2014/03/10 12:00

サンフランシスコのBi-Rite Market
—食を通じたコミュニティづくりという考え方

Photo: 道向かいから見たバイ・ライト・マーケット Ⓒ Junko Iwabuchi

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

 地元で取れる豊富な魚介類、野菜、果物、ナッツ類、世界的に高い評価を受けているワインなど、新鮮な食材に恵まれたカリフォルニア州のサンフランシスコと周辺のベイ・エリア。もともと風光明媚で、過ごしやすい気候であることから、観光地としても人気が高いが、近年はシリコン・バレーの成功者たちがどんどん市内に流入してきて、IT系企業そのものも本社をサンフランシスコ市内に移転する動きが活発化している。そのため、不動産価格の高騰は止まるところを知らず、新しいことにいつも前向きで、健康に良いということは何でもやってみようという若い富裕層へ向けて、新しいレストランや有機食材を売る店が驚くべき勢いで増え続けている。ベイ・エリアの飲食業界関係者発で、グルメを追求するガストロノミーと経済のエコノミーをかけ合わせた「ガストロコノミー(gastronomy + economy = gastroconomy)」という新しい概念が生まれたほどだ。

Photo:店内で買い物をする飼主を待つ犬
Ⓒ Junko Iwabuchi

  ベイ・エリアの食の最前線は「安いが一番」ではなく、「高品質」と「安全」の追求、それに、良質な商品を市場に供給する「生産者のサステナビリティー」を担保することにある。こうした哲学を掲げる店に行ってみると、手間暇をかけた食材を消費者と生産者が共に社会的責任を果たして維持すべき適切な価格設定が重視されているため、長年のデフレに慣れきった日本人にしてみると、商品価格の高さには驚かされることだろう。端的に言ってしまうと、所得に余裕のある人たちが買いものをする食材店の肉や野菜、魚は、ワーキング・クラスが利用する大手スーパ—マーケットの価格とは並外れて高く設定されているのだ。日本でいうなら、デパ地下風の調理済み食材を売っているデリのショーケースでは「鮭のフィレのグリル、シトラス・マンゴーソース添え」一切れが約10ドル(1000円以上!)という値段がついており、筆者も、正直、驚きを隠せなかった。

 今回は、話題の再開発地域(注目されて、家賃が急激に上昇しつつあるエリアという意味でもある)として、可愛らしい店舗が次第に増えてきているディヴィサデロ (Divisadero) ・ストリートにあるBi-Rite Market(バイ・ライト・マーケット)2号店を見に行ってきたのだが、前述の鮭もさることながら、生産者の名前を大きく表示してある「素性の明確」なモッツァレラほか、各種の新鮮なチーズや野菜、果物、どっしりした瓶に入って、手作りのラベルが貼られたジャムやシロップなど、どれもこれも価格は「え?」と思って、棚に戻してしまうほどに高かった。

Photo:1切れが10ドル以上もした鮭のグリルのシトラス・マンゴー・ソース添え
Ⓒ Junko Iwabuchi

 それもそのはずで、Bi-Rite Marketは単に食材を売る小売店という存在ではなく、”Creating Community through Food=食を通じたコミュニティづくり”をミッションとして掲げ、子供たちには「正しい食事は健康の基礎であること」や、毎日の食材がどこから来るのかについて、また、一般消費者のオトナに向けては、食材の「正しい選択」がいかに地球環境の保全に貢献するかなどについて、専門家によるレクチャーやワークショップを地元のNPOと共に行っている。そして、食に関するビジネスを通じて雇用を創出し、スタッフとして雇用した若者たちに食のプロとしての最新の知識や経験を身につけさせ、自立させることで、経済だけでなく、社会福祉や地域の安定にも積極的に貢献しているのだ。Bi-Rite Marketは地元の食材を提供する小売店であると同時に、食を通じた教育やコミュニティ活動の拠点として、地域を繋ぐ重要な役割を担っているので、そこで高めに設定された価格を支払って買い物することは、Bi-Rite Marketの活動ミッションを支持することの表明にほかならない。

 何年か前にイタリア、コモ湖のヴィラ・デステに宿泊した際、その法外とも思える一泊ぶんの料金設定には「ホテルが閉鎖されている冬季期間の従業員の給料と建物の維持・修繕費」が上乗せされており、「文化財に泊まらせてもらっている」と思えば腹も立たない…と、みずから納得したことがあった。同じように、ここ数年のベイ・エリアのファーマーズ・マーケットの大繁盛、そして、今回のBi-Rite Marketのウェブやチラシに謳われている、たいそうなミッションと価格設定を見ていたら、「ちゃんとした食材を扱って商品として売り、しかも、正しい知識を持った従業員の雇用を担保するには、これくらいの価格設定にしないとやっていけないのだろう。これはある意味、コミュニティを維持するための文化的活動の一種なのだ」と、解釈するに至った。

 ベイ・エリアの場合は、相当に高い商品であっても「社会貢献」であることを自覚して、みずから、そういう店を選んで買い物をする富裕層が存在しているからそれでうまく回っていくことだろうが、逆に、低価格の追求だけが目的化しているような日本の状況を目の当たりにすると、「これで雇用を維持していくのは難しいだろう」と考えざるを得ない。
 日本では、高級食材売り場で「お料理教室」的なワークショップを開催しているのを目にする機会は増えたが、日本の農業、食材流通の未来を思うと、課題は大きく、いつまでも「本当はもっとコストがかかっている」という現実から、目を背けてはいられないのではないかと強く感じた。「生産者や従業員の生活を守るためにはある程度の価格の維持が必要」だということを自覚し、食の安全を守るためには自分たちも金銭的な負担をしなくてはならないという考えを共有することができる消費者が日本にどれだけいるだろうか?