も頂いたほどの高い評価を得ている方です。集団感染が起きていたらその評価も下がってしまったことでしょう。彼女のどの様な状況であっても生徒にとって正しいと思われることをするためにリスクも厭わない姿勢と行動力に感銘を受けました。そして、それに賛同される先生方。そのような素晴らしい先生方の下、そしてそのような身近な大人をロールモデルとし、目標として学べる環境に感謝が尽きません。

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー、そして内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ ジャパン認定マザーズコーチとして活動。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

英国コロナウイルス予防接種とフリーダム・デー

Photo:ウェストミンスター寺院も一時は大規模ワクチン接種会場に ⒸAkiko Bianchi

英国コロナウイルス予防接種とフリーダム・デー

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラー、内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ・ジャパンによる認定マザーズコーチとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:NHSのスマフォ向けワクチン接種証明アプリ ⒸAkiko Bianchi

 7月19日にイングランドにおいて、コロナウイルス関連の規制がほぼ全て解除されることになりました。2月にロックダウンと規制解除のロードマップが描かれてから5ヶ月間、国民はロードマップに沿って歩んでいました。ロードマップが発表された時、イギリス全土は厳重なロックダウン中。学校は1年で2度目の閉鎖、最低限の生活用品の店舗のみ開いていました。外出も規制がかかっており、たとえ所有していても別荘などへの行き来もできませんでした。私たちは、その規制が終わるとされていた6月21日のマジック・デー(魔法の日)を待ち望んでいましたが、1ヶ月の延期を余儀なくされました。そして、7月19日がその待ちに待った日となりました。ボリス・ジョンソン首相は、そのコロナウイルスの規制から解放される日を、フリーダム・デーと呼びました。

 コロナウイルスの予防接種が始まってからちょうど7ヶ月が経ちました。7月13日現在、4千6百万人(国民の69%)が1回目の接種を終え、2回目の接種終了者は3千5百万人(国民の52.7%)です。先月から20代の人の1度目の接種も始まりました。これは世界で2番目に早いペースでの摂取率です。(参考:Our World in Data, Reuters )イギリスでは、オックスフォード大学と医薬品会社のアストラゼネカの共同開発のワクチンが主流です。このワクチンは、アメリカで主流のファイザーやモデルナとは違い、1度目のワクチン接種から2度目の摂取まで最低5週間空けなくてはいけません。その分、2回目の摂取率が下がっています。

イギリス政府は、自国のワクチン開発に力を入れるとともに、ワクチン確保にも注力しました。早い段階からワクチン確保担当者にビジネスウーマンのケイト・ビンガム氏をたて、他国のワクチン開発にも協力する見返りにワクチンを入手。ビンガム氏は担当者となるにあたり、チームの人選は彼女に一任すること、そして、政治論争などに彼女とそのチームを巻き込まないことを条件としました。彼女はワクチンを確保するということのみに集中し、その素晴らしい手腕で任務を遂行させました。たまたま同時期に起きた、ブリグジッドと言われるイギリスのEU脱退もワクチンをEU加盟国内で足並みを揃える必要もなく、イギリスのワクチン入手を加速させました。

Photo:寺院の中の来場者へのメッセージ
ⒸAkiko Bianchi

 イギリスにはNHS(国民医療サービス)と呼ばれる国営の医療機関と、私営の医療機関があります。イギリスに在住資格があれば誰でもNHSを利用できます。そのNHSに登録された情報を元に接種の順番が決まりました。まずは健康な90代の方と、癌や糖尿病などワクチン接種の妨げにならない疾患のある方。そして徐々に年齢が下がっていきました。健康な40代の私は4月と6月にワクチン接種しました。イギリスでは、現在、アストラゼネカ、モデルナとファイザーの3種類のワクチンが使用されています。この中から選ぶことはできません。とにかく、一刻も早く国民へワクチンを届けるため、その都度あるものが供給されていきます。2回目の接種は、1度目と同じものを受けることになっています。国が中心となり、ワクチン接種の順番を決め、接種会場への配布をすることにより、都市や地域によりワクチン接種に差が出ることを避けました。これも、国全体における免疫を高めるという政策に則っていると思われます。

 心配していたワクチン接種後の副反応は「思ったよりも軽かった」というのが感想です。40代女性は数日後に影響が出るという話もあり、数日後にあまりの怠さで早めに就寝しましたが、それ以外は通常の生活を送れました。逆に、私の周りでは夫を含め40度の熱が12時間程度出た人や、体の半分が激痛で何日間も動けなくなった人たちも。その副反応は様々です。

Photo:飛行機の搭乗者に配られるマスクと消毒用のお手拭き ⒸAkiko Bianchi

 ワクチン接種はコロナウイルスから自分や家族、社会を守るというのが大前提ですが、ワクチン接種をすることによりコンサートやスポーツ観戦、そして旅行に行けるなどの利点もあります。イギリスでは、試験的にコロナウイルスのワクチン接種終了者を対象に、マスクやソーシャルディスタンスなしで、リバプールでのコンサート参加(5月)、アスコット競馬観戦(6月)などが行われました。そしてウィンブルドンテニスやサッカーのユーロカップもワクチン接種者対象に観戦が可能となりました。また、10日間の自主規制と帰国後2日目と8日目のコロナ検査が対象とされている国からの帰国でも、ワクチン2回接種終了者とその子供(18才以下)には、自主隔離なしで帰国後2日目の検査のみが義務付けられると7月19日より変更となります。これにより、海外に住む家族や友人を訪ねたり、出張、長く待った海外旅行にも行きやすくなります。

 フリーダム・デーと形容された7月19日の規制解除。これによりマスクの着用が必要なくなり、屋内での人数制限もなくなります。そして、昨年の3月から閉鎖されていたナイトクラブも再開します。ただ、政府は、まだコロナウイルスは終焉していないという認識で、人々に常識的な自主規制を呼びかけています。ニュージーランドやイタリア、世界中の科学者や医療関係者がイギリス政府に再検討を訴えています。それに対し、ジョンソン首相は規制解除を秋に遅らせることの懸念を示しました。それは、規制解除によりコロナウイルスの感染者が増えた場合、学校に影響が及ぼされることと、風邪やインフルエンザなど冬に流行する病気と時期が重なることです。

