2022/10/31 08:55

プラチナ・ジュビリー
~エリザベス女王即位70周年式典が国民の良い思い出に

Photo:ヒースロー空港におけるジュビリー記念モニュメント ⒸAkiko Bianchi

プラチナ・ジュビリー
~エリザベス女王即位70周年の式典が国民の良い思い出に

by ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラー、内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ・ジャパンによる認定マザーズコーチとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。

Photo:ジュビリー初日の式典でロンドン上空を飛行した70機の飛行機 ⒸAkiko Bianchi

 田舎の農場で静かな暮らしを夢見ていたエリザベス王女が、その夢は叶わぬものとなり、将来、イングランドを含む英国連邦王国及び王室属領、海外領土(現在14カ国)の国家元首となる道を歩むこととなったのはわずか10歳の時。国王となった叔父のエドワード8世が結婚を反対されたことから王位を1年足らずで退き、エドワード8世の弟、エリザベス王女の父君であるジョージ6世が国王に即位しました。当時は王位継承権は男子が優先だったので、将来女王となりたくはなかったエリザベス王女は、弟が産まれることを心から願ったそう。病弱なジョージ6世は、自身の国王としての期間が長くないことを懸念。そのため、国王はまだ幼かったエリザベス王女を公務に付きあわせ、たとえ若く女王となったとしても職務を遂行できるようにとしたそうです。そして、25歳という若さで女王となったのは1952年のこと。

この時、エリザベス王女はアフリカ外遊中でした。壮大な景色が見れる大きな木の家の上で、夫のフィリップ殿下はジョージ6世の死をエリザベス王女へ伝えました。この王女として木に登り、女王として木から降りたのは有名な話です。そしてあれから70年、イギリス史上で最も長い統治を行なう君主となりました。「ジュビリー」とは、在位期間の節目を祝うもので、エリザベス女王は今まで、シルバー(25周年)、ゴールデン(50周年)、ダイヤモンド(60周年)のジュビリーを祝い、今回のプラチナ(70周年)は4回目。実際の女王の誕生日は4月21日。ではなぜ6月に催されたのか?それは、11月生まれのエリザベス女王の曽祖父のエドワード7世がお祝いをするのに天気の良い時期を選んだのが始まりとのこと。英国国王の公的な誕生日は6月第2土曜日に祝うと制定されました。エドワード7世の目論見通り、天気が変わりやすく霧が多いことで有名なロンドンも、この週末は晴天でした。

ジュビリーのお祝いの行事は4日間に渡って行われました。初日の6月2日には「トゥルーピング・ザ・カラー」と呼ばれる騎馬隊によるパレード。エリザベス女王に代わって、エリザベス女王の第一子であり王位継承権第1位のチャールズ皇太子がパレードの先頭に。それに続いたのは、アン王女。伝統的なスカートで横に座る乗り方ではなく、ジョッパーズで男性と同じ騎乗の仕方に。英国国軍の称号も持つアン王女は、祖母のクイーン・マザーのご葬儀にも男性と同じズボンの軍服で出席したりと、静かにも男女平等を訴え続けています。パレードにてアン王女が時折見守るようにしていたのが、チャールズ皇太子の長男のウイリアム王子。そして、70機の新旧の飛行機が赤、青、白のイギリス国旗の色の煙を出しながら、バッキンガム宮殿上を見事に飛行しました。

Photo:ロンドンの街並み ⒸAkiko Bianchi

 2日目は、セント・ポール大聖堂の感謝の礼拝。この日は女王は周りが体調を懸念したこともあって、ご欠席なされました。礼拝前の午前11時には大聖堂の鐘がロンドン中に鳴り響きました。王室の行事としては始めてのことだそうです。そして、3日目には、エプソム・ダービー。乗馬もされ、馬が大好きなエリザベス女王。即位以来、ほぼ毎年訪れているダービーですが、今年はアン王女が代わりにご出席なされました。そして、最終日、バッキンガム宮殿前に設置された大規模なステージにてコンサートが行われました。このコンサートの始まりのパディントン・ベアとエリザベス女王との可愛らしいやりとり。エリザベス女王がパディントンの大好きなマーマレード・サンドイッチを黒いハンドバックの中から出す仕草は、イギリス中の国民を笑顔にしました。また、伝説のバンド、クイーンのウイ・ウイル・ロック・ユーのビートに合わせて、紅茶の入ったカップとソーサーをスプーンで叩いたのには、本来とても悪いとされているマナーに誰もが驚いたと共に、ビートに合わせて一緒に手拍子を叩いたことでしょう。

Photo:ジュビリーを記念しておこなわれたサー・ワレングリーン氏とロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラによる、王室にまつわる曲を集めたコンサート ⒸAkiko Bianchi

 エリザベス女王のお茶目な演出はこれが初めてのことではありません。2012年のロンドンオリンピックの開会式では、ダニエル・クレイグ演じるジェームス・ボンドがバッキンガム宮殿から護衛をし、ヘリコプターから飛び降り開会式に登場するという演出がされました。この時も、「みんなが笑ってくれることを願って」と微笑みながら仰っていました。 このジュビリーのお祝いは商業施設だけでなく、一般の家でも国旗やイギリスらしい飾り付けがなされました。娘たちの学校でも髪飾りは国旗や国旗の色で登校し、普段は分かれている小中高等部が一緒に祝い、国歌斉唱もしました。ジュビリーの最終日の日曜日には国中でストリート・パーティーが行われ、イギリス中が祝賀ムードとなりました。
 ジュビリー前には、エリザベス女王の体調が心配されたり、性的暴力疑惑を起こしたアンドリュー王子や皇室を批判しアメリカへ移住したハリー王子の参加の是非などが話題になりました。また、ジュビリーに合わせて改修されたビック・ベン(正式名は、エリザベス・タワー)の工事費に6千万ポンド(約100億円)費やされたこと、そしてジュビリー後に増加したコロナの感染率、ジャマイカなどの属領で英国による奴隷制度と植民地化に対するデモも行われました。全て手放しに祝福された訳ではありません。
 ジュビリーの最終日、エリザベス女王がバッキンガム宮殿にて祝賀にご参加され、その直後にウインザー城へとお帰りになる車内のお姿を運よく拝見しました。同乗されていた貴婦人と、とても楽しそうに何かをお話しされていました。コロナの規制が完全に緩和されて初の国を上げてのお祝い。去年の今ではこんなに密になって大勢で何かをするとは思いもよりませんでした。残念ながら、コロナ禍により、近所の方や友人とも疎遠になってしまった人も少なくはありません。その様な中で国民が一緒になって1つのことを祝い、共に過ごし、分かち合う機会をエリザベス女王がジュビリーのお祝いを機に作ってくれたと思えてなりません。

PROFILE

ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)

東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー、そして内閣府認定NPO法人 マザーズコーチ ジャパン認定マザーズコーチとして活動。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ

ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。