2017/03/05 06:55

頭の中はいつもヴェルディ/編集長のコラム Vol.12

Photo:SFMoMAに展示されたアレクサンダー・カルダーのモビール ⒸAgrospacia

編集長のコラム Vol.12
それでも移民はアメリカを目ざす・・・

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

 2017年1月20日(アメリカ東部時間のトランプ大統領就任式以来、「まさか、こんなことが・・・」といったことが立て続けに起こり、1月27日に出されたイスラム系7カ国の一般市民の入国を禁じる米大統領令には、その直後から米国内外で抗議の声が上がった。里帰り中だったグリーン・カード(永住権)保持者、出張中の大学関係者やビジネスマン、一時帰国していた留学生などが到着した空港でいきなり足止めされ、入国を許されない事態となり、ニュースを知った移民法の弁護士らが各地の空港へと自発的に駆けつけ、空港ロビーや空港内のファスト・フード店などを拠点にして、不眠不休でイスラム系7カ国出身者の支援に当った。全米のリベラル支持者らは、twitterなどで状況を絶えずチェックしながら、時には椅子も机も無い空港の床に座り込んでノート・パソコンに向かって作業するボランティアの弁護士たちを「ヒーロー」と呼んで喝采を送った。
 ほぼ同時に、この大統領令は憲法違反だとしてワシントン州などが差し止めを求める訴訟を起こし、早くも2月3日、同州シアトルの連邦地裁が全米で大統領令の一時差し止めを命じる決定を出した。米政府側は直ちに抗告したが、米連邦高裁は入国禁止差し止めを支持したことで、「合衆国にはまだ正義がある」と、心ある人々はひとまず胸を撫で下ろすこととなった。

Photo:リニューアルしたSFMoMAの白い外壁 ⒸAgrospacia

 しかし、これで安心ということではまったく無く、イスラム系7カ国出身者を思い通りに入国禁止にできないと悟ったトランプ政権は、今度は滞在許可の切れた、あるいは不法入国した過去のあるメキシコ出身者たちを摘発し、強制送還するための捜査に力を入れたため、親子や夫婦が引き裂かれるなど、各地で悲劇が広がっている。それどころか、アメリカ生まれの合衆国市民であるメキシコ系の人たちが、街中を歩いていたり、食事中にいきなり高圧的な態度で身分証明の提示を求められることが多発しているため、アメリカ人が自国内で生活しているにもかかわらず、毎日、家を出る時にアメリカのパスポートを忘れずに持ってゆかねばならないといったことが起きている。
 こうした事態に対し、第二次大戦の折り、西海岸の日系アメリカ人およそ12万人が内陸の収容所へと強制移住させられたフランクリン・D・ルーズヴェルトの大統領令から今年が75周年ということもあって、日系を中心に、アジア系アメリカ人の人権団体がイスラム系やメキシコ系の人たちへの排斥に強く抗議するシンポジウムや勉強会を展開している。たとえ今は自分が攻撃されなくても、特定の人種、あるいは、宗教が排斥の対象になっているのを見逃すと、次は自分の番であり、自由や正義が危険に晒されることになる。だからこそ、すぐに声を上げなくてはならないということだ。

Photo:アンゼルム・キーファー作品のギャラリー ⒸAgrospacia

 アップルの創業者・スティーブ・ジョブズの実父がシリア生まれのアラブ系であることは衆知の事実だ。彼が留学生としてアメリカの大学で学び、ジョブズの母と出会っていなかったら、スティーブは生まれておらず、アップルは存在していなかったことになる。また、全米の医師のなんと六割近くが外国生まれ(その多くがアラブやインド系)であるため、万一、出身国や宗教で医師を選別するようなことになると、アメリカの医療は成り立たなくなってしまうという。トランプ大統領の側近、スティーブン・バノン氏は「シリコン・バレーの経営陣にはアジア系が多過ぎる」と不満を漏らしたそうだが、彼の脳裏にある「アジア系」の中心的イメージは、おそらくインド出身の優秀なエンジニアたちであろう。シリコン・バレーだけでなく、アメリカの大学や研究機関で物理学やエンジニアリング、コンピューター・サイエンス、医学などの研究を支えている働き盛りの多くが、トランプ政権が目の敵にしているイスラム系7カ国、また、インドなどからの移民なのだ。
 3月2日(米・東部時間)、「消える画像SNS」と呼ばれる若者に人気のSnapchatを運営する米・Snapがニューヨーク証券取引所(NYSE)に上場した。久々の注目IPOだったが、初値は24ドルで、公開価格の17ドルを41%も上回った。共同創業者のエヴァン・シュピーゲルCEOは26歳、ロバート・マーフィーCTOは28歳。アメリカにはまだまだチャンスがあり、才能のある若者に投資する人はいくらでもいる。そして、これらのスタート・アップ企業には世界中からアメリカの大学に集まった留学生たちの頭脳が寄与しており、彼らがアメリカのイノベーションと経済発展を支え、やがては彼らもアメリカ市民となってゆく。
 SFMoMAと呼ばれるサンフランシスコ近代美術館は2016年5月14日、3年に及ぶ大規模拡張工事を終えてリニューアル・オープンした。展示面積は以前の2倍となり、レストランやロビーなどの面積も増えたが、毎日訪れる市民や観光客でごったがえしている。そこに展示されている近・現代美術作品の数々は、かつて移民としてカリフォルニアに渡り、成功を収めたビジネスマンや投資家たちが生涯をかけて集めた美術品を寄贈したものだ。SFMoMA理事会の現在の会長は、世界的な衣料品メーカー、GAP Inc.会長のロバート・フィッシャー氏だが、カリフォルニアの美術館の理事会に中国系やメキシコ系の名前と共にアラブ系やインド系の名前が多く見られる日も近いことだろう。トランプ政権は最長でも8年だが、アメリカが存在する限り、アメリカを目ざす若い移民たちの流れが止まることはないだろう。そして、シリコン・バレーはいつでも彼らを歓迎するはずだ。