2016/12/07 16:57

真珠湾攻撃:日米開戦から75周年を前に思うこと… Vol.3
日系アメリカ人にとっての“with liberty and justice for all”

Photo:Japanese American National Museum/全米日系人博物館(JANM)正面入り口へのアプローチ ⒸAgrospacia

真珠湾攻撃:日米開戦から75周年を前に思うこと… Vol.3
全米日系人博物館/Japanese American National Museumから考える第二次世界大戦

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

 全米日系人博物館(Japanese American National Museum/JANM)はロサンジェルスのダウンタウン近く、リトル・トーキョー歴史地区にある。ガイドブックを見ると、リトル・トーキョーは「日本人街」と書いてあり、1880年代半ばに遡って、たしかにこの一帯はアメリカに移住した日本人にとってのコミュニティの中心地として栄えた場所で、最盛期に日本人・日系人の人口は約3万人を数えたという。現在では、日本の領事館や日本企業のオフィスのほとんどが他の地域に移転してしまい、ラーメンや寿司などの日本風飲食店を中心とした商業エリアになってはいるが、1990年半ば以後、経営者のほとんどは韓国系や中国系に変わり、この近くに暮らしている日本人や日系アメリカ人は少ない。第二次大戦の終結後、広くアメリカ社会に溶け込むようになった日系アメリカ人の若いジェネレーションは、多くが高学歴で、ホワイトカラーの専門職に就いた比率が高く、郊外の緑豊かな住宅地で暮らしている。高度経済成長期以後に進出した日本企業の駐在員たちも、対ドルで円が価値を増すにつれて、同じように郊外の高級住宅地に暮らすようになっていった。
 日本のバブル崩壊後も、1995年に野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースと契約した頃には、多くの日本人がリトル・トーキョーを訪れたそうだが、今はイースト・ファースト・ストリートに立つ都ホテルの正面玄関を出て左右を見渡すと、日本の地方都市で見かける商店街ほどの長さの目抜き通りに十数軒程度の日本食レストランが立ち並んでいるものの、かつて3万人もの人口を抱えたという日本人街の面影はまったく感じられない。昨今、日本食レストランは市内のどこででも簡単に見つかるので、日本からの観光客がわざわざリトル・トーキョーに足を伸ばすことも減ったのだろう。ただし夕刻になると、アニメやゲームなど日本のサブカルチャーに関心を持つと思しき若者たちの姿が散見されるようになり、ラーメン店やアジア系フュージョン料理を出すバーなどは、仕事帰りと思しき多様な人種グループで相当な賑わいを見せていた。全米日系人博物館(JANM)は、そんな変わりゆくリトル・トーキョーの一角に位置している。

Photo:日系人が実際に使用したトランク
ⒸJANM

 ロサンジェルスは現代美術の盛んな街だ。私の専門は、もともとアメリカ現代美術と美術館運営・管理学なので、学生時代からロサンジェルス郡立美術館、MoCA、ゲティ美術館などを訪れるために、北カリフォルニアから週末を利用して1〜2泊、場合によっては日帰りで何回となく訪れていた。MoCAの正式な建物が完成するまでの間、「ザ・テンポラリー・コンテンポラリー」と呼ばれた現在のザ・ゲフェン・コンテンポラリー ・アットMOCAは、実は、JANMから歩いて10分以下の距離にある。それにも関わらず、なぜか私は今まで一度もJANMを訪れたことがなかった。
 ロサンジェルスのダウンタウンは、1999年から始まった「LAルネッサンスプロジェクト」という再開発計画によって注目されるようになり、リトル・トーキョー界隈に新たなコンドミニアムが建設・分譲されるなど、今は通勤に便利なダウンタウンの新しい街として生まれ変わりつつある。そこに日本食レストランが集積し、アジアン・テイストのインテリア・デザインを行うデザイナーのオフィスや日本風の家具を売る店が集まってきているのは興味深いが、居住者は必ずしも日系・アジア系というわけではない。また、若い芸術家たちがリトル・トーキョーに隣接する倉庫群に目をつけ、MoCAのザ・テンポラリー・コンテンポラリーがオープンした頃から多く移り住むようになり、この地域は「アーツ・ディストリクト」と呼ばれるようになった。倉庫を改装した天井の高いアトリエ+居住スペースがオシャレでカッコいいということで、その後、芸術家ではない裕福層の間で人気に火がつき、今では家賃や不動産価格が高騰している。全米日系人博物館(JANM)の向かい側にはメトロ・ゴールドラインのリトル・トーキョー/アーツ・ディストリクト駅も数年前にできて、公共交通機関の整備がさらに進んでいる。この地域は日系アメリカ人の歴史に関係ある無しに関わらず、ロサンジェルスの一部として、これからも大きく発展し続けていくことだろう。

