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シリコンバレーの一般家庭の庭先につくられた菜園

最近のシリコンバレーで静かに盛り上がっていることとは?

Photo: シリコンバレーの一般家庭の庭先につくられた菜園 Ⓒ Jay Yamamoto

最近のシリコンバレーで静かに盛り上がっていることとは?

by ジェイ・ヤマモト

 1987年から主にカリフォルニア北部で暮らしているジェイ・ヤマモトさん。本業はシリコンバレーのエンジニアですが、大学時代は農業や生理学を専攻していたこともあって、農作物や釣りについての情報・知識が豊富で、自身でもアウトドアを大いに満喫しておられます。『AGROSPACIA』では新たに、ヤマモトさんが目にした北米での農業を含むアウトドア・トレンドについてのコラムをお願いすることになりました。

 第一回目は、サンフランシスコ・ベイエリアでちょっとした流行となっている「家庭菜園」というには本格的過ぎる「アーバン・ファーミング=都市型農業」についてです。

Photo: 元気に走り回る鶏たちも…
Ⓒ Jay Yamamoto

 
■ 最近のシリコンバレーで静かに盛り上がっている農業

 この10数年の間、家族ぐるみでつきあっている友人がいる。シリコンバレーの山の手といったロスガトス郊外の丘の上に4エーカー以上の土地付きの家を借りている。元々はフランス出身なのだが、勤めていた会社が米企業に買収され、こちらで働く様になったのがきっかけで知り合いになった。知り合った当初はそれほど有機栽培や農作業などにそれほど関心は無かったようだが、乾燥地とはいえ広い土地があるので有効に使おうと、勉強好きが嵩じて実践を始めた。まずはトマトの栽培からはじまった家庭菜園は果実も含めてどんどん拡張し、今ではちょっとした農家状態となっている。野菜や果物の次には鶏を飼う事を計画し、最初は2匹のひよこから始めたが、こちらもどんどん拡張して現在では20羽以上を主寝室くらいの広さの鶏舎で飼育している。さらにうさぎを飼ってみたりもしたのだが、こちらは山間部ということもあって、野生動物にやられてしまった。

 彼の家は広さという点では、確かに日本とは違いがありすぎるかもしれない。とはいえ、現在 シリコンバレーでは、彼らのように何らかの家庭菜園を持ち、鶏を飼うことを実践している家族が大変な勢いで増えているのだ。上述したような郊外の山間部の市だけではなく、グーグルが本社キャンパスを構えるマウンテン・ヴュー市では、ある程度の広さのある家であれば、雌鳥だけではあるが4羽までなら届け出なく飼うことが許されて(雄鶏はやはりうるさいためか認められていない)いる。鶏を飼っている人たちどうしでの集会や情報交換会も盛んだ。シリコンバレーという土地柄から、一般的には「ハイテク一辺倒」と思われがちな印象からすると、真反対のことが起きているのである。

■ 家で鶏を飼い始めた理由

 最初に紹介した私の友人は根っからのエンジニアで、元々の経験や素養としての農業知識は一切持っていなかった。インターネットでの検索や、集会で得られた知識を実践しているのだ。集会に参加している他の人たちもほぼ同様で、ある意味農業従事者としては全くの素人ばかりである。では、なぜそのような無縁に近いようなことにわざわざ関心を持って実践しているのだろうか? 彼らが異口同音に指摘するのは、食への関心と子供への教育としての経験だ。大抵の家族は子供が学童期にあり、学校でいろいろなことを学んではくるのだが、どうしても食に関しての教育は難しいらしい。どうやって野菜や肉、魚等が食卓にあがってくるのか、それらをどうやって調理するのか、そしてそれが自分の体にどう影響があるのかを大人の視点でなく、子供のうちから経験として覚え、実践してほしいと考えている親が多いのである。

 私の友人は単に鶏に餌をやって卵を採るだけでなく、糞を肥料に使うことや、果てはさばいて食べるということも子供達に教え、実際にやらせている。残酷との印象もあるが、結局、誰かがそれを代わりにやっているだけで、知らずに食べる訳にはいかないという考えである。最近は、家ではやりにくい個人や家族向けの専門業者も出てきて、業者に送ればさばいて肉として加工もしてくれるサービスもあるらしい。つまり、それほどの需要がすでにあるということだ。

■ 全米で家庭菜園、養鶏が流行っている

 家庭菜園や養鶏といった食に関する関心は、今に始まった事ではない。早くはマーサ・スチュワート、最近では大統領夫人のミシェル・オバマもTV番組に出演して、食とそれに付随するいろいろな家事を教育の一環として実地して体験させ、ひいては親をも教育するという運動を行っている。複数の雑誌も定期刊行物として出始めているし、特集号として養鶏を扱う記事も増えてきた。どちらかというと、今まで農業とは無縁だった人たちが積極的に家庭菜園という都市型農業に注目し始め、外食産業も地元のファーマーズ・マーケットからの食材を積極的に取り入れ始めている。いまや、食への関心が高いということは単に「おしゃれ」というだけでなく、教養の一部となり始めているのだ。それだけに普段食品を購入する店舗も選ぶようになり、同時に食材を提供する市場側もそれに対応すべく、有機栽培野菜や減農薬をうたう商品を並べている。しかし、それだけでは満足できない人たちが直接みずからの手で野菜を育て、鶏を育てるということを始めているのだ。

 面白い例がある。ウィリアムズ・ソノマというサンフランシスコでも一等地のユニオン・スクエアに本店を構える調理器具や食器等を扱う高所得者向けの店がある。店内では所狭しと鍋から包丁、果ては炊飯器、スパイスにいたるまで、ほとんどのキッチン・ガジェットと呼ばれる商品を扱っている。実はこの店のオンライン・ショップでは養鶏用のケージ(鶏舎)も販売しているのだ。一点、$1,000以上する物もある。店内では展示できないから、さすがに現物は置いていないが、注文すると「キット」の形で届き、一日あれば庭に豪華な養鶏舎が設置できるパッケージとなっている。同様に家庭菜園用の盛り土用木枠や腐葉土を作るためのキットなども取り揃えている。自前の日曜大工でこうしたものを作れない「不器用」な顧客の要求に応えるために、お手軽なキットが取り揃えてある。もちろん凝り性な人たちは完全に自前で作成して設置するのだが…。

■ 単にオーガニック製品を消費するという生活とはまた違う新しい波

 最近までオーガニック食品というと価格的に高いというだけでなく、工業加工製品に対する、ある種の敵対メッセージを発するような印象があった。有機栽培野菜を求めて共同体を作り、栽培農家を限定して生産してもらい、それを購入するやりかたがメインだった。もちろん、そうした「オーガニック」のサービスは、ここシリコンバレーにおいてもまだまだ健在である。前出の私の友人も、以前はそういった定期購買形式の野菜を購入していた。だが、結局、求めているものと違ったり、子供の好き嫌いなどで、せっかくの食べ物を無駄にすることが多かったという。そうした試行錯誤を経た人たちが取り組むのは、他人まかせにあきたらず、自ら実践して、納得した上で手を広げるというやり方でのアーバン・ファーミングだ。これだと一方的に送りつけられて困るかわりに自分が納得する方法で食品を入手でき、おまけに集会などで余剰生産物を物々交換できる。ちょっと考えてみれば、これは現代における原始社会の復活のような話でもある。

PROFILE

Jay Yamamoto(ジェイ・ヤマモト)

日本生まれ。1987年よりカリフォルニアに渡って以降、多少出入りはあったものの、結局そのまま居着く事に。大学では農業から転向して生理学を専攻したが、選んだ仕事は印刷や出版、画像関連のエンジニアという真反対な分野等を渡り歩き、現在はUI/UX Designとl18nの融合的な分野を中心に活動中。

学生時代には車でコンチネンタルUS全土を走破してみたり、釣りでシエラ山中を歩いたりと、のめり込むと深堀するので趣味は多岐に渡るが、基本的にはアウトドア派な酒呑み。

30代女性をターゲットとしたELLIFEの店舗

第8回 中国は世界への扉
上海で元気に働くビジネスウーマン: 田中 美弥さん

Photo:30代女性をターゲットとしたELLIFEの店舗 ⒸMiya Tanaka

第8回 中国は世界への扉
上海で元気に働くビジネスウーマン: 田中 美弥さん

by 深水 エリナ(ふかみ・えりな)/ 析得思(上海)商務諮詢有限公司 総経理

アグロスパシア株式会社は「私たちは社会にイノベーションを起こすエンジンだ!」を合言葉に、従来の「ベンチャー」の概念では定義の難しいニッチなテーマ、次世紀のライフ・スタイル研究、地球以外の惑星で生きてゆくために宇宙で必要となる技術…などを取り上げ、そこに関連する人と情報のアグリゲーションを目ざしています。

深水エリナさんは、自身も上海でマーケティング&セールス・コンサルティングを専門とする会社を立ち上げて活躍中ですが、『AGROSPACIA』では深水さんの協力を得て、上海を中心にアジアでダイナミックにビジネスを展開する人たちをご紹介するインタヴューのシリーズを連載しています。

今回の第8回目では田中美弥さんが登場。ヤマトインターナショナル株式会社のブランド、“AMBER” や “Switch Motion” のデザイナーを務め、株式会社プレールにてファッション業界のコンサルティングに携わったのち、2011年3月に同社中国事業立ち上げのため上海へ。2012年3月より、株式会社シークインターナショナルの上海子会社粹郁(上海)時装商貿有限公司の副総経理となり、中国で30代女性をターゲットとした “ELLIFE” の店舗開発や店舗管理、販売員の教育などを行っている、これからの活躍が期待されるお一人です。

Photo:3月にオープンした丸久商店@宋園路99号
ⒸMiya Tanaka

深水:田中さんが来た2011年は日中関係もあまりよくなかったと思うのですが、上海に来る抵抗はありませんでしたか?

田中:全くありませんでした(笑)。というのも私の父も私が小さい頃から仕事で中国によく行っていて、中国の話を良くしてもらっていたからということもあると思います。あと、家の中にも父が買ってきた中国からの骨董品がたくさんあり、気づいたら回りに中国文化が存在していたという感じでしょうか。そんな環境で育ったので、自然といつかは中国に関わりたいと思っていました。まさか自分が駐在で上海に来るとは思っていませんでしたけど。

深水:もともとファッションに興味があったのですか?