 数日後から突然、1年半前の暮らしに戻ることの想像も難しく、レストランやお店でマスクなしで他人と近距離で話すこと、始めて会った方との挨拶である握手にも違和感を感じています。まだイギリスでもコロナウイルスが終焉したわけではなく、多くの国はまだコロナウイルスに苦しめられています。そして先進国でもワクチン接種が遅れている国、金銭的にワクチンを購入できない後進国の国々もあります。日本のように国籍保持者以外の入国の規制をしている国もありますし、政府指定ホテルでの隔離、自主隔離、飛行機搭乗前のコロナウイルス検査陰性証明、ワクチン接種証明証の提示も引き続きあることでしょう。また、街角や店頭における消毒液の設置、QRコードによるメニュー、ミュージアムなどの人数規制も、きっと定着していく事でしょう。常識としてコロナウイルスに警戒して生活を営む。フリーダム・デーは、決してコロナウイルスからの解放を意味することはなく、多くのニュー・ノーマルを受け入れる日なのかも知れません。

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー、そして内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ ジャパン認定マザーズコーチとして活動。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

新型コロナウイルス下での日常が続くイギリス

Photo:学校再開初日には ”Welcome Back” のポスターとともに先生方が並んで生徒達を出迎えてくれました ⒸAkiko Bianchi

新型コロナウイルス下での日常が続くイギリス

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラー、内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ・ジャパンによる認定マザーズコーチとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:コロナ前は買い物客や観光客で賑わっていた高級ブティックの立ち並ぶニューボンドストリート ⒸAkiko Bianchi

 昨年12月、イギリスで新型コロナウイルスが発見されました。この変異株は子どもたちの発症力が高いとのニュースを聞き、1つの謎が解けたような気がしました。と言うのも、11月末から12月初旬にかけて学級閉鎖や学校閉鎖が起きたのは中学校や高校ばかり。12月半ばのクリスマス休みの前に休暇を前倒しにした学校や、12月はリモートスタディーに切り替えた学校もありました。

それからと言うもの短期間の間に次々と規制がかけられていきました。レストランなど屋内では1グループ(テーブル)につき6人までとされていたのが、一緒に住んで居る人とのみ、そして、レストランの営業時間の制限、閉鎖。続いて、必要最低限の生活用品を販売するお店以外の閉鎖。更には屋外でも会える人数の規制・・・。子どもたちはもう何ヶ月も友だちと会えていません。ロンドンを含む規制第4段階とされた都市や地域ではその地域の外へ出ることさえを禁止されました。当然、クリスマス休暇の予定は変更を余儀なくされました。イギリスは英国国教会というキリスト教国。クリスマスは家族が一緒に過ごす大切な祝祭です。特に今年はロックダウンなどで家族が一緒にいられる時間が少なかったからこそ、今まで以上に特別なクリスマスです。ジョンソン首相がクリスマスに規制をかけるのは人道にはずれるとまで言い、規制を緩和するとの見解も示していました。しかしながら状況は悪化し、クリスマス直前にロンドンを含め一部の地域で、家族間でも一緒に住んでいない場合は会ってはいけない。つまり、一緒にクリスマスは過ごしては行けないとの規制が設けられました。それから、一瞬のうちに日本も含め、イギリスは50ヵ国以上の国から国境閉鎖をされてしまいました。クリスマスに海外へ行ったまま未だイギリスに帰国できない人、または、私たちのように海外に住み自国に帰れない人もいます。私たちについていうと、主人はアメリカ国籍、私は日本国籍なので、どちらの国に帰るにも私たちのどちらかが入国許可が降りない可能性が多大にあります。日本全体で見るとまだまだ私たちの様な状況の人は少ないとはいえ、二重国籍さえ認められれば、この様な緊急時において家族が離れ離れになることを阻止できるのではないかと思います。

Photo:中高生の学校でのコロナテストを手伝うボランティアをするにあたり、NHS (国の医療機関)での講習と試験が義務付けられました。写真はその証明書。 ⒸAkiko Bianchi

 1月に入り、ジョンソン首相は3度目のロックダウンと学校閉鎖を発表します。パニック買いや、ロックダウンが始まる前にと人々が集まるのを避けるためか、発表の翌日から施行となりました。不幸中の幸いか、ロンドンやイギリス南部では1月末までリモートスタディーの学校が多く、学校も家庭も準備ができていました。イギリス中、北部では、どれだけの準備ができたのでしょうか。多くの方が仕事の予定の変更を余儀なくされたことでしょう。ただし、キーワーカーと呼ばれる医療関係者や学校の先生、食料品店などの店員などの子供たちは学校が預かることとなっています。イギリスにおいては小学生の間、子供が1人でいることは禁止されていることも念頭に置かれての処置でしょう。

新型ウイルスの脅威を実感したのは、日本やアメリカなど海外に住む家族や友人からの心配の電話やメッセージをもらった時でした。冒頭でも述べた通り、私の中での最初の反応は、不安でも恐怖でもなく、周りで起きていた状況とウイルスの性質との内容に納得したというものでした。その中にいると普段の生活を淡々と行うしかないからか、それとも何事も平静を装い、大騒ぎしないイギリス人の国民性なのか、国外で報道されているような混沌、混迷した様子もは全く感じられません。ただ、昨年の春同様、知人や仕事関係の方たち、学校の保護者などから感染の話を聞くようにもなり、コロナウイルスがまた身近に差し迫って来ているのを感じました。

この3度目のロックダウンは前回2回とは大きく異なりました。昨年3月半ばから始まった1度目のロックダウンは未知のウイルスへの恐怖心からのパニック買いや、1ヶ月以上家の中に閉じこもる人たちもいました。今回は、その点では人々はリラックスした感じがあります。ただ、多くの人々は1年近くも続く規制された生活に疲れてしまっているようです。何も変わらないデジャブのような日々。最初のロックダウンのようにZoom Partyなどには新鮮味もありません。長い長いトンネルの出口に差し込む光が見えたかと思うと、トンネルが足されていき終わりが見えない。そして、そのような気持ちを感じる度に、自分よりも状況の悪い人は沢山いて、自分はまだ幸せな方なのだと思うことが当然であり、辛いなどと思ってはならないという世の中の風潮。それによる自己嫌悪。日中の日が短い冬であることも相まり、うつ病にかかる方や悪化する方もさらに増えたそうです。

昨日からスコットランド、ウエールズに続きイングランドでも学校が再開されました。中高生は毎週コロナ検査を学校で受けるため、被害を最小限にとどめることができます。再開校からゆっくりと徐々に規制を緩和し、再度ロックダウンを避け、通常の生活へと導く政策です。イギリスでは国民の3分の1近くの2千万人がすでに少なくとも1度目のワクチン接種が終わりました。ワクチン接種に関しては、政府の迅速な動きに対し称賛の声が高まっています。接種会場の数などに地域格差はあるにしろ、接種する順番は住居や経済的なことは関係なく、政府の決めた順序で速やかに行われています。ワクチンに対し反対する声も少なく、コロナ禍から早く脱出するために受け入れ、協力している様にも思えます。このワクチンが効力を表す初夏には、普段の生活に戻れるだろうとの見解を政府は示しました。それまで、まだまだ規制された日々は続きますが、ようやく長いトンネルの先の光が現実のものとして見えた様に思えます。