Photo:JANMの歴史資料とパネルによる展示 ⒸJANM

 全米日系人博物館(JANM)を訪れるのは初めてのことだったので、私はスタッフにお話を聞く前にゆっくり展示を見ることにした。私の専門は現代美術と美術館運営・管理の研究ということもあり、NYの美術館で研究員として働いていたこともあるので、美術館と歴史博物館という違いはあっても、アメリカのミュージアムにはどのような職務があって、どのように取材を申し込むべきかについては理解しているつもりだった。JANMに取材を申し込もうと連絡を取り始めた矢先の5月24日、館長でCEOのグレッグ・キムラ博士が6月一杯での辞意を表明したという記事が『LAタイムズ』に掲載されたので、博物館の長期的な展望について聞くのは、時期が悪いだろうと思った。私は今回の訪問を、博物館の理事会に名を連ねる日系アメリカ人の皆さんを含め、日系の歴史について誰に、どのように取材を進めてゆくべきか、まずはその相談をしたいと考えていたので、アーカイヴ担当者や、マーケティング&広報の担当者にコンタクトすることにした。テーマが日系アメリカ人の歴史なので、そうした内容に詳しい研究者ということで、日系の名前を想定していたのだが、これは見事に裏切られた。アメリカの博物館は”equal opportunity employer (雇用における機会均等の提供者)”なので、職務内容に最適の人物であれば、何も日系アメリカ人である必要はないのである。全米日系人博物館(JANM)のアーカイヴ担当が東欧系の名前であることに「アメリカらしいな」と思い、マーケティング&広報担当者も日系ではなかったが、最終的に外渉(external affairs)担当副館長のリック・ノグチ氏に時間を取って頂くことになった。
 取材までの時間、展示スペースを見て回っていると、解説を担当するドーセントの日系人男性に声をかけられた。週2〜3回ヴォランティアとして解説を担当する、自身も子どもの頃に収容所を体験された、70代後半の方だった。「展示をご覧になるのは初めてですか?」と笑顔で声をかけられたので「はい」と答えると、「アメリカ生まれですか?」と尋ねられたので、「いえ、日本生まれの日本人です」と答えた。自分自身、何度もLAに来ていながらJANMを訪れたことがなかったので、「ここで日本から来た観光客に会うことはありますか?」と質問すると、「修学旅行の高校生の団体に話をしたことがあります」とのことだった。よく聞くと、LAまで修学旅行へ来るような日本の学校は昨今少ないようだが、景気が良かった頃には、そういうこともあったのだろう。2〜3人連れのグループでは親戚が駐在員だとか、自身や家族が駐在員で、子どもが学校のレポートの宿題で自分の家族と先祖についての発表をするリサーチのため、家族連れでやってきたという人がほとんどのようだ。アメリカの学校ではその手の宿題が多いので、JANMは大いに役立っていることだろう。ディズニーランドやユニバーサル・スタジオに行くことを目的としたような、いわゆる「観光客」は、やはり少ないようで、訪れた日、館内は閑散としており、熱心に見学していたのは、高齢の白人グループぐらいだった。

