ビアンキ曉子(ビアンキ・あきこ)
東京都出身。 高校卒業後渡英。 London School of Economics修士号取得後、2000年に帰国して外資系金融機関に勤める。夫の転勤により、ロンドンと香港での駐在を経験。2児を育児中。留学、夫の赴任先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験。現在は、JADP家族療法カウンセラー。自身の海外経験を活かし、海外生活や海外での子育てが少しでも楽に、そしてより楽しく、より充実した生活になる事を願い、コーチングを行なっている。2010年からニューヨーク、2019年夏にロンドンへ再び転勤。ロンドンの暮らしをお伝えするインスタは:third_time_the_charm_london ビアンキアキコ
ビアンキさんへの執筆、講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談、また、記事に対する感想などがありましたら、info@agrospacia.comまで。
多様性を認めた社会での子育て ―同性婚―
多様性を認めた社会での子育て ―同性婚―
ビアンキ曉子さんは英国のLondon School of Economicsで修士号取得後、日本に帰国して外資系金融機関に勤め、その後、ご主人の転勤でロンドン、香港での駐在を経験。2010年からはニューヨークで暮らし、二人のお子さんの子育て真っ最中です。留学や駐在先での就労、妊娠、出産、子育てを4カ国で経験したことを活かし、現在は、JADP 家族療法カウンセラーとして活躍されています。現在海外で生活中の方、あるいは、これから海外で子育てにチャレンジする皆さんの子育てが少しでも楽に、そして楽しく、より充実した生活になるようにと願い、NY発の様々なお役立ち情報を発信する連載をお願いしてきました。そのビアンキさんが、今度は再びロンドンへ転勤となりました。新たなロンドンでの子育て、お子さんたちの教育について引き続き寄稿して頂きます。
- Photo:ミュージカル”Dear Evan Hansen”の舞台 ⒸAkiko Bianchi
「どうしてセオにはお母さんが2人いるの?」(長女4歳)
「ハーパーはお父さんが2人でお母さんがいないのに、どうやって生まれてきたの。妊娠できるのはお母さんだけでしょう?」(次女5歳)
「理科の授業でおしべとめしべがあって初めて種ができるって習ったけど、お母さんが2人やお父さんが2人の家族では、どうやって子供ができるの?」(長女7歳)
これは多様性を受け入れた社会に住む子供たちが幼い時に質問してきたこと。自分の家と違う形の家族を見て疑問に思ったこと。私は小さな子供は違いを指摘しても、根底には差別や偏見はないと信じています。純粋に疑問に思っただけ。これが差別や偏見、タブー、または「普通と違う」と子供の心に刻まれるかは、その時の周りの大人の態度や返答次第。多様性を受け入れ、みなと違うことが当たり前、自分らしくあることが当たり前な社会での子育て。日本と言う単属民族国家で育った私が子供の頃に体験、経験していないことに子供たちが遭遇するため、驚き、その対応に頭を悩ませることも多いのは否めません。「みんなもそうだからこうしなさい」とか、「それが普通」、「当たり前」と言う理屈も通用しません。ここで1番学んでいるのは、私かも知れません。
では、どう答えたか。まず最初の質問に対しては、「あなたのお母さんが恋に落ちたのはたまたま男性だったの。セオのお母さんが恋に落ちたのは女性だったんだね」そして、2つ目の質問、この頃はまだお母さん2人だと妊娠し子供が生まれると思っていた次女。「心優しい女性がお腹を貸してくれたの。10ヶ月という長い間、ハーパーをお腹の中で大事に育ててくれたの」3つ目の質問が1番答えるのに悩みました。長女はまだ7歳。卵子と精子、体外受精、胚移植、代理母までの一連の流れを話しました。できるだけ生物の授業のように。娘が少し大きくなった時に、この件については精子や卵子バンク、代理母の法律など更なる質問がありました。また、養子縁組についても話しました。何らかの理由で親に育てて貰えない子たちが、子供は産めないが子供を切望する親と家族となる。何と素敵なことでしょう。同性婚の問題以前に、歯止めの効かない日本の少子化。例えこれから生まれる子どもの数は増えないとしても、生まれて来た子たちが、家族の一員として育っていける機会を増やすのは素晴らしいことではないでしょうか。
