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豪華な顔ぶれでのトークイベント

第2回 岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トーク・イベント

豪華な顔ぶれでのトークイベント Ⓒ Konomi Kageyama

第2回 岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トーク・イベント

by 書き起こし/文責:石川亜里紗(いしかわ・ありさ)

 3月1日に『アグロスパシア』で公開した「岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トークライブ速報」に続いて、その内容を3回にわけて少し詳しく紹介します。

 一般的にヴァティカンというと宗教やアートのイメージが強いですが、本書ではヴァティカンを「究極のグローバル・メディア」と位置付けていることから、今回のトークイベントではグローバル企業Google日本法人、元・代表取締役の村上憲郎氏、ジャーナリストの津田大介氏をゲストにお迎えして、『関西ウォーカー』編集長の玉置泰紀氏の司会によって進行されました。著者は本ウェブ媒体AGROSPACIAの編集長で青山学院大学の客員教授でもある岩渕潤子氏。会場は下北沢のビールが飲める書店、B&B(Book&Beer)で、この4名による豪華な顔ぶれでのトークイベントとなりました。

■小さな街ヴァティカンの底知れぬ影響力

 この本には学術的な話や文化・芸術の話が密度濃く書かれているが、『ゴッドファーザーIII』についてのところだけ、『実話ナックルズ(ミリオン出版から出ている実話誌)』みたいなダイナミズムがあった…と津田氏は笑いながら話した。

 フランシス・コッポラ監督の映画『ゴッドファザーIII』に教皇暗殺のシーンが描かれているのだが、実際のところ、ヴァティカン銀行の改革に取り組むと宣言したヨハネ・パウロI世は就任してわずか33日で亡くなってしまったという事実があり、謀殺説が直後から噂されたが、それが映画『ゴッドファーザーIII』の中で、「きっとこうだったに違いない」というカタチでリアルに映像化されていた。かなり後になって、教皇の死と直接つながるものではないが、ヴァティカン銀行と取引のあった金融機関のトップの殺害に関してマフィアの大物が捕まったりもして、「やっぱり映画の内容は、ほぼ事実だったのではないか」と思わせるニュース報道がいくつもあった。ヴァティカンとマフィアが一部つながっているといった俗説は珍しくなく、「ノンフィクション」とされる本も多数出ており、正直、こうした話にどこまで触れるかについては悩んだのだが、映画が好きとしては『ゴッドファザーIII』を無視するわけにはいかなかった…と岩渕氏は述べた。

 映画になってヒットした『ダ・ヴィンチ・コード』や『天使と悪魔』など、ダン・ブラウンの著作のおどろおどろしい印象が強かったので、その後にヴァティカンについて書くとしたら、陰謀説的なエピソードに触れない訳にはいかないということもあったのですかという村上氏の質問に対して、岩渕氏は「期待に応えなくてはという思いは若干ありました」と答えた。ダン・ブラウンの新作『インフェルノ』もきっと映画化されるだろうから、それを見る前の予備知識として読んでいただいたら、映画をもっと楽しめると思うと岩渕氏。
 津田氏はこの本を「クリエイターにも読んでもらいたい。いろんな想像力をかき立てる本だと思うので、様々な分野のクリエイターに読んでもらうことによって、エピソードを自分なりのモチーフにしてお話をつくってもいいのではないか」と述べた。

■学生運動

 学生時代、フィレンツェに住んでいた岩渕氏は、当時、家が近所だった小説家の塩野七生さん宅でよくご飯をご馳走になっていて、その時に聞いた話として、良家の子弟が左翼系の活動家となって社会運動に走り、紆余曲折を経た後、現在は、高級レストランを経営している人が多いという話を紹介。「歴史ある名家に育った子息たちが、美食という一番わかりやすい五感の悦楽の追求に回帰していったのが面白い。有産階級の若者が、純粋な気持ちから社会運動に身を投じ、でも最終的にはピンとこなくて、極端に貴族的耽美主義に回帰していくというダイナミズムは興味深いと思う」と語った。
 玉置氏は、「映画監督のルキノ・ヴィスコンティは正にその通りなので実に面白い。特に『家族の肖像』はイタリア独特のねじれを感じますよね」と同意する。
 「ヴィスコンティの映画『山猫』では、歴史あるシチリアの名門貴族が没落しつつあり、その家の当主が成金を蔑むような描写をする一方で、跡継ぎと目する自分の甥をその成金の娘と結婚させるという判断をしていて、生きるための割り切り方が見事だと思った。ヴァティカンも、生き残るためには躊躇せずに新しい血を入れ、自らの過去の価値観を否定してでも生き残るという選択をしてきたので、『山猫』と重なる部分が多くある」と、岩渕氏は分析。

 「ヴァティカンは神聖ローマ帝国の時代から広大な教皇領を持っていて、近代イタリアが国として統一される際にすべて奪われてしまっていたら、今のヴァティカンはないわけで、領土を奪われまいとするヴァティカン側の駆け引きの能力はすごかったということですよね」と、玉置氏。
 「細胞でもストレスを加えられた方が進化を速め、より強くなることがあるように、ヴァティカンは絶えずひどい目にあってきたらからこそ、その都度進化して生き残ってきていて、日本であれば、京都についても同じことが言えるのではないか」と、岩渕氏は指摘した。
 「この本を読んで、天皇陛下が京都に戻れば皇室の価値が最大化するのではないかと思いました」と話す津田氏に対して、「皇室の歴史を、その正しい流れに最接続して元に戻すといったら、京都以外ないだろう」と岩渕氏は応えた。

 一方、村上氏は、「日本の学生運動は田舎者が中心メンバーだった。上京して高度成長期のまっただ中の東京で、その間にある相容れなさをぶちまけたようなところがある。テロリズムになったこともあるにはあったが、少なくとも学生と日本のお巡りさんとのちゃんばらは、命の取り合いはしない前提があった上でしていた。イタリアの過激派のようなものとは違う背景を持っていたということも付け加えておきます」と述べた。

 これに引き続いて津田氏は、「私の父はまさに学生運動時代の人で、革命を夢見て活動をするも夢破れて大抵の人は就職活動をしたわけですが、父に学生運動って結局どうだったのと聞いた時に、学生の七割ぐらいは学生運動に参加してはいたけれど、本当に社会革命を実現できると思っていたのは全体の一割…二割はいなかったのではないのかと話していた」と、付け加えた。

 「ローマ・カトリックは組織論、あるいは戦略として動いているという部分がありますよね」と、玉置氏。
 「組織が意思を持って動いているようなところがヴァティカンやアメリカ合衆国、あるいは、ローマ帝国の面白いところだと思う。誰かが一人で作ったものではないし、組織は、ある種、独自の生命体として有機的に動いていて、あるときぱったり駄目になるということが起きるわけだけれども、組織として2000年以上頑張っているヴァティカンという存在はとても面白い。アメリカ合衆国も将来の歴史家が研究する対象としてすごく魅力的なはずだと思う。滅びない組織の条件はいろいろあるが、ローマ帝国、ヴァティカン、アメリカ合衆国のいずれも、絶えず変わることに寛容であることが共通項であるように思う」と、岩渕氏は話す。

 「この本を一言でいうとしたらサステナビリティをテーマに書いているのかなと思いました」と津田氏。それに対して、「そうですね、サステナビリティとイノベーションですね」と応える岩渕氏。

 「意外とみんなサステナビリティというのは変わらないことだと思っているけれど、むしろ逆で、それは変わり続けることであり、この本の第4章で日本は何を学ぶべきなのかというところにつながってきている。実は、日本ほどサステナビリティに優れた国はない。一番わかりやすいのは会社で、日本で最初にできた会社は飛鳥時代からあるというような話もあるし、創業200年以上の会社が200社以上もある。そしてサステナビリティに関して一番面白いなと思ったのは、20年に一度側(がわ)だけ残して中身は全部新しく変えるという伊勢神宮の式年遷宮だと思う。日本とヴァティカンで違うのは、外の力(人材)を入れられなかったところにあり、この本で指摘しているヴァティカンの凄さの半分は十分持っているのだけれど、まだ半分が足りないのではないのか」と、津田氏。

 「日本は生き残るための資質や技術を持っているのだと思う。奈良時代や飛鳥時代には、渡来人がたくさん訪れて普通に交流していて、海外発のシステムをあたかも自分が発明したものであったかのように使いこなしていたのだけれど、明治以降日本はだんだん硬直化してきて、『西洋式』にばかりこだわってしまっているのではないか」と、岩渕氏は語った。

 「式年遷宮でいうと、伊勢神宮を立てかえるための森も維持され、米なども含め、自給自足できるようになっていて、小さいエコシステムが成立していますね」と、玉置氏は話す。

■日本がヴァティカン化するには

 「日本の都市でヴァティカン化できるのは東京しかないと思うのですが、東京がヴァティカン化するとしたら何がコアになると思いますか?」という津田氏の問いに、岩渕氏は「やっぱり人…人でしょうね」と即答した。

 「日米でベンチャーのスタートアップの投資のしかたの違いを見ていて、その差を強く感じわけですが、日本では個人が個人に投資しないですよね。合議性でなんでも決める傾向が戦後強くなり、組織として組織には投資するのだけれど、個人が個人の才能に投資するということが少ない。日本再生の切り札は優れた人を東京に集めてきて、その人たちにお金をかけるしか方法がないのでは…」と、岩渕氏は語る。

 「これはアメリカにかなわないなと思ったエピソードとして、日本で民主党がぼろ負けした時、落選した若い代議士が続出したわけですが、アメリカの財団が彼らのためにお金を出して勉強させたのです。言うことを聞けというわけではないのでしょうけれど、そういう機会を与えてもらった人たちは、将来、アメリカに敵対しないですよね」と、津田氏はいう。
 「そういうところはヴァティカンがやっていることと似ているし、イエズス会にも繋がっているのですよね」と、玉置氏。
 「フリーメーソンも本当にあるのですよね」と、岩渕氏が言うと、津田氏が東北に取材に行った時、「全国の皆さんありがとう、自衛隊の皆さんありがとうと書かれている流れでフリーメーソンありがとう」と、書いてあったという話も。