田中:私は背が高いことも合って、既製服ではサイズも合わないし、キレイに着られません。そんなことをとてもコンプレックスに感じていました。だったら自分が洋服を作ればいいんだ!ということに気づきました。そこからファッション業界に興味を持ち、アパレル会社に就職し、キャリアブランドやカジュアルブランドのデザイナーとして5年ほど洋服のデザインをしていました。

そのあと、パリコレなどのコレクションのトレンド分析やショップリサーチなど、アパレル会社のマーケティングサポートを行っている会社に転職をしました。上海に来たのもこちらの会社の上海進出に合わせ、駐在として来たのがきっかけです。この時立ち上げた中国法人は日本、中国、台湾の合同会社だったのですが、なかなかうまくコラボすることが出来ず、残念ながら1年で日本に戻ることになってしまいました。ただ私はまだ上海に残って、もう少しこの市場をみたいと思い、今の会社に転職を決めました。

深水:今の会社では30代の女性に向けたブランドを展開しているとか。30代の女性をターゲットにしている服は中国で珍しいですよね。

田中:はい。“ELLIFE”という30代の女性をターゲットとしたブランドを展開しています。今までの中国には、10代や20代の若者を対象とした安くてトレンド感のあるファストファッションか伝統的な中国モチーフのおばさんっぽい服のどちらかに偏っており、ちょうど中間の年代の人が着られる服があまりなかったんです。“ELLIFE”はちょうど35歳くらいの子供のいるお母さんをメインターゲットと考えており、素材は麻、色はベージュなどアースカラーの休日にゆったりと着られる服を目指しています。

今は蘇州の久光百貨店ともう一店舗で直営店展開、上海ではISETANなどの百貨店の催事コーナーで販売をしています。弊社のスタッフもとても良くやってくれていますが、店舗に顔を出さないと店が崩れていたり、コーディネートがおかしかったりするので、週に1回は実際に店舗に行くようにしています。

深水:昨年ご結婚されましたよね、ライフスタイルは以前と変わりましたか?

田中:人生のパートナーに出会えたことはとても良かったと思っています。仕事をやめたわけではないので、大きな変化はないのですが、今年3月に主人が上海の虹橋エリアに飲食店をオープンしたので、仕事帰りにお店の手伝いをするようになりました。昼間の仕事もあるので、体力的にしんどいときもありますが、お客さんの反応を見ることができるのはとてもいいですね。ちなみにゴマだれが効いた餃子がオススメです!ぜひ遊びに来てくださいね。

深水:ぜひ遊びに行かせていただきます!今日はありがとうございました!

PROFILE

田中 美弥(Miya Tanaka)
粹郁(上海)時装商貿有限公司
副総経理

ヤマトインターナショナル株式会社のブランド、“AMBER” や “Switch Motion”のデザイナーを務め、株式会社プレールにてファッション業界のコンサルティングに携わる。2011年3月に同社中国事業立ち上げのため上海へ。アパレルの販路開拓や中国市場のリサーチ、ストリートスナップの撮影などを手がけたのち、2012年3月より株式会社シークインターナショナルの上海子会社粹郁(上海)時装商貿有限公司の副総経理に就任。中国で30代女性をターゲットとした “ELLIFE” の店舗開発や店舗管理、販売員の教育などを行っている。

http://www.seek-inter.co.jp/index.html

深水 エリナ(Erina Fukami)
析得思(上海)商務諮詢有限公司
総経理

アパマンショップホールディングス、中国・インドでマーケティングリサーチ&コンサルティングを行うインフォブリッジを経て、2013年アイザックマーケティンググループの析得思(上海)商務諮詢有限公司の総経理に。
中国市場で事業を行う日系企業に対し、データ分析(統計解析やデータマイニング、テキストマイニングなど)やデータを軸としたシステム開発、ビジネスインテリジェンスサービスを提供している。
2008年より上海在住。
http://cds-cn.com/
http://chinabzz.com/

チベットの玄関口、日月山(青海省)

第3回 アイザック・マーケティング株式会社
畠山正己代表取締役に聞く〜データ分析との出会いと変遷

Photo:チベットの玄関口、日月山(青海省) ⒸErina Fukami

第3回 アイザック・マーケティング株式会社
畠山正己代表取締役に聞く〜データ分析との出会いと変遷

昨今大量のデータを分析して市場開拓などに活かす「ビッグデータ」への関心から、そのバッググラウンドとなる統計学を「ビジネスに活かしたい」と考えるビジネスパーソンが増えています。今でこそデータの活用は当たり前のように叫ばれていますが、その実態をわかっている人は多くはありません。そこで、90年代よりデータや社内に蓄積されたデータに着目し、クライアントのビジネスインテリジェンスをサポートしてきたアイザック・マーケティング株式会社の代表取締役 畠山正己氏が「データ分析の変遷」について6回連載で語ります。今回は連載3回目です。

■顧客最大化あるいは利益最大化を目的とするDBマーケティング

その電話は、夜も9:00を過ぎようとした頃かかってきました。「私の会社の○×さんから、貴社が色々な顧客リストを持っていると聞いたんだけど…今年卒業見込みの高校生名簿ありますか?」という某代理店からの問い合わせでした。当時は、高校卒業見込み者(18歳)というのは最大のマーケティングターゲットと考えられていました。高校卒業時期はちょうど最もライフスタイルが変化する時期で、車の免許を取ったり、車を買えるようになったります。女性であればお化粧を始めるのもこの時期。あらゆる日本の企業がこの時期に、商品をアピールしようと考えていた時代でした。

そもそも、なぜデータ分析屋のうちがこのような重要なリストデータを持っていたかというと、まだ日本に進出間もない米国系金融機関のデータベースマーケティング(以下:DBマーケティング)についての業務を請け負っていたからなのです。当時DBマーケティングという手法はそれほど一般的ではなく、アメリカのリーダーズ・ダイジェストやTIMEといった雑誌社のDMを送る際に、レスポンスが良い最適なターゲットにアプローチするための手法として利用されていました。私達のクライアントにとっても郵便代の高い日本では、ターゲットを絞り込むために絶対に必要な概念でした。

当時そのクライアントが持っていたリストは380万件。その380万件の中から、6万件をランダムサンプリングし、実際にDMを発送してみると、レスポンスしてくるのは0.3%にも満たないものでした。
この結果をもとに、もとの6万件を半分に分け、片方の3万件でどんな属性の人が入会するかというモデルを作り、残りの3万件を実際の市場と捉え検証するという作業を行います。このような検証方法をクロスバリュエーションと呼びますが、DBマーケティングを運用する上で既に米国では一般的となっていました。クロスバリュエーションにより検証を行った結果、モデルと検証の誤差はたった0.5%。つまり実際の市場で行っても誤差は0.5%以内に収まると言う事を意味し、以前はアバウトの世界にいた私にとって非常に科学的根拠を持った新鮮なものでした。

米国では既にこの手法を用いたサービスすらあり「レスポンスレートの改善1%に対し、○○ドル」と言った商売もあったようです。DBマーケティングの目的はそもそも“利益の最大化”あるいは“顧客の最大化”という2つしかありませんでした。“利益の最大化”は良い客しか集めないので、顧客数は“顧客の最大化”に比べ少なくなります。“顧客の最大化”は損をしない範囲で何人集められるか?と言う事です。そもそも380万件すべてにDMを行っても反応してくる人というのは一定数しかいない。その中で最適なターゲットを、前述した2つの観点のどちらかを選択し最適な数を抽出することで、企業は無駄なコストを省くことができるのです。

こんなプロジェクトを経験していたので、リストの重要性を理解しコツコツと集めていたのです。このリストが数千万の売上につながり、会社は危機を脱したのです。

■見栄を貼って大失敗!

そんな中、徐々にDBマーケティングも一般的になり当社はどんなDBでも対応出来ます!というスタンスでいました。某旅行代理店から最新のDBを使いたい!ということで、ParadoxというDB管理ソフトを指定されたのですが、一回もそのDBを触ったことがなかった…それでも、なんとかなるだろうと思って受注しました。

しかし、想像以上に作業は難航し納期になっても入力画面すら出来てないような有り様で、これはだめだと思い使える人材を探しましたがそれもダメ。なぜなら、そのParadoxは日本初上陸であり、かつヴァージョン1.0のソフトだったんです。なんとかParadoxのDBが使える人材を雇い入れDB構築にあたりましたが、納期は予定よりも半年遅れ、クライアントからも大クレーム…。せっかく会社の危機を脱したのにまた大きな赤字を出してしまう・・・というちょっと反省しなければいけない出来事が起こったのもこの時期です。

(続く)

PROFILE

アイザック・マーケティング株式会社
代表取締役社長
畠山 正己(Masami Hatakeyama)

1979年、大手広告代理店㈱大広に入社。関東および東北の大手食品メーカーや通信業界の広告・マーケティングサポートに従事。その後、1989年にIBMグループの戦略情報システム導入支援を通じデータの世界へ。
1990年、アイザック・マーケティングの前身となる㈱ヒズコミュニケーションを設立。オペレーションズ・リサーチの概念を元に、クライアントの意思決定や戦略策定のためのシステム導入支援、またそれらを利用したサービスの提供を開始する。
1997年、より消費者インサイトを追求するため分社化し、アイザック・マーケティングを設立。
2009年、アイザックグループのグローバル化を推進するため、中国上海に活動拠点を移し、日系企業のマーケティング支援を行う。

シンポジウム:創造都市とグローバルエコノミー
—多様性豊かな社会を目指して(後編)

Photo:午後のパネルディスカッションの始まり ⒸKonomi Kageyama

シンポジウム:創造都市とグローバルエコノミー
—多様性豊かな社会を目指して(後編)

by 藤牧 望(ふじまき・のぞみ)& 中村 聡子(なかむら・さとこ)

 6月14日、青山学院大学本多記念国際会議場に於いて、『創造都市とグローバルエコノミー —多様性豊かな社会を目指して— 』と題するシンポジウムが開催された。主催は青山学院大学総合文化政策学部、並びに、同大学社学連携研究センター(SACRE)で、駐日アメリカ大使館、株式会社ラッシュジャパンによる助成、デルタ航空の協賛、また、青山BB (Beyond Borders) ラボ、学校法人インターナショナル・スクール・オブ・アジア軽井沢 (ISAK)、特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ、異業種交流会「土曜会」、牧野総合法律事務所弁護士法人、アグロスパシア株式会社などが、本シンポジウムの開催に協力した。

シンポジウムの主旨は、「2020年にオリンピック開催都市となる東京があらゆる人にとって暮らしやすく、訪問する人にとって快適で楽しい創造的な都市になるためには何をすべきか。LGBTのソーシャル・インクルージョンを含む、人権に配慮し、多様性豊かなコスモポリス東京という未来を描くためのシンポジウム」で、「21世紀の東京に望まれる多様性とは何か」について、様々な観点からの議論が行われた。今回は、当日午後のプログラムを中心に報告する。

Photo:ディスカッションに先駆けてプレゼンテーションを行う村上憲郎氏 Ⓒ Konomi Kageyama

 シンポジウムの午後の部は、グーグル日本・前会長の村上憲郎氏が登壇して幕を開けた。村上氏はグローバル人材の採用、及び、人事評価の基準について、「今の時代、候補者は日本にいる日本人だけではなく、世界を対象に優秀な人を探してくる時代。その人の能力と関係のないことは採用の基準として使えない。日本企業の競争力につながっていくような採用、人事評価の仕組みを考えなくてはならない」と、パネルディスカッションに先立つプレゼンテーションの中で述べた。

