第2回 岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トーク・イベント
第2回 岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トーク・イベント
3月1日に『アグロスパシア』で公開した「岩渕潤子×村上憲郎×津田大介×玉置泰紀 『ヴァティカンの正体』刊行記念トークライブ速報」に続いて、その内容を3回にわけて少し詳しく紹介します。
一般的にヴァティカンというと宗教やアートのイメージが強いですが、本書ではヴァティカンを「究極のグローバル・メディア」と位置付けていることから、今回のトークイベントではグローバル企業Google日本法人、元・代表取締役の村上憲郎氏、ジャーナリストの津田大介氏をゲストにお迎えして、『関西ウォーカー』編集長の玉置泰紀氏の司会によって進行されました。著者は本ウェブ媒体AGROSPACIAの編集長で青山学院大学の客員教授でもある岩渕潤子氏。会場は下北沢のビールが飲める書店、B&B(Book&Beer)で、この4名による豪華な顔ぶれでのトークイベントとなりました。
■小さな街ヴァティカンの底知れぬ影響力
この本には学術的な話や文化・芸術の話が密度濃く書かれているが、『ゴッドファーザーIII』についてのところだけ、『実話ナックルズ(ミリオン出版から出ている実話誌)』みたいなダイナミズムがあった…と津田氏は笑いながら話した。
フランシス・コッポラ監督の映画『ゴッドファザーIII』に教皇暗殺のシーンが描かれているのだが、実際のところ、ヴァティカン銀行の改革に取り組むと宣言したヨハネ・パウロI世は就任してわずか33日で亡くなってしまったという事実があり、謀殺説が直後から噂されたが、それが映画『ゴッドファーザーIII』の中で、「きっとこうだったに違いない」というカタチでリアルに映像化されていた。かなり後になって、教皇の死と直接つながるものではないが、ヴァティカン銀行と取引のあった金融機関のトップの殺害に関してマフィアの大物が捕まったりもして、「やっぱり映画の内容は、ほぼ事実だったのではないか」と思わせるニュース報道がいくつもあった。ヴァティカンとマフィアが一部つながっているといった俗説は珍しくなく、「ノンフィクション」とされる本も多数出ており、正直、こうした話にどこまで触れるかについては悩んだのだが、映画が好きとしては『ゴッドファザーIII』を無視するわけにはいかなかった…と岩渕氏は述べた。
映画になってヒットした『ダ・ヴィンチ・コード』や『天使と悪魔』など、ダン・ブラウンの著作のおどろおどろしい印象が強かったので、その後にヴァティカンについて書くとしたら、陰謀説的なエピソードに触れない訳にはいかないということもあったのですかという村上氏の質問に対して、岩渕氏は「期待に応えなくてはという思いは若干ありました」と答えた。ダン・ブラウンの新作『インフェルノ』もきっと映画化されるだろうから、それを見る前の予備知識として読んでいただいたら、映画をもっと楽しめると思うと岩渕氏。
津田氏はこの本を「クリエイターにも読んでもらいたい。いろんな想像力をかき立てる本だと思うので、様々な分野のクリエイターに読んでもらうことによって、エピソードを自分なりのモチーフにしてお話をつくってもいいのではないか」と述べた。
■学生運動
学生時代、フィレンツェに住んでいた岩渕氏は、当時、家が近所だった小説家の塩野七生さん宅でよくご飯をご馳走になっていて、その時に聞いた話として、良家の子弟が左翼系の活動家となって社会運動に走り、紆余曲折を経た後、現在は、高級レストランを経営している人が多いという話を紹介。「歴史ある名家に育った子息たちが、美食という一番わかりやすい五感の悦楽の追求に回帰していったのが面白い。有産階級の若者が、純粋な気持ちから社会運動に身を投じ、でも最終的にはピンとこなくて、極端に貴族的耽美主義に回帰していくというダイナミズムは興味深いと思う」と語った。
玉置氏は、「映画監督のルキノ・ヴィスコンティは正にその通りなので実に面白い。特に『家族の肖像』はイタリア独特のねじれを感じますよね」と同意する。
「ヴィスコンティの映画『山猫』では、歴史あるシチリアの名門貴族が没落しつつあり、その家の当主が成金を蔑むような描写をする一方で、跡継ぎと目する自分の甥をその成金の娘と結婚させるという判断をしていて、生きるための割り切り方が見事だと思った。ヴァティカンも、生き残るためには躊躇せずに新しい血を入れ、自らの過去の価値観を否定してでも生き残るという選択をしてきたので、『山猫』と重なる部分が多くある」と、岩渕氏は分析。