留学先のイギリスの大学は、LGBの人口が多いと言われているところでした。岸田首相は同性婚に対して「家族観や価値観、社会が変わる課題だ」とのべ、慎重でなければならないとの見解をされました。結婚は個人と個人、家族と家族の結びつきであり、それに対し(細かな法的なことを除き)社会全体が変わると言う極端な言い方に対し疑問を感じます。大学ではゲイの人がいたからと言って異様であるわけでもありませんでした。他の大学となんら変わりません。ゲイだからと言って何が違うと言うのでしょうか。同じように大学へ通い、勉強し、友達もいて、恋もする、そして今後の進路を悩み決める。周りのストレートの人と同じです。なぜ、彼らを違うと思うのでしょうか。違う筈がないのです。同じ人間なのですから。もし社会の価値観が変わると言うのであれば、マイノリティーの人の権利も含めたそんな価値観の社会に変わって欲しいと思います。
NYにいた時、もう10年近く前のことです。娘の学校で1人目の性的不合の生徒がカミングアウトしました。その時に、校長先生は全保護者(13学年)に向け説明会を行い、学校は全面的にその様な生徒をサポートすることを伝えました。そのためにはその他の生徒へ説明をし理解も求めること。ただでなくても難しい思春期。その時期に性別不合という精神的にも辛い局面を過ごす生徒が安心して過ごせることへの約束をしました。学校は、子供たちにとって1番身近で小さな社会。そこでこの様に多様性を受け入れた模範をみれたこと、娘たちがその様な中で育った事は、とても幸運だと思います。
学校の先生でも同性愛の方はいらっしゃいます。中学生の長女は授業で同性愛やその差別について実際に同性愛の先生からお話を聞くこともあります。そして、クラスメイトに同性愛の子もいます。イギリスでは5-7%がLGBだと言われていて、その数は増加の傾向にあります。女子校に通っていますが、同じクラスの女の子同士が付き合ったり、別れたり。恋愛関係は共学校にいても起きること。娘たちはそれを問題視していません。5歳の時からの友人(女子)が数年前に心は男性であることを公にし、名前を男の子の名前に変えました。私が学生の頃では考えられないことですが、娘はそれを大きな事件として受け止めてはいません。その友人の内の部分、内面や性格などは変わっていないのですから。最も自分らしいと感じられる名前に変えたのですから、友人としてサポートして当然のことなのです。
カトリック教徒やイスラム教など同性愛を禁止する宗教もあります。その様な理由から友人で同性愛に反対である人も多くいます。ただ、個人的には反対するけれども、彼らの権利は認めると言う方が多い。つまり、お互いの権利とプライバシーを尊重しつつ同じ社会に共存すると言うことなのだと思います。
ここで皆さんに考えて頂きたいことがあります。それは、自分らしさや少しの理解を求めることは、間違っていることなのか、社会的に認められないことなのか、周りの迷惑になることなのか。ここではあえて、「人権と社会の秩序」と言う畏まった言い方を避けて表現しています。権利の要求や個人主義という言葉は、和を乱す、周りへの迷惑、利己主義と混同するイメージをもたれることが多々あるように感じるからです。それよりももっと小さな日常的なレベルで、考えて欲しいのです。例えば、周りとは洋服の趣味が違う、男の子らしい(女の子らしい)遊びをしない、好きな人と結婚をする。これらは周りの迷惑になるのでしょうか。本来、私たちは誰1人として同じではないのです。ステレオタイプ(社会に浸透している固定観念)から外れている人を即座に「和を乱す人」、「普通でない人」とのレッテルを貼るのではなく、本当にそうなのか今一度考えてみて欲しいのです。LGBの方に対する理解も、移民、障害のある方、全てのマイノリティーの方に対しても同じです。そしてマジョリティー、1人1人に対しても。それぞれの自分らしさや少しの理解を求められた時に、寛容に対応できる社会。岸田首相のおっしゃる社会、本当の意味での「多様性を尊重し包摂的な社会」。そこでは、お互いの権利とプライバシー、それぞれのアイデンティティーを尊重しつつ共存する。その様な社会になれば、国民一人一人がより幸福だと感じ、より生きやすい人生を過ごせるのではないのでしょうか。