2014/02/24 12:00

前編:今、改めて「地方の時代」という言葉を噛みしめる
— 湘南国際村での第6回21世紀ミュージアム・サミットをふりかえって・・・

Photo:一面の銀世界となった湘南国際村の雪景色 ⒸJunko Iwabuchi

前編:今、改めて「地方の時代」という言葉を噛みしめる
— 湘南国際村での第6回21世紀ミュージアム・サミットをふりかえって —

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

 「湘南国際村」をご存知だろうか? 最寄り駅はJRの逗子、または、京浜急行の汐入駅だが、そこからバスで軽く20分はかかる位置関係にあり、エリアをよく知る人は「葉山の…」というが、三浦半島の真ん中の小高い山の上に位置しており、我々が会議などで利用する湘南国際村センターまで到達するには、かなりの時間を要する。

 今回で第6回めを数えた21世紀ミュージアム・サミットは一年おきの開催で、毎回、このかながわ国際交流財団 湘南国際村学術研究センターが会場となってきたが、今回は、生憎と記録的な大雪となった2014年2月8日、9日の週末だったので、前泊していた来賓と一部の参加者を除いて、会場へ行き着くだけも相当な困難を極めた。筆者はなんとか開始時刻までに無事に辿り着くことができたものの、分科会によってはスピーカーが間に合わないかもしれない、あるいは、電車が止まってしまって通訳が来られない…といった状況で、思いがけずに、はらはら、ドキドキの連続となってしまった。非常事態ともいえる状況下でのサミット運営だったため、来場者の安全を確保しなくてはならない重責を担った事務局の困惑と緊張はいかばかりであったことか。無事にサミットが終了したことに、出席者の一人としてほっと胸をなで下ろしているが、いろいろな意味で「忘れ得ぬ体験」となった。

Photo:基調講演するジャック・ラング氏
Ⓒ公益財団法人かながわ国際交流財団

 大雪の影響は主催者、参加者の予想を遥かに超え、8日の夜のレセプションの最中に電灯がちらつき始めたので、「まさか停電なんてことがあるわけないですよね」と近くの人と談笑しているうちに一瞬真っ暗になり、非常用電源に切り替わるといったことが何回か繰り返された。停電になるのも時間の問題だろうと察して自室に引き上げた直後に再び停電となり、夜10時頃にはフロントから連絡が入り、「当面、停電が続く」という説明があった。幸い夜半過ぎに電気は復旧したものの、窓の外を吹きすさぶすさまじい雪嵐の音を聞きながら、この国の行く末、特に美術館や芸術・文化が置かれている状況に思いを馳せると、決して明るい気持にはなれない一夜だった。

 湘南国際村は、「歴史と文化の香り高い21世紀の緑陰滞在型の国際交流拠点」を謳って今から20年ほど前にオープンし、初代の湘南国際村協会社長は、長く神奈川県知事を務めた長洲一二氏であった。長洲一二氏といえば、横浜国立大学の経済学部教授から政界に転じた異色の経歴の持ち主で、他に先駆けて「地方の時代」を主張したことで知られている。在職期間が1975年から1995年までと、5期20年の長きに渡ったため、筆者が子供の頃、すでに「神奈川県知事といえば長洲さん」という印象があったが、アメリカの大学、大学院へと進学した後に帰国してみたら、まだ長洲さんは知事としてご活躍中だった。当時は「経済発展を遂げた日本は、これから芸術や文化を重視した豊かな社会を目ざす」という社会風潮だったこともあり、長洲政権下で毎年秋に行われていた「地方の時代シンポジウム」では、二十代半ばの若輩者でありながら、パネル・ディスカッションのスピーカーとしてお招き頂いたりもした。

 湘南国際村の開設は、滞在型の学術、文化の国際的な交流拠点をアジアで先駆けて創ろうという長洲知事のヴィジョンの賜物であったことは明白である。当初の予定では、湘南国際村センターを中心として、回りには大学の共同利用施設や企業の研究所などが多数立ち上がり、国際会議場のあるセンターでは、毎日のように世界中の研究者が集って研究発表が行われることが想定されていた。しかし、現状を見てみると、湘南国際村への研究機関の誘致は開村以来あまり進んでいない。国際会議の多くは、やはり交通アクセスの良い東京都内で行われることが圧倒的に多いため、かながわ国際交流財団の自主企画による会議以外は、活発に行われているとは言い難い状況だ。

 筆者は2004年のサミット以後、毎回何らかのカタチで討議者として参加してきているが、10年目となる今回、雪の降りしきる中センターへの急な斜面をタクシーで登りつつ、10年前とほとんど変わっていない風景を車窓から眺めて、日本の「失われた20年」について感慨に耽ることとなった。この20年間、日本ではポジティブな意味においてめざましい変化は起きなかったが、その間、韓国や中国、そして、シンガポールや香港は著しい発展を遂げて、「学術・文化の交流拠点」としても、国際的なプレゼンスを強めてきている。これらの国々での美術のビエンナーレや映画祭などの規模は、日本の同種のイベントをしのぐ規模となり、文化・芸術面だけでなく、経済活動においてさえも、相対的に国際社会での日本の影は薄れてきているのが現実だろう。

 このような現状のなか、今年も21世紀ミュージアム・サミットの開催を迎えたが、テーマが「ミュージアムが社会を変える」であり、サブ・テーマが「文化による新しいコミュティ創り」となっていることに、「遅きに失した」のではないかという若干の空虚感を覚えずにはいられなかった。基調講演者が、元フランス文化大臣であり、現在はアラブ世界研究所長のジャック・ラング氏という、パリのルーヴル美術館の近代化を導いた人物であったため、「歴史」を語る当事者の話としては興味深いものであった。しかしながら、今の日本が置かれている状況と照らし合わせてみると、あまりにかけ離れており、日本の美術関係者は、むしろ鞭打たれるような気がしたのではないかと気になった。実際ラング氏自身が、「今のフランスではできないことかもしれない」と講演の際に述べており、彼自身が「時代の勝利者」であったことをよく自覚されているように見受けられ、その謙虚さには救われた気がした。

(後編へ続く)