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー、そして内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ ジャパン認定マザーズコーチとして活動。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

ロックダウンを発端に未来の可能性に賭けた決断―後編

Photo:アッシュビルの町中にあるビーバー湖 ⒸSatomi Oohama

ロックダウンを発端に未来の可能性に賭けた決断―後編

by 大濱里美(おおはま・さとみ)



大濱里美さんは兵庫県出身。化粧品メーカー勤務を経て、2004年に米国へ大学院留学し、卒業後、現在のパートナーと出会って結婚。心理カウンセラー/コーチの夫と2人のお子さんたちと共にニュージャージー州にお住いでした。その大濱さんご夫妻が、今回のコロナ禍の影響を受けて、マサチューセッツの大自然に恵まれた土地やニュージャージーの海辺を移動しながら過ごした経験と、その経験から下した決断についてご寄稿頂きました。今回はその後編です。

Photo:アートギャラリーやカフェが集まるリバーアート地区 ⒸSatomi Oohama

 先は一向に見えないながらも、夏が終わった後の生活をどうするのか考え始めた7月の初め頃、コロナの影響でニューヨーク都市部から流出してくる人たちの需要増により、私たちの住む町を含む郊外の家の値段が上昇しているとの話を耳にしました。好奇心から軽い気持ちで地元の不動産エージェントに連絡をとって話をするうちに、我が家がどの程度の値段で売れそうか査定してもらうことになり、その後、思うような値段で売れなければ売らなければいい、との気持ちで売りに出してみることにしました。すると一週間以内に複数のオファーがあり、買い手が決まったのです。

 買い手が決まるまでは、実際に家を売るかどうかわからなかったものですから、その後どこに住むのか具体的なアイデアがあるわけではありませんでした。同じ州内の良い学区域の町にしばらく家を借りて住むことも考えましたが、賃貸物件の在庫がほとんど無く、思うような物件は見つかりませんでした。それなら、と夫が言い出しました。どこでも好きなところに住もうじゃないか、と。ギリシャ人の義父が生まれ育ったアパートがあるギリシャや日本を含め、夢や興味のある場所をいくつかリストアップし検討した結果、今までの活動拠点と同じアメリカ東海岸方面で、美しい自然と、夫のビジネスのチャンスが期待できる町、ノースキャロライナ州のアッシュビルに決めました。

 アッシュビルは、私も夫も行ったことがない未知の土地です。夫のビジネス上での知り合いが1〜2人いる程度で、まったく新しい生活基盤を自分たちで築き上げていくことになります。夫が提案してきたとき、不安を全く感じなかったわけではありませんが、3月から家を離れて各地を転々としてきた経験から、家族が一緒ならどこででも生きていけるという自信は芽生えていました。

Photo:アッシュビル近郊の町のおもちゃ屋 ⒸSatomi Oohama

 子供ができて母親となって以来、私はリスクよりも安全を選択し保守的になってきたと思います。でも、自分の人生を振り返ってみて、人生の大切な節目となるタイミングでは、安全・無難な選択よりも、何が一番大切なのかを選び、リスクが伴う可能性に賭けてきました。アメリカに渡って来た時も、上場企業での仕事を辞めて、知り合いも将来の保証もない新しい土地で学生となることを選んでやって来ました。結婚前に、夫の家で一緒に住まないかと誘われた時、もし関係が終わってしまったら、アメリカで住む場所が無い状態になるリスクがあっても、気に入っていたアパートを手放して住み込みました。そういう選択を重ねてきた結果、今の私があります。今回のアッシュビルへの引越しも、未来の可能性と自分たち家族の強さ、そしてコロナ期に家族を無事導いてきた夫を信じて、賛同したのです。

 いざ、アッシュビルに来てみると、山に囲まれた豊かな自然とともに、アートや音楽、スピリチュアルな活動も活発なユニークで魅力的な町でした。また、自然派、アウトドア志向の人が多く、私たちの価値観と一致した馴染みやすい土地だったのです。現在の町の営みは、コロナの影響で本来の活気はまだ戻っていない様子ですが、自然はすぐ身近にあり、変わらず私たちを受け入れてくれています。9月に越して来てもうすぐ半年になりますが、今でも毎日のように夫とは夢みたいだねと語り合っては、私たち家族がみな健康でここにいることのありがたさを噛みしめています。
 

PROFILE

大濱里美(おおはま・さとみ)

兵庫県出身。化粧品メーカー勤務を経て、2004年に米国へ大学院留学。卒業後、現在の夫と出会い結婚。夫婦関係で悩んだ経験から、カップルセラピーのイマゴメソッドを習得。主に国際結婚でのパートナーシップに悩むカップルのサポートを行ううち、一人一人の幸せ、生き方について意識をするようになり、マヤ暦を学ぶ。イマゴ認定プロフェッショナルファシリテーター/マヤ暦鑑定士・コーチ。生まれ持った資質や運気の流れを学び、自分らしく生きる、夢・目標の実現に向けたコーチングを実施中。2020年のコロナ期のロックダウンを機に、16年間住んだニュージャージー州からノースキャロライナ州の山間の町・アッシュビルへ引越す。自然に恵まれた環境で2児の子育て、パートナーシップ、そして自分らしく生きることの探求に取り組んでいる。
*大濱さんへの執筆・講演依頼、取材して欲しいテーマの具体的なご相談などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

ロックダウンを発端に未来の可能性に賭けた決断―前編

Photo:マサチューセッツ州バークシャー地方の森の中 ⒸSatomi Oohama

ロックダウンを発端に未来の可能性に賭けた決断ー前編

by 大濱里美(おおはま・さとみ)



大濱里美さんは兵庫県出身。化粧品メーカー勤務を経て、2004年に米国へ大学院留学し、卒業後、現在のパートナーと出会って結婚。心理カウンセラー/コーチの夫と2人のお子さんたちと共にニュージャージー州にお住いでした。その大濱さんご夫妻が、今回のコロナ禍の影響を受けて、マサチューセッツの大自然に恵まれた土地やニュージャージーの海辺を移動しながら過ごした経験と、その経験から下した決断についてご寄稿頂きました。今回はその前編です。