 個人への投資が日本ではなぜできないのかという点については、「明治の頃の実業家は、アメリカやヨーロッパの知識人や富豪たちと交流も実際にあり、同じような考え方、行動様式が共有されていた。日本では第二次大戦後に財閥解体があって、彼らが世界から切り離されてしまった。それ以後、日本は変わってしまったのかもしれません。将来世界の役に立つと思う人にはアメリカは惜しみなくお金を払うし、アメリカのためだけに役に立つからというような狭量な発想ではないと感じる。しかし一方で、将来有望な人を厚遇しておくとリターンも大きいということは、きちんと認識されているのではないでしょうか」と、岩渕氏は述べた。

 これに対し村上氏は、「アメリカの良さは自生的秩序であり、計画して物事を運ぶと抑圧の構造を最終的に生むということをよく心得ている。優秀な頭脳を持っていてお金がなさそうな人には教育の機会を与えればいいのではないか。その先、スティーブ・ジョブスのような人物にならないとしても、そういう人だけがヒーローではないというふうに考えている。あわよくばという考えが先にあって目をかけて育てるのではなく、目の前にある才能を埋もらせてしまってはいけないというだけのこと」であるという意見だった。
 「日本社会は公共性のある活動の理解に乏しく、日本で公共のために何かやっていたら、その行動の裏には何かしら私的な目的があるに違いないという風に思われることと繋がっているように思う」と、津田氏。
 村上氏は、「私がハイエクから学んだことからいうと、自分を中心として同心円の私利私欲を拡大して生き抜くことは悪い事ではなく、部分最適なのか全体最適なのかわからないが、最終的に自生的秩序という形で落ち着くということだ。それを世界資本主義打倒などと言い出すと間違ってしまう」と、コメント。

 「アメリカの美術館や図書館は、私立であってもパブリック(公共の)と呼ばれることがしばしばあるが、日本人はそれをなかなか理解できないようだ。ニューヨーク市にあるパブリック・ライブラリーは、日本の新聞などでも間違えられて『ニューヨーク市立図書館』などと訳されているのを見かけるが、本当は三つの私立財団が図書館を運営しており、法人としては私立なのだ。アメリカにおけるパブリックは『私たちの物』という認識だが、日本ではパブリック=公立、即ち、お上が税金で建てたものという理解でしかないように見える」と、岩渕氏。

 アメリカでは戦争の際、間違った戦略によって高額の空母が沈没した場合、国が納税者である国民に損害を与えたことが問題視され、訴訟になるという。「なんでもお国のためにと納得して沈黙する日本とは全く発想が違う」と、玉置氏。

 村上氏は、「日銀・・・日本銀行は当然パブリックなものですが、アメリカの連邦準備銀行は私立です。また電電公社は25年前にNTTになったわけですが、民営化をprivatizationと訳したので、privately ownedの会社になるのかと勘違いされた。つまり、上場の事はIPO = Initial Public Offerings ということだから、今まで私的だったものが皆さんのものになるという意味だったのですが、アメリカ人にしてみると、日本人の持つ公共、私的というイメージがずれている気がするかもしれませんね」と、述べた。
(続く)

インタビューに答える永田氏

マーク・ニューソン展
– 平和な時代 「アート」としての刀が放つ魅力

Photo:本展を企画した永田宙郷氏と Ⓒ Haruna Watanabe

マーク・ニューソン展
– 平和な時代 「アート」としての刀が放つ魅力

by 藤牧 望(ふじまき・のぞみ)& 中村 聡子(なかむら・さとこ)

 2014年3月20日、新橋の東京美術倶楽部で開催された「マーク・ニューソン展」にお邪魔して、本企画のプランニング・ディレクターである永田宙郷氏にお話をうかがいました。

Photo:翁知屋 香塗文様 Ⓒ Haruna Watanabe

 今回の企画は“aikuchi”つまり日本の「合口」という、戦闘を目的としない刀をテーマとしている。戦後70年を目前に控えた現在の平和な日本で「武器ではない刀」をつくる。そのために現代を代表するクリエイターの一人であるマーク・ニューソン氏と日本の刀匠が手を組んだ。

 この企画をこの時期に開催しようと考えた理由について、永田氏は「刀を担当してくださった9代目刀匠、法華三郎信房氏が代替わりする時期を迎え、技術が円熟した今がその時なのではないかと考えたからです。最後の戦争が終わって、長い時間を経た日本において、もう刀は武器ではない。武器というイメージではない刀をつくりたかったのです」と語った。さらに、「刀のような伝統工芸品に携わる職人のなかで、30代以下の人は6%程度しかいません。だからこの技術をこれから先も維持できるかと考えたとき、今やるべきだろうと考えたのです。東北の刀匠を迎えたのは、マークは日本に住んでいて、東北の震災のことをよく知っているということも理由のひとつでした」と強調した。

 会場に到着し、パンフレットを受け取ると、入口から暗い通路が続く。暗さに目が慣れてきたころ、突然目の前が明るくなり空間が開けた。そこに浮かび上がるように現れたのは二振りの刀である。その光景は、かの坂本龍馬とその妻おりょうが引き抜いたという霧島山の逆鉾のようであり、とても神秘的なものに見えた。まさに、永田氏の言う「日本人なら誰もが知っている刀というものの不気味さ、知っているけど知らないもののイメージが具現化」した瞬間であった。

Photo:展示された「合口」 Ⓒ Haruna Watanabe

 次のブースへ進むと、そこにパンフレットに掲載されていた合口が展示されていた。幸運なことに私たちは、合口の本体、つまり刃の部分を見ることができたのだが、初めて見た印象は、当たり前ながら「よく切れそう」であった。また、同時にある疑問がわいた。「合口とは鍔を持たない刀」だと聞いていたのだが、漆塗りのカバーを取られたその姿は、紛れもなく時代劇で見るような刀のかたちをしていたからだ。永田氏によると、これもマーク・ニューソン氏と組んだことによって新たに生まれた発想なのだという。「刃の部分だけでなく、持ち手の部分にもカバーをつけるダブル・カバーという発想は、オーストラリア人のマークならではのデザイン。日本人はこうは考えない。だからこそ、刀はもう武器ではないのだというメッセージを示すことができた。一方で、本来は武器であるにもかかわらず、武器ではない機能を高めるということは、熟練した技術を持つ日本の刀匠だからこそできたことだと思う」と、永田氏は述べた。

 この合口で特徴的なのはカバーの模様で、ボロノイ型という模様には自然の中に存在するものを方程式化するという意味があるそうだ。「自然を方程式化する」、つまり形にしていくという点において、鉱石から作られる刀、木の樹液である漆を塗ることによってできるカバーと共通するところがあり、マーク氏はこの模様を採用したのだという。日本人のイメージする刀の鞘からは想像もできない模様ではあったが、意外としっくりくる。人間という存在が、本能において物を作り出すのだということを、出身国に関わらず同じように認識していると感じられた。

Photo:翁知屋 香塗文様 Ⓒ Haruna Watabe

 最後に、永田氏は今回の企画展の見どころを次のように語ってくれた。
 「刀に精通している上級者にとって、今回の”aikuchi”には疑問符が浮かぶのではないでしょうか。古来よりコンパクトで細い鞘が美とされてきたことで、”aikuchi”のように太いデザインの鞘は見慣れないものだからです。一方で多くの日本人にとって、刀は身近でありながら実物を見たことがあるという人はとても少ないでしょう。今回の企画では、そういった刀に対しての初心者が、実物の刀が持つ妖しさなどを間近で体験できる良い機会となってくれればと願っています」

驚いたことに、会場には小学校低学年のような幼い子供たちまでが訪れていたが、今回の展覧会は、刀に対して初級者から上級者まで、それぞれが驚きを持って見ることができるものとなっていた。刀以外に漆工芸など、日本の伝統技術の精髄ともいえるものが展示されており、古いものと新しいものが見事に融合した興味深い展覧会構成となっていた。

 最後に、お忙しい中、私たちのインタビューに丁寧に答えてくださった永田宙郷さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 

上海の夜景

第1回 アイザック・マーケティング株式会社
畠山正己代表取締役に聞く〜データ分析との出会いと変遷

Photo:上海の夜景 ⒸErina Fukami

第1回 アイザック・マーケティング株式会社
畠山正己代表取締役に聞く〜データ分析との出会いと変遷

昨今大量のデータを分析して市場開拓などに活かす「ビッグデータ」への関心から、そのバッググラウンドとなる統計学を「ビジネスに活かしたい」と考えるビジネスパーソンが増えています。今でこそデータの活用は当たり前のように叫ばれていますが、その実態をわかっている人は多くはありません。そこで、90年代よりデータや社内に蓄積されたデータに着目し、クライアントのビジネスインテリジェンスをサポートしてきたアイザック・マーケティング株式会社の代表取締役 畠山正己氏が「データ分析の変遷」について6回連載で語ります。

■ 主観的な意見を可視化する“DEMATEL“との出会い

第二次オイルショックが起こった1979年、大手広告代理店に入社しました。大学では建築を学んでいたのですが、建設業界に興味が持てず、漠然とかっこよさそうなマーケティングができる広告代理店を希望しました。

当時は、広告営業として関東や東北の大手食品メーカーや通信業界のテレビや新聞、雑誌など、広告提案を行っていました。新潟に赴任していた時は東京よりも規模が小さくても会社のオーナーや社長と仕事を進めることができていたのでダイナミックに仕事ができていましたが、東京に戻ってからは、予算の規模は大きいけど、組織が大きい分なかなか業務が進まないもどかしさを感じていました。

また、クライアントへの広告提案をするにあたり、社内で意見交換をするのですが、「私はこっちの色の方がいい」、「いいや、私はこっちの方が好きだ」、と言った個人の主観的な意見で広告案や戦略が進んでいくことが多く、本当にこれでいいのかと常に疑問を感じていました。

