木村剛大(きむら・こうだい)
弁護士
2007年弁護士登録。ユアサハラ法律特許事務所入所後、主に知的財産法務、一般企業法務、紛争解決法務に従事。2012年7月よりニューヨーク州所在のBenjamin N. Cardozo School of Law法学修士課程(知的財産法専攻)に留学のため渡米。ロースクールと並行してクリスティーズ・エデュケーションのアート・ビジネス・コースも修了しており、アート分野にも関心が高い。2013年8月よりシンガポールに舞台を移し、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所にて、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法的支援に従事した。2014年10月ユアサハラ法律特許事務所に復帰。
Twitter: @KimuraKodai
第5回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– カジノを含む統合型リゾート導入による観光振興政策の光と影
第5回 東南アジアのハブ、シンガポールのリアリティ
– カジノを含む統合型リゾート導入による観光振興政策の光と影
シンガポール在住の木村さんは、ケルビン・チア・パートナーシップ法律事務所に所属する弁護士で、シンガポールのほか、インドネシアやヴェトナムなど、東南アジア各国に進出・展開する日系企業の法務支援を行って活躍中。『AGROSPACIA』では、シンガポールで活躍する方々のインタヴュー、木村さんご自身による取材に基づくコラムをお願いしています。
ご好評を頂いている連載第5回目は、日本でも注目の集まるシンガポールのカジノについて。
- Photo: マリーナ・ベイ・サンズのショッピングモール
- Ⓒ Kodai Kimura
すっかりシンガポールのシンボルになったマリーナ・ベイ・サンズ。日本でもSMAPが登場するソフトバンクのCMで見た方が多いかもしれない。建物の屋上に船が乗っていてプールがあるあの施設だ。シンガポールには、マリーナ・ベイ・サンズ(Marina Bay Sands、「MBS」)とリゾート・ワールド・セントーサ(Resorts World Sentosa、「RWS」)の2つのカジノがある。RWSは2010年2月にオープンし、MBSも2か月後の2010年4月にオープンした。
2020年の東京オリンピック開催決定も一因となり、日本でもカジノ導入の機運が高まっている。カジノを含む統合型リゾート(Integrated Resort)の導入による観光振興策である。統合型リゾートというのは、確立した定義があるわけではないが、一般にカジノや会議場、ホテル、ショッピングモールなどが一体となっている複合観光施設のことをいう。MBSとRWSも統合型リゾートであるものの、両者の基本コンセプトは異なる。まず、MBSは「MICE」( Meeting、Incentive、Conference、Exhibition)を基本コンセプトとしてビジネス客をターゲットとしている。これに対し、RWSはユニバーサル・スタジオ、世界最大級の水族館であるマリン・ライフ・パークなどの施設を設けて、家族客をメインターゲットとしている。異なる層をターゲットとすることでより多くの客を集客する狙いだ。
ところで、シンガポール人とシンガポール永住権者はカジノに入場するのに100シンガポールドルの入場料を支払わなければならない。この入場料を支払うことで24時間カジノに滞在することができる。回りのシンガポール人に聞くと、入場料を払わなければいけないため、カジノに入ったことがないという人も結構いるようだ。なお、私のような外国人は居住者でも旅行者でも無料で入場できる。
筆者はラスベガスやマカオのカジノも訪れたことがあるが、シンガポールとラスベガスでは雰囲気が異なるし、システムの違いもある。シンガポールのカジノ施設ではコーラなどのソフトドリンクは無料で飲めるが、アルコールは飲めない。ラスベガスはチップをウェイターに支払ってアルコールを飲みながらカジノに興じることもできる。また、ラスベガスでは場内でダンサーが踊っていたりしてエンターテインメントの空気を感じることができるが、シンガポールではそのような工夫はなく、皆黙々とディーラーと向かい合っている。MBSと同じくラスベガス・サンズが運営するベネチアン・マカオのカジノ施設とMBSは雰囲気が似ている。
ゲームの中身について多くを語れるほど筆者は玄人ではないが、結局は確率論の世界で、各ゲームはディーラーに少しずつ有利に設計されている。たとえば、ルーレットなら黒か白かで50%の確率で勝てると思いきや0(ゼロ)があるため、プレイヤーが勝つ確率は50%を切る。確率論で考えれば、多くのトライをすればするほど理論値に近づいていくわけなので、小額で多くの勝負をするよりも、1回で多額の賭けをするのが理屈的には賢いのだろうが、なかなかそうはいかないのが人の心理というものであろう。
- Photo: リゾート・ワールド・セントーサのカジノ入口
- Ⓒ Kodai Kimura
シンガポール観光庁(Tourist Board of Singapore)の公表している年次報告書(Annual Report on Tourism Statistics 2012)によれば、シンガポールへの外国からの観光客はカジノ開業前2009年の約970万人から2010年には約1,160万人、2011年には約1,320万人、2012年には1,450万人と順調に増加している。カジノによる売上げも順調で、MBSの2013年のカジノによる売上は、23.6億米ドル、RWSは21.8億シンガポールドルで合計約60億米ドルに上る(ラスベガス・サンズ及びゲンティン・シンガポールの2013年度年次報告書を参照)。シンガポールのカジノは、マカオ(約452億米ドル)、ラスベガス(約65億米ドル)に次ぐ売上に達している。
このようにシンガポールのカジノ導入は経済的側面からは明らかに成功しているといってよいだろう。しかし、カジノ導入には負の側面も存在する。一般に、カジノの問題点としては①反社会的勢力の介入(マネーロンダリング対策)と②ギャンブル依存症があげられる。シンガポールはこのような問題点にどのように対処しているのだろうか。カジノに関する規制は、カジノ管理法(Casino Control Act)という法律(その他に多数の規則がある)に定められており、監督官庁としてカジノ規制庁(Casino Regulatory Authority)が設けられている。