Photo:ナチスの強制収容所を解放した日系人部隊
ⒸJANM

 メインとなる展示は、1941年12月の真珠湾攻撃の後、急速な日系人への排斥感情の高まりを受けて、翌年2月のフランクリン・ルーズヴェルトによる大統領令9066号(通称:防衛のための強制移動の権限)の発布により、家財道具を大急ぎで処分して(財産を直接没収されたわけではないが、短期間で家財やビジネスを売却しなければならなかったため、二束三文にしかならなかった)、持てるもののみをスーツケースにまとめて強制収容所へと送られた際、実際に日系人の人々が使用していたスーツケースが壁のように積み上げられているもの、収容所のバラックを移築再現したエリアなどが、歴史資料のパネルと共に構成されていた。第二次大戦中、約12万人の日系アメリカ人が強制収容所に収容されたということなので、壁のように積み上げられたスーツケースは、ごくほんの一部に過ぎないのだが、それでも、その物理的な圧迫感たるやすさまじいものがある。収容された人たちの62%が二世あるいは三世(いずれも合衆国生まれで市民権を持つ)であり、残りが一世(定住外国人としての移民)だった。
 展示は、その後、合衆国への忠誠を示すために強制収容所から出征していったアメリカ生まれの日系アメリカ人の、世に名高い第442連隊・第100歩兵大隊での活躍、ヨーロッパでナチスのユダヤ人絶滅収容所を解放したのが日系人部隊であったこと、書類作成などで軍務に貢献した若い日系女性たちについて、また、日系人を強制収容して市民権を否定することは憲法違反であると一貫して日系人の権利のために声をあげ続けたアメリカ人の勇気ある行動についてなどが紹介されている。いずれも画像、動画、音声、資料など貴重なものばかりだが、アメリカの近代史に不慣れな日本人にとっては、驚くことばかりである。これらは一般公開されている展示だが、研究者向けにより稀少な一次資料の手紙や写真、書籍、公文書などを、予約の上、アーカイヴで閲覧することができる。また、動画や音声(オーラル・ヒストリー:当事者インタヴュー)ファイルの多くはインターネット上で公開されており、オンラインで視聴可能だ。
 メインのギャラリーでの恒久展示のほか、トーヨー・ミヤタケを含む日系アメリカ人の著名な写真家による作品の企画展などを見てまわり、それから外からも直接入れるようになっているテラサキ・ガーデン・カフェのティー・ルームでノグチ氏に取材する際の質問を整理することにした。このティー・ルームでは緑茶やほうじ茶だけでなく、ジャスミン・パールといったエキゾチックな名称のお茶を取り扱っており、その時の店員さんたちはヒスパニック系のイケメンばかりだった。LAは俳優やモデルを目ざす若者たちが飲食店で働いているので、若く、美しい人が多い。ポットでもらったジャスミン・パールをカップに注いでいると、隣のテーブルに座る「初デート」とおぼしき、いかにもお金持ちそうな十代の白人カップルが初々しい会話をしているのが耳に入ってきた。両親が仕事で世界中を旅している話題から、東京の秋葉原がいかに素晴らしい所であるか、珍しいほど礼儀正しい二人のやり取りが聞くとはなしに耳に入ってきて、こういう裕福でリベラルな家の子どもたちがデートの場所に全米日系人博物館(JANM)を選ぶのか・・・なるほどと、感慨深い思いをした。

Photo:リック・ノグチ氏とミツエ・ワタナベ氏 ⒸAgrospacia

 約束の時間になったのでリック・ノグチ氏にお会いして、JANMが設立された経緯やアメリカ社会での受け止められ方、予算がどのようになっているのかなどについてお聞きすることにした。私は今年(2016年)が真珠湾攻撃から75年目にあたることが気になっていたので、それ以前の日系アメリカ人の歴史に思いが及ばず、「この博物館ができたのは、1988年のロナルド・レーガン大統領による日系アメリカ人の第二次大戦中の強制収容への公式謝罪と補償の支払いの決定(Civil Liberties Act of 1988)が経緯でしょうか?」と質問した。するとノグチ氏は、「もちろんそれは重要なことですが、日系の歴史というのは19世紀に遡ります。この近くの日系コミュニティは1890年前後から存在していたのです。そういった事実について、アメリカ社会、日系アメリカ人自身もあまり知らないので、そういった歴史的な部分をすべて俯瞰するミュージアムであることを目ざしています。それと、ずいぶん前から日系アメリカ人の博物館を創ろうという動きがロサンジェルスにありまして、実は、二つの異なるグループに別れていたのですが、幸い、1985年に一緒に力を合わせようということになって、JANMが非営利のミュージアムとして法人化されました。それを耳にしたカリフォルニア州議員のアート・トレス氏が地域に広く貢献してきた日系コミュニティのために、ロサンジェルス市が同額を拠出するという条件で、州が75万ドルを出す法案を通し、ロサンジェルス市は翌年、100万ドルを出すことになりました。同時に日系コミュニティの主立った人たちが必死の呼びかけを行って寄付を集め、最初の拠点としては、この週末に”Go for Broke National Education Center”として、また、新たに生まれ変わりますが、旧・西本願寺の建物を改装して1992年に全米日系人博物館(JANM)としてオープンしました。現在のこのパヴィリオンに移ったのは1999年1月になってからで、この建物の落成には多くの日本企業が多額の寄付をしています」と語った。
 JANMは「スミソニアン・アフィリエート」とウェブ・サイトに明示されているので、「ワシントンDCのスミソニアン博物館との関係はどうなっているのでしょう? 予算の一部は連邦政府から助成されているのですか?」と尋ねると、「いえ、スミソニアン・アフィリエートになるのは、ミュージアムの側から申請して認められるもので、予算などは一切つかないのですよ。私たちはJANMの予算の一切を独自に集めなくてはなりません。地域のコミュニティ、ジョージ・タケイさんのような日系の有名人の方たちが手伝ってくれて、資金集めの大規模なイヴェントもやりますけれど、これだけ大きな施設なので、正直なところ、維持はなかなか大変です」とのことだった。JANMがオープンする前までは好景気の日本から多くの企業が進出しており、寄付も比較的容易に集まったようだが、今は見る影もない状況なので、新しいリサーチ・プロジェクトや野心的な展覧会を企画するには慎重にならざるを得ないようだ。一方で、新たな訪問者、特に日系に限定されない若者たちにリーチしようという試みも行われていて、2015年に行われた「ハロー・キティ」展では年間訪問者数が通常の年の2倍の20万人に跳ね上がったという。ただし、こうした企画にはJANM本来のミッションとは方向性が違うのではといった批判的な見方もあるようで、舵取りは難しいようだ。様々なアトラクションに溢れるロサンジェルスで、観光客への知名度を上げていくことも課題で、観光業に詳しいミツエ・ワタナベ氏が担当となって、ホテルへのプロモーションやグループ・ツアーの誘致に力を入れてもいるという。