続いて、村上氏、KADOKAWAウォーカー情報局統括局長の玉置泰紀氏、特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ代表の村木真紀氏を迎えてパネルディスカッションが行われた。モデレーターは『アグロスパシア編集長』であり、青山BBラボの担当教員でもある岩渕潤子氏。

 まず、一般企業での勤務経験があり、ご自身がレズビアンであることをカムアウトしている村木氏から「自分の経験として、先ほどの村上氏のプレゼンは真逆の企業が日本には多いと感じる。例えば、今の日本で、自分のように、39歳で転職経験の5回ある女性が容易に再就職できるとは思えない」という指摘が出た。

Photo:パネリストとして発言する虹色ダイバーシティの村木代表 ⒸHaruna Watabe

 企業側の立場として、玉置氏からは「出版社には社員の仕事とジェンダーという問題がある。例えば、出版の仕事というのは、1か月の中の中でものすごく忙しい期間とそれほどではない時期があり、仕事量の浮き沈みが激しい。身体能力としての腕力といったことではないが、出版社特有の、ある種、過酷な環境で働けるのかという意味で、労働とジェンダー、家庭や家事と両立できるのかどうかを議論しなくてはならない。組織運営を円滑に続けていくにはどうしたら良いかということにどうしても焦点が行ってしまい、正直なところ、LGBTまで手が回っていないというのが、今の自分の会社の現状。ただ、もっと攻めの人事でそこに踏み込むことができたら、次のステップに進めるよう思う」と述べた。

これに対し村木氏からは、玉置氏が所属する出版社が発行する『関西ウォーカー』ではLGBTのグループのイベントを紹介するなど、LGBTのネットワーク作りにも一役買っているという指摘があり、また、日本ではBL(ボーイズ・ラブ)というジャンルが女性を中心に人気を集めており、歴史的にも同性愛に寛容な側面があるので、当事者だけでなく、文化的に関心があるという幅広い層の人たちをLGBTへの理解促進のために繋げられると良いのではという意見が出された。

このパネルディスカッションで何回も登場した言葉がアメリカだ。アメリカはLGBT先進国とされ、近年、多くの州で同性婚が認められるようにもなっている。学生時代を含め、長くアメリカで過ごした岩渕氏は「アメリカでは企業がLGBT市場に大きな関心を抱いており、一部で根強い排斥はあるものの、大統領を筆頭に、社会全体としてLGBTの受け入れに積極的であることをアピールしている。企業にしても、優秀な人であればどんなバックグラウンドのであっても採用するから、LGBTであるかどうかに関係なく、能力に基づいた合理的な人事が行われる」と述べた。同じくアメリカで勤務経験の長い村上氏は、「アメリカというのは、信仰の自由を求めた清教徒を含む人々が作った国。だから自由こそが大事であるという国家理念があって、その理念を遂行するために合理的な考えをするようになった。日本もただビジネス・チャンスだからとLGBTを押し出すのでは無く、彼らが自然に受け入れられる社会環境をきちんと着実に整えていかなくてはならない。アメリカでも一朝一夕でLGBTが受け入れられるようになったのではない。着実で地道な取り組みというのが今の環境を作っている」と述べた。

Photo:応募者の出身国を示すISAKの柳沢理事 ⒸHaruna Watabe

 次に、今回のシンポジウムのプログラム、締めくくりとして、多様化について先進的な取り組みを行っている企業や団体の事例紹介が行われた。プレゼンテーションを行ったのは、柳沢正和氏、レティ・アシュワース氏、高橋麻帆氏。モデレーターは青山BBラボ協力教員であり、駐日英国大使館広報部マーケティング・渉外マネージャーの佐野直哉氏。

柳沢正和氏は学校法人インターナショナル・スクール・オブ・アジア軽井沢(以下ISAK)の理事で、今年9月に開校するISAKについて紹介。この学校がミッションとして掲げているのは「今の状況から新たなフロンティアを作りだし、新しいリーダーを作る」で、全寮制。生徒の約70%を留学生として想定しており、国際ヴァカロレア制度も導入している。注目を集めているのは、「与えられた問題を解決する能力だけでなく、問題を設置する力を養成していく」という建学の方針である。
質疑応答で、イスラム教と政治について研究しているという来場者から、「イスラム教ではLGBTを快く思っていない人もいる。宗教的に食べ物など特別な配慮が必要な場合もある。そういう時はどうするのか?」という質問が出た。柳沢氏は「特別な配慮が必要な人ももちろんいる。学校側としては、彼らの文化的背景などの知識を生徒に与え、生徒たちはそこから問題を設定し、解決策を自分たちで考えていく。その結果に正しいという答えはないのかもしれないが、学校である以上、学校の理念に合致した解決策を考え出して、それを実行する」と回答した。

Photo:デルタ航空グローバル・ダイバーシティ担当
ジェネラルマネージャーのレティ・アシュワース氏 ⒸHaruna Watabe

レティ・アシュワース氏は、今回のシンポジウムのスポンサー、デルタ航空のグローバル・ダイバーシティ担当ジェネラルマネージャーである。デルタ航空はアメリカに本社を置き、グローバル展開している大手航空会社で、顧客、従業員ともに世界中のあらゆる人たちと関わっていることから、CEOを先頭に、多様性への取組みに大変積極的であることで知られている。
デルタ航空には多様化を実現するために8つの社員サポート・グループが存在する。アジア系のグループ、アフリカ系のグループ、ヒスパニック系・南米系のグループ、障害を持つ人たちのグループ、LGBTを対象とするグループ、女性をサポートするグループ、退役軍人のグループ、子供を失ってしまった親たちを支援するグループである。また、日頃、社員たちが出会う機会がない、バックグラウンドの異なるスピーカーを招聘して、様々な文化を知識として考える機会も設けている。

アシュワース氏は「多様化を推進するには、もちろん全社員がかかわっていくことが必要だが、それを引っ張っていく人も必要である。弊社ではCEOがそのリーダー。会社全体として、ダイバーシティが受け入れられる社会を作るということが大きな目標だ」と述べた。

Photo:(株)LUSHジャパンの高橋氏による発表 ⒸHaruna Watabe

 株式会社LUSHジャパンのチャリティー・キャンペーンマネージャーである高橋麻帆氏は青山BBラボの第一回公開勉強会でも講師をお願いした。LUSHは「店舗は最大のメディア」というコンセプトをもとに、動物実験の禁止を訴えるキャンペーンやロシアの反同性愛法に反対する「ピンクトライアングル・キャンペーン」などを行ってきた実績があり、日本国内においても多様化への取組みに熱心であることが、若い世代を中心に支持されている。
これらのキャンペーンの数々は、LUSHで働く人たちの信念をメッセージとして発信していきたいという思いに基づくものである。LUSHという企業において、「セクシャルマイノリティーは特別なことではない」という考えが文化として受け入れられている。とはいえ、ピンクトライアングル・キャンペ-ンの際、「自分はセクシャルマイノリティーなのだが、今までは言うことはできなかった」という社員がいた。様々なキャンペーンをきっかけに、社員が他の社員と自分のことを気がねなく語り合うようになっていく・・・高橋氏は、社内に硬直的な決まり事を作るよりも、社員が考えたことを積極的に発信することで、会社を通じて社会が良い方向に変わっていくことに貢献できるのではないかと感じているという。ピンクトライアングル・キャンペーンを経て、LGBTであることを自然とカムアウトする社員も増えたが、当事者の間で「LUSHはLGBTフレンドリー企業」ということで、就職先としての人気も高まっているようだ。

 今回のこのシンポジウムは青山BBラボが始動してわずか2か月。一つの目標として準備してきたもので、ラボに所属する学生にとってこの2か月は新しい世界との出会いの連続だった。アンケート報告で、担当した学生たちが言っていたように、このラボに入ったことを誇りに思える自分たちがいる。これからも様々な出会いを通して、すべての人が暮らしやすい社会を実現していきたいと再確認した一日となった。

 最後に、お忙しい中、今回のシンポジウムで貴重なお話をしてくださった登壇者のみなさま、そして私たちに様々な素晴らしい体験をさせて下さっている関係諸氏にこの場をお借りして感謝の言葉を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。これからも青山BBラボをよろしくお願いいたします!

シンポジウム:創造都市とグローバルエコノミー
—多様性豊かな社会を目指して(前編)

Photo:堀内正博 青山学院大学教授(総合文化政策学部長)による開会の挨拶 ⒸKonomi Kageyama

シンポジウム:創造都市とグローバルエコノミー
—多様性豊かな社会を目指して(前編)

by 藤牧 望(ふじまき・のぞみ)& 中村 聡子(なかむら・さとこ)

 6月14日、青山学院大学本多記念国際会議場に於いて、『創造都市とグローバルエコノミー —多様性豊かな社会を目指して— 』と題するシンポジウムが開催された。主催は青山学院大学総合文化政策学部、並びに、同大学社学連携研究センター(SACRE)で、駐日アメリカ大使館、株式会社ラッシュジャパンによる助成、デルタ航空の協賛、また、青山BB (Beyond Borders) ラボ、学校法人インターナショナル・スクール・オブ・アジア軽井沢 (ISAK)、特定非営利活動法人虹色ダイバーシティ、異業種交流会「土曜会」、牧野総合法律事務所弁護士法人、アグロスパシア株式会社などが、本シンポジウムの開催に協力した。

シンポジウムの主旨は、「2020年にオリンピック開催都市となる東京があらゆる人にとって暮らしやすく、訪問する人にとって快適で楽しい創造的な都市になるためには何をすべきか。LGBTのソーシャル・インクルージョンを含む、人権に配慮し、多様性豊かなコスモポリス東京という未来を描くためのシンポジウム」で、「21世紀の東京に望まれる多様性とは何か」について、様々な観点からの議論が行われた。今回は、当日午前中のプログラムを中心に報告する。

Photo:ロブ・デイヴィス氏の基調講演
Ⓒ Konomi Kageyama

 午前中のプログラムでは、青山学院大学総合文化政策学部長・堀内正博教授による挨拶、主催者側からの本シンポジウムの企画意図説明に続き、今年創刊25周年を迎えるLGBT読者を主な対象とするアメリカの高級ライフスタイル誌『メトロソース』の出版発行人、ロブ・デイヴィス氏の「多様な社会へ向けてのポジティブな変化〜メトロソース創刊から25年を振り返る」と題する基調講演、次に、青山BBラボの学生メンバーによるアンケート調査に基づいたプレゼンテーションが行われた。

 基調講演のロブ・デイヴィス氏は、直前に家族の急病により自身の来日を延期せざるを得ず、改めての本人来日講演を約束した上で、事前に録画されたヴィデオによるプレゼンテーションとなった。内容は、彼の生い立ち、学生時代のこと、自身のカミングアウトについてなど、個人的な経験をベースに率直に語るもので、なぜ彼がウォールストリートでの金融機関での仕事を辞め、『メトロソース』を創刊するに至ったのかについての経緯。彼の個人的な体験、思いが、25年間の社会の変化と関連づけて語られたので、筆者を含む聴衆は、アメリカの社会も日本も、『メトロソース』が創刊された当時から少しずつでも変化が起きていることを実感することができた。同時に、多様性豊かで、すべての人が個性を発揮しやすい、誰にとっても暮らしやすい社会を目ざすことは、日本においても課題であると確信した。