Photo:バークシャー地方の山の広場 ⒸSatomi Oohama

  2020年は世界的に大きな変化を余儀なくされた年でしたが、我が家にとっても、見通しが立たない中での勇断と実行で変化の波を乗り越えた節目の年となりました。

 我が家の大黒柱である夫は、アルコール・薬物依存症者の回復をサポートするセラピスト・コーチで自営業者です。彼のアプローチは、室内で話をするのではなく、地域社会に出て、一緒に何か行動を共にすることで、依存症者の心と体、そして生活基盤を立て直していくことを大切にしています。3月下旬に主な活動の場であるニューヨークや自宅のあるニュージャージー州でも、必要不可欠なビジネス(スーパーマーケット、薬局、医療機関その他)以外の停止、在宅勤務やできる限りの自宅待機を要請する行政命令が発行され、夫は事業を通常通り遂行することが難しくなりました。

 セラピストのほとんどがオンラインでのセッションに切り替える中、夫は活動の場をマサチューセッツ州の山奥に移し、オンラインではなく対面で依存症回復に集中して取り組む企画を考案し、参加を希望した1人のクライエントとともに、山地にこもる生活を始めました。同じ頃、子どもたちが通う公立学校やデイケアも閉鎖が決まり、3年生の娘はオンライン授業に切り替わります。元気盛りの子どもたち2人と私にとっては、自宅を出ない生活が始まりました。唯一の外気に触れる機会は、裏庭でのピクニックとトランポリンで遊ぶこと。これを毎日子どもたちと繰り返して過ごしていましたが、私は精神的にも、体力的にも限界を感じていました。

Photo:ニュージャージー州の海辺の朝焼け ⒸSatomi Oohama

 このような生活を1ヶ月ほど続けていても、ロックダウンの状況は改善するどころか、毎日発表されるニューヨーク、ニュージャージー各州のコロナウイルス感染者・死亡者数は数百人単位で増加しており、益々深刻化する一方です。そこで、やはり家族で一緒にいられるようにと、夫がこもっている山地に家を借りて家族で移り住みました。そして仕事やオンライン授業の合間をぬっては屋外に出て、周辺の山に登ったり、川や滝を散策したりして過ごすようになりました。そうしているうちに春が終わり、夏が近づく頃になり、夫は活動の場を山から海へと移すことに決めて、クライエントを連れてニュージャージー州南部の海辺の町へ移動しました。そして5月末から8月末までの3ヶ月間、海辺で過ごすことになったのですが、この夏の期間中に、私たちは大きな決断をすることになるのです。

 3月半ばのロックダウン以降夏の終わりまでの5ヶ月半、ほぼ家を離れた生活で、家のローンを支払いながらも山や海で別途家をレンタルして過ごす状態でした。経済的な観点からも、ずっとこのような生活を続けるわけにはいきません。夏が終わったらどうするのか? 先行きが全く不透明な社会情勢の中で、夏が終わり新学年が始まれば学校は対面授業を再開するのか、8月末に予定されている公式発表まで、予想さえできない状況です。仕事も生活も、元通りに戻っているとは思えません。一方、毎日豊かな自然に触れる暮らしと、最低限の荷物だけを車に積んでいくつかのレンタルハウスを転々としてきた経験から、私のなかで、何が一番大切なのか感じるものがありました。そのような状況で、ニューヨーク都市部に近いニュージャージーの自宅に戻って家族4人でこもる生活を選ぶのか?ー最終的に私たちが出した答えは「NO」でした。

PROFILE

大濱里美(おおはま・さとみ)

兵庫県出身。化粧品メーカー勤務を経て、2004年に米国へ大学院留学。卒業後、現在の夫と出会い結婚。夫婦関係で悩んだ経験から、カップルセラピーのイマゴメソッドを習得。主に国際結婚でのパートナーシップに悩むカップルのサポートを行ううち、一人一人の幸せ、生き方について意識をするようになり、マヤ暦を学ぶ。イマゴ認定プロフェッショナルファシリテーター/マヤ暦鑑定士・コーチ。生まれ持った資質や運気の流れを学び、自分らしく生きる、夢・目標の実現に向けたコーチングを実施中。2020年のコロナ期のロックダウンを機に、16年間住んだニュージャージー州からノースキャロライナ州の山間の町・アッシュビルへ引越す。自然に恵まれた環境で2児の子育て、パートナーシップ、そして自分らしく生きることの探求に取り組んでいる。
*大濱さんへの執筆・講演依頼、取材して欲しいテーマの具体的なご相談などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

コロナウイルスによる学校閉鎖
ー子供たちの精神面に何が起きたか

Photo:バッキンガム宮殿横に花で書かれたNHS(国民保健サービス)という文字 ⒸAkiko Bianchi

コロナウイルスによる学校閉鎖 ー 子供たちの精神面に何が起きたか

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラー、内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ・ジャパンによる認定マザーズコーチとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:いつもは観光客で溢れるバッキンガム宮殿  ⒸAkiko Bianchi

 “I have butterflies in my stomach” (緊張でドキドキする)と新学年の初日、長女が学校への道を歩きながら言いました。ロンドンでは3月半ばのロックダウンに先駆けリモートスタディーが始まり、終業の7月までの4ヶ月間続きました。ほぼ半年振りの登校、制服を着ることや友達に画面を遠さずに会うことにすら違和感を感じたそうです。不安と緊張、ナーバスサイテッド(ナーバスとエキサイテッドの造語)になる気持ちも無理がありません。
 「おかあさ〜ん、分からな〜い。」と言われる度に仕事や家事の手を止めて1年生の次女の勉強を見に走りました。学校では「先生、先生」とひっきりなしに手助けを求めることはできません。でも、家では「分からない」「疲れた」「やりたくない」など、簡単に口にできます。その都度、親たちは子供たちの手助けをします。宿題を見てあげる要領ですが、終日の学校となると話は別です。ただ小さな子供たちからすれば、家で学校の勉強しているからと言って、急に学校モードに切り換えられる筈がありません。「やりたくない、やりたくない」と言い続ける娘に理由を聞くとこう答えました。「勉強をやりたくないって言ってはいないんだよ。学校で勉強したいの。宿題は別として家では学校みたいに勉強をしたくはないの。だって家は、楽しく遊んだりリラックスするところでしょう?」人間は経験からこの場所では何をすると記憶します。急に今までと違うことを要求されると、心と体は戸惑ってしまいます。
 リモートスタディーが続くにつれやる気と集中力が低下するようだと、中等部の長女、初等部の次女のクラス共に親たちの間での共通の話題となりました。学校でも宿題でも常にチャレンジ問題など多くの課題を丁寧に時間をかけてこなす次女が「とりあえず、この程度で良いよね」と最低限のことしかしなくなりました。そして、クラスメートの提出物や作品は見れず、見れるのは先生のお手本だけという状況の中で、自分の課題のできを先生のお手本と見比べては徐々に自信を失くしていきました。

