大濱里美(おおはま・さとみ)
兵庫県出身。化粧品メーカー勤務を経て、2004年に米国へ大学院留学。卒業後、現在の夫と出会い結婚。夫婦関係で悩んだ経験から、カップルセラピーのイマゴメソッドを習得。主に国際結婚でのパートナーシップに悩むカップルのサポートを行ううち、一人一人の幸せ、生き方について意識をするようになり、マヤ暦を学ぶ。イマゴ認定プロフェッショナルファシリテーター/マヤ暦鑑定士・コーチ。生まれ持った資質や運気の流れを学び、自分らしく生きる、夢・目標の実現に向けたコーチングを実施中。2020年のコロナ期のロックダウンを機に、16年間住んだニュージャージー州からノースキャロライナ州の山間の町・アッシュビルへ引越す。自然に恵まれた環境で2児の子育て、パートナーシップ、そして自分らしく生きることの探求に取り組んでいる。
*大濱さんへの執筆・講演依頼、取材して欲しいテーマの具体的なご相談などがありましたら、info@agrospacia.comまで。
ロックダウンを発端に未来の可能性に賭けた決断―前編
ロックダウンを発端に未来の可能性に賭けた決断ー前編
大濱里美さんは兵庫県出身。化粧品メーカー勤務を経て、2004年に米国へ大学院留学し、卒業後、現在のパートナーと出会って結婚。心理カウンセラー/コーチの夫と2人のお子さんたちと共にニュージャージー州にお住いでした。その大濱さんご夫妻が、今回のコロナ禍の影響を受けて、マサチューセッツの大自然に恵まれた土地やニュージャージーの海辺を移動しながら過ごした経験と、その経験から下した決断についてご寄稿頂きました。今回はその前編です。
- Photo:バークシャー地方の山の広場 ⒸSatomi Oohama
2020年は世界的に大きな変化を余儀なくされた年でしたが、我が家にとっても、見通しが立たない中での勇断と実行で変化の波を乗り越えた節目の年となりました。
我が家の大黒柱である夫は、アルコール・薬物依存症者の回復をサポートするセラピスト・コーチで自営業者です。彼のアプローチは、室内で話をするのではなく、地域社会に出て、一緒に何か行動を共にすることで、依存症者の心と体、そして生活基盤を立て直していくことを大切にしています。3月下旬に主な活動の場であるニューヨークや自宅のあるニュージャージー州でも、必要不可欠なビジネス(スーパーマーケット、薬局、医療機関その他)以外の停止、在宅勤務やできる限りの自宅待機を要請する行政命令が発行され、夫は事業を通常通り遂行することが難しくなりました。
セラピストのほとんどがオンラインでのセッションに切り替える中、夫は活動の場をマサチューセッツ州の山奥に移し、オンラインではなく対面で依存症回復に集中して取り組む企画を考案し、参加を希望した1人のクライエントとともに、山地にこもる生活を始めました。同じ頃、子どもたちが通う公立学校やデイケアも閉鎖が決まり、3年生の娘はオンライン授業に切り替わります。元気盛りの子どもたち2人と私にとっては、自宅を出ない生活が始まりました。唯一の外気に触れる機会は、裏庭でのピクニックとトランポリンで遊ぶこと。これを毎日子どもたちと繰り返して過ごしていましたが、私は精神的にも、体力的にも限界を感じていました。
- Photo:ニュージャージー州の海辺の朝焼け ⒸSatomi Oohama
このような生活を1ヶ月ほど続けていても、ロックダウンの状況は改善するどころか、毎日発表されるニューヨーク、ニュージャージー各州のコロナウイルス感染者・死亡者数は数百人単位で増加しており、益々深刻化する一方です。そこで、やはり家族で一緒にいられるようにと、夫がこもっている山地に家を借りて家族で移り住みました。そして仕事やオンライン授業の合間をぬっては屋外に出て、周辺の山に登ったり、川や滝を散策したりして過ごすようになりました。そうしているうちに春が終わり、夏が近づく頃になり、夫は活動の場を山から海へと移すことに決めて、クライエントを連れてニュージャージー州南部の海辺の町へ移動しました。そして5月末から8月末までの3ヶ月間、海辺で過ごすことになったのですが、この夏の期間中に、私たちは大きな決断をすることになるのです。
3月半ばのロックダウン以降夏の終わりまでの5ヶ月半、ほぼ家を離れた生活で、家のローンを支払いながらも山や海で別途家をレンタルして過ごす状態でした。経済的な観点からも、ずっとこのような生活を続けるわけにはいきません。夏が終わったらどうするのか? 先行きが全く不透明な社会情勢の中で、夏が終わり新学年が始まれば学校は対面授業を再開するのか、8月末に予定されている公式発表まで、予想さえできない状況です。仕事も生活も、元通りに戻っているとは思えません。一方、毎日豊かな自然に触れる暮らしと、最低限の荷物だけを車に積んでいくつかのレンタルハウスを転々としてきた経験から、私のなかで、何が一番大切なのか感じるものがありました。そのような状況で、ニューヨーク都市部に近いニュージャージーの自宅に戻って家族4人でこもる生活を選ぶのか?ー最終的に私たちが出した答えは「NO」でした。