1.反社会的勢力の介入に対する方策としては厳格なライセンス制をとることである。シンガポールでは現在のところライセンスの数が2つに限定されており、MBSは米国最大手のカジノ運営会社ラスベガス・サンズがライセンスを取得し、RWSは東南アジア最大手のマレーシアの総合エンターテインメントグループのゲンティン・シンガポールがライセンスを取得している。
また、カジノ運営者に対してはカジノ規制庁による強い監督体制が設けられている。たとえば、カジノ運営者はカジノ運営に影響を及ぼしうる経済的利益を有する者(株主など)や取締役その他経営陣の変更などの「重要な変更」がある場合、カジノ規制庁から事前に承認を得なければならない。そして、カジノ規制庁が不適任と判断すればその者にカジノ運営者との関係を終了させるよう求めることができ、関係を終了しない場合はカジノ規制庁はカジノ運営者に対し、関係を終了させるよう命令できる。
さらに、カジノ運営に関係する50万シンガポールドル以上の物品供給やサービス提供は「管理契約」(Controlled Contract)としてカジノ規制庁に事前の通知が必要であり、カジノ運営者はカジノ規制庁により承認された者からのみゲーム機器の取引をすることが許容されている。マネーロンダリングについてもカジノ管理法は対策をとっている。現金は匿名性があるためにマネーロンダリングに弱い。そこで、マネーロンダリング対策として、1万ドル以上の現金取引(チップと交換するための現金の支払いなどのキャッシュイン、チップを現金化する場合などのキャッシュアウト)について、カジノ運営者にはカジノ規制庁に対する報告義務が課されている。
2.ギャンブル依存症への対策として、シンガポールでは「排除プログラム」を設けている。排除プログラムというのは、ギャンブル問題国家協議会(National Council on Problem Gambling、「NCPG」)の排除リストに登録することでカジノへの入場を禁止することができるという仕組みである。自分自身で登録することもできるし、家族による申請も可能、さらに行政により生活保護受給者、自己破産者などは入場を禁じられる。NCPGの年次報告書2011/2012によれば、2012年8 月31日時点で自ら入場禁止登録している者は118,426名で、家族による排除は1,206名、行政による排除は39,885名となっている。
シンガポールではカジノ施設への全入場者に対するIDチェックがあるのも特徴であろう。21歳未満は入場禁止だ。シンガポール人・永住権者と外国人で入り口が分かれており、先に述べたようにシンガポール人は100シンガポールドルの入場料を支払う必要がある。もっとも、実はシンガポール人には2,000シンガポールドルの年間パスが販売されており、これを購入すると回数の制限なく入場することが可能だ。年間パスは買ったら行かないと損だといって入場回数を増やす方向に作用しそうな気がするが、これもシンガポールらしい制度といえるかもしれない。なお、マカオ、ラスベガスではカジノ入場にあたってのIDチェックはなかった。
- Photo: セントーサ島のマーライオン
- Ⓒ Kodai Kimura
さて、法律でこのような仕組みが設けられているものの、しっかりと遵守されているのだろうか。違反事例は定期的に報道されている。
2012年2月7日付けStraits Times紙「Two casinos fined total of $385,000」では、MBSとRWSが合計44人を規制に反して入場させたという理由で計38.5万シンガポールドルの罰金に課せられたと報道された。違反の内容は入場料を支払わなければ入場できないシンガポール人を入場料の支払いなく入場させた、入場料を支払ったが24時間を超えて滞在させた、排除プログラムの対象となっていたにもかかわらず入場させた、さらに21歳未満の者を入場させた、といった内容である。2013年1月16日付けStraits Times紙でも、MBSとRWSに対して同種の違反で計23万シンガポールドルの罰金が課せられている。なお、カジノ管理法により、このように入場規制に違反して入場した者がゲームで勝ったとしても、勝ち分はすべて没収対象になってしまう!
また、訴訟に発展するケースもある。カジノ管理法上、カジノ運営者によるシンガポール人・永住権者への与信取引は禁止されている。しかし、これには例外がある。プレミアム・プレイヤーになればよい。プレミアム・プレイヤーになるためには、カジノに10万シンガポールドルを預け入れる必要がある。10万ドルを預け入れすれば、カジノ運営者はプレミアム・プレイヤーにお金を貸すことができるという仕組みになっているのだ。このような与信取引によって負った債務を返済できず、訴訟に発展したケースが報道されている。10万ドルをMBSに預けたプレミアム・プレイヤーに対し、MBSが25万ドルを貸し付けたが、当該プレイヤーから返済がなされなかったという経緯で、MBS が返済を求めて訴訟に至った。争点は10万ドルが引き出されて口座に10万ドルがなくてもプレミアム・プレイヤーの資格が継続するか否かであった。裁判所は、規制ではプレミアム・プレイヤーであり続けるために10万ドルを常にカジノに預け入れなければならないという条件は課されておらず、口座に10万ドルがあるか否かにかかわらず、プレミアム・プレイヤーの資格を有すると判断して、MBSの請求を認めた(Marina Bay Sands Pte Ltd v Ong Boon Lin Lester [2013] SGHC 163)。
カジノ導入との因果関係は定かではないが、2010年に2,202件であった個人破産申立件数は2011年に2,314件、2012年に3,019件、2013年に2,824件と増加傾向にあるという統計もある(Insolvency & Public Trustee’s Officeの統計資料参照)。しかしながら、今のところ光が闇を飲み込んでいるといってよいだろう。MBSが放つ光はあまりにも眩い。今宵も開催されるレーザーショーのように。