Photo:マスク使用が義務化されたタクシーの車内ではマスクが売られている ⒸAkiko Bianchi

 幸い小学生の次女はリモートスタディーが3ヶ月経ったところで、再登校が始まり、年度終業までの3週間登校できました。その初日の迎えの際に見た充実した笑顔、帰り道の軽やかなスキップに、彼女の自信が戻ったこと、学校へ行くことの重要性を再確認させられました。先生方の話では、子供たちはたわいのないお喋りの仕方を忘れてしまったとのことでした。ロックダウン中、リモートスタディー中の家族との会話や、Zoomの授業、離れている家族や友だちとの電話では、質問に答えたり一対一の会話です。次女のクラスでは再登校初日、最初の数コマの授業を取りやめ、その時間を使って、普通のお喋りをお友だちとできるようにしたそうです。それでも数ヶ月ぶりの家族以外との時間に戸惑う子たちも多く、明らかに発言が減った子、思いや感情を上手に伝えられなくなった子もいるそうです。また、突然泣き出す子が増えたことには、次女がとても驚いていました。3ヶ月間の間でここまで子供達の社会性に影響を及ぼすとは、心配していた以上でした。
 イギリスの中学校は日本よりも1年早く始まります。公私学ともに受験があるため、小学校の間は殆ど親主導の勉強となります。そして中学1年生(日本では小6の年齢)で、時間管理や自立した勉強ができるようにしていきます。ところが、長女の学年はその重要な年の半分がリモートスタディーとなってしまい、多くの家庭で親主導の勉強に逆戻りしてしまいました。そして思春期特有の自分は悪くないという感情も相まって、間違えは親のせいという親に頼りきった半年間を過ごした生徒は少なくないようです。今、こうした生徒は宿題の提出や数々のテスト勉強を1人ではこなせず、親や家庭教師に頼り続けているそうです。また、ヘリコプターペアレントと化した保護者も学校からの宿題やテスト日を把握するために、学校が生徒用に用意したアプリにログインし逐一確認しているそうです。

Photo:観光客が消えてしまったバッキンガム宮殿 ⒸAkiko Bianchi

 学校が始まって2週間が経った時のことです。長女の学年の保護者宛に校長先生よりメールが届きました。素行の悪い生徒がいるので家でも気をつけて欲しいとのことでした。こうした問題が低年齢化していることから、リモートスタディーにより年上の兄弟やソーシャルメディアの影響、またヘリコプターペアレントとは逆の放任し過ぎ(せざるを得ない場合も含め)の家庭において目が届かなかったことなどが原因ではないかとの指摘でした。確かに、学校にいれば起きなかった問題です。更に、全学年共通のニューズレターには、長い間、家族としか時間を過ごさなかった生徒たち、著しく悪くなった言葉使いや態度も含め、集団生活への対応や社会性が欠けてしまったとのことです。そして、10月に行われたイギリスの学校を中心とした世界中の校長先生のネットワークにおける会合では、国に関わらず同じ様な問題が見られたとの報告があったそうです。
 イギリスでは、2度目のロックダウン中も通学は認められていましたが、コロナウイルスに感染した生徒や先生が現れる度にそのクラスは先生も含めて、2週間の隔離となりました。他クラスの生徒は通学できているのに、自分はできない。前回のリモートスタディーのようにみんな一緒に家に籠っていると言うわけではありませんでした。家からの限られた中での学びに対し学力面での不安を感じたこともあったでしょう。また、部活やクラブなどの課外活動にも参加できず、友達とも一緒に過ごせなかった。その様な状況の中で孤立感を抱く生徒も少なくないでしょう。リモートスタディー中、学力の衰えの様に明らかに見えることではなく、目に見えづらい子供たちの心に手が届き、少しでも明るい光が灯されることを願っています。
 そんな中、今ロンドンではコロナ感染が再度急速に拡大し、クリスマス直前にTire 4と呼ばれる最も規制の強いロックダウンとなりました。このままでは、子供たちが安心した毎日を取り戻せるのは、いつになるのか、とても気がかりです。

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー、そして内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ ジャパン認定マザーズコーチとして活動。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

コロナウイルスによる学校閉鎖
―イギリスの学校はどう対応したか

Photo:Zoomでの授業中。iPhoneではいつも隣に座る仲の良い友達とのFaceTimeで同じ授業に参加 ⒸAkiko Bianchi

コロナウイルスによる学校閉鎖―イギリスの学校はどう対応したか

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラー、内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ・ジャパンによる認定マザーズコーチとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:この日の体育の授業はヨガ ⒸAkiko Bianchi

 イギリスでは6月1日から幼稚園生と5年生(小学校最終学年)の登校が始まりました。小学校全学年の登校再開を目ざし、公立校と私学が一丸となって政府と交渉を重ねたかいがあり、2週間遅れで残りの学年を含めた小学校の開校は認められました。

 今から3ヶ月前、ボリス・ジョンソン首相の第1回目のコロナウイルス会見にて学校閉鎖の発表があると予想されていましたが、こどもの感染は極めて低いことと、集団免疫を高める政策に則り閉鎖とはなりませんでした。しかしながら学校は閉鎖に備えて準備を始め、生徒たちは全教科分の重い教科書を毎日背負い登下校しました。そしてその翌週、学校閉鎖は突然始まりました。その時点では、Zoomなどの授業は行われませんでした。毎夜、担任の先生から翌日分の時間割と課題がメールにて送られ、全てを印刷し、つきっきりで課題をこなしました。文章を読むのがやっとの1年生の次女、指示を読むだけでも疲れてしまったり、よく理解できなかったり、日々の課題をこなすのがやっとでした。その反面、中等部1年生(日本では6年生)の長女には手が回りませんでした。長女は分からないところを聞きにくるくらいで自分の部屋に篭り勉強していました。「学校にいれば一緒だから」と言う理由で、友達とのビデオコールをし続けていました。普段は宿題もキッチンの一角で次女と一緒にしており、ラップトップや電話も部屋には持ち込ませませんでしたが、今では静かに勉強するため寝室に。勉強をしているのか、友達とお喋りしているだけなのか。そして、インターネットやソーシャルメデイアを長時間見ていないか心配でしたが、この時は見て見ぬ振りをしていました。正直なところ取り敢えず課題さえこなしてくれていれば、それで良いという思いでした。私は、家族が家にいることにより増えた家事や家庭内のこと、次女の先生代わりに疲れ切っていました。誰よりも1週間半後の3週間の春休みが待ち遠しくてなりませんでした。