そんな時、プライベートで付き合いの会った友人が一枚の紙を見せてくれたのです。その紙というのが“デマテル(DEMATEL)”。いわゆるオペレーションズ・リサーチの概念の一種で、主観的な意見やバラバラな意見を集約し、真に重要な課題を探り、優先順位付けを行うもので、“主観”を一枚の絵で表現し、クライアントや社内を説得する資料ができることに非常に感動を覚えました。

もともとオペレーションズ・リサーチは第二次世界大戦中、イギリスやアメリカが複数の軍事作戦から最も効率的で最適な作戦を検証し、最善な策を得る手法として開発されていました。今でこそこの概念は、企業の経営戦略にも当たり前のように採用されていますが、当時の私には非常に新鮮にうつりました。

■ コンピュータが経営戦略にも影響を与える時代が到来

もともと数学が好きだったこともあり、そこから意思決定手法や統計分析という考え方に非常に興味を持っていたので、34歳のときにIBMグループの戦略情報システム(SIS、Strategic uses of Information Systems)を専門に販売する会社へ転職をしました。そこでは、クライアントへのプレゼンを担当し、企業にSISを導入するといかに客観的に販売予測を評価できるか、SISが経営の意思決定にどのように活きていくのか、という根拠のある説明ができることが非常に面白かったです。

また、広告代理店時代、ワープロがフロアに数台ある程度で、提案書も手書きものが多く、IBMグループの最先端のIT技術には驚くことが多かったです。

それと、当時の日本市場は、唯一日本語対応ができていたNEC98シリーズが市場の7割以上を占めており、それ以外ではマッキントッシュが3割弱、そしてその他が多少あるかなというような世界的に見ると特殊な状況でしたが、1989年、ラスベガスで開催されたコンピュータ関連の展示会“COMDEX”に行った時に、マイクロソフトが“WINDOWS“という概念を発表したのを見て、“あーとうとう本格的にコンピュータの時代が来るな”と思ったのを今でも鮮明に覚えています。

(続く)

PROFILE

アイザック・マーケティング株式会社
代表取締役社長
畠山 正己(Masami Hatakeyama)

1979年、大手広告代理店㈱大広に入社。関東および東北の大手食品メーカーや通信業界の広告・マーケティングサポートに従事。その後、1989年にIBMグループの戦略情報システム導入支援を通じデータの世界へ。
1990年、アイザック・マーケティングの前身となる㈱ヒズコミュニケーションを設立。オペレーションズ・リサーチの概念を元に、クライアントの意思決定や戦略策定のためのシステム導入支援、またそれらを利用したサービスの提供を開始する。
1997年、より消費者インサイトを追求するため分社化し、アイザック・マーケティングを設立。
2009年、アイザックグループのグローバル化を推進するため、中国上海に活動拠点を移し、日系企業のマーケティング支援を行う。

第1回 岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トーク・イベント

豪華な顔ぶれでのトークイベント Ⓒ Konomi Kageyama

第1回 岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トーク・イベント

by 書き起こし/文責:石川亜里紗(いしかわ・ありさ)

 3月1日に『アグロスパシア』で公開した「岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トークライブ速報」に続いて、その内容を3回にわけて少し詳しく紹介します。

 一般的にヴァティカンというと宗教やアートのイメージが強いですが、本書ではヴァティカンを「究極のグローバル・メディア」と位置付けていることから、今回のトークイベントではグローバル企業Google日本法人、元・代表取締役の村上憲郎氏、ジャーナリストの津田大介氏をゲストにお迎えして、『関西ウォーカー』編集長の玉置泰紀氏の司会によって進行されました。著者は本ウェブ媒体AGROSPACIAの編集長で青山学院大学の客員教授でもある岩渕潤子氏。会場は下北沢のビールが飲める書店、B&B(Book&Beer)で、この4名による豪華な顔ぶれでのトークイベントとなりました。

■それぞれの本の印象

 本書には前書きがなく、密度の濃い序章からはじまるという、一風変わった構成だが、岩渕氏によれば、前書きを書いているつもりだったのがだんだん長くなり、結果的に序章になったとのこと。岩渕氏は「結論を先に言ってしまうタイプ」だと自ら話し、「こういう本にする」と予め決めてから目次案に従ってそのとおりに執筆していくので、書き始めてから最終的なゲラになるまで加筆や訂正はほとんどない。ただし、一つのテーマを多角的視点で独自の解釈を加えていくので、そういう意味では、話が二点三点しているように感じて、戸惑う読者も少なくないようだ。

 津田大介氏は『ヴァティカンの正体』を読んで、ヴァティカンを考えることがこんなに現代的行為なのかと驚かされたと言い、岩渕氏本来のバックグランドに加え、様々なデータに基づく分析もされ、それらがバランス良く配置されていて、そこから読み解ける事実があり、後半に行くほど良い意味での暴走もあって、本としてとても楽しめたので、付箋を貼りまくることになったと述べた。

 村上憲郎氏も同様に、気になったページの端を折っていたら本の3分の2ぐらいの全ページを折っている状態になったという。事実をベースとして、その上で付加価値を加えていくことが文章を書く上で重要なことだと話す村上氏も、本書は「へえ」マークが全ページにつくほど興味深い本だったと述べた。

■アップルの宗教性について

 本書で語られているアップルの宗教性だが、もともと「アップルが宗教的であること」についてはどこかで書きたいという気持ちがずっとあり、スティーブ・ジョブスが亡くなってからは「こういう文脈で書こう」と気持が固まったものの、宗教としてのアップルについて書く適当な媒体が見つからず、書き下ろしの本書でやっと書くことができたと岩渕氏は話す。

 大学生になって初めて出会ったコンピュータがMacだったということもあり、岩渕氏は今もMacファンなのだが、Macに不具合問題が続出していた時代を含め、現在に至るまでMacを選び続けた理由について、「初めてのコンピュータであったMacは忘れられない初恋の人のようなもの」だという。そして、Youtubeなどで見ることのできるMacのプレス・イベントなどでの若き日のスティーブ・ジョブスはロックスターのようで、今改めて見てもつくづくかっこいいと熱っぽく語った。

 ジョブスのカリスマ性やアップル・ユーザーが共有している宗教的な一体感に比べると、現在のカトリック教会においては、教皇が圧倒的なカリスマということではないかもしれない。興味深いのは、アップルはジョブス亡き後も信者(ユーザー)を失わずにいることで、キリスト教と比較するなら、現在のアップルは、キリスト亡き後に使徒たちが話法、言説、教義を整備していく過程に相当するのではないか。各国の歴史や文化によって微妙な違いを内包しているカトリックも、ラテン語という標準化された共通のプラットフォームを持っていることが、組織としては、一人一人の信仰よりも大きな意味を持つのではないだろうかと玉置氏は語る。

■言語と東方正教会

 ラテン語をカトリック教会が共通言語として定めたことにより、ヴァティカンはメディアとなり世界に対して情報発信を通じた影響力を強めた。しかしながら、各言語(民族)ごとに正教会がある東方正教会のように多言語で成りたっているものもある。次回、キリスト教をテーマにした本を書く際には、言語という一つのキーワードでいうと、この二つの間にどんな違いがあるのか展開していただけたらと思う…と村上氏。

 西欧的なキリスト教からすると東方正教会にはエキゾチックなイメージがある。東方正教はロシア、ギリシャ、シリア、レバノンなど、民族ごとに教会が細分化しており、東方正教というとギリシャ語やロシア語をまず思い浮かべるかもしれないが、実はアラビア語地域も多く含まれている。ニューヨークの東方系の教会、例えば、レバノン系の教会にいくとアラビア語で礼拝が行われている。友人に連れられてクリスマス礼拝に行ったことがあるがアラビア語を聞くとどうしてもイスラム教を連想し、クリスマスとは結びつかず、「同じキリスト教でもこんなに違うのかと衝撃を受けた」と岩渕氏は語った。
 また、祭壇の手前にイコノスタシスという隔壁があって、その向こう側に女性は入れない。近代以前の宗教という印象が東方正教では強く、しきたりや儀式を重視して、装束や教会そのものが華やか、かつ、劇場的で見ているのはとても素敵だが、現代人が精神の拠り所を求める宗教というより、支配階級の宗教というイメージがあるとのこと。

 玉置氏からは、ギリシャや北アフリカの一部にはどうやって登れるのかわからないような急峻な崖の中腹の洞窟に修道院があって、一般人の世界との行き来を遮断して、隠者、もしくは、ほとんど仙人のような暮らしをしている人たちもいるとの指摘があった。

 昨年、津田氏が『チェルノブイリ・ダークツーリズムガイド』の取材でウクライナのチェルノブイリに行った時、いろいろなものをイコンに見立てている点で、チェルノブイリ博物館が強く印象に残ったという。この博物館はチェルノブイリの原発事故をモチーフにしたいわば日本でいう広島の原爆資料館のようなものだが、日本の場合、展示はドキュメンタリー的に事実が淡々と示されている。しかしながら、チェルノブイリ博物館ではドキュメンタリー的展示は3割程度で、残りの7割はアートや宗教的なモチーフになっており、感情に訴える、日本では考えられないようなものだったという。それを許しているのは宗教的な価値観で、津田氏が最も衝撃を受けたのは、原発事故で被爆し、開頭手術した赤ちゃんの写真が祭壇のように構成された場所に展示されており、その額には開頭した際の十時の切り込みがあって、それを十字架に見立てているという日本では考えられないセンスで、見せ方や伝え方が全く異なり、驚いたと語った。

 岩渕氏によると、イタリアやオーストリアの教会の宗教画はロシアで描かれるようなのっぺりした顔ではなく、暗くもないし、立体的な西欧人の顔であるという。岩渕氏は旅行の際、東方正教の友人からもらった、聖ミカエルの顔の書かれたイースター・エッグを魔除けに持って行くという。また、東方正教会で見られるのっぺりした顔は見慣れて知っているので、ロシアに行ったことはないが、イコンといえばのっぺりした顔の人物描写という印象が強いという。ヨーロッパの教会の天井や壁面の装飾でもたくさん人物が描かれているが、立体的なので東方正教のものとは雰囲気が全然違っており、ビザンチンの流れをくむ宗教画はどちらかと言うと京都のお寺で見る、のっぺりした顔の仏様が雲の上にびっしり乗っているような雰囲気に近いように思う、と話す。

