2014/02/26 12:00

後編:今、改めて「地方の時代」という言葉を噛みしめる
— 湘南国際村での第6回21世紀ミュージアム・サミットをふりかえって・・・

Photo:ジャック・ラング氏の基調講演に聞き入る参加者たち ⒸJunko Iwabuchi

後編:今、改めて「地方の時代」という言葉を噛みしめる
— 湘南国際村での第6回21世紀ミュージアム・サミットをふりかえって —

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

 今回で第6回めを数えた21世紀ミュージアム・サミットは一年おきの開催で、毎回、かながわ国際交流財団 湘南国際村学術研究センターが会場となっている。今回は、生憎と記録的な大雪となった2014年2月8日、9日の週末の開催となり、雪に埋もれた小高い丘の上にある会場へ行き着くのは困難を極めた。分科会によってはスピーカーが間に合わないかもしれない、あるいは、電車が止まってしまって通訳が来られない…といった状況で、ハラハラドキドキの連続となった。初日のレセプションの最中に停電に見舞われ、非常事態ともいえる状況下でのサミットは、出席者にとっていろいろな意味での「忘れ得ぬ体験」となったことだろう。

Photo: 蓑豊氏が司会を務めた各国事例に基づく分科会の報告会 Ⓒ公益財団法人かながわ国際交流財団

 今年の21世紀ミュージアム・サミット 第六回のテーマは「ミュージアムが社会を変える」であり、サブ・テーマが「文化による新しいコミュティ創り」であったことに、「遅きに失した」のではないかという、若干の空虚感を覚えずにはいられなかったことはすでに述べたとおりである。

 基調講演者が、元フランス文化大臣のジャック・ラング氏という、パリのルーヴル美術館の近代化を成功に導いた人物であったことは、今の日本が置かれている状況と照らし合わせてみると、あまりにかけ離れており、日本の美術館関係者にとっては「羨ましい話」ではあっても、「参考になる」とは素直には言い難い内容だったのではないかと感じたのは、筆者だけではなかっただろう。ラング氏自身が、「いろいろ苦労はあったが、ミッテラン、シラクという二人の大統領の存在があってこそ実現したグラン・ルーヴル計画で、時代が味方してくれたという面が大きかった。今の政権下で同じことをしようとしても、おそらく無理だと思う」と謙虚に述べており、美術館・博物館の社会における文脈は、その時々の政治、経済情勢によって、いとも簡単に変わってしまうのだということを、改めて考えさせられた。

 ラング氏が辣腕を振るったルーヴルの大改造は、日本も好景気に湧いていた1980年代に端を発している。ある意味、フランスは好機を捉えて、その後の不景気に備えることができたと考えることができるだろう。ドイツや米国のように、コンピューター、TV、自動車などを輸出して外貨を稼ぐのではなく、むしろ好景気に湧く世界中のあらゆる国から観光客を呼び込むことを産業化すること、そして、自国の貴重な文化的資源である美術品の価値を目に見えるように整備して「資本化」することと結びつけたことが、グラン・ルーヴル計画の最大の成果であり、20世紀的な意味なのだと思う。この計画に莫大な投資をしたことで、フランスとフランス国民は多くの見返りを得たのであり、これから先も当分の間、ルーヴル美術館はパリとフランスを潤し続けることだろう。パリにルーヴル美術館がある限り、パリ中のホテルやレストラン、そしてそこで働く人々は、恩恵を受けるのだ。

 フランスのエリート層は、美術や音楽は純粋に芸術、あるいは、高度な思想・表現として捉える傾向が強く、無理に一般大衆に理解されなくても良いといったエリート主義が根強かったように思う。しかしながら、パリを代表する美術館を「観光資源」として間口を広げたことで、ルーヴルは芸術の殿堂であると同時に、市民・観光客にとっての娯楽施設という側面も兼ね備えるようになった。実際には、このルーヴル宮の新たな解釈と再定義の過程において、美術館を民間の資金で運営することが当たり前となっているアメリカの美術館関係者ら…特に、NYのメトロポリタン美術館の当時の館長だった、フィリップ・ドゥ・モンテベロ博士などがかなりの助言を行ったわけだが、フランス側の当事者は、その詳細について、特に、日本の我々にはあまり語りたがらないようだ。ただし、実際に観光客で溢れかえる今のルーヴル美術館を訪れてみれば、また、ミュージアム・ショップやカフェの大混雑ぶりを目にすれば、新しくなったルーヴルの「アメリカ化」は否定できず、その功罪については議論の別れるところだろう。

 2020年にオリンピックの東京開催を控え、「おもてなし」がキーワードとなる中、「この機会に日本の芸術・文化の世界へ向けての発信を」というのは先進国であれば当然の発想であり、「スポーツ施設にかける予算と同じと言わないまでも、その一部を芸術・文化のために振り向けて欲しい」という思いは、日本の美術関係者すべてに共通した切なる願いである。湘南国際村での吹雪の一夜に考えたことは、決して明るい未来とばかりは言えないが、少なくともオリンピックというチャンスが私たちの眼前にあるということ、そして、それを活かすことで、美術館の未来を少しでも良い方向へ導いていくことが、ミュージアム・サミットの使命なのではないだろうか。次のミュージアム・サミットは2016年の予定である。どんなテーマが選ばれ、誰が基調講演を行うか、今から気になって仕方がない。

(了)