2018/08/30 10:22

文化を通じて人に投資するお隣の国・韓国
ーソウル・レポート3

Photo:サムスン美術館の外壁に設置されたローラン・グラッソ 「未来の記憶達」2010  ⒸTakushi Tani

文化を通じて人に投資するお隣の国・韓国
ーソウル・レポート3

by 谷 卓司(たに・たくし)

大阪市でデザイン事務所 T&T Design Lab.を主宰する谷 卓司さん。もともと文教系のクライアントが多く、紙から音・映像まで幅広いメディアでの編集業務を得意とする彼は、長年にわたる世界の美術館・博物館ウォッチャーでもあります。今回は2018年度「世界博物館の日(5月18日)」を記念して、UNESCO傘下のICOM(International Council of Museums)と韓国国立中央博物館、韓国博物館協会が共催したカンファレンスと、近年新しく設置された主に現代美術系のミュージアムを中心に、大学時代から数えて3回目となるソウルで、現地で目にした最新情報を報告してもらいます。

Photo:韓国家具美術館を取り囲む趣のある壁  
ⒸTakushi Tani

 食欲を満たした一行は、このエリアにある家具博物館を訪ねた。2,500点にものぼる韓国の伝統木製家具を収集、保存、展示する専門博物館で、韓国の昔の家屋10数軒を移設。実際の韓屋での家具の使われ方や生活様式を体感できる展示となっている。

韓国語の説明によるツアーが1日に6回、英語でのツアーは4回設定されていて、これに参加して館内をめぐる。生憎、館内は撮影禁止だったので、展示の様子をお知らせる写真は手元にないが、1部屋1区画毎に、その時代・階層の室内が再現されており、都度、ガイド女史が流暢に説明をそらんじた。

Photo:韓国家具美術館の入口  ⒸTakushi Tani

 当然のことながら、何かを読むではなく、暗誦である。
若いから?(記憶力は泉のように溢れ出るであろう)毎日同じことをやっていれば、誰だってできるようになる? いや、そういうレベルではない。通算約1時間・・・彼女は途切れることなく、マシンガンのごとく、説明をし続けたのである。それはもう感心を通り越して敬服モノであった。おそらく研究職ではないはずだ。接客専門のガイド・スタッフだと思うが、並々ならぬ専門知識を蓄え、漏れのないように参加者に伝えようという意志、あふれ出るホスピタリティ精神が一体どこから沸いてくるのだろうと目を見張った。さしずめ日本であれば、芸術系大学の美術史専攻の学生ボランティアのような印象ではあったのだが、若くて優秀な人材を確保・活用する仕組みが、この国にはきっとあるに違いない。それが、エネルギッシュな韓国の文化を下支えしているのだろうと感じた。

Photo:Leeum(サムスン美術館) ⒸTakushi Tani

 再びミニバンに揺られ、ソウル北部の山間地帯から市街地へと降りてきた。次なる目的地は、Leeum(サムスン美術館)である。ほとんど何の予習もしてこなかった僕は、IT技術満載のマルチメディア・ミュージアムを想像していたが、予想は見事に外れた。

確かに、家電最大手のサムスン電子が中核を占めるとはいえ、サムスングループは韓国最大の財閥であり、取り扱っている分野は電子ガジェットに留まらない。重工業から商社、生命保険にいたるまで守備範囲は多岐にわたる。そんなサムスンの創業者(李秉喆)に因む館名から類推しても、国宝級の古美術が収蔵されていることは、実は驚くには値しない。京都の鹿ヶ谷にある泉屋博古館が、やはり住友家にまつわる古美術のコレクションを展示しているのと似たようなものだろう。だが、それは実際に足を踏み入れるまでは、想像もしていなかった。単純に、電気メーカーのショールームに毛の生えたような先入観しかなかったのである。自らの世間知らずを恥じたいと思った。

Photo:屋外彫刻(アニッシュ・カプーア「大きな樹と眼」2011) ⒸTakushi Tani

 Leeumは、韓国の古美術を常設展示する「ミュージアム1」、韓国をはじめ世界のアーティストによる現代美術を常設展示する「ミュージアム2」、子供達のための「サムスン児童教育文化センター」の3棟で構成される。それぞれが世界的な建築家による設計で、建物そのものが芸術作品といっても過言ではない。2004年に開館した。

ミュージアム1はミラノ・スカラ座の改修などを手がけたスイスの建築家マリオ・ボッタによるもので、韓国の伝統陶磁にインスピレーションを得て設計。ミュージアム2は電通本社ビルなどを手がけたフランスの建築家ジャン・ヌーヴェルが、錆びたステンレスとガラスを用いて現代美術の尖端性を表現。企画展示室のある児童教育文化センターはオランダの建築家レム・コールハースが担当。世界で初めてブラック・コンクリートを使用した内部空間は空中に浮遊するような未来的空間を体現している。