 カトリック教会の装飾が派手なのは、そこに祈りにくる人、つまり信者として支えている庶民のほとんどはラテン語が読めない人たちだったので、絵や像でキリストの教えを伝えようとしたのではないか。ローマ・カトリックはラテン語を世界共通言語にしたからメディアとして強かったというような単純な話ではないのではないか…と村上氏は言う。
 玉置氏は、フィリピン行った際に乗ったタクシーの運転席に、ごちゃごちゃしたマリア像がぶら下がっているのを見て、ある意味、彼らが教会組織を支えているのだと実感したとコメントした。

 キリスト教には複雑なレイヤーがあり、当然、信者には支配階級以外の人たちが大勢いた。庶民から広い支持を得るため、文字が読めない信者たちに向けて絵で聖書を説明する必要もあった。宗教改革の立役者であるルターは聖書の口語訳に挑戦したが、庶民が多く集まるような教会においては、道徳とは何かを手っ取り早く教えるツールとして、地獄絵図のようなものを見せて怖がらせることがあったようだ。現在は滅多に見ることはないが、立体ミニチュア版の地獄絵図のようなものをヨーロッパの教会の多くが収蔵している。日本の室町時代の地獄草子も同じ目的で、「悪い事をしてはいけないと教える方法が世界共通であるのは面白い」と岩渕氏は語った。

 ラテン語が興味深いのは、ユニバーサル・ランゲージであると同時に発展の止まった言語、いわゆる「死語」でもあるという点。もし、ラテン語がどんどん変化していたら儀式用の共通語にはならなかっただろう。数年単位での時差があったとしても、何年か前に世界の果てのどこかで習ったラテン語が他の所に行っても通じるということは、言語が変化していないからに他ならない。ユニバーサル・ランゲージとしての価値というよりも、死んだ言語、つまり文化となって、歴史の中でしか生きていない言語であるというところが面白い。英語は現代のユニバーサル・ランゲージだが、毎日使われている日常言語であるため、どんどん新しい言葉でてきていて絶えず変化している。そうすると地域によっては、3年も時差があったらボキャブラリーが結構違ってしまって、通じないことも起きてくる。
 一方、ラテン語は16世紀の人と今の人が喋っても通じる可能性が十分にある。『テルマエ・ロマエ』という映画があったが、現代の女性が古代ローマにタイムスリップする話で、「古代ローマ人と現代日本人がラテン語で会話をしたら問題なく通じるということはあり得るかも…」と岩渕氏。

 日本の教育がいかがなものかと政府も慌てている現在、頭の良い子は、もはや東大しか選択肢がないような中高一貫校には行かないで、海外のボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)を選ぶ。ベンツしか走ってない目黒通りのご家庭周辺は、みんな子どもをアメリカンスクールに送りこんでいる。英語が人類の共通語になったという事実を素早く理解した人たちがベンツ乗り回しているのではないか。
 アメリカのボーディングスクールでどういった教育をしているかというと、実は、古典ギリシャ語でギリシャ哲学、ラテン語でキリスト教や近代哲学の流れを教えている。これは何のためかというと、SAT(大学入試の際に受験する共通テスト)でとんでもない難解なボキャブラリーが出てきたりするが、それはラテン語とギリシャ語の組み合わせでできているので、高等教育に必要なボキャブラリーを構成していく上では身につけておいた方がいい教養であり、SATで高いスコアーを得るには必要な技術でもある。ラテン語を日本で喩えるなら漢籍だろう。世界で1%しか話されていない日本語で高等教育を受けられるという仕組みは明治の先達の方々が西欧の思想の輸入をして、翻訳してくれたおかげで、日本が急速な近代化を進める上でのメリットは大きかった。しかし、日本以外の非英語圏においては、通常、高等教育は自国語では行われず、近年では英語が標準になっているのではないか。古典ギリシャ語とラテン語が西洋文明の礎であることに疑いの余地はないので、英語圏のボーディングスクールで、古典を教えることの意味は大きいはず…と村上氏は述べた。

(続く)

MONO 1st year anniversary party
– 環境に優しい新時代の電動三輪車

Photo:自社製Electric Tricycle(電動三輪車)の横に立つ代表取締役 徳重 徹さん Ⓒテラモーターズ(株)

MONO 1st year anniversary party
– 環境に優しい新時代電動三輪車

by 濱部修平(はまべ・しゅうへい)

 2020年の東京オリンピック開催が決定し、ますます環境への取り組みが重要な課題となりつつある日本。今回は電動バイク、シニアカーのメーカーとして知られ、グリーンテクノロジーのリーディングカンパニーであるテラモーターズ株式会社が開発中のElectric Tricycle(電動三輪車)に焦点を当てる。

Photo:狭い道でも小回りが効く小型のT4
Ⓒテラモーターズ(株)

 3月2日(日)、お台場テレコムセンター14階東棟に於いて、「MONO 1st year anniversary party」が開かれた。インキュベーションセンターとモノづくりを組み合わせた、今までにないコワーキングスペース「MONO」。2013年の3月1日に設立されてから早いもので一年が過ぎた。

「モノづくり」に特化したインキュベーション施設として、企業を育むことを目的とする「MONO」は、ベンチャー企業や起業家たちを支援する場として話題を集めている。

「MONO 1st year anniversary party」当日も、様々な「モノづくり」に取り組む企業が、独自に開発した技術を披露し合い、賑わいを見せていた。そして、その盛り上がりの中心の一つが、テラモーターズ株式会社によるElectric Tricycle(電動三輪車)だった。近年、資源制約や大気汚染などの環境問題への関心の高まりを背景に、注目を集めている電気自動車である。

電気自動車の特徴として、

1.Co2を出さない
2.電気をエネルギー源としているため、ガソリン車に比べランニングコストが低い
3.ガソリンを燃焼させる必要がないため、走行中の振動や騒音が小さい
・・・などが挙げられる。

 今回紹介する電動三輪車は、試作段階であるものの、運転手を含めて6人乗りで、最高時速50km、家庭用電源を使った一度の充電で走行距離は50kmほどだ。お台場・臨海エリアを訪れた観光客や、ビジネス目的で訪れる人たちの移動手段として利用することが検討されている。

イベントでは、開発中の電動三輪車だけでなく、これに連動するスマートフォンのアプリケーションも紹介された。このアプリケーションでは、GPS機能を使って自分の現在地情報を送信することにより、待っている所に車が迎えに来てくれるというスグレ物で、乗車した際には、そこから目的地までの到着時間も計算してくれる。また、お台場という立地上、海外からの来訪者も多いため、様々な外国語にも対応する予定とのことだ。

 「MONO 1st year anniversary party」では、特別に電動三輪車の試乗が行われた。試乗場所は、テレコムセンター地下3階駐車場だった。エレベーターを降りて駐車場への扉を開くと、今までの車の概念を覆す未来的なフォルムの車が滑りこんできた。

驚かされたのは、その外観だ。電気自動車は、エンジンルームが不要なため、デザインやパッケージに自由がきくことは有名だが、ここまでデザインがカッコいい電気自動車はいまだお目にかかったことがない。そして実際に乗車させてもらうと、その機能性の高さにも目を見張った。まず、走行がびっくりするほど「スムーズ」で「静か」だ。窓にガラスがなく、吹き抜けになっているため、もっと走行音が聞こえてもおかしくないと思ったが、ほとんど聞こず、揺れも少ない。また、窓が非常に大きく、360度景色を楽しむことができる。残念ながら、今回は試乗ということで駐車場内を走っただけだったが、実用化されたら、お台場の景色をゆったりと眺めながら移動することができるだろう。また、乗車席が「コ」の字状になっているため、家族や友人、ビジネスパートナーたちとの会話を楽しみながら移動できるのも嬉しい特徴の一つだ。

つまり、アプリケーション一つでElectric Tricycleを呼び、目的地を設定してしまえば、あとは静かな車内で家族や友人、ビジネスパートナーたちと外観を眺めながら談笑をしているだけで目的地に着いてしまうというわけだ。地球に優しいだけでなく、機能性も非常に優れているこの新時代電動三輪車は、今後最も注目を浴びる電気自動車の一つであると確信した。

 サービスとしての実用段階はまだ少し先の話だが、もしお台場に行く機会があれば、ぜひこのテラモーターズ株式会社の開発した電動三輪車に試乗して、今まで体験したことのない移動時間を過ごしてみてはいかがだろうか?

