見供 瞳 (みとも・ひとみ)
現在、国際文化系のゼミに所属していることもあり、海外の文化をはじめ、航空業界について、海外協力、映画、小説などに興味関心があります。本ラボでは、自分自身が興味のあることや自分の糧になることを主体的に行っていきたいと思っています。また、ほかのラボ生とも協力し、時には切磋琢磨し、高め合いながら努力したいです。
将来の希望としては、異文化や海外の人と触れ合うことができるような職業につきたいと思っています。また、関心のある学問についてより深く学ぶため、大学院への進学も視野に入れています。
第4回 LGBTってなんだろう?
ジャーナリスト:北丸雄二さん in 青学BBラボ
第4回 LGBTってなんだろう?
ジャーナリスト:北丸雄二さん in 青学BBラボ
キャンパスの桜がもう少しで見頃という2014年4月2日の午後、ジャーナリストの北丸雄二さんが青学BBラボを訪問し、ラボの学生たちに向けて「LGBTについて知っておくべき基礎的なこと」について講演して下さった。
北丸さんは長い記者生活の後、現在はNYと東京を拠点に、独特の切り口からLGBTについて積極的に発言をしているジャーナリストで、著述活動や日本のラジオ番組でも活躍している。日頃、北丸さんのtwitterの呟きや記事などを拝見させていただいていて、正直、「とっつきにくそう」というイメージを持っていたのだが、彼が部屋に入ってきて一言話したときから、その印象は変わった。
彼は席に着くやいなや、まず、私たちに次の問いを投げかけた。
「今までの人生の中で、周りにLGBTの友だちがいたという人はいるかな?」
これに対して、ほとんどの学生は手を上げなかった。この状況を目にした彼は、冗談っぽい笑顔で、「手が挙がらなかった人はね、その程度の人間だと思われていたということです。打ち明けられる相手だとは思われなかったんだよね、きっと・・・」と言った。
統計データによると、10人に1人はLGBTが存在していることになる。実際には、統計データ以外にカムアウトしていない人を含めると、日本の場合、全人口の10〜15%がLGBTということになるらしい。だから、10人の友人がいれば、必ず、自分の親しい人にもLGBTがいるはず・・・というわけだ。
北丸さんは、その話の後、日本において1990年代に初めてLGBTについて考える一回目の社会的な盛り上がりがあったが、積極的に発言していたのは女性の記者ばかりで、人権など社会的な文脈ではなく、文学や映画の中におけるLGBTについて取りあげるケースが多く、文化的なアプローチに終始していたように思うと指摘した。それが、昨年、合衆国の多くの州で、また、フランスなどで同性婚が法制化され、オバマ大統領をはじめ、世界に大きな影響力を持つ人たちからLGBTの権利を擁護する発言が相次いだことから、ようやく日本のメディアの男性記者たちも、LGBTを重要なテーマとして取りあげるように変化の兆しが見えるという。実際、今年に入って以後、新聞やネットのニュースでLGBTに関する記事を見ない日はないぐらいだ。
それから、米国でLGBTの権利を主張するきっかけとなったNYの『ストーン・ウォール事件』など、日本の学生が日頃、触れる機会のないLGBTの歴史を俯瞰するお話、また、現在の日本社会におけるテレビでのLGBTキャラクターの表現については、求められるイメージのままに「おねえキャラを演じている」ことについて疑問を投げかけた。というのも、実際のLGBTの方たち・・・身の回りにいる10人の友人たちの中の一人は、TVに出てくるキャラクターと同じであるはずがないということである。
さらに「日本の芸能界は、歌舞伎などに見られるように、男が女を演じることに抵抗は元々薄く、日本の場合、男と女の見た目の性差は少なかった」と、北丸さんは語った。そのことから「日本では、性差についての教育が抜け落ちているのかもしれない」ということを指摘された。
お話は、江戸時代から明治時代にかけての日本における男色文化、特に、時代によって変化する言葉についても及んだ。「昔は<硬派の男>という言葉は『男と関係を持つ』という意味だったのだが、今では<硬派の男>という言葉は『信念を強く持った一途な男』という意味合いで使われている。
一方、この<硬派>と対義語のように使われる表現の一つとして<軟派>という言葉がある。昔の人々は<軟派>を『女性と関係を持つことを好む』という意味で使ったが、今では「軟弱な男」という意味合いで用いられたり、女性を誘うことそのものを「ナンパ」と称していると、北丸さんは指摘した。
日本はLGBTに関して比較的寛容な社会であると思われているが、一方、それについて書くことで、自分がそうではないかと思われることに、特に男性の間での抵抗が強かったため、一部の作家を除いて、ジャーナリストらはLGBTについて公に書くことを避けてきたという。しかし、今日では新聞や雑誌でもLGBTに関する情報が増えてきている。このことに関して彼は、若いジャーナリストたちは、今の若者全体がそうであるように、LGBTに対しての抵抗が薄くなってきており、社会自体も、多様性に寛容な方向へと変化しつつあるのではないかと述べた。
最後に北丸さんは、日本のLGBTが抱えている政治的課題は“人権・市民権・社会的保証・社会権”であるとして、社会が変われば「今まで否定してきた人のほうがやがては少数派になるだろう」と締めくくった。
この言葉には、私たち若者だから出来ること、しなければならないことや、日本の社会が発展を続けるため、誰もが住みやすい社会環境を作るためにも、自分たちが色々なことに関心を持ち、それを言葉にして、行動を起こしていくことが重要であるというメッセージが込められていると感じた。
今回のレクチャーでは、今の自分を見つめ直す機会を与えられたような気がする。特に印象深かったことは、北丸さんが最初に指摘した「LGBTの友だちが身の回りにいるかと尋ねられて、手が挙がらなかった人は、その程度の人間だと思われている」という言葉である。10人に1人はLGBTとされている社会の中で、今まで生きてきた20年間で、私はカミングアウトをされるに値しない人間だったということを初めて気づかされた。この言葉によって、今まで自分が、いかに自分を取り巻く環境に無関心であったか、何もしてこなかったということを考えさせられた。
LGBT問題だけでなく、社会に対して、私自身を含め、多くの日本の若者は関心が薄いように思える。自分だけしか見えておらず、「自分が動かなくても誰かがやってくれる。」と思いがちではないだろうか。自分を取り巻く環境に関心を向けてこそ、初めて多くのことが見えてくる。周りを見渡し、自らが積極的に考え、行動することこそが大切なのだと感じた。
最後に、お忙しい中、私たちにLGBTを始めとして、日本社会が抱える問題について、また、学生・若者に出来ることを分かりやすく話してくださった北丸雄二さんに心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。