「ヴァティカンは神聖ローマ帝国の時代から広大な教皇領を持っていて、近代イタリアが国として統一される際にすべて奪われてしまっていたら、今のヴァティカンはないわけで、領土を奪われまいとするヴァティカン側の駆け引きの能力はすごかったということですよね」と、玉置氏。
「細胞でもストレスを加えられた方が進化を速め、より強くなることがあるように、ヴァティカンは絶えずひどい目にあってきたらからこそ、その都度進化して生き残ってきていて、日本であれば、京都についても同じことが言えるのではないか」と、岩渕氏は指摘した。
「この本を読んで、天皇陛下が京都に戻れば皇室の価値が最大化するのではないかと思いました」と話す津田氏に対して、「皇室の歴史を、その正しい流れに最接続して元に戻すといったら、京都以外ないだろう」と岩渕氏は応えた。
一方、村上氏は、「日本の学生運動は田舎者が中心メンバーだった。上京して高度成長期のまっただ中の東京で、その間にある相容れなさをぶちまけたようなところがある。テロリズムになったこともあるにはあったが、少なくとも学生と日本のお巡りさんとのちゃんばらは、命の取り合いはしない前提があった上でしていた。イタリアの過激派のようなものとは違う背景を持っていたということも付け加えておきます」と述べた。
これに引き続いて津田氏は、「私の父はまさに学生運動時代の人で、革命を夢見て活動をするも夢破れて大抵の人は就職活動をしたわけですが、父に学生運動って結局どうだったのと聞いた時に、学生の七割ぐらいは学生運動に参加してはいたけれど、本当に社会革命を実現できると思っていたのは全体の一割…二割はいなかったのではないのかと話していた」と、付け加えた。
「ローマ・カトリックは組織論、あるいは戦略として動いているという部分がありますよね」と、玉置氏。
「組織が意思を持って動いているようなところがヴァティカンやアメリカ合衆国、あるいは、ローマ帝国の面白いところだと思う。誰かが一人で作ったものではないし、組織は、ある種、独自の生命体として有機的に動いていて、あるときぱったり駄目になるということが起きるわけだけれども、組織として2000年以上頑張っているヴァティカンという存在はとても面白い。アメリカ合衆国も将来の歴史家が研究する対象としてすごく魅力的なはずだと思う。滅びない組織の条件はいろいろあるが、ローマ帝国、ヴァティカン、アメリカ合衆国のいずれも、絶えず変わることに寛容であることが共通項であるように思う」と、岩渕氏は話す。
「この本を一言でいうとしたらサステナビリティをテーマに書いているのかなと思いました」と津田氏。それに対して、「そうですね、サステナビリティとイノベーションですね」と応える岩渕氏。
「意外とみんなサステナビリティというのは変わらないことだと思っているけれど、むしろ逆で、それは変わり続けることであり、この本の第4章で日本は何を学ぶべきなのかというところにつながってきている。実は、日本ほどサステナビリティに優れた国はない。一番わかりやすいのは会社で、日本で最初にできた会社は飛鳥時代からあるというような話もあるし、創業200年以上の会社が200社以上もある。そしてサステナビリティに関して一番面白いなと思ったのは、20年に一度側(がわ)だけ残して中身は全部新しく変えるという伊勢神宮の式年遷宮だと思う。日本とヴァティカンで違うのは、外の力(人材)を入れられなかったところにあり、この本で指摘しているヴァティカンの凄さの半分は十分持っているのだけれど、まだ半分が足りないのではないのか」と、津田氏。
「日本は生き残るための資質や技術を持っているのだと思う。奈良時代や飛鳥時代には、渡来人がたくさん訪れて普通に交流していて、海外発のシステムをあたかも自分が発明したものであったかのように使いこなしていたのだけれど、明治以降日本はだんだん硬直化してきて、『西洋式』にばかりこだわってしまっているのではないか」と、岩渕氏は語った。
「式年遷宮でいうと、伊勢神宮を立てかえるための森も維持され、米なども含め、自給自足できるようになっていて、小さいエコシステムが成立していますね」と、玉置氏は話す。
■日本がヴァティカン化するには
「日本の都市でヴァティカン化できるのは東京しかないと思うのですが、東京がヴァティカン化するとしたら何がコアになると思いますか?」という津田氏の問いに、岩渕氏は「やっぱり人…人でしょうね」と即答した。