PROFILE

濱部修平

青山学院大学 総合文化政策学部2年

将来の夢は、メーカーかIT企業に就職し、日本の技術や製品を国内並び世界に普及する仕事に就くこと。

世界市場における日本企業の地位が相対的に低下している今、日本企業は一刻も早く新たなビジネス・モデルを確立することが重要なはず。そのためには、マーケティングを理解した上での幅広い視野が必須であると考え、大学ではマーケティングだけでなく、授業やラボを通し、様々な業界の知識や戦略を学んでいます。

仕事場からの風景

第5回 中国は世界への扉
上海で元気に働くビジネスウーマン: 伊瀬 幸恵さん

Photo:仕事場からの風景 ⒸYukie Ise

第5回 中国は世界への扉
上海で元気に働くビジネスウーマン: 伊瀬幸恵さん

by 深水 エリナ(ふかみ・えりな)/ 析得思(上海)商務諮詢有限公司 総経理

アグロスパシア株式会社は、「私たちは社会にイノベーションを起こすエンジンだ!」を合言葉に、従来の「ベンチャー」の概念では定義の難しいニッチなテーマ、次世紀のライフ・スタイル研究、地球以外の惑星で生きてゆくために宇宙で必要となる技術…などを取り上げ、そこに関連する人と情報のアグリゲーションを目ざしています。

深水エリナさんは、自身も上海でマーケティング&セールス・コンサルティングを専門とする会社を立ち上げて活躍中ですが、『AGROSPACIA』では深水さんの協力を得て、上海を中心にアジアでダイナミックにビジネスを展開する人たちをご紹介するインタヴューのシリーズを連載しています。

今回の第5回目は、グラフィックデザイナー/アートディレクターとして活躍する伊瀬幸恵さんが登場。伊瀬さんは多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業後、同済大学国際文化交流院を修了。7年間日本で広告制作やパッケージ・デザインなどに関わった後、上海に渡り、2008年より在住されています。1年間上海の広告制作会社で唯一の日本人として勤務した後に、現在では「nicetomeetyoudesign幸會設計」名義でフリーランスのデザイナーとして独立、これからさらなる活躍が期待される一人です。

Photo:Abilia育乐湾/ グラフィック、グッズ、壁面等
グラフィックデザイン:伊瀬 幸恵
(nicetomeetyoudesign) ⒸYukie Ise

深水:上海はどれぐらいになりますか? まずは、いらしたきっかけを教えて下さい。

伊瀬: 2008年に上海にきて、今年で7年目です。日本でも広告やパッケージの会社で働いてきて、一区切りつけたいなという時に旅行で上海に出会い、現地の皆さんとの縁があって移住しました。でも、実際に住み始めた最初の頃は、空気の悪さ、人のマナーや現地の習慣などに耐え切れず、「旅行とは違って、上海イヤだ!」って思いましたね(笑) ただそう思ったのも移住して半年から一年の間ぐらいで、その後は上海が大好きになりましたけれども。当時は、もともと興味をもっていた香港や台湾の文化や音楽、映画などから、中国本土もそうだろうと思い込んでいて、いつも比べていたからつらかったんだろうなと思います。

深水:今はフリーランスで活躍されていますが、上海に来ていきなりフリーランスで仕事を始められたのですか?

伊瀬:最初の半年は上海の大学で語学を勉強しながら、現地の広告会社でアルバイトをしていました。当初は日本語が話せる中国人の方が助けてくれるという話だったのですが、蓋を明けてみたらその人はほとんど会社にいなくて。日本人は私一人。まだ中国語が初・中級程度の自分にとって、その環境はとてもハードでしたが、結果として中国語がかなり上達しましたし、何より中国の人が何を考えているのかや、言葉が使えなくても伝える技術が身に付いたと思います。ただ、日本と変わらぬ激務ぶりで、休みも月に1~2日しかなく、体力的にも限界を感じていました。結局、その会社は1年で退職し、フリーランスの道を選びました。独立した時期はちょうど上海万博前だったので、万博関連の仕事もあったのでタイミングも良かったと思っています。

Photo:上海高島屋RF1/ POP、ディスプレイ等
ディレクション:Anpas Consulting Co.,Ltd.
グラフィックデザイン:伊瀬 幸恵
(nicetomeetyoudesign) ⒸYukie Ise

深水:独立して一番良いと感じたことは何ですか?

伊瀬:クライアントさんと直接会話ができることですね。会社に勤めていると役割分担になっているので、営業さんや広告代理店の方を通して、クライアントさんの意見を聞くことが多いんです。例えば、「ここの背景を青に変更してください。」という指示ひとつとっても、クライアントさんにとって大きな意味を持つことなのか、ただ「青に変えたい」という気分なのか、といったクライアントさんの本心を直に感じることができます。

深水:中国人と日本人が好むデザインの違いはありますか? あったらぜひ教えて下さい。

伊瀬:いろいろあるのですが、一番は中国人が中国語でいうところの「設計感(デザイン感)」を好むことです。日本人だと、例えば、白い背景に文字だけといった、シンプルで洗練されたデザインを好むのですが、中国人は背景も全て柄が入っているようなものを好みます。せっかくお金を出したのだから、デザインしてもらおう!と「デザインした感じ」を求められるのだと思います。あとは、デザインの好みの話からはちょっと外れますが、日本だと一般的には会社やチーム、ポジションによってできる仕事内容は限られています。でも、中国だとデザインの専門家として、幅広い仕事を任せてくれることが多いので楽しいですね。

深水:伊瀬さんは上海在住7年目ですが、ここ数年上海にいて感じた変化はありますか?

伊瀬:そうですね・・・一番大きく変わったのは女の子が可愛くなったことですかね(笑) みんなお化粧やファッションに興味を持つようになったと思います。あと、中国の方もどんどんお金持ちになってきており、日常や旅行先でさまざまなことを経験することによって、「サービス」に対する欲求が高まってきている気がします。だからこそ、私が日本人であるということに感謝をされることが増えてきているのかな、と思います。

いつまで上海にいるかは未定ですが、上海にはいろいろな国籍、人種、文化を背景に持っている人たちがいます。これからもその違いをエンジョイし続けられる人でいたいと思います。

深水:伊瀬さんのますますのご活躍楽しみにしています。ありがとうございました!

PROFILE

伊瀬 幸恵(Ise Yukie)
グラフィックデザイナー/アートディレクター
インストラクター
東京都出身。女子美術大学附属高校、多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。同済大学国際文化交流院修了。2008年より上海在住。

7年間日本で広告制作やパッケージ等デザイン業に関わった後、渡上海。1年間現地の広告制作会社で唯一の日本人として勤務。

以降「nicetomeetyoudesign幸會設計」名義でフリーランスに。

深水 エリナ(Erina Fukami)
析得思(上海)商務諮詢有限公司
総経理
アパマンショップホールディングス、中国・インドでマーケティングリサーチ&コンサルティングを行うインフォブリッジを経て、2013年アイザックマーケティンググループの析得思(上海)商務諮詢有限公司の総経理に。
中国市場で事業を行う日系企業に対し、データ分析(統計解析やデータマイニング、テキストマイニングなど)やデータを軸としたシステム開発、ビジネスインテリジェンスサービスを提供している。
2008年より上海在住。
http://cds-cn.com/

Metro Sourceのオフィスがあるチェルシー地区

ニューヨークの移り変わりを見つめ続けて・・・
創刊25周年を迎えるMetroSource誌創業社長・Rob Davis氏インタビュー

Photo:MetroSourceのオフィスがあるチェルシー地区 ⒸHaruka Yoshida

ニューヨークの移り変わりを見つめ続けて・・・
創刊25周年を迎えるMetroSource誌 Rob Davis氏インタビュー

by 吉田晴香(よしだ・はるか)

 春の訪れをまだ遠くに感じつつも、少しずつ暖かくなりつつある3月中旬のニューヨーク。長期休暇を利用してマンハッタンに滞在していた私はMetroSource編集部を訪れ、創業社長のRob Davis氏にお会いしてインタビューする機会に恵まれた。チェルシー地区にあるオフィスで彼は、限られた時間いっぱいに自身の生い立ちや学生へのメッセージを語ってくださった。

Photo:MetroSource創業社長Rob Davis氏と
ⒸShuko Fukuda

 『MetroSource』は今年創刊25周年を迎えるフリーペーパーだ。ニューヨークに本社を置き、現在ではニューヨーク版、ロサンゼルス版、そして全米版に加え、近年はデジタル版も発行している。人種および性別の区別や差別がなく、すべての人に開かれた社会を目ざすべく創設された本誌はLGBTだけでなく、ストレートの人たちにも幅広く読まれている。

 MetroSource編集部はマンハッタンのチェルシー地区にある。編集部の入っている建物のドアを開けるとそこからエレベーターにかけて廊下が続いており、2階でエレベーターを降りると、黒い大きな鉄扉があらわれた。普通であれば少し重く感じそうなその扉もチェルシーという場所がらからか、洗練された印象を受けた。社員の方に別室に通されて待つこと数分、鮮やかなブルーのシャツを着た、爽やかな笑顔のDavis氏があらわれた。「ここまでの旅はどう?」と初対面の私に気さくに話しかけてくれて、インタビューが始まった。

 Davis氏はアメリカ西部のコロラド州出身。デンバー大学を卒業後、いったん仕事に就いたものの、その後、大学院へと進学した。フランスで暮らしていた間はノルマンディーで仕事に就いていたが、米の大学院に戻ってMBAを取得して後、ニューヨークへと渡った。ニューヨークで最初に就いた仕事は銀行のトレーダーだったそうだ。ニューヨークは、ストレートやLGBTなどに関係なくオープンな社会に違いないと期待していたそうだが、当時は決して理想的な環境とは言えなかった。彼はそんな社会を変えたいと考えて、トレーダーを辞め、別の仕事に就いた先で知り合った友人に誘われて、バレーボールのゲイ・リーグ団体の人々と出会うことになった。当時、ニューヨーク全体は決してオープンな社会ではなかったけれど、確かにゲイ・コミュニティが存在することを、その時に知ったそうだ。そのコミュニティの協力もあり、彼は2年間リスティング広告誌を発行することになった。その後、大きな企業が氏の思いに賛同し、協賛してくれるようになって、現在に至るという。

 フリーペーパーの「ペーパー」部分、つまり紙の雑誌であることを大切にしてきたMetroSource社も、近年ではフリーで記事をダウンロードできるようオンライン展開を広げている。デジタル化が進む時代において、新たな読者をひきつけるためにも気軽に手に取ってほしいという意図があってのことだ。変化に適応する能力や時代の流れをうまく読む才能は、ヨーロッパでの仕事の経験やトレーダーの仕事をこなしてきた彼の経歴を知ると納得できる。

 彼が初めてニューヨークを訪れた時から、この街は大きな変化を見せている。「昔は男性2人がレストランにいる写真を雑誌に載せただけで周りから変な目で見られることが多かった。でも、今ではゲイの顧客はレストランではものすごく大切にされるんだ」と、真剣な顔で語ってくれた。

 ニューヨークには世界中から人々が集まってくる。大きなアメリカンドリームをつかむためにこの街を訪ねてくる者、最後の希望を持ってこの街にたどりついた者、この街に来る理由はさまざまだが、そこには人種や性別の垣根はほとんどない。ひとりひとりが独立し、お互いの文化・価値観を受け入れられる雰囲気が街全体に漂うようになっている。ニューヨークの街に漂っているような、コスモポリス(国際都市)としての独特の雰囲気は、日本にはまだまだ薄いのではないだろうか。