Photo:全米日系人博物館には地元の学校から
見学グループが毎日訪れている ⒸAgrospacia

 JANM は、6月8日付で、グレッグ・キムラ氏の跡を継ぐ暫定館長・CEOとしてアムネスティ・インターナショナルUSAの会長であるアン・バローズ氏を任命したことを発表した。すべての条件が整った館長が決まるまでの間、暫定館長を任命することは昨今のアメリカの非営利団体では珍しくないことだが、バローズ氏は南アフリカ出身で、若い頃、反アパルトヘイトの活動家として投獄された経験があるという。彼女のバックグラウンドが歴史よりも、人権擁護活動に重点があるのは興味深いことだが、これはJANMの社会的な立ち位置を示すものだろう。
 日系コミュニティは2001年、9.11の米同時多発テロ後にイスラム教徒へのレーシャル・プロファイリング(特定人種グループへの偏見に基づく排斥)が各地で起きた際、真珠湾攻撃直後に日系アメリカ市民への偏見と排斥が起き、それが日系人の強制収容につながったことを指摘して、人権活動家や法曹関係者を中心に強い懸念を表明した。JANMも、そうした危機感を表明するプラットフォームとなった。2016年の米・大統領選挙の結果、イスラム教徒やメキシコ系移民、身体障がい者、性的マイノリティなどへの差別的な言葉を公然と口にしてきたドナルド・トランプ氏が次期大統領に選出されたこと、その直後にトランプ氏の側近がかつての日系人の強制収容を引用し、イスラム教徒は登録して管理すべきだとTVのニュース番組で言い放ったことで、再び日系、及び、すべてのマイノリティ・グループは危機感を強めている。
 JANMのすぐ近くに、日系人強制収容所から祖国アメリカのために出征して闘い、命を落とした多くの日系アメリカ市民を追悼する”Go for Broke”の記念碑があり、そこには、彼らの功績は「今後、二度と、いかなる集団であっても自由と市民としての権利を脅かされることがあってはならないという教訓として記憶され続けることだろう」という、ベン・タマシロ氏の言葉で結ばれている。現在、JANM理事会で会長を務めているのは、1988年のロナルド・レーガン大統領による日系アメリカ人の第二次大戦中の強制収容への公式謝罪と補償の支払いのCivil Liberties Act of 1988の制定に尽力した、当時、下院議員(民主党)だったノーマン・ミネタ氏である。二度と、いかなる集団であっても自由と市民としての権利を脅かされることが起きないアメリカであって欲しい。そして、現職の日本の首相として初めて安倍総理は12月末に真珠湾を慰霊訪問するというが、その際、真珠湾を奇襲攻撃するという当時の日本政府の判断が、アメリカ市民であった12万人にも及ぶ日系人にいかなる苦難をもたらすことになったのかについても思いを馳せて欲しいと切に願う。日本と日本人は、真珠湾を旧帝国海軍が奇襲したことで、日系アメリカ市民の強制収容に決して無関係ではないということを、2016年の今日、12月8日(ハワイ時間、7日、午前7時48分)に考えると同時に、犠牲となった民間人を含む2,403名のアメリカ人に哀悼の意を表したい。

※日系アメリカ人についてのリサーチ・プロジェクトは2016年、匿名による取材費のご寄付によってスタートしました。今後、全米各地への取材を継続してゆくため、さらなる取材費が必要となります。特定テーマや人物についての調査をご希望の方は、info@agrospacia.comまでご相談下さい。また、プロジェクトを応援して下さる方は下記の銀行口座まで、ご寄付をよろしくお願い致します。合衆国にお住いでドルでの寄付を希望される場合は、別途、ドル建の口座をご案内致しますのでお問い合わせ下さい。このプロジェクトに特定した広告も歓迎します!

みずほ銀行 新宿支店(普通)2328811 アグロスパシア(カ