 その3週間の春休み後、娘たちの通う学校の迅速で、期待以上の対応には感謝しかありません。長女のいる中高等部は普段からオンラインのアプリを使っています。宿題の提出や、テストに関する連絡事項などは教室で口頭で伝えられるだけでなく、オンライン上に記載されます。また、課題によってはそのアプリに添付されているリンク先のアプリで宿題をする事もありました。リモートスタディーが始まってからも同じアプリを使い続けることにより、オンライン授業への移行をスムーズにしました。目を見張ったのは、カリキュラムを大幅に変更したことです。イギリスは日本と同じく政府からの指針に基づき授業を進めています。その範囲内で生徒たちが家庭で無理なくできる様に修正を加えました。1時限40分で9時限を自主学習するのはあまりに慌ただしく、無理がありました。そこで1限を60分で5時限としました。主要科目は集中力のある午前中とし、少なくとも2科目はZoomで行っています。内容も生物の授業でコロナウイルスを始め、ペストや黒死病などのウイルスについて学んだり、ウェルビーングについて学ぶ授業では、ロックダウンによる不安定になりがちな気持ちに安定をもたらせたり、今ある状況をポジティブに捉える様な内容となりました。午後の科目は提出期限の長いプロジェクトをベースとし、任意で提出というものもあります。プロジェクトの例としては、家に楽器のない人でもできる様にコンピューターを利用して作曲したり、他国の音楽祭を企画する課題が出されました。この音楽祭の企画では、その国独特の音楽を調べ、都市の選定、観客の想定、屋台で振る舞われる食べ物などについて調べあげます。他に興味深いものとしては、科学の実験を家庭でできるものへの変更や、生徒が一緒に発表するはずだった演劇は、スマートフォンを使って架空の映画の予告編作りをしました。

Photo:ヨーロッパ終戦記念75年を祝ってのティーパーティー。当時のレシピで作ったケーキ。ワンピースはイギリス国旗の赤、青、白 
ⒸAkiko Bianchi

 次女の通う初等部では、新たなアプリが導入されました。各時間割にZoomやユーチューブのビデオやパワーポイント、課題などのリンクが貼ってあります。その時間割に沿って勉強をし、課題の提出もそのアプリへアップロードします。翌日には、正誤と先生のコメントが得られます。次女は、この先生からのポジティブなコメントを楽しみにしていました。何度も何度も読み返したものもありました。春休み中にアプリの選定から始まり、先生方はそのアプリやユーチューブの使い方などを遠隔で学んで下さいました。先生方の役職や教科に関係なく、コンピューターやアプリ、ソーシャルメディアなどに得意な先生が中心となり、先生全員が使いこなせるまで遠隔での講習会を開かれたそうです。これにより先生方の間でのメディアリタラシーが標準化されました。今までZoomすら聞いたこともないと仰っていた年配の初等部校長先生は、今では毎週全校集会用のお話をご自分でビデオ撮影し、ユーチューブにアップロードしています。先生方は3週間、休みなしで対応して下さったそうです。そして最初の1週間が終わったところで各学年の保護者の代表と先生方が会議をし、使い勝手や子供の様子、そして与えられた課題の内容と量が今の状況に適しているかなどについて話し合われました。その3日後には修正を加えた時間割が発表されました。具体的には、課題の幅を設けて、最低限するものと余裕があればする課題に分け、より個別対応が可能となりました。そして音楽や美術などは提出期限を長くとるとともに、任意の提出も加えられました。まだまだ大人の助けが必要となる小学生です。特に自主学習が不得意な子供や、共働き、家族に看病の必要な人がいるなどの理由で必ずしも勉強を見て貰える訳ではない場合に対応しての変更でした。教科によっては全学年共通の課題もあり、姉妹で同じ課題をこなすことにより、親の負担を減らしました。またZoom の授業後には、質問を受けられる様に先生がZoomにログインし続けるという配慮も有りました。娘達の学校は、想像力や創造力、コミュニケーション能力を高め、リスクをとってまでもチャレンジする人を育てることを一つの教育の柱としています。学校のリモートスタディーへの対応は見事にそれを証明した形となりました。

 残念なことにイギリス中全ての生徒がこの様な恵まれた環境を与えられた訳ではありません。全ての家庭にコンピューターやiPadなどのデバイスが1人1台あるとも限りません。また意外かとも思われますが、イギリスのインターネットのインフラは非常に悪く、例えば家族全員でそれぞれがzoomをするとインターネットの容量オーバーで切断されてしまいます。その様な状況でイギリス一大きい教員の労働組合は、生徒への教育格差を広げないという意味での平等と、先生のプライバシー保護のため、Zoomの使用や個人メールの禁止を各学校へ通達しました。これにより、イギリス全生徒の90%とも言われる公立校へ通う生徒が先生とのやりとりができない状況へ置かれてしまいました。とは言え、一部では学校や先生の個人の判断でZoomやメール、電話を使用したりしているそうです。その様な生徒にとっての最善を尽くす勇敢な先生がいない、先生とのやりとりができない状況で、教育格差が広がっているそうです。教育が家庭に押し付けられた時に、それに対応できる大人がいない家庭では学ぶことができなくなってしまいます。例えば、シングルピアレント、共働きの家庭、家庭内での病人や障害者の看病、そして英語のできない移民や難民の家庭など・・・。その様な家庭の子供達にとっては学校行けないことは、学びの場を奪われる事を意味しています。

 学校閉鎖に関して、政府からは閉鎖や開校に関する発表があったのみで、どの様にリモートスタディーをするのかなどと言う指針や助言はありませんでした。そのため、それぞれの学校は独自の判断を強いられる状況となりました。学校そして家庭環境共に恵まれている私学と、限られた予算での運営となる公立との違い。公立校の中でも住んでいる地域(社会階級の差も含め)の違い。様々な違いが顕となり教育格差が広がったリモートスタディー。にも関わらずイギリスの教員労働組合の見解にある様に、インフラも含めたインターネット環境や家庭内でのIT機器の有無ばかりが強調されました。ただその根底には、学校や自治体の教育に対する対応の差が生んだ教育格差がある様に思えて仕方ありません。

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー、そして内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ ジャパン認定マザーズコーチとして活動。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

コロナウイスから命を守るために
ー自分で判断する責任と勇気

Photo:大半が閉鎖された地下鉄の駅。開いている駅も利用者は殆どなく… ⒸAkiko Bianchi

コロナウイスから命を守るためにー自分で判断する責任と勇気

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラー、内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ・ジャパンによる認定マザーズコーチとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:高級ブティックの並ぶスローン・ストリートにも人影はない ⒸAkiko Bianchi

 今、あなたができることとは何ですか? 「家族の安全のために最善を尽くすのみ」と友人に言われた時、その一言で、私は恐怖に近い感覚を覚えました。子どもたちを引き続き学校へ通わせるか。それとも自主的にロックダウンするのか・・・