屋外にも現代アート界の巨匠たちの作品が所狭しと展示されていた。屋内が撮影禁止であったため遠慮したが、同行のジェーンさん(米オハイオ州クリーブランド・ミュージアム学芸員)は構わずパチパチやっていた。同業者の視察という強みだろうか、アメリカ人の大らかさか。僕も関係者面して堂々と撮れば良かったのだが、後悔は先に立たず・・・

Photo:ミュージアム2 常設展示(ナムジュン・パイク「マイ ファウスト通信」1989~1991) ⒸTakushi Tani

 お家芸ともいうべき「マルチメディア」の導入は、鼻につかない程度にそこかしこで展開されていた。大画面タッチパネルで壺の底まで360度グルグル回転して観られたし、綴じた書物は現物に触れることなく、すべてのページを閲覧できるようになっていた。デジタルガイド(首からぶら下げる携帯端末)も優れもので、もちろん音声だけではなく写真とテキストが展示作品の前に行くと自動で表示される。若干、位置のセンサリングが甘いかなという印象はあったが、機械任せの「自動」というヤツは何であれ曲者だ。

財閥の末裔によるお騒がせ事件がときどき社会を賑わせる韓国ではあるが、富の集中が文化を支える一面は否定できない。要は収益を社会に還元する回路がきちんと備わっているかどうか。そしておそらく富の集中は、多かれ少なかれそうした回路を必然的に生み出すものなんだろうと思う。金儲けにしか興味がないかと思われたWindowsの生みの親も、今や石油王J.P.ゲティやJ.ロックフェラーの仲間入りを果たしているように見受けられるのだから。

Photo:アモーレパシフィック美術館受付(APMA) ⒸTakushi Tani

 最後に訪れたのがアモーレパシフィック美術館(APMA)、韓国国内第1位の化粧品メーカーの企業ミュージアムである。ちなみにアモーレパシフィック社は1945年創業の太平洋化学工業社がルーツ。世界ランキング第17位、アジア圏内では資生堂、花王に次いで第3位で、本国韓国で20以上の化粧品メガ・ブランドを持ち、健康食品やトイレタリーまでカバーする老舗だ。

Photo:アモーレパシフィック本社ビル 
ⒸTakushi Tani

 降り続く生憎の雨天の中、車での移動だったのでロケーションがいまいち把握できていなかったが、龍山駅前の煌びやかなキューブ型の本社ビルのなかに設置されていたことが、後日の散策で判明した(笑)。2017年11月竣工の新社屋で、世界的建築家デイヴィッド・チッパーフィールドの設計。ビル上部にぽっかり空いた空間は龍の通り道だそうで、いかにも風水好きな韓国人受けする発想だと思った。

地下1階から3階までがオープンな空間となっており、新龍山駅が直結する地下1階はカフェやレストラン、ショップなどが入る商業施設アモーレスクエア、1階に総合受付、ライブラリー、カフェなどがあり、2階には文化行事などを開催するホールに加えて、従業員のための社内保育園も完備されている。ほかにアモーレパシフィックのブランド体験館もある。

Photo:無機質なコンクリート打ちっ放しの壁に記されたフロアー表示。地下1階から3階までがオープンな空間となっている ⒸTakushi Tani

 美術館は、このビルの地下1階から地上1階にかけて設けられている。2018年5月の開館を記念して、メキシコ生まれのカナダ人メディア・アーティスト、ラファエル・ロサノ=ハンマーの「Decision Forest」展が開催されていた。無機質なコンクリート打ちっ放しの巨大空間に、人間の記憶や五感を問い直すような大がかりな作品が展開されていた。来場者が作品に積極的に参加、関係することで完成するインタラクティブな作品群は、彼の26年間の集大成ともいえるだろう。

案内をしてくれた若い女性学芸員が、あまりにも流暢な日本語を話すので、訊ねたところ、慶應義塾大学に留学してアート・マネジメントを専攻していたことが判明した。共通の知人(退官した元教授)がいて話が弾んだことは言うまでもない。彼女は「母国に帰っただけ」かも知れないが、専門性があまり重視されない(それ以外の幅広い業務を期待される)日本の学芸員の現状を鑑みると、国内の非正規雇用にばかり囚われずに、海外・周辺国の職場にも目を向けてみる価値は大いにあるのではないかと考えさせられた。もちろん、それには前提となる語学力が必須であることは言うまでもないのだが。

PROFILE

谷 卓司(たに・たくし)

大阪市淀川区でデザイン事務所 T&T Design Lab.を主宰。文教系のクライアントが多く、紙から音・映像まで幅広いメディアを守備範囲に、編集業務を得意とする。ボランティア活動にも意欲的で、母校同窓会では月例の講演会(六稜トークリレー)のお世話を2003年の立ち上げから継続、現在162回を数える。岡山県立大学で非常勤講師。ゲームヲタにして鯨(くじら)フリークとしても知られる。