Photo:Davis氏お気に入りのアンティークランプ
ⒸHaruka Yoshida

 世界(特にアメリカ)からみると、日本の学生はまだまだ conservative(保守的)であるとみられがちだ。人種や文化の違いを肌で感じ、「文化の多様性」に対する寛容さが重要であるということを、雑誌を通して伝え続けているDavis氏に日本の学生へメッセージをお願いした。

「何よりも大切なことは、夢を追い続けること、そして努力することだ。僕もMetroSourceを始める時は恐かった。充分なお金もないし、大きなオフィスがあるわけでもない。きっと、家族や友人に相談していたら、リスクの大きさのことばかり考えてビジネスを始めることはできなかっただろうね。そして次に大切なのは、パッションをもち続けること。困難に直面しても、パッションを持ってトライし続ければきっと成功するだろう。特に、ここ5年で経済も弱ってきている。人々は何かを始めようとすることを恐れがちだけれど、パッションをもち続けて、トライし続けた人々は成功している。そしてビジネスにおいては顧客の声に耳をよく傾けること。レストランでも何でも、顧客に合わせた対応ができている店は長続きしているからね。」

 インタビュー終了後に、Davis氏自身がオフィスのメンバーを紹介してくれた。編集部のみなさんは、仕事中にも関わらず、訪問者である私を笑顔で迎えてくれた。みなさんの笑顔や、編集部のキリっとしつつも温かい雰囲気に、社長であるDavis氏の人間性がよく表れていると感じた。

 予定通り6月のシンポジウムに出席することになれば、それが氏にとって初めての東京訪問になるそうだ。今回、ニューヨークでこんなにも温かく迎えてくださった彼へのお礼と尊敬の意も込めて、6月の講演会は何としても成功させたいという思いが一層強くなった。

 45分程の訪問の最後に、Davis氏は「入り口の廊下にあるランプ、素敵だったでしょ。アンティークもので僕もお気に入りなんだ。是非写真に撮っていってね」とアドバイスしてくれた。オレンジ色に光るそのランプは、慌ただしいニューヨークの街角にあって、どこかホッと安心させてくれるような温かみがあり、Davis氏の人柄そのもののを象徴しているようにも見えた。

 最後に、今回の編集部訪問に英語が未熟な私に通訳として付き添ってくださった福田しゅうこさんにこの場をお借りしてお礼申し上げます。ニューヨーク・ブルックリンでレストランを経営されている福田さん。Agrospaciaのインタヴューにも登場して下さっていますが、この日は2号店オープンの日だったにも関わらず、快く協力してくださりました。ありがとうございました。

PROFILE

吉田晴香

青山学院大学 総合文化政策学部2年。

1993年東京都生まれ。青山学院大学生。幼い頃から国内外でミュージカルを中心に舞台演劇を鑑賞。10年以上、自身の鑑賞記録をつけたブログを書き続けている。

将来は日本の舞台を海外に広める活動をしたり、国内外の舞台作品を紹介する演劇記事を書いたりすることが夢。

ロブ・デイヴィス氏よりいただいた『メトロソース』の見本誌の見開き

頭の中はいつもヴェルディ Vol.8

ロブ・デイヴィス氏に頂いたMetroSource見本誌2014 April/May号の見開き ⒸMetroSource

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

文化的多様性の実現に向けての有言実行を目ざして・・・

 2月5日に青山学院大学において、LGBT (セクシャルマイノリティ) との共生を含む、文化的多様性に関する課題と取り組む「青学BB(Beyond Borders)ラボ」が正式に立ち上がりました。全国に先駆けて設置された選択科目ではありますが、単位取得対象となるカリキュラムの一環としてのスタートですので、「2020東京オリンピックの開催に向けて長期にわたり多くの課題と取り組む」という説明をつけたり、「特定の価値観を学生に強要するものではありません」といった但し書きをした上で履修希望者を募ったりと、いろいろと気を遣いながらのスタートとなりました。
 日本においては、同性婚を認めるどころか、セクシャルマイノリティの権利を規定した法律が何ひとつありません。国連からも「人権に配慮するように」という勧告を受けており、先進諸国の中では対応の遅れが際立っています。

 そんな中、青学BB(Beyond Borders)ラボは初年度の大きな目標として、「LGBTも、そうでない人もシームレスに対象とする、東京発のクリエイティブなライフスタイル情報媒体の立ち上げ」を打ち出しました。NYに拠点を置き、全米に展開するライフスタイル誌『メトロソース(MetroSource)』の東京/アジア版をローンチする予定です。すでに、青学BB(Beyond Borders)ラボの授業を担当するアグロスパシア編集長・岩渕潤子がNYで複数回に渡って『メトロソース』創業社長のロブ・デイヴィス氏とミーティングを重ねています。今回、3月上旬のNY訪問において『メトロソース東京』の立ち上げについて、学生たちの指導をして下さるとの基本的な同意を得ました。6月14日にはロブ・デイヴィス氏ご自身が来日され、東京で「多様性」をテーマとしたシンポジウムに参加して、基調講演をして下さる予定です。

 事前協議を経て、ロブ・デイヴィス氏とは2日にわたり、計9時間程度のディスカッションを重ねました。十代の時から世界各地を回り、二十代前半でフランスの地方都市で1年以上を過ごしたロブと、同じく大学以後の教育を海外の複数の国で受けた筆者とは共通の話題も多く、また、会話の中で双方の母親の年齢が同い年ということがわかったことから、ロブは「あなたの方がちょっとお若いかも知れないけれど、私たち自身もきっと、ほぼ同世代ですね」と、仕事以外でもずいぶんと話が弾みました。また、みずからがゲイであることを公言しているロブは、ぜひパートナーにも会って欲しいので一緒に夕食をということになり、「自宅の方へいらして下さい」とお招きを受けました。「では、みんなで一緒に料理しましょう。」という話になり、NYの前の訪問先のサンフランシスコからメニューの打ち合わせをしていたのですが、ちょうど週末から移動日にかけ、東海岸には大雪警報が発令されたため、残念ながら「十分な食材の準備ができないかもしれないから、今回は無理せずに近所のレストランに行きましょう。もちろん、僕がご馳走しますから!」ということになりました。
 ロブは、大雪で私のカリフォルニアからのフライトがキャンセルになるのではと随分心配したようでしたが、実際には天気予報が大きくはずれて寒冷前線はかなり南を通過することになりました。晴天の夕焼けのなか、ニューアーク空港に着陸してすぐにテキストでメッセージを送ると、間髪を入れず、”Great news!”という返事がありました。

 ロブとは、12月上旬に初顔合わせしてから、ずいぶんと踏み込んだディスカッションをメールでやり取りしてきたので、直接会うのがまだ二度目という気がしませんでした。また、『メトロソース』の編集長やアーティスティック・ディレクター、プロダクション・マネジャーほか、スタッフ全員一人ずつに紹介していただいたのですが、皆さん良い方ばかりで、「良い会社だなぁ」とつくづく感じ入りました。

 ロブ・デイヴィスがいかに素晴らしい人物であるか、また、彼が25年をかけて育ててきた『メトロソース』という媒体がアメリカ社会にどのようなインパクトを与えてきたのかについては、これから時間をかけてゆっくりとご紹介してゆきたいと思っています。その前に、ちょうど筆者と入れ替わりにNYを訪れたラボ・メンバーの学生である吉田晴香さんが、『メトロソース』編集部を訪問して、彼女の視点でロブにインタヴューをしてきましたので、まずはその記事を皆さまにはお届けする予定です。

 今回もまた、『メトロソース』の見本誌を沢山もらってきましたが、昨年から増えている同性カップルの結婚に伴う結婚式関連のパーティー会場やケータリングなどの広告を目にして、日本でのLGBTの権利、そして、結婚を選択する自由を実現するため、微力ながらも役に立っていきたいという思いを新たにしました。有言実行を目ざして学生たちと共に尽力していきたいと考えています。

道向かいから見たバイ・ライト・マーケット

サンフランシスコのBi-Rite Market
—食を通じたコミュニティづくりという考え方

Photo: 道向かいから見たバイ・ライト・マーケット Ⓒ Junko Iwabuchi

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

 地元で取れる豊富な魚介類、野菜、果物、ナッツ類、世界的に高い評価を受けているワインなど、新鮮な食材に恵まれたカリフォルニア州のサンフランシスコと周辺のベイ・エリア。もともと風光明媚で、過ごしやすい気候であることから、観光地としても人気が高いが、近年はシリコン・バレーの成功者たちがどんどん市内に流入してきて、IT系企業そのものも本社をサンフランシスコ市内に移転する動きが活発化している。そのため、不動産価格の高騰は止まるところを知らず、新しいことにいつも前向きで、健康に良いということは何でもやってみようという若い富裕層へ向けて、新しいレストランや有機食材を売る店が驚くべき勢いで増え続けている。ベイ・エリアの飲食業界関係者発で、グルメを追求するガストロノミーと経済のエコノミーをかけ合わせた「ガストロコノミー(gastronomy + economy = gastroconomy)」という新しい概念が生まれたほどだ。

Photo:店内で買い物をする飼主を待つ犬
Ⓒ Junko Iwabuchi

  ベイ・エリアの食の最前線は「安いが一番」ではなく、「高品質」と「安全」の追求、それに、良質な商品を市場に供給する「生産者のサステナビリティー」を担保することにある。こうした哲学を掲げる店に行ってみると、手間暇をかけた食材を消費者と生産者が共に社会的責任を果たして維持すべき適切な価格設定が重視されているため、長年のデフレに慣れきった日本人にしてみると、商品価格の高さには驚かされることだろう。端的に言ってしまうと、所得に余裕のある人たちが買いものをする食材店の肉や野菜、魚は、ワーキング・クラスが利用する大手スーパ—マーケットの価格とは並外れて高く設定されているのだ。日本でいうなら、デパ地下風の調理済み食材を売っているデリのショーケースでは「鮭のフィレのグリル、シトラス・マンゴーソース添え」一切れが約10ドル(1000円以上!)という値段がついており、筆者も、正直、驚きを隠せなかった。