 コロナウイスの拡大が懸念され始めた頃はまだ、対岸の火事を傍観していたイギリス。日本を始めとするアジアの国々、アメリカ、そしてイタリア、スペイン、ポルトガル、フランスなども相次いで学校封鎖や一定の人数以上の集会の禁止、そして緊急事態宣言が出されました。そのような中での3月半ばのイギリス、ボリス・ジョンソン首相のコロナウイルスに関する始めての会見。他国に比べそのゆる過ぎるとも思える内容は予想外でした。会見の内容は、国民全体の80%を目標にコロナウイルスへの免疫を高める事に重点を置くということ。お年寄りや疾患のある人々への外出自粛を呼びかけると共に、その他の国民には普段通りの生活を勧める内容でした。理にかなっているようにも思えますが、80%の国民が感染することが意図するのは、致死率が2〜3%だということを踏まえ、単純計算で100万人が死に至ることになります。この100万人はどうやって決まるのか・・・。自分も家族も、友人も、誰もがこの100万人になり得るのです。この対策は、WHOや国民の批判を浴びるだけでなく、国民の不安を煽ることとなりました。

 この会見の前後、1年生の次女の学年の保護者間で、学校閉鎖を学校側に要請するか、または自主的にロックダウンするか、という議論が繰り広げられました。どうすれば良いのかというつぶやきではなく「議論」なのです。そんな大きなことを自分で判断するということ自体、思いもよりませんでした。それぞれが色々な情報や、イギリスよりも被害の多い母国での話を元に自分の意見を正当化します。正直なところ、その議論を聞いているだけで、私は疲弊してしまいました。そして、開校中にも関わらず、自主的に休ませる人が1人また1人と増えていきました。
 娘も日々増えていく欠席者数に疑問を抱き始めます。その人たちは、みな完全に自宅に引きこもり、外部との接触をほぼ遮断するというのです。最初は周りを大げさ過ぎると思っていた私も、その人数が段々と増えるにつれ、不安になっていきました。極めつけは、医師である友人がそのような処置に踏み切った事。そして、その彼女から、「家族の安全のために最善を尽くすのみ」と言われた時に、学校へ行かせることは間違っているのではないか、今の生活は安全ではないのではないのかと、疑い始めました。

 そして、不安要因がどんどんと頭をよぎります。鳥インフルエンザが流行した時に、香港駐在で1歳の娘もかからなかったからと言って、コロナウィルスにかからないという保証はありません。昨年、次女は毎月のようにウィルス性の病気にかかりました。予防接種をしたにも関わらず、お正月にはインフルエンザにかかり救急病院へ。ロンドンに引っ越してから長女が熱を出すことが増えました。そういったネガティブなことばかりが思い浮かび、その考えに囚われてしまいました。

Photo:イギリス政府と区から届いた通知 
ⒸAkiko Bianchi

 そして追い討ちをかけるようにロンドンに住む友人数名がコロナウィルスに感染しました。また、娘の友人たちの祖父母がイギリス、イタリア、スペインで亡くなられたとの連絡が入りました。もう他人ごととは思えなくなりました。次は自分たちの番かも知れません。100万人の犠牲者のうちの1人になるかも知れないのです。1番ショックを受けたのは、ニューヨークで家族ぐるみのお付き合いをしている方。友人のご両親を娘たちは、ニューヨークのおじいちゃんとおばあちゃんと呼んでいます。ニューヨークのロックダウン(封鎖)に際し、友人夫婦は子どもたちと感染者の出ていない郊外へ避難しました。高齢で疾患もあるニューヨークのおじいちゃんとおばあちゃん。しかしながら、彼らは郊外の家には行かず、ニューヨーク市内に残る決断をします。そしてコロナウイルスに感染し、今も闘病中です。なぜニューヨークを選択したのでしょうか? 「まだお金も無かった新婚の頃に購入し、2人の子供たちも育てた、独立記念日の花火が綺麗に見える」川沿いのマンションに最期までいたいと思われたのでしょうか?

 私が半ばパニックの様な不安と恐怖に駆られてしまったのは、友人の「家族の安全のために最善を尽くすのみ」という言葉の中に、責任を感じたから。私(たち)の間違った判断により、娘たちが命を落とすことがあり得ると強く感じたから。今まで多くの決断をしてきました。留学、帰国、就職、国際結婚、そしてたび重なる転勤や単身赴任。そのどれも、私(たち)にとって大きな決断でしたが、命に関わる決断ではありませんでした。選択や判断が間違っていても、生きてさえいればやりなおせる。娘たちを生き続けさせないといけないのです。この時点ではまだイギリスのロックダウンは始まっておらず、家族の命を守るために自主ロックダウンの決断をする勇気が、その勇気が私にはあるだろうか、と何度も自問しました。

 知人や娘たちの学校の保護者や卒業生が、医師や看護師としてコロナウィルスと戦っています。自分が感染することを懸念して、家族は郊外や親戚の家などに避難しています。特効薬もないまま、日々病に倒れていく人々の救命に尽くしています。自分がいつ患者となるか分からない。そして家族のいない家へ帰る。どれだけ不安で孤独なことでしょう。また、人手不足を補うためにボランティアとして医療系の職場に復帰したり、近所のお年寄りのための買い物や、貧困の方のために食料を届けたり、多くの方が患者のため、地域のために活躍されています。彼らは人々を助ける、命を救うために最善を尽くすと言う決断をされたのでしょう。

 このパンデミックの中、今求められているのは、1人1人ができる最善の行動。それは自分と家族、そしてこの世界の人々のために誰もが貢献できることでもあります。満員電車で通勤しないこと、不必要な外出を控えること、手を洗うこと、マスクをして外出すること。海外で起きていることは決して対岸の火事だとは思わないこと。子どもに怖がらせずにコロナウイルスについてきちんと説明すること。できるだけ精神的に安定した生活を心がけること。地域のために自分のできる範囲で何かをすること、国民の負担を理解し生活を補償すること・・・。非常事態宣言が出た後も外出自粛要請であり、強制や命令ではない日本。つまりは、個々の判断に任されているのです。 1つ1つの判断、決断があなたのそして大切な誰かの命にかかわるとしたら、今、あなたはどのような行動を取りますか?