Photo:青山BB(Beyond Borders)ラボのロゴ ⒸHaruna Watabe

 デイヴィス氏は、『メトロソース』の読者が高学歴、高所得層で、社会的に影響力の大きいことにも触れ、ビジネスという観点から極めて理想的な顧客層であり、そのため、高級嗜好品などを売る広告主に人気の高い媒体となっていることも指摘した。また、『メトロソース』の読者は継続して購読し続ける傾向が強いため、優良な広告を含め、読者にとって有益な情報源となることを『メトロソース』は目ざしていると述べた。広告主は、LGBTコミュニティをサポートしていることを明確化することでビジネスの機会を増やし、一方、読者は自分たちのコミュニティにフレンドリーな企業をサポートする、ポジティブな関係が構築されている。

デイヴィス氏は最後に東京へのメッセージとして、「2020年、オリンピックが東京で開催されます。アスリートや観客が大勢やってくるでしょう。当然、その中にはLGBTも多く含まれていることでしょう。これはまさに、東京が変わる良い機会です。オリンピックは世界から多くの人が集まり、それぞれの違うところ、共通であることをお互いに認識し、称賛し合う素晴らしい祭典ですから、日本の社会が、LGBTを含むマイノリティにオープンになるチャンスなのです。これは、未来の大きなビジネスへの可能性にも繋がります」と、日本、とりわけ東京への期待を熱っぽく語った。

 次に登場した青山学院大学総合文化政策学部の青山BBラボの学生メンバーによるプレゼンテーションは、「多様で豊かなクリエイティブ・シティを目指して」と題して行われた。まず、青山エリアでの、主に小売り店舗や飲食店を対象に行ったLGBTについての意識調査についての設問内容の解説、アンケートの実施時期と期間、結果の集計に基づく報告、次にそれらの結果を踏まえ、2020年の東京オリンピックにむけての提言が発表された。

Photo:オリンピック・イヤーへ向けて提言を行う
青山BBラボの上野大樹くん ⒸHaruna Watabe

 アンケートの実施によってわかったこととして、青山エリアの店舗においてはLGBTという言葉そのものの認知度は極めて低かったということ。同時に、LGBTの意味を説明した後、LGBTだからという理由でお客様をネガティブな意味で特別視するような店舗はないこともわかった。青山エリアではLGBTを差別するような発言は一度も聞かれず、ストレートもLGBTも「お客様」であることに変わりはないのだから、誰であっても歓迎するという回答がほとんどだった。ラボのメンバーからは、LGBTの存在を広く社会に認知してもらうためには、言葉そのものの認知度を上げること、そのためには、回りにいる非当事者も、自然に言葉に出してLGBTについて、これから共に目ざしていく社会について議論していくことが大切であるという結論が提示された。

青山でのアンケート結果からは、日本における社会全体としての受け入れはまだ道半ばであっても、個人レベルにおいてはLGBTへの理解はかなりあるのかもしれないという印象を受けた。これは多様性を認め合える社会を目ざす上で、心強い基盤になるだろう。

Photo:発表を終え、挨拶する青山BBラボのメンバーたち ⒸHaruna Watabe

 発表後の会場とのやり取りの中で、LGBTという言葉を声に出していくこと自体に意味があるという意見があった。「セクシャルマイノリティー=性的少数者」を表す言葉は数多くあるが、なかには否定的なものもある。LGBTという言葉が使われている記事や議論においては、セクシャルマイノリティーがポジティブに捉えられている印象が強い・・・という指摘である。

青山BBラボの指導を担当する岩渕潤子氏は、日本ではあらゆる問題が可視化されないこと、議論されないゆえに変化が起きない現状について言及し、LGBTを含む社会の多様化が必要であることについても、言葉に出して議論する必要性があるのではないかと述べた。

午後のパネルの登壇者として客席側に座っていた特定非営利活動法人虹色ダイバーシティの村木代表は、「アンケートをすることそのものが啓発的であり、LGBTについての課題について考えてもらうきっかけになる」と指摘。アンケート調査でLGBTを差別することがなかったことについて「評価できる」としつつも、店舗での無意識の発言や対応から当事者に居づらい接客をしてしまっている可能性について触れ、そのことで顧客を逃しているとしたらもったいないので、そうした「失われた商機」を目に見えるようにするのは難しいが、再びアンケートを行う機会があったら、それが可視化できるとビジネス側がいっそう努力するインセンティブになるはず・・・とのアドバイスがあった。

アンケート結果をふまえた2020年東京オリンピックにむけての提言として、「青山だけでなく、日本のイメージを良い意味で変える機会にしたい。2020年の東京オリンピックでは、日本がどのような開会式を準備したか、どんなゲームが行われるかだけでなく、世界各国が今の日本はどんな国なのか、LGBTにどのような対応をするのかも注目されることになる。日本が多様性豊かな社会になったことをそこで見てほしい」との意見が出された。

具体的には、ホテル、交通機関、小売店鋪、そして、企業各社による「皆さんを歓迎します」という積極的アピールが重要であるということだ。東京を訪れたLGBT当事者のお客様が気持ちよく過ごせるように、企業の側から、また、社員としての個人も自然にLGBTフレンドリーであることをアピールしていくことが必要不可欠であるという指摘だ。また、今の日本社会に見られる、LGBTについて否定的でも肯定的でもないという中途半端な現状を変えていくには、世界の人たちと共に対話と議論を深めていくことが大切であるという指摘もあった。

青山BBラボからの提言は、2020年のオリンピックイヤーに向けて、また、それをきっかけとして、日本の社会をより多様性にオープンで、LGBTフレンドリーなものにすることができるのではないかと感じさせるポジティブなものであった。

結婚式場のチャイムス・ホール

第6回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– 余計なお世話? 婚活支援国家シンガポール

Photo: 結婚式場のチャイムス・ホール Ⓒ Kodai Kimura

第6回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– 余計なお世話? 婚活支援国家シンガポール

by 木村剛大(きむら・こうだい)/弁護士・シンガポール外国法弁護士(日本法)

シンガポール在住の木村さんは、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所に所属する弁護士で、シンガポールのほか、インドネシアやヴェトナムなど、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法務支援を行って活躍中。『AGROSPACIA』では、シンガポールで活躍する方々のインタヴュー、木村さんご自身による取材に基づくコラムをお願いしています。

ご好評を頂いている連載第6回目は、日本でもブームの「婚活」についてです。

Photo: SDNのウェブサイト
Ⓒ Social Development Network

 
 日本で少子化・晩婚化が社会問題になって久しい。2012年の日本の出生率、つまり、1人の女性が生涯に生む子どもの数は1.41。首相官邸、統計局、内務省(Ministry of Home Affairs)、入国管理局が合同で公表した「Population in Brief 2013」によれば、2012年のシンガポールの出生率は日本よりも低い1.29に過ぎない。米国中央情報局(CIA)の発表している「The World Factbook」では、2014年の推計の出生率ではシンガポールは224か国中最下位の224位である。シンガポールでも少子化は重要な問題になっているのだ。晩婚化も日本と同様にシンガポールにもあてはまる。2012年のシンガポール人の初婚平均年齢は男性30.1歳、女性27.7歳。男性30.8歳、女性、29.2歳の日本に迫る勢いである。

このような状況の下、シンガポール政府は面白い取り組みを行っている。なんと政府による婚活支援サービスだ。1984年に大卒者を対象とした社会開発ユニット(Social Development Unit)、1985年に大卒者以外を対象とした社会開発サービス(Social Development Services)を発足させた。その後、2009年にこの2つの組織が社会開発ネットワーク(Social Development Network、「SDN」)として統合されて現在に至る。筆者が調べた限りSDNのウェブサイトに統計情報は見当たらなかったため、登録者数などの詳細情報は不明である。回りの独身の若者たちに聞く限りでは登録している者はさほど多くないようである。

Photo: 巨大なHDB
Ⓒ Kodai Kimura

 SDNのウェブサイトではSDNが民間会社に委託して開催されるディナーやダンスイベントなどの様々なデートイベントの告知がされている。さらには複数のデートガイドまでPDFで公開されている。そのうちのひとつ「Dating 101」を読んでみた。「デートのエチケット」という項目がある。ふむふむ。「Going Dutch or not」(割り勘にするか否か)という項目では、「はじめてのデートの際、男性が女性の分を支払うのが通常」とある。続けて「しかし、これは厳格なルールではなく、割り勘がふたりの共通の理解になっていれば割り勘にしよう」との指南。女性に対しては、「女性から割り勘の申し出をしたり、その後の別のカフェでのコーヒーやドリンクでお返ししたりするのがよいでしょう」とのことだ。男性からすると大変助かる。

さて、シンガポール政府が結婚を促進しようとしていることは住宅供給の仕組みからも分かる。シンガポールではHDBと呼ばれる公団住宅が主流で、シンガポール人の約82%がHDBに住んでいる(2013年度のシンガポール統計局の統計参照)。このHDBの申し込み制度に結婚を促進するインセンティブが盛り込まれているのだ。具体的には、婚約者や配偶者がいれば21歳で新築物件の申し込みが可能になる。他方、独身者の場合には35歳で申し込みが可能になるが、中古物件のみの申し込みとなってしまう。つまり、結婚していたほうが有利な住宅供給を受けられる制度設計にして、結婚を奨励しているわけだ。このような住宅制度を背景として、シンガポールでは「HDBを一緒に申し込もう」という言い方でプロポーズがされると紹介している記事も散見されるが、複数のシンガポール人にヒアリングを行ったところでは、「あり得るけれども、結婚しようってちゃんと言うでしょ」という反応が多かった。

Photo: 結婚式場を彩るブーケ
Ⓒ Kodai Kimura

 結婚の中身について言えば、国際結婚が多いのがシンガポールの特徴であろう。2012年の統計では結婚全体の実に約40%がシンガポール人と外国人の国際結婚だ。圧倒的に多いパターンはシンガポール人の夫と外国人の妻のケースで、国際結婚のうち約76%を占める。外国人妻の90%以上はアジアの出身である。

晴れて結婚したとしても、結婚はゴールではない。新たなスタートである。結婚する者あれば離婚する者あり。ここで少しだけシンガポールの離婚制度を紹介したい。というのも、シンガポールでの離婚制度は日本とは大きく異なるのだ。日本では離婚に双方が同意すれば離婚届けを役所に提出するだけで離婚が成立する。協議離婚と呼ばれる離婚方法だ。しかし、協議離婚が認められていない国もあることをご存知だろうか? シンガポールもそうなのである。当事者双方が離婚に同意してもすぐに離婚することはできず、少なくとも3年間別居しなければならない。当事者双方が合意しても離婚できないのは日本人からすると不思議な制度であると思われるかもしれない。婚姻関係をできる限り継続させるべく別居期間中に頭を冷やすべしという趣旨なのだろうが、果たして効果があるのだろうか。