「日米でベンチャーのスタートアップの投資のしかたの違いを見ていて、その差を強く感じわけですが、日本では個人が個人に投資しないですよね。合議性でなんでも決める傾向が戦後強くなり、組織として組織には投資するのだけれど、個人が個人の才能に投資するということが少ない。日本再生の切り札は優れた人を東京に集めてきて、その人たちにお金をかけるしか方法がないのでは…」と、岩渕氏は語る。
「これはアメリカにかなわないなと思ったエピソードとして、日本で民主党がぼろ負けした時、落選した若い代議士が続出したわけですが、アメリカの財団が彼らのためにお金を出して勉強させたのです。言うことを聞けというわけではないのでしょうけれど、そういう機会を与えてもらった人たちは、将来、アメリカに敵対しないですよね」と、津田氏はいう。
「そういうところはヴァティカンがやっていることと似ているし、イエズス会にも繋がっているのですよね」と、玉置氏。
「フリーメーソンも本当にあるのですよね」と、岩渕氏が言うと、津田氏が東北に取材に行った時、「全国の皆さんありがとう、自衛隊の皆さんありがとうと書かれている流れでフリーメーソンありがとう」と、書いてあったという話も。
個人への投資が日本ではなぜできないのかという点については、「明治の頃の実業家は、アメリカやヨーロッパの知識人や富豪たちと交流も実際にあり、同じような考え方、行動様式が共有されていた。日本では第二次大戦後に財閥解体があって、彼らが世界から切り離されてしまった。それ以後、日本は変わってしまったのかもしれません。将来世界の役に立つと思う人にはアメリカは惜しみなくお金を払うし、アメリカのためだけに役に立つからというような狭量な発想ではないと感じる。しかし一方で、将来有望な人を厚遇しておくとリターンも大きいということは、きちんと認識されているのではないでしょうか」と、岩渕氏は述べた。
これに対し村上氏は、「アメリカの良さは自生的秩序であり、計画して物事を運ぶと抑圧の構造を最終的に生むということをよく心得ている。優秀な頭脳を持っていてお金がなさそうな人には教育の機会を与えればいいのではないか。その先、スティーブ・ジョブスのような人物にならないとしても、そういう人だけがヒーローではないというふうに考えている。あわよくばという考えが先にあって目をかけて育てるのではなく、目の前にある才能を埋もらせてしまってはいけないというだけのこと」であるという意見だった。
「日本社会は公共性のある活動の理解に乏しく、日本で公共のために何かやっていたら、その行動の裏には何かしら私的な目的があるに違いないという風に思われることと繋がっているように思う」と、津田氏。
村上氏は、「私がハイエクから学んだことからいうと、自分を中心として同心円の私利私欲を拡大して生き抜くことは悪い事ではなく、部分最適なのか全体最適なのかわからないが、最終的に自生的秩序という形で落ち着くということだ。それを世界資本主義打倒などと言い出すと間違ってしまう」と、コメント。
「アメリカの美術館や図書館は、私立であってもパブリック(公共の)と呼ばれることがしばしばあるが、日本人はそれをなかなか理解できないようだ。ニューヨーク市にあるパブリック・ライブラリーは、日本の新聞などでも間違えられて『ニューヨーク市立図書館』などと訳されているのを見かけるが、本当は三つの私立財団が図書館を運営しており、法人としては私立なのだ。アメリカにおけるパブリックは『私たちの物』という認識だが、日本ではパブリック=公立、即ち、お上が税金で建てたものという理解でしかないように見える」と、岩渕氏。
アメリカでは戦争の際、間違った戦略によって高額の空母が沈没した場合、国が納税者である国民に損害を与えたことが問題視され、訴訟になるという。「なんでもお国のためにと納得して沈黙する日本とは全く発想が違う」と、玉置氏。
村上氏は、「日銀・・・日本銀行は当然パブリックなものですが、アメリカの連邦準備銀行は私立です。また電電公社は25年前にNTTになったわけですが、民営化をprivatizationと訳したので、privately ownedの会社になるのかと勘違いされた。つまり、上場の事はIPO = Initial Public Offerings ということだから、今まで私的だったものが皆さんのものになるという意味だったのですが、アメリカ人にしてみると、日本人の持つ公共、私的というイメージがずれている気がするかもしれませんね」と、述べた。
(続く)