 今回は、話題の再開発地域(注目されて、家賃が急激に上昇しつつあるエリアという意味でもある)として、可愛らしい店舗が次第に増えてきているディヴィサデロ (Divisadero) ・ストリートにあるBi-Rite Market(バイ・ライト・マーケット)2号店を見に行ってきたのだが、前述の鮭もさることながら、生産者の名前を大きく表示してある「素性の明確」なモッツァレラほか、各種の新鮮なチーズや野菜、果物、どっしりした瓶に入って、手作りのラベルが貼られたジャムやシロップなど、どれもこれも価格は「え?」と思って、棚に戻してしまうほどに高かった。

Photo:1切れが10ドル以上もした鮭のグリルのシトラス・マンゴー・ソース添え
Ⓒ Junko Iwabuchi

 それもそのはずで、Bi-Rite Marketは単に食材を売る小売店という存在ではなく、”Creating Community through Food=食を通じたコミュニティづくり”をミッションとして掲げ、子供たちには「正しい食事は健康の基礎であること」や、毎日の食材がどこから来るのかについて、また、一般消費者のオトナに向けては、食材の「正しい選択」がいかに地球環境の保全に貢献するかなどについて、専門家によるレクチャーやワークショップを地元のNPOと共に行っている。そして、食に関するビジネスを通じて雇用を創出し、スタッフとして雇用した若者たちに食のプロとしての最新の知識や経験を身につけさせ、自立させることで、経済だけでなく、社会福祉や地域の安定にも積極的に貢献しているのだ。Bi-Rite Marketは地元の食材を提供する小売店であると同時に、食を通じた教育やコミュニティ活動の拠点として、地域を繋ぐ重要な役割を担っているので、そこで高めに設定された価格を支払って買い物することは、Bi-Rite Marketの活動ミッションを支持することの表明にほかならない。

 何年か前にイタリア、コモ湖のヴィラ・デステに宿泊した際、その法外とも思える一泊ぶんの料金設定には「ホテルが閉鎖されている冬季期間の従業員の給料と建物の維持・修繕費」が上乗せされており、「文化財に泊まらせてもらっている」と思えば腹も立たない…と、みずから納得したことがあった。同じように、ここ数年のベイ・エリアのファーマーズ・マーケットの大繁盛、そして、今回のBi-Rite Marketのウェブやチラシに謳われている、たいそうなミッションと価格設定を見ていたら、「ちゃんとした食材を扱って商品として売り、しかも、正しい知識を持った従業員の雇用を担保するには、これくらいの価格設定にしないとやっていけないのだろう。これはある意味、コミュニティを維持するための文化的活動の一種なのだ」と、解釈するに至った。

 ベイ・エリアの場合は、相当に高い商品であっても「社会貢献」であることを自覚して、みずから、そういう店を選んで買い物をする富裕層が存在しているからそれでうまく回っていくことだろうが、逆に、低価格の追求だけが目的化しているような日本の状況を目の当たりにすると、「これで雇用を維持していくのは難しいだろう」と考えざるを得ない。
 日本では、高級食材売り場で「お料理教室」的なワークショップを開催しているのを目にする機会は増えたが、日本の農業、食材流通の未来を思うと、課題は大きく、いつまでも「本当はもっとコストがかかっている」という現実から、目を背けてはいられないのではないかと強く感じた。「生産者や従業員の生活を守るためにはある程度の価格の維持が必要」だということを自覚し、食の安全を守るためには自分たちも金銭的な負担をしなくてはならないという考えを共有することができる消費者が日本にどれだけいるだろうか?

お楽しみのミュージックタイム

第2回 NY:親子でクリエイティブにチャレンジ
—のびのび楽しむ子供向けのアート体験 CMA

Photo: お楽しみのミュージックタイム ⒸHana Takagi

第2回 NY:のびのび楽しむ子供向けのアート体験 CMA

by 高木悠凪(たかぎ・はな)

 高木悠凪さんは、2010年にご主人の転勤に伴ってニューヨークにお引っ越し。大学時代、美術史を勉強していた高木さんは、2011年に女の子に恵まれて、以来、お子さんをベビーカーに乗せて美術展へ行くなど、いつも親子で積極的にアートに親しんでいます。

 NYは世界で最も多くのアーティストが集まる街の一つ。メトロポリタン美術館、MoMA、グッゲンハイム美術館など、世界的に名前を知られる美術館だけでなく、ミッドタウン、ソーホー、チェルシーなどに点在するギャラリーも極めて高レベル。マンハッタンの通りを歩くと、どこかしらで美術作品を目にします。日常の中にアートがあり、そういう環境の中で幼少の頃からアートに触れ、子どもたち自身でも気軽にアートを体験できる場があるニューヨークで、小さな子どもたち向けにどんな教育プログラムがあるのか? 今回は、CMA=Children’s Museum of the Artsをレポートしていただきます。

Photo:『Flubber』スライムみたいな素材。
ひんやりとした感触は子供達に大人気
ⒸHana Takagi

 ローワー・マンハッタンに位置するChildren’s Museum of the Arts(CMA)は、子どもたちが自発的に、様々な素材やコンピューターなどを駆使して作品を制作できる施設だ。年齢別、テーマ別にクラスが分かれており、中でも幼児向けで気軽に楽しめるのがドロップ・イン(子供と保護者が一緒)のクラスである。対象年齢は10か月~5歳まで。

 開場された途端、子供達が一斉に教室の中に吸い込まれていく。明るく開放感のある空間のいたるところに色彩豊かな作品が飾られていて、色んな素材を使った、思いもよらない自由な発想の作品が目に入るだけで、付き添いの大人のほうもワクワクしてしまう。

 はじめの45分間はアート制作。カラフルなペンやマジック、チョーク、シール、粘土、ブロック、スライムのようなねばねば素材、絵の具、コラージュ用の紙やフェルト、きらきらしたラインストーンや卵ケースの切れ端など、豊富な材料を自由に使えるようになっている。ここにはスタッフが常駐しており、基本的には材料や空間を整え、子どもたちを見守り、必要があればアドバイスもしてくれる。子どもたちは、「お手本」のような、何かの完成形を見せられてその通りに作るということを求められることはなく、どの素材を選び、何を作って遊ぶか、すべて子どもたち自身が決めていく。
 子どもに保護者(両親やベビーシッターさん)が「これはなあに?」と尋ね、それに対して「これはねぇ、ママの顔」などと、子どもがお返事しながら、粘土をコネコネ、シールをペタペタ、絵具をグチャグチャと試行錯誤しながら思い思いの作品を創っていく。途中で飽きたら違うところに行って他のことをやっていいし、気に入ればずっと一つのことをやっていてもよい。

Photo: ペンやシールを使ってつくられた作品
ⒸHana Takagi

 『こうしなければいけない』とか、お手本のように『上手にできたね』ということがまったくないので、子どもたちは興味の赴くままに好きなだけ自分の気に入ったことをやっており、かえって集中力が持続しているように見受けられたのが興味深かった。

 制作が一段落すると、残りの30分はお待ちかねのミュージックタイムとなる。
“Hey everybody, it’s Music time, it’s music time, it’s music time…” タンバリンの音と共にこのフレーズが聴こえてくると、続々と子どもたちは並べられた椅子に座り、トムさんとアニーさんのテンポのよい歌声に引き込まれていく。アカペラとタンバリン、手拍子のみで、アメリカの子どもなら、誰でも知っている歌を歌っていくのだが、これが実に面白い。

 “A B C D E F G…Twinkle twinkle little star(きらきら星)…”と、 途中で歌詞がすり替わっても違和感がない。『同じ曲だけど、違う歌詞だね! じゃぁ、今度は動物の鳴き声でやってみようか! 何がいい?』と言って、トムさんが子どもたちに何の動物がいいか聞いてみる。”Cat!”というと『ミャオ、ミャオ、ミャオ…』と、手拍子と共に同じメロディーで子どもたちと一緒に歌い上げる。

 歌の合間にアニーさん得意の「変顔」で子どもたちは笑い、さらに次々といろんな歌を歌い続けていくと、トムさんとアニーさんは絶妙のハーモニーを生み出し、『シュビドゥビ、シュビドゥバ…』とスキャットのかけ合いが始まる。「ここは音楽のクラスか?!」と錯覚してしまうほど多くの曲を、子どもたちのアイデアを織り交ぜながら、手遊び歌、言葉遊びをして、みんなでドンドコとドラムを叩いて楽しむ。最後は絵本の読み聞かせで終了。子どもたちは、ボール・ポンド(ボールをしきつめた遊び場)でひと遊びして帰っていく。

Photo: ボール・ポンドではしゃぐ子どもたち
ⒸHana Takagi

 このクラスは毎週月・水・木・金の10:45~12:00で、子供一人当たりにつき25ドル。予約なしで参加できるので、旅行中の遊び場としてもおススメである。ちなみにこのトムさんはCMAの幼児部門のディレクターで、幼児向け芸術プログラムを担当している。長年にわたってコロンビア大やドルトン・スクールなどに協力してきた教育の専門家としてだけでなく、パフォマー、そしてミュージシャンとしても活躍している。アニーさんは、ニューヨーク大でアニメーションやイラストレーションを専攻。CMA以外では即興ミュージカルも手がける多彩な人物だ。

 この他5歳以上になると、探検メディア・ラボやアニメ映画などのユニークなクラスもある。探検メディア・ラボでは、キャラクター・デザイン、キャラクター開発やナレーション、文字描画、人形劇や彫刻、セット・デザイン、録音、および、基本的なストップ・モーション・アニメーションを組み合わせ、他の参加者(子ども)と共同作業で短編フィルムを創っていく。CMAのメディア・ラボで創られた映像作品は、トライベッカ映画祭(同時多発テロ事件の翌年からNYの復興を願いロバート・デ・ニーロなどが始めた映画祭)、NY国際児童映画祭などで紹介されてもいる。