Photo: 結婚式場のチャイムス・ホールの内部
Ⓒ Kodai Kimura

 最後に、甚だ僭越ながらシンガポール政府に申し上げたい。恋愛は裁判における事実認定と同じだ。相手が自分のことを好きかどうか相手の心の中を探る。立証事実を直接証明できる証拠を直接証拠という。恋愛の場合、直接証拠は告白だ。「好きです」と告白されれば自分のことが好きなのだと通常は認定できる。しかし、裁判でも恋愛でも直接証拠がないケースも多く、その場合には間接証拠の積み重ねで認定することになる。間接証拠は立証事実を直接証明はできないが、立証事実の存在を間接的に推測できる事実を立証する証拠のことである。

たとえば、女性からのメールの最後にハートマークがついていたとしよう。プラスの方向に考えてよいかもしれないが、非常に弱い間接証拠であろう。その女性が他の男性にもハートマークをつけたメールを送っていたことが判明すれば証拠力はさらに弱くなる。彼女にとってハートマークに特別な感情は込められていないのだ。また、女性を食事に誘ったらOKが出たとしよう。嫌いな男性からの誘いは断るであろうからプラスの方向に働く事実といえそうだ。しかし、その女性はただお腹がすいていたのかもしれないし、そのレストランに興味があり以前から行ってみたいと思っていただけかもしれない。事実は複合的に絡み合っており、同じ事実でも周辺事実によって証拠力は変わってくるのである。人の心は複雑で移ろいやすい。事実認定は本当に難しい。

このように考えると、事実認定のプロである裁判官は恋愛においても秀でていそうである(なお、シンガポールの裁判官は給料が高いことで知られているので、この点でもアドバンテージがあるかもしれない。)。

ついつい長くなってしまった。シンガポール政府にこのように申し上げたかったのだ。御国国民の恋愛力向上のため、法学教育はいかがでしょうか?

PROFILE

木村剛大(きむら・こうだい)

弁護士

2007年弁護士登録。ユアサハラ法律特許事務所入所後、主に知的財産法務、一般企業法務、紛争解決法務に従事。2012年7月よりニューヨーク州所在のBenjamin N. Cardozo School of Law法学修士課程(知的財産法専攻)に留学のため渡米。ロースクールと並行してクリスティーズ・エデュケーションのアート・ビジネス・コースも修了しており、アート分野にも関心が高い。2013年8月よりシンガポールに舞台を移し、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所にて、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法的支援に従事した。2014年10月ユアサハラ法律特許事務所に復帰。

Twitter: @KimuraKodai

左)エーリク役田中俊裕 右)ユーリスモール役松本慎也

あの『トーマの心臓』を見た!・・・スタジオライフ東京公演

Photo: 左)エーリク役田中俊裕 右)ユーリスモール役松本慎也 Ⓒ 劇団スタジオライフ

あの『トーマの心臓』を見た!・・・スタジオライフ東京公演

by 吉田晴香(よしだ・はるか)/ 青山BBラボ

演出家は女性、俳優は全員男性というユニークな劇団スタジオライフが、6月22日まで新宿、紀伊国屋 ホールで萩尾望都の代表作『トーマの心臓』を上演している。

本作はAuslese(アウスレーゼ)、Spatlese(スパトゥレーゼ)、Riesling(リースリング)、Kabinet(カビネット)の4チームに分かれての上演となっている。筆者はKabinetチームのゲネプロを取材した。

Photo:ユーリスモール役松本慎也
Ⓒ 劇団スタジオライフ

 『トーマの心臓』は、少女漫画家として絶大な人気を誇る萩尾望都が1974年から連載を始めた作品で、連載開始から40年が経った今でも多くのファンを魅了し続けている。作品の舞台はドイツのギジナウム(高等中学校)。寄宿舎のアイドル的存在だったトーマがある日自殺した。数日後、ユーリスモールの元に一通の手紙が届く。それはトーマからの遺書だった。その半月後、トーマの生き写しのような少年エーリスが転入してくる。そこから明らかになっていくトーマの死の理由や寄宿舎で過ごす少年たちの愛と真実・・・。

本作品は、トーマの自殺からユリスモールが転学を決意するまでの約2ヶ月間を描いたもの。上演時間は約3時間とボリューム感のある作品となっているが、その長さを感じさせない構成となっている。

Kabinetチームでは、主人公ユーリスモールを入団10年目という節目を迎えた松本慎也が演じる。松本は2010年の前回公演では転校生エーリクを演じた。今回そのエーリクを演じるのは、今作初参加の田中俊裕。そしてユーリスモールの理解者であり級友のオスカーを演じるのは仲原裕之だ。他チームに比べ、若い世代の多いKabinetチームを縁の下から支えるように、トーマの母ヴェルナー夫人役には石飛幸治、ミュラー校長役には曽世海司などベテラン勢が顔を揃えている。劇団内の若手とベテランの競演を見ることができるKabinetチームの公演は、ファンなら必見ではないだろうか。

Photo:中央)エーリク役田中俊裕
Ⓒ 劇団スタジオライフ

 ひとはさみしさゆえに、愛を知らねば生きていけない

今作全体を通して語られるのはキリスト教の神の絶対的愛の存在である。

『トーマの心臓』を観ると、人は誰しも愛し愛されなければ生きてはゆけないのだということを感じる。恋人やパートナーへの愛、家族愛、友人への愛、そして自分自身への愛。様々な愛が舞台上で交錯する。時には愛が強すぎるゆえに憎しみへと変わり、愛が残忍な凶器ともなる。そこで人は絶対的な愛を注いでくれる神の存在を再認識するというわけだ。物語の終わりに描かれるのユーリスモールの神学校への転学の決断のように、人は神の愛の存在を知ったとき、愛や苦しみを乗り越え、ようやく前に進むことが出来るのかもしれない。

スタジオライフの作品を観たことがない方は、愛をテーマにした本作を男優ばかりの劇団が演じるていることに違和感を覚えるかもしれない。しかし、舞台上ではいやらしくない・・・いや、むしろ男女間で繰り広げられる愛よりも切なく、美しい愛の物語が繰り広げられているのだ。多様化していく社会に、変化し続ける人間関係のあり方に、変わらない愛の存在を訴える作品となっている。『トーマの心臓』に触れたことない方、スタジオライフの作品を観たことのない方にも、是非一度、その「愛」に触れに劇場へ足を運んでいただきたいと思う。

東京公演は6月22日まで新宿・紀伊国屋ホールにて。地方公演は7月11日から13日まで大阪・梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティにて。

PROFILE

吉田晴香

青山学院大学 総合文化政策学部2年。

1993年東京都生まれ。青山学院大学生。幼い頃から国内外でミュージカルを中心に舞台演劇を鑑賞。10年以上、自身の鑑賞記録をつけたブログを書き続けている。

将来は日本の舞台を海外に広める活動をしたり、国内外の舞台作品を紹介する演劇記事を書いたりすることが夢。

クィーンズ:カトリック教会と付属の学校(幼稚園~中学校)

第4回 NY:マンハッタンのプリスクール(幼稚園)のお受験
—幼稚園から実社会の仕事の進め方を学ぶ!?  
プレイデート面接~合格までの道のり(後編)

Photo:クィーンズ:カトリック教会と付属の学校(幼稚園~中学校) ⒸHana Takagi

第4回 NY:マンハッタンのプリスクール(幼稚園)のお受験
—幼稚園から実社会の仕事の進め方を学ぶ!?  
プレイデート面接~合格までの道のり(後編)

by 高木悠凪(たかぎ・はな)

 高木悠凪さんは、2010年にご主人の転勤に伴ってニューヨークにお引っ越し。大学時代、美術史を勉強していた高木さんは、2011年に女の子に恵まれて、以来、お子さんをベビーカーに乗せて美術展へ行くなど、いつも親子で積極的にアートに親しんでいます。

 NYの学費は桁外れに高い。小学校~高校までは公立校があるので公立校に行けば学費の心配は要らないが、プリスクール(ナーサリー)という日本でいう幼稚園は公立の入れる枠がわずかなので、ほとんど私立となる。特にマンハッタンでは驚くほど高く、受験料は100ドル前後、学費はおよそ年間17000~30000ドル弱。+α “寄付金” と大学並みの学費になる。(週3日~5日、半日/全日などで異なる)中でも名門校とされる学校では、申し込みの時点から熾烈な戦いが始まる。アッパーイーストサイドに住む友人達にその様子を聞いてみた。

Photo:プレイデート面接後のThank you Letter
ⒸHana Takagi

 学校の申し込みからオープンハウスまでは親が全面に出てくるが、プレイデート面接になってやっと子供の出番となる。「プレイデート面接」とは、受験する複数人の子供が集められ、指定された場所で決められた時間内で遊ぶ様子を観察される。学校側からはオープンハウスなどで事前に着飾らないように指示があり、普段通りの姿で臨む。9月初に申し込み、オープンハウスを経て翌年1月にプレイデート面接。実に長い道のりだ。

学校側から「どういう子供を選ぶか?」の選考基準を尋ねると通常はこのような回答だ。「クラス全体のバランスを考える。男女比はもちろん、リーダー的な子、おとなしい子、ちょっとでしゃばりな子、おしゃべりな子、色んなタイプの子を集めてバランスを見るので、『こういうタイプを合格させる』という“タイプ”はない」とのこと。アメリカでMBAを取得しコンサルティング会社を経営するAさんは先の学校側の選考基準の考え方についてこう洞察する。「性別・月齢・性格など様々な要素が集まる“小社会”が形成されるようにバランスを取るのだろう」と。

Photo:クィーンズ 幼稚園の下校風景1
ⒸHana Takagi

 1月に受けたプレイデートの結果(合格発表)が一斉に出るのは2月末頃になる。「合格」「ウエイティングリスト」などの発表があり、およそ1週間以内でどこに入学するか決め、手続きを済ませる。志望するウエイティングリストの学校へは、電話を何度もかけて繰り上げ合格にならないかを確認。
「92Yでは『2歳11か月の女子のお子さんの最後の一枠は先ほど埋まってしまいました』と言われました。」とAさん。Aさんは並ならぬ努力の結果、6校中3校の合格を得ることが出来た。

Aさんは今回のお受験についてこう振り返る。彼女はMBA取得の際、クラスの中で様々なチーム編成での実習に参加。さまざまな人種や異なる文化・考え方を持った人で構成されたチームでの実習が最も成果を出したという実体験を持つ。「アメリカではチームでプロジェクトを遂行するのが主流なので、色んな考えを出し合って最大限に成果を出すことを目指す場面が多いです。実社会での仕事の進め方をこの“小社会”を通して学び・育んでいくのではないかと思います。」さらに「野球チームだって、スター打者ばっかり集めたからといって優勝できるとは限らない。多様な機能・才能を持つ人たちが集まってはじめて、『チーム』としての大きな成果が上げられる。」とAさん。このお受験の過程や学校の取り組みの考え方に説得力があると感じているようだ。日本だと成績のよいもの順での選抜・個々で勉強が一般的だろう。それとは全く異なったアプローチでの世界で戦えるエリート養成の仕方はとても興味深い。