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー、そして内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ ジャパン認定マザーズコーチとして活動。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

非常時に海外駐在員であるということ・・・
– コロナウイルスによって問われた「家」の概念 –

Photo:距離を保ってスーパーへの入店を待つ人々 ⒸAkiko Bianchi

非常時に海外駐在員であるということ・・・
– コロナウイルスによって問われた「家」の概念 –

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラー、内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ・ジャパンによる認定マザーズコーチとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:ヒースロー空港に掲げられたコロナウイルスへの注意喚起のメッセージ ⒸAkiko Bianchi

 それはとても異様な光景でした。われ先にと飛行機に搭乗するために列をなし、先に行こうものなら、列の後ろへ並ぶようにと怒鳴られます。人々のネガティブな感情― 不安や恐怖、そして怒りなど−が機内にも漂っていました。搭乗している人たちは、夫婦や家族、または1人、出張や、友だち同士で楽しく旅行と言うような人は1人もいませんでした。それもそのはずです。この飛行機は国境が封鎖される前にどうにか母国へ帰ろうと焦燥している人たちばかりを乗せていました。戦争が始まる直前はこういう感じなのだろうかとも思ってしまうほどに、緊迫していました。

 闘病生活にあったアメリカに住む義理の父が亡くなったその日、アメリカのトランプ大統領がイギリスとアイルランドを除く、ヨーロッパ26ヵ国へ渡航規制を2日後から始めるとの声明を発表しました。翌日のイギリスのボリス・ジョンソン首相のコロナウイルスに対する始めての記者会見で、イギリスが新たな渡航規制をかけないことを確認。その翌日、2人の娘たちを連れ、葬儀に参列するためにロンドンからボストンへ向かいました。トランプ大統領の発表を受け、ヨーロッパ中からイギリス経由でアメリカへ帰国する人たちが殺到します。空港は大混雑、大混乱となりました。

 空港でのチェックインの長い待ち時間の後、やっとチェックインできると思った矢先のことです。「日本のパスポート以外に、イギリス又はアメリカのパスポートをお持ちですか」と聞かれました。そしてチェックインカウンターの女性は、アメリカでの規制がその日の23:59から始まる事、場合によっては私は入国拒否されることを告げてきました。もちろん、私もその規制については承知しています。そこには国籍による規制はない筈です。さらに、夫がアメリカ人であること、家族の葬儀である事も当然の理由として入国できるはずです。それでも私の搭乗を躊躇する女性。「私には十分に入国資格があるはずです。そして、日本人だからと言ってコロナウイルスを持って生まれてきた訳ではないのです。私はイギリスに住んでいるので、ウイルスに感染している確率はイギリス人のあなたと同じ。あるいは、空港で働いているあなた以下なのではないのでしょうか」と訴えました。その女性は責任者へと相談へ行き、私たちの飛行機は規制の始まる前に到着予定である事もふまえ、私の「自己責任」で搭乗を許可してくれました。7歳と12歳の娘たちは、母親だけがイギリスに送還されるかもしれないと泣きそうになっていました。12歳の長女は、人種差別だと怒りも隠せません。この時ほど、二重国籍でないことに悲しみと苛立ちを感じたことはありません。もし二重国籍が認められていれば、このように同じ家族が国籍で縛られることがないからです。その後のフライトは、とにかく不安で仕方がありませんでした。ニューヨークと東京間の14時間のフライトに慣れた私たち。今回は、その半分の7時間のフライトですが、これほど長いと感じたフライトもありませんでした。飛行機は大幅に遅れ、着陸したのが11:56。規制が始まる3分前です。規制前に入国はもう無理です。気づかない娘たちは大きな荷物を持って入国審査の列まで全速力で走り続けます。私の走らなくても良いと言う声が聞こえない様子でした。そして、入国審査官に義理の父の葬儀であること、アメリカ人の夫はすでに入国し迎えに来ていることを伝えると、すぐに入国許可を下さいました。

Photo:ほとんどの店舗が閉まって街は閑散 
ⒸAkiko Bianchi

 たったの3日間の滞在でしたが、滞在中に事態は深刻化します。まるで映画のような米軍による埋葬が終わるとすぐに、私たちは空港へと急ぎました。この日からイギリスとアイルランドも含めての渡航規制。イギリス政府は、アメリカからの渡航を制限していないので、イギリスには戻れます。が、この規制によりアメリカ系の飛行機会社が次々にイギリス行きのフライトをキャンセルします。イギリスからアメリカへの乗客がない中、イギリスへ飛行機を飛ばすのは大きな損失でしょう。そのキャンセルされる光景はまるで、ニュースの台風速報で見る空港の様子のようでした。違うのは、翌日になったら、数日経てば風向きは良くなる訳ではなく、今日よりも明日、明日よりも明後日と状況は悪化するのです。今、この国を脱出しなければ家には帰れないのです。もし国境が閉鎖されることになったら、数週間、または数ヶ月、ここに留まらなくてはいけなくなります。結局、ロンドンを出る時に買った往復の航空券の10倍の価格でボストンからロンドンまでの片道のチケットを購入し、帰国しました。この値上がりにより、どれほどの人が家族の待つ家へ戻れなくなった事でしょう。このロンドン行きの飛行機は、ヨーロッパの国々へと帰国する人々の最後の望みを意味していました。この様な状況でも利益の追求しかできない人がいることに絶望を覚えるとともに、家族一緒に帰国できたことに心より感謝しました。

 では何故、そこまでして私達が葬儀へ参加したのか。それは、それがその時の私達にできる最大の事だったから。そこまでの思いをして家族に会いに行く、愛を届けることが夫や父を亡くした家族にしてあげられることだったから。特にコロナウイルスによって人と一緒にいることが規制され握手やハグもできない中、側にいることの重みをみなが感じているから。人との温かい繋がりに心が助けられるから。

 刻一刻と事態が悪化し情勢が変わる中で、主人と話し合ったのはイギリスに帰る必要があるのかと言うことでした。つまり、私達の「家」はどこなのか。この様な状況な中、特に夫にとっては実父を亡くしたばかり。離れていたから看取ることすらできませんでした。とにかく家族と一緒に居たいと言うのが一致した意見。私たちの家族や親しい友人たちはアメリカと日本にいます。そのどちらかを選ぶことは到底できません。半年前に引っ越したばかりの家族も友だちもいないイギリスに帰ろうと思ったのは、今の生活の基盤はここにあるから。そして、すでに国境閉鎖したアメリカにいると日本へ行けなくなってしまうから。その時点では国境を閉鎖していないイギリスにいれば、アメリカへも日本へも行ける可能性が残ると思ったからです。私たちにとって大切なのは今現在の生活と家族。コロナウイルスに世界が征服される前の生活では深く考えたこともない、「家」の概念。皆さんならば、どこを家と呼びますか。もし東京がロックダウン(封鎖)された場合、別都市のご両親、ご家族に会いに行くことが難しくなります。それでも、今住んでいる所に留まりますか。それとも、ご家族の元へ戻られますか。1週間を過ぎたロンドンのロックダウン。家族が健康で楽しく最低限の暮らしができていることに幸せを感じ、感謝しています。

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ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー、そして内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ ジャパン認定マザーズコーチとして活動。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。