 そのほかにも絵画や彫刻、ファッション・デザイン、さらに日本人講師による伝統的/非伝統的の材料双方を使用するプロセスを学ぶ(折り紙やドローイングなど古典的な芸術の技術を学びながら、インスタレーションやアニメーションなどの現代的な方法で実験する)コースなど、多彩なクラスが年齢に合わせて用意されている。

 幼児期からアートを通じて楽しみながら自由な発想を磨き、小学生くらいで映画制作のノウハウを学ぶ・・・。この中から後にオスカーを獲る人物が出てくるのでは?と思わずにはいられない、CMAのプログラムは驚くほど充実したものだった。

PROFILE

高木悠凪(たかぎ・はな)

広島県出身。2010年より、夫の赴任によりNYに駐在中。2011年、女児を出産。
大学時代は西洋美術史を専攻。アクセサリー会社から生活雑貨店勤務を経て現在に至る。
趣味の芸術鑑賞にNYはもってこいの場なので、オペラ、クラシック、ジャズ、メトロポリタン美術館、MoMA、グッゲンハイム…などに足繁く通いながら、育児に奮闘の日々を送っている。
内閣府認証NPO法人 マザーズコーチジャパン認定 マザーズコーチ。
子育て・産後のキャリアチェンジ・家族やママ友の人間関係など、子育てママ向けのコーチングを実施中。
*高木さんへの執筆・講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

豪華なゲストを迎えてのトークイベント

岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トークライブ速報

Photo: 豪華なゲストを迎えてのトークイベント Ⓒ Konomi Kageyama

岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トークライブ速報

by 菱沼聖哉(ひしぬま・せいや)

 2月26日水曜日、下北沢の本屋「B&B」にて岩渕潤子著『ヴァティカンの正体−−−究極のグローバル・メディア』の発刊記念イベントが行われた。ゲストスピーカーとして、元Google日本法人代表取締役の村上憲郎氏、ジャーナリストの津田大介氏、モデーレーターに『関西ウォーカー』編集長の玉置泰紀氏、そして著者である岩渕潤子氏を迎えてのトークイベントであった。

 今回の会場となった「B&B」は、店名「Book&Beer」の名の通り、書店であるにも関わらず店内でビールを注文することができ、ビールを片手に席に腰かけて店内の好きな本を堪能できるという至福のひとときを提供してくれる場所である。イベント当日も、もちろん店内でビールが振舞われ、会場に来ていた多くの人々がその味を堪能していた。落ち着きのある店内で和やかな雰囲気のもと、定刻通りにトーク・イベントが始まった。

 『ヴァティカンの正体』のテーマとなっている、メディアとしての「ヴァティカン」の話と関連して、「言語により異なる宗教性」や「「Apple」におけるジョブズ氏のカリスマ性」、「東方正教会のアイコン主義」など、多岐に渡るアカデミックな内容が議論百出された。そして話は、学生運動にまで及び、村上氏がローマン・カトリック圏の運動と戦後日本において盛り上がりを見せた学生運動を比較しながら組織論を熱く語った。その後、本書の核となる「ヴァティカンの正体」について津田氏が「本書ではヴァティカンの正体はサステナビリティとイノベーションであると思いました。」と述べると、「では日本がヴァティカン化するとしたら何がコアとなるか?」という問いに対して、岩渕氏が「個人に対する投資でしょうね。日本は組織に対しては投資をするけど、個人の才能には投資しない傾向があるように思います。」と答えた。

そしてトーク・ディスカッションから質問タイムへと移り、会場の聴衆から「日本における宗教感による「公共性」の概念とは?」、「敗戦から学んだ日本教育の実態とは?」など鋭い質問がぶつけられた。それに対して各人が持論を用いて説明しているうちに、あっという間にイベント終了時間となり会場全員の拍手喝采のうちにトーク・イベントは幕を閉じた。

 岩渕潤子著『ヴァティカンの正体−−−究極のグローバル・メディア』の出版記念イベントとしては2回目であったが、前回銀座MANAHAでパンケーキを食べながら行われたイベントとは全く違う雰囲気で、書物に囲まれながらビールを片手に、賢人達の議論を楽しむ、さながら「オトナの勉強会」であった。

PROFILE

菱沼聖哉 (ひしぬま・せいや)

青山学院大学 総合文化政策学部2年

多種多様な価値観が混在する現代において、その価値観を多くの人々と共有するための新たな場が求められています。日本におけるLGBTマーケティングの可能性を追究し、新たな市場を開拓すること、そして、これまでの「解放運動」型の活動とは異なるアプローチを通じてLGBTへの意識改革を促すことは、今後の日本の経済的発展にもつながっていくのではないでしょうか。既存の狭くカテゴライズされた枠組を越えて、新たなる挑戦を青山から発信していきたいと思っています。

ジャック・ラング氏の基調講演に聞き入る参加者たち

後編:今、改めて「地方の時代」という言葉を噛みしめる
— 湘南国際村での第6回21世紀ミュージアム・サミットをふりかえって・・・

Photo:ジャック・ラング氏の基調講演に聞き入る参加者たち ⒸJunko Iwabuchi

後編:今、改めて「地方の時代」という言葉を噛みしめる
— 湘南国際村での第6回21世紀ミュージアム・サミットをふりかえって —

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

 今回で第6回めを数えた21世紀ミュージアム・サミットは一年おきの開催で、毎回、かながわ国際交流財団 湘南国際村学術研究センターが会場となっている。今回は、生憎と記録的な大雪となった2014年2月8日、9日の週末の開催となり、雪に埋もれた小高い丘の上にある会場へ行き着くのは困難を極めた。分科会によってはスピーカーが間に合わないかもしれない、あるいは、電車が止まってしまって通訳が来られない…といった状況で、ハラハラドキドキの連続となった。初日のレセプションの最中に停電に見舞われ、非常事態ともいえる状況下でのサミットは、出席者にとっていろいろな意味での「忘れ得ぬ体験」となったことだろう。

Photo: 蓑豊氏が司会を務めた各国事例に基づく分科会の報告会 Ⓒ公益財団法人かながわ国際交流財団

 今年の21世紀ミュージアム・サミット 第六回のテーマは「ミュージアムが社会を変える」であり、サブ・テーマが「文化による新しいコミュティ創り」であったことに、「遅きに失した」のではないかという、若干の空虚感を覚えずにはいられなかったことはすでに述べたとおりである。

 基調講演者が、元フランス文化大臣のジャック・ラング氏という、パリのルーヴル美術館の近代化を成功に導いた人物であったことは、今の日本が置かれている状況と照らし合わせてみると、あまりにかけ離れており、日本の美術館関係者にとっては「羨ましい話」ではあっても、「参考になる」とは素直には言い難い内容だったのではないかと感じたのは、筆者だけではなかっただろう。ラング氏自身が、「いろいろ苦労はあったが、ミッテラン、シラクという二人の大統領の存在があってこそ実現したグラン・ルーヴル計画で、時代が味方してくれたという面が大きかった。今の政権下で同じことをしようとしても、おそらく無理だと思う」と謙虚に述べており、美術館・博物館の社会における文脈は、その時々の政治、経済情勢によって、いとも簡単に変わってしまうのだということを、改めて考えさせられた。

 ラング氏が辣腕を振るったルーヴルの大改造は、日本も好景気に湧いていた1980年代に端を発している。ある意味、フランスは好機を捉えて、その後の不景気に備えることができたと考えることができるだろう。ドイツや米国のように、コンピューター、TV、自動車などを輸出して外貨を稼ぐのではなく、むしろ好景気に湧く世界中のあらゆる国から観光客を呼び込むことを産業化すること、そして、自国の貴重な文化的資源である美術品の価値を目に見えるように整備して「資本化」することと結びつけたことが、グラン・ルーヴル計画の最大の成果であり、20世紀的な意味なのだと思う。この計画に莫大な投資をしたことで、フランスとフランス国民は多くの見返りを得たのであり、これから先も当分の間、ルーヴル美術館はパリとフランスを潤し続けることだろう。パリにルーヴル美術館がある限り、パリ中のホテルやレストラン、そしてそこで働く人々は、恩恵を受けるのだ。

 フランスのエリート層は、美術や音楽は純粋に芸術、あるいは、高度な思想・表現として捉える傾向が強く、無理に一般大衆に理解されなくても良いといったエリート主義が根強かったように思う。しかしながら、パリを代表する美術館を「観光資源」として間口を広げたことで、ルーヴルは芸術の殿堂であると同時に、市民・観光客にとっての娯楽施設という側面も兼ね備えるようになった。実際には、このルーヴル宮の新たな解釈と再定義の過程において、美術館を民間の資金で運営することが当たり前となっているアメリカの美術館関係者ら…特に、NYのメトロポリタン美術館の当時の館長だった、フィリップ・ドゥ・モンテベロ博士などがかなりの助言を行ったわけだが、フランス側の当事者は、その詳細について、特に、日本の我々にはあまり語りたがらないようだ。ただし、実際に観光客で溢れかえる今のルーヴル美術館を訪れてみれば、また、ミュージアム・ショップやカフェの大混雑ぶりを目にすれば、新しくなったルーヴルの「アメリカ化」は否定できず、その功罪については議論の別れるところだろう。

 2020年にオリンピックの東京開催を控え、「おもてなし」がキーワードとなる中、「この機会に日本の芸術・文化の世界へ向けての発信を」というのは先進国であれば当然の発想であり、「スポーツ施設にかける予算と同じと言わないまでも、その一部を芸術・文化のために振り向けて欲しい」という思いは、日本の美術関係者すべてに共通した切なる願いである。湘南国際村での吹雪の一夜に考えたことは、決して明るい未来とばかりは言えないが、少なくともオリンピックというチャンスが私たちの眼前にあるということ、そして、それを活かすことで、美術館の未来を少しでも良い方向へ導いていくことが、ミュージアム・サミットの使命なのではないだろうか。次のミュージアム・サミットは2016年の予定である。どんなテーマが選ばれ、誰が基調講演を行うか、今から気になって仕方がない。

(了)