Photo:Aさんの合格通知
ⒸHana Takagi

 この他、カトリック系やジューイッシュ系などの宗教色の強い学校、多人種・多文化を幅広く受け入れる学校など様々だ。そういう特色のある学校もAさんは受験したようだが、「まだ子供自身が自分の意思で学校を選べない歳なので親の介入する場面が多いだけに、学校の質(カリキュラムと教師)が最も重要なのですが、一緒になる親御さんの雰囲気を見て学校を選ぶという側面もあり、かなり悩みました。」と語ってくれた。

Aさんの場合、ジューイッシュ系を数校受けたが、そのうちのひとつは「ウチの学校は親の参加を積極的に取り入れています」ということを売りにしていたところもあったそうだ。つまり医者のお父さんが、『お医者さんの仕事のお話』をしに来る日があったり、単に『お父さんが来てみんなに本を読んであげる』という日があったり、あるいは『こんなことができる!』 という提案も得ながら、親を積極的にクラスに参加させていくのだそうだ。
このように学費、様々な特色を持つカリキュラム、教師の質、宗教・人種など色々な要素が絡み合う中、家族一丸となり長い選考期間を経て戦っていくマンハッタンのプリスクールのお受験。それぞれの学校に選ばれた子供達がこれからスタートラインに立ち、どのように成長していくのか大いに気になるところだ。

PROFILE

高木悠凪(たかぎ・はな)

広島県出身。2010年より、夫の赴任によりNYに駐在中。2011年、女児を出産。
大学時代は西洋美術史を専攻。アクセサリー会社から生活雑貨店勤務を経て現在に至る。
趣味の芸術鑑賞にNYはもってこいの場なので、オペラ、クラシック、ジャズ、メトロポリタン美術館、MoMA、グッゲンハイム…などに足繁く通いながら、育児に奮闘の日々を送っている。
内閣府認証NPO法人 マザーズコーチジャパン認定 マザーズコーチ。
子育て・産後のキャリアチェンジ・家族やママ友の人間関係など、子育てママ向けのコーチングを実施中。
*高木さんへの執筆・講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

第5回 LGBTってなんだろう?
東京都豊島区議会議員:石川大我さんをお迎えして

石川大我さん(向かって左)と登壇者の皆さん ⒸArisa Ishikawa

第5回 LGBTってなんだろう?
東京都豊島区議会議員:石川大我さんをお迎えして

by 藤牧 望(ふじまき・のぞみ)& 中村 聡子(なかむら・さとこ)

 2014年5月3日(祝)、青山BBラボ主催で第2回めの公開勉強会を開きました。”LGBTってなんだろう?”と題し、メイン・ゲストに東京都豊島区議会議員の石川大我さん、パネリストとしてアパレル関係の会社を経営されているSEIMEIさん、占い師の悠芽珂さんに登壇していただき、聴衆にはLGBT当事者の方たちだけでなく、多くのアライ(非当事者のLGBT支援者)が参加しました。司会/モデレーターは青山BBラボの菱沼聖哉。

Photo:フレンチトーストも美味しかった!
ⒸArisa Ishikawa

 今回の勉強会は、銀座にあるマハナというハワイをテーマにしたレストランを会場にして開催された。「マハナ」という言葉は”あたたかい”を意味しており、実際にお店の雰囲気はとてもフレンドリーであたたかかった。ハワイでは既に同性婚が認められており、その意味でもあたたかい、と石川大河さんが指摘され、この勉強会がマハナで開かれたのは素敵なことだと感じた。

 勉強会ではまず、開催された5月3日が憲法記念日ということで、基本的人権の尊重とからめて日本でのLGBTの権利はどのようになっているかを考えた。「日本国憲法には、結婚についての記述で、”両性の合意に基づき…”という規定があり、一見すると同性同士の結婚を制限しているように見えるが、本当はそうではないと思う。昔は本人たちの合意なしに行われる結婚というものが多くあったために、そうならないように定義がある。だから今の憲法の中でも十分同性婚の制度を創ることができるはず・・・」と石川大我さん。具体的には、パートナーシップという準結婚のような形、または同性婚についての法律をつくることが今の憲法下でも可能である、と話した。SEIMEIさんも、パートナーシップの制度がすでに認められているフランスの例を挙げて、既成の枠組みを越えてゆくことに意味があるのではと述べた。悠芽珂さんは、同性同士の結婚が、ストレートのひとたちの結婚と同じようにできるようになることは良いことだと思うが、結局は本人の意思が一番大切であるということ。当事者にとって、そのような法律が望まれるなら必要なのであり、LGBT当事者としての悩み、思い、問題などをよく考えることが重要・・・という意見。

 国によって同性どうしでの結婚についての状況や考え方は様々だが、「結婚」に関して性別を障壁にする必要はないという考え方が世界の趨勢となってきており、「LGBT」「ストレート」と別々に考えるのではなく、「すべての人のこと」としてとらえるのが世界の流れであると強く感じた。 

 
 お話の中では、カミングアウトについての話題も。石川大我さんはインターネットが普及するまで、LGBTの当事者に出会ったことがなかったそうだ。コンピュータが家に来て、インターネットに接続して、「その時初めて自分と同年代の当事者がいると知り、インターネットによって一気に友達が増えた。当時から憲法に関心があり、LGBTの人権について考えてもいたので、そのためには自らもカミングアウトする必要があると思うに至った」と、カミングアウトまでの経緯や、インターネットの普及でLGBTの当事者同士で知り合う機会が飛躍的に増えたと述べた。

 
 これに関連して、少し年配のSEIMEIさんは、携帯電話もなかったような時代では、LGBTの人たちはゲイバーなどでしか知り合えなかった。しかし、今ではメディアで知り合える時代になったということ。カミングアウトは、そうすることがすべて良いというわけではなく、する必要がないという考え方、する必要はないと考えている人もいるのだということを指摘。自分をセクシャリティによってだけではなく、”人”として見てほしいから・・・という考えは、カミングアウトについてのさまざまな見解のひとつであり、今回の勉強会のように、多くの人が話し合い、意見を交換することの大切さを感じた。カミングアウトについては、複雑な事情もある。たとえば、病床の、明日をも知れぬ老親に自分がLGBTであると一方的に告げることが、一概に良いことと言えるだろうか。実際は、そうとも言い切れず、かなり難しい判断になるだろう。現実には様々な例があるということで、一口にカミングアウトといっても、そこには様々な考えや複雑な事情があるということを知った。

Photo:東京レインボーウィーク実行委員会のメンバーと関係者で記念撮影 ⒸArisa Ishikawa

 このほか、石川大我さんの「LGBTという言葉自体、あまり知られていなかった。LGBTの人たちが一度集まって語る場をもうけて話し合いをし、話し合うなかで結局はLGBT、ストレートといった区分は関係なく、その人自身であるということが重要なのだ、というところにたどりつき、LGBTという言葉がふわっと消えたらいい」という言葉が深く印象に残った。当事者を表す表現として、LGBTという言葉を多くの人に知ってもらいたいという意見がある。しかし一方では、その言葉がLGBTの人たちをその他と区別して考えることにつながるという意見もある。差別が無くなれば、社会の中でLGBTという言葉も必要ではなくなることが理想であり、それが段階を踏んで実現していけば、今より少し暮らしやすい社会になるのではないかと考えた。

 勉強会の終盤では質疑応答や、各テーブルでのグループ・ディスカッション(テーマ:今後日本でLGBTの人が暮らしやすい社会を創っていくにはどのようなことが必要なのか)も行われた。インターネットをはじめとするメディアのおかげで、LGBTの人たちが出会うチャンスが増えた半面、カミングアウトしている人とそうでない人との関係など、LGBTの当事者同士のコミュニケーションにおいて新たに生まれた課題があるということも認識できた。グループでのディスカッションでは、確かに結婚には愛があれば法で認められなくてもよいと考えることはできても、生活していくためにはその権利が保障される必要があるという指摘があった。
 これについて石川大我さんは、LGBTは身近な存在であることを多くのひとに知ってもらうこと、また、アライ(非当事者のLGBT支援者)のサポートが同性婚を認める法律整備への大きな助けになると述べた。参加者の中からは、LGBTの側の課題として、アライのサポートを待つだけでなく、当事者自身が自分たちの生活や権利のことを積極的に話し合うことによって、もっと多くの人たちを巻き込んでいけるのではないかという意見も出た。今回の勉強会ではLGBT、ストレートの両者が同じ場を共有できたことで、さまざまな立場からの意見を聞くことができ、多くの気づきがあったのは有意義なことだった。

 最後に、悠芽珂さんは、「どのようなコミュニティーであれ、内部の人たちが生き生きしていると自然とまわりを巻き込むことができますよね」、SEIMEIさんは、「さまざまな世代の人、さまざまな立場のひとと出会うことのできる機会が増えてきたことは、差別のない、究極的に人間として互いに支え合えるひとつの地球が見えてきたといえます」、そして石川大我さんが、「新しい出会いが増え、喧嘩しつつも、仲良くやっていけたらいいですね」と、しめくくった。

 ゴールデンンウィークのまっ只中に、スピーカーとしていらしてくださった石川大我さん、SEIMEIさん、悠芽珂さん、そして今回の勉強会に参加してくださった70名にも上る多くの方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。

第4回 NY:マンハッタンのプリスクール(幼稚園)のお受験
—『親力』が合否を決める!? 
入学申し込み~オープンハウスまで(前編)

Photo:超名門校92rd Street Y ⒸHana Takagi

第4回 NY:マンハッタンのプリスクール(幼稚園)のお受験
—『親力』が合否を決める!? 入学申し込み~オープンハウスまで(前編)

by 高木悠凪(たかぎ・はな)

 高木悠凪さんは、2010年にご主人の転勤に伴ってニューヨークにお引っ越し。大学時代、美術史を勉強していた高木さんは、2011年に女の子に恵まれて、以来、お子さんをベビーカーに乗せて美術展へ行くなど、いつも親子で積極的にアートに親しんでいます。

 NYの学費は桁外れに高い。小学校~高校までは公立校があるので公立校に行けば学費の心配は要らないが、プリスクール(ナーサリー)という日本でいう幼稚園は公立の入れる枠がわずかなので、ほとんど私立となる。特にマンハッタンでは驚くほど高く、受験料は100ドル前後、学費はおよそ年間17000~30000ドル弱。+α “寄付金” と大学並みの学費になる。(週3日~5日、半日/全日などで異なる)中でも名門校とされる学校では、申し込みの時点から熾烈な戦いが始まる。アッパーイーストサイドに住む友人達にその様子を聞いてみた。

Photo:92Y Application
ⒸHana Takagi

 マンハッタンのプリスクールの入学申し込み開始日は、9月の第一月曜日のレイバー・デー(Labor Day)「労働者の日」の翌日のところが多い。火曜日の朝、親たちは一斉に受けたい学校に電話が繋がるまでかけ続ける。今時何で電話なの?と思うところだが、一説によるとオンラインで申し込みが可能になると入学枠よりはるかに膨大な数の申し込みがきて学校側が処理し切れないので、昔ながらの電話による受付のみになっているようだ。学校によっては、受付初日でもオープンハウスや受験者枠に達した時点で締め切るところもある。ある友人は13校申し込もうとして、本人・夫・義母・夫のアシスタント2名の5人体制で臨み、10校受けることが出来た。とにかく電話が繋がるまで、必死でかけ続けるのだ。そうして繋がった希望の学校に申し込み、オープンハウス(学校見学会)や集団プレイデートに進んでいく。

<名門校「92rd Street Y(以下92Y)」を受験した友人に聞く>
友人Aさんには今秋3歳になる娘さんがおり、先のような手順で6校を受けた。中でも超名門校の92Yは印象深かったと語る。
「電話をかけまくった結果ようやく、6回目のオープンハウスに行けることになりました。その6回でもすでに30組の父母。月曜日の朝10時という通常の勤務時間にもかかわらず全30組の父母が揃って来ていました。母親はシャネルやエルメスのバッグを持ちスーツ姿。父親もスーツにネクタイでいかにもエグゼクティブないでたちで驚きました。でも父母達の会話ではフランス語やイタリア語などが聴こえ、色んな人種の子がいるんだなと安心しました。」とAさん。

 Aさんは学校に提出する願書などの書類以外に様々なレター作成に大変気を遣ったという。「カバーレターは願書と一緒に送るもので、『御校はいかに素晴らしく、ウチの子に合っているか』をかなりアピールしました。またプレイデート面接後のサンキューレターでは『御校の素晴らしさを再確認』+『ウチの子が与えるメリット(例えば文化的多様性)』をアピールしました。」さらに、「ここで重要なのは、『御校は素晴らしい』だけではダメで、学校にとって『ウチの子を入れると御校にとってこんなにメリットがあります』を加えることです。」さらに「アメリカではお互いにメリットを感じないとビジネスは成立しません。学校側にもいかにメリットを感じさせることがという重要です。」というAさんの話は、アメリカのビジネスシーン長年で活躍されてきただけにとても興味深い。

学校に願書と一緒に提出する調書では子供の性格・好きな遊び、健康上や発育上の問題やアレルギーはあるかの質問、家庭内で使用している言語(英語以外にあれば)とコミュニケーションレベル(英語、その他言語ともに)がどれくらいか、そして集団学習の環境を経験したことがあるか、あればどこで?そしてなぜこの学校を選んだのか? という質問が続く。最後に “その他”という特記事項などを書く。ここでも“その他”は「特になし」は絶対にありえなく、絶好のアピールの場だ。

「ウチの場合、“その他”の欄には、娘がいかに社交的で、道行く人にも挨拶したり公の場で歌ったりして周囲の人々に笑顔と幸せを与える子か、と言うことを書きました。内面・外面の美しさを持つ子です。」とAさんは最後のとどめを刺す。

このようにただ願書を埋めるだけではなく、就職活動並みの書類を学校ごとに毎回作成したのには驚かされる。もし筆者がこのお受験に挑んだなら、娘には申し訳ないが1校のレターを完成させる頃、成人しているかもしれない。入念な準備を伴うこのお受験、『親力』の有無が合否を決めるのでは?と思えて仕方がないのは筆者だけだろうか?

PROFILE

高木悠凪(たかぎ・はな)

広島県出身。2010年より、夫の赴任によりNYに駐在中。2011年、女児を出産。
大学時代は西洋美術史を専攻。アクセサリー会社から生活雑貨店勤務を経て現在に至る。
趣味の芸術鑑賞にNYはもってこいの場なので、オペラ、クラシック、ジャズ、メトロポリタン美術館、MoMA、グッゲンハイム…などに足繁く通いながら、育児に奮闘の日々を送っている。
内閣府認証NPO法人 マザーズコーチジャパン認定 マザーズコーチ。
子育て・産後のキャリアチェンジ・家族やママ友の人間関係など、子育てママ向けのコーチングを実施中。
*高木さんへの執筆・講演依頼、取材して欲しいテーマ、コーチングについてのご相談などがありましたら、info@agrospacia.comまで。

マリーナ・ベイ・サンズのレーザーショー

第5回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– カジノを含む統合型リゾート導入による観光振興政策の光と影

Photo: マリーナ・ベイ・サンズのレーザーショー Ⓒ Kodai Kimura

第5回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– カジノを含む統合型リゾート導入による観光振興政策の光と影

by 木村剛大(きむら・こうだい)/弁護士・シンガポール外国法弁護士(日本法)

シンガポール在住の木村さんは、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所に所属する弁護士で、シンガポールのほか、インドネシアやヴェトナムなど、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法務支援を行って活躍中。『AGROSPACIA』では、シンガポールで活躍する方々のインタヴュー、木村さんご自身による取材に基づくコラムをお願いしています。

ご好評を頂いている連載第5回目は、日本でも注目の集まるシンガポールのカジノについて。

Photo: マリーナ・ベイ・サンズのショッピングモール
Ⓒ Kodai Kimura

 
 すっかりシンガポールのシンボルになったマリーナ・ベイ・サンズ。日本でもSMAPが登場するソフトバンクのCMで見た方が多いかもしれない。建物の屋上に船が乗っていてプールがあるあの施設だ。シンガポールには、マリーナ・ベイ・サンズ(Marina Bay Sands、「MBS」)とリゾート・ワールド・セントーサ(Resorts World Sentosa、「RWS」)の2つのカジノがある。RWSは2010年2月にオープンし、MBSも2か月後の2010年4月にオープンした。

2020年の東京オリンピック開催決定も一因となり、日本でもカジノ導入の機運が高まっている。カジノを含む統合型リゾート(Integrated Resort)の導入による観光振興策である。統合型リゾートというのは、確立した定義があるわけではないが、一般にカジノや会議場、ホテル、ショッピングモールなどが一体となっている複合観光施設のことをいう。MBSとRWSも統合型リゾートであるものの、両者の基本コンセプトは異なる。まず、MBSは「MICE」( Meeting、Incentive、Conference、Exhibition)を基本コンセプトとしてビジネス客をターゲットとしている。これに対し、RWSはユニバーサル・スタジオ、世界最大級の水族館であるマリン・ライフ・パークなどの施設を設けて、家族客をメインターゲットとしている。異なる層をターゲットとすることでより多くの客を集客する狙いだ。

ところで、シンガポール人とシンガポール永住権者はカジノに入場するのに100シンガポールドルの入場料を支払わなければならない。この入場料を支払うことで24時間カジノに滞在することができる。回りのシンガポール人に聞くと、入場料を払わなければいけないため、カジノに入ったことがないという人も結構いるようだ。なお、私のような外国人は居住者でも旅行者でも無料で入場できる。

筆者はラスベガスやマカオのカジノも訪れたことがあるが、シンガポールとラスベガスでは雰囲気が異なるし、システムの違いもある。シンガポールのカジノ施設ではコーラなどのソフトドリンクは無料で飲めるが、アルコールは飲めない。ラスベガスはチップをウェイターに支払ってアルコールを飲みながらカジノに興じることもできる。また、ラスベガスでは場内でダンサーが踊っていたりしてエンターテインメントの空気を感じることができるが、シンガポールではそのような工夫はなく、皆黙々とディーラーと向かい合っている。MBSと同じくラスベガス・サンズが運営するベネチアン・マカオのカジノ施設とMBSは雰囲気が似ている。

ゲームの中身について多くを語れるほど筆者は玄人ではないが、結局は確率論の世界で、各ゲームはディーラーに少しずつ有利に設計されている。たとえば、ルーレットなら黒か白かで50%の確率で勝てると思いきや0(ゼロ)があるため、プレイヤーが勝つ確率は50%を切る。確率論で考えれば、多くのトライをすればするほど理論値に近づいていくわけなので、小額で多くの勝負をするよりも、1回で多額の賭けをするのが理屈的には賢いのだろうが、なかなかそうはいかないのが人の心理というものであろう。

Photo: リゾート・ワールド・セントーサのカジノ入口
Ⓒ Kodai Kimura

 シンガポール観光庁(Tourist Board of Singapore)の公表している年次報告書(Annual Report on Tourism Statistics 2012)によれば、シンガポールへの外国からの観光客はカジノ開業前2009年の約970万人から2010年には約1,160万人、2011年には約1,320万人、2012年には1,450万人と順調に増加している。カジノによる売上げも順調で、MBSの2013年のカジノによる売上は、23.6億米ドル、RWSは21.8億シンガポールドルで合計約60億米ドルに上る(ラスベガス・サンズ及びゲンティン・シンガポールの2013年度年次報告書を参照)。シンガポールのカジノは、マカオ(約452億米ドル)、ラスベガス(約65億米ドル)に次ぐ売上に達している。

このようにシンガポールのカジノ導入は経済的側面からは明らかに成功しているといってよいだろう。しかし、カジノ導入には負の側面も存在する。一般に、カジノの問題点としては①反社会的勢力の介入(マネーロンダリング対策)と②ギャンブル依存症があげられる。シンガポールはこのような問題点にどのように対処しているのだろうか。カジノに関する規制は、カジノ管理法(Casino Control Act)という法律(その他に多数の規則がある)に定められており、監督官庁としてカジノ規制庁(Casino Regulatory Authority)が設けられている。

1.反社会的勢力の介入に対する方策としては厳格なライセンス制をとることである。シンガポールでは現在のところライセンスの数が2つに限定されており、MBSは米国最大手のカジノ運営会社ラスベガス・サンズがライセンスを取得し、RWSは東南アジア最大手のマレーシアの総合エンターテインメントグループのゲンティン・シンガポールがライセンスを取得している。

また、カジノ運営者に対してはカジノ規制庁による強い監督体制が設けられている。たとえば、カジノ運営者はカジノ運営に影響を及ぼしうる経済的利益を有する者(株主など)や取締役その他経営陣の変更などの「重要な変更」がある場合、カジノ規制庁から事前に承認を得なければならない。そして、カジノ規制庁が不適任と判断すればその者にカジノ運営者との関係を終了させるよう求めることができ、関係を終了しない場合はカジノ規制庁はカジノ運営者に対し、関係を終了させるよう命令できる。

さらに、カジノ運営に関係する50万シンガポールドル以上の物品供給やサービス提供は「管理契約」(Controlled Contract)としてカジノ規制庁に事前の通知が必要であり、カジノ運営者はカジノ規制庁により承認された者からのみゲーム機器の取引をすることが許容されている。マネーロンダリングについてもカジノ管理法は対策をとっている。現金は匿名性があるためにマネーロンダリングに弱い。そこで、マネーロンダリング対策として、1万ドル以上の現金取引(チップと交換するための現金の支払いなどのキャッシュイン、チップを現金化する場合などのキャッシュアウト)について、カジノ運営者にはカジノ規制庁に対する報告義務が課されている。

2.ギャンブル依存症への対策として、シンガポールでは「排除プログラム」を設けている。排除プログラムというのは、ギャンブル問題国家協議会(National Council on Problem Gambling、「NCPG」)の排除リストに登録することでカジノへの入場を禁止することができるという仕組みである。自分自身で登録することもできるし、家族による申請も可能、さらに行政により生活保護受給者、自己破産者などは入場を禁じられる。NCPGの年次報告書2011/2012によれば、2012年8 月31日時点で自ら入場禁止登録している者は118,426名で、家族による排除は1,206名、行政による排除は39,885名となっている。

シンガポールではカジノ施設への全入場者に対するIDチェックがあるのも特徴であろう。21歳未満は入場禁止だ。シンガポール人・永住権者と外国人で入り口が分かれており、先に述べたようにシンガポール人は100シンガポールドルの入場料を支払う必要がある。もっとも、実はシンガポール人には2,000シンガポールドルの年間パスが販売されており、これを購入すると回数の制限なく入場することが可能だ。年間パスは買ったら行かないと損だといって入場回数を増やす方向に作用しそうな気がするが、これもシンガポールらしい制度といえるかもしれない。なお、マカオ、ラスベガスではカジノ入場にあたってのIDチェックはなかった。

Photo: セントーサ島のマーライオン
Ⓒ Kodai Kimura

 さて、法律でこのような仕組みが設けられているものの、しっかりと遵守されているのだろうか。違反事例は定期的に報道されている。

2012年2月7日付けStraits Times紙「Two casinos fined total of $385,000」では、MBSとRWSが合計44人を規制に反して入場させたという理由で計38.5万シンガポールドルの罰金に課せられたと報道された。違反の内容は入場料を支払わなければ入場できないシンガポール人を入場料の支払いなく入場させた、入場料を支払ったが24時間を超えて滞在させた、排除プログラムの対象となっていたにもかかわらず入場させた、さらに21歳未満の者を入場させた、といった内容である。2013年1月16日付けStraits Times紙でも、MBSとRWSに対して同種の違反で計23万シンガポールドルの罰金が課せられている。なお、カジノ管理法により、このように入場規制に違反して入場した者がゲームで勝ったとしても、勝ち分はすべて没収対象になってしまう!

また、訴訟に発展するケースもある。カジノ管理法上、カジノ運営者によるシンガポール人・永住権者への与信取引は禁止されている。しかし、これには例外がある。プレミアム・プレイヤーになればよい。プレミアム・プレイヤーになるためには、カジノに10万シンガポールドルを預け入れる必要がある。10万ドルを預け入れすれば、カジノ運営者はプレミアム・プレイヤーにお金を貸すことができるという仕組みになっているのだ。このような与信取引によって負った債務を返済できず、訴訟に発展したケースが報道されている。10万ドルをMBSに預けたプレミアム・プレイヤーに対し、MBSが25万ドルを貸し付けたが、当該プレイヤーから返済がなされなかったという経緯で、MBS が返済を求めて訴訟に至った。争点は10万ドルが引き出されて口座に10万ドルがなくてもプレミアム・プレイヤーの資格が継続するか否かであった。裁判所は、規制ではプレミアム・プレイヤーであり続けるために10万ドルを常にカジノに預け入れなければならないという条件は課されておらず、口座に10万ドルがあるか否かにかかわらず、プレミアム・プレイヤーの資格を有すると判断して、MBSの請求を認めた(Marina Bay Sands Pte Ltd v Ong Boon Lin Lester [2013] SGHC 163)。

カジノ導入との因果関係は定かではないが、2010年に2,202件であった個人破産申立件数は2011年に2,314件、2012年に3,019件、2013年に2,824件と増加傾向にあるという統計もある(Insolvency & Public Trustee’s Officeの統計資料参照)。しかしながら、今のところ光が闇を飲み込んでいるといってよいだろう。MBSが放つ光はあまりにも眩い。今宵も開催されるレーザーショーのように。

PROFILE

木村剛大(きむら・こうだい)

弁護士

2007年弁護士登録。ユアサハラ法律特許事務所入所後、主に知的財産法務、一般企業法務、紛争解決法務に従事。2012年7月よりニューヨーク州所在のBenjamin N. Cardozo School of Law法学修士課程(知的財産法専攻)に留学のため渡米。ロースクールと並行してクリスティーズ・エデュケーションのアート・ビジネス・コースも修了しており、アート分野にも関心が高い。2013年8月よりシンガポールに舞台を移し、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所にて、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法的支援に従事した。2014年10月ユアサハラ法律特許事務所に復帰。

Twitter: @KimuraKodai

佐藤恵理さんの作品

第7回 中国は世界への扉
上海で元気に働くビジネスウーマン: 佐藤 恵理さん

Photo:佐藤恵理さんの作品 ⒸIDEA HAIR & MAKE

第7回 中国は世界への扉
上海で元気に働くビジネスウーマン: 佐藤 恵理さん

by 深水 エリナ(ふかみ・えりな)/ 析得思(上海)商務諮詢有限公司 総経理

アグロスパシア株式会社は、「私たちは社会にイノベーションを起こすエンジンだ!」を合言葉に、従来の「ベンチャー」の概念では定義の難しいニッチなテーマ、次世紀のライフ・スタイル研究、地球以外の惑星で生きてゆくために宇宙で必要となる技術…などを取り上げ、そこに関連する人と情報のアグリゲーションを目ざしています。

深水エリナさんは、自身も上海でマーケティング&セールス・コンサルティングを専門とする会社を立ち上げて活躍中ですが、『AGROSPACIA』では深水さんの協力を得て、上海を中心にアジアでダイナミックにビジネスを展開する人たちをご紹介するインタヴューのシリーズを連載しています。

今回の第7回目は、東京で雑誌・テレビ・広告・ファッションショーなど幅広い分野でヘアメイク、スタイリストとして活躍したのち、2005年上海に拠点を移し、IDEA創設からクリエィティブディレクターとしてサロンのブランドイメージを統括する傍ら、TV・広告・雑誌・ショー等でも活躍。サロンワークでは、日本テイストはもちろん、中国系・欧米系など異なるニーズをよみとり、独自の視点でデザイン。常に新鮮でときに意外性のあるスタイルを提案。多国籍に女性からも男性からも高い支持を得ている、佐藤恵理さんが登場します。これからさらなる活躍が期待される一人です。

Photo:佐藤恵理さんの作品 ⒸIDEA

深水:佐藤さんは、上海長いですよね。初めて上海とご縁が出来たのはいつなのですか?

佐藤:はい。長いです。笑 最初の反日デモのあった2005年から住んでいるので、まもなく10年ですね。ちなみに、上海とのご縁は、たまたま見ていたテレビ番組の中で私と同年代の女性がVIDAL SASSOONのショーでヘアメイクとして活躍しているシーンを見たんです。それまで、海外で若い女性が働けるなんて考えたこともなかったので、強烈に印象に残ったのを覚えています。そこから“いつかは上海に行く!”と、機会を伺っていました。そんな時にたまたま上海人の方がお客さんとしてお店に来たんです。このお客様にいろいろご紹介いただき、上海に来るきかっけとなったパートナーとも知り合え、上海での美容サロンの立ち上げという仕事に出会うことができました。

深水:今はどのようなお仕事が多いのですか?

佐藤:今は、 IDEA Colorful店でのサロンワークをしながら、雑誌やテレビ、ショーなどのヘアメイク、講習会も行っています。サロンのお客さんは、今では中国の方が6割を超えており、日本人のお客さんは3割ほどです。中国人のお客さんは日本人と比べると、長さや漠然としたイメージしかなく、それ以外はお任せというお客さんが多いですね。そういう意味では、日本人のお客さんよりも、プロとしての提案力が求められていると思っています。ちなみに最近は“アジア”を意識して仕事をしているようにしています。

Photo:韓国人の美容サロンオーナー、美容師向けの講習会in上海 ⒸEri Sato

深水:“アジア”を意識して仕事をするというのは、具体的にはどのようなことなのでしょうか?

佐藤:先月韓国から美容サロンオーナーや美容師の方が上海へ視察に来ていたのですが、その中で「「アジアにおけるヘアデザイン」をテーマの講習を担当させていただきました。上海ではやっている髪型やファッションはもちろん、日系サロンなのにどうやって中国人を集客するのかなど、かなり細かいところまでお話させていただきました。この講習で感じたのは、今までは上海で働いている日本人として、日本のはやりをどうやって中国に展開するかというのが私に求められていることだったのですが、今回は日本人美容師である私が、上海で、韓国人の美容サロンオーナーや美容師に中国人にサービスする上で日々感じていることを話すという不思議な三角関係。まさに、これがアジアで働くってこういうことなんだなぁとしみじみ思いました。来月は、ニューヨークで現地のサロンと交流をするのですが、美容・ファッションの最先端の街の技術を盗むだけではなく、アジアで働く美容師としてニューヨークの美容師にも刺激を与えられたらいいなぁと思っています。

深水:佐藤さんによって、上海というのはどのような街なのですか?

佐藤:上海はとにかく魅力的な都市だと思います。まさに魔都上海。「こういう人に逢いたい!」とか「こういう自分になりたい!」という、日本ではあまり肯定されない野心や欲望も努力次第で実現できる街だなぁと思っています。たまたま先日も「こんな仕事がしたい!」と回りに宣言していたら、ちょうどその関係者にお会いすることができたんです。本当に引き寄せってあるんだなぁと思いますね。自分が欲しいと思ってそれに向けて行動する、そうすると叶えていけるんです。逆にいうと日々に流されて生活しているタイプの人には上海には向いていないでしょうね。

PROFILE

佐藤 恵理(Eri Sato)
上海藝帝亜美容美髪有限公司 / IDEA HAIR & MAKE
CTO & CREATIVE DIRECTOR
佐藤 恵理

東京出身。東京にて雑誌・テレビ・広告・ファッションショーなど幅広い分野でヘアメイク、スタイリストとして活躍したのち、2005年上海に拠点を移す。IDEA創設からクリエィティブディレクターとしてサロンのブランドイメージを統括する傍ら、TV・広告・雑誌・ショー等でも活躍。サロンワークでは、日本テイストはもちろん、中国系・欧米系など異なるニーズをよみとり、独自の視点でデザイン。常に新鮮でときに意外性のあるスタイルを提案。多国籍に女性からも男性からも高い支持を得ている。

Style

深水 エリナ(Erina Fukami)
析得思(上海)商務諮詢有限公司
総経理
アパマンショップホールディングス、中国・インドでマーケティングリサーチ&コンサルティングを行うインフォブリッジを経て、2013年アイザックマーケティンググループの析得思(上海)商務諮詢有限公司の総経理に。
中国市場で事業を行う日系企業に対し、データ分析(統計解析やデータマイニング、テキストマイニングなど)やデータを軸としたシステム開発、ビジネスインテリジェンスサービスを提供している。
2008年より上海在住。
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