2014/02/10 12:00

頭の中はいつもVerdi Vol.7

編集長・岩渕潤子の新刊『ヴァティカンの正体』 ⒸJunko Iwabuchi

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

メディアとしてのヴァティカン
— 究極のグローバル・コングロマリット 2000年の歴史

 久しぶりに準備していた書き下ろしの新刊、『ヴァティカンの正体―究極のグローバル・メディア』(ちくま新書)が2月5日より配本スタートとなりました。いつもドキドキする瞬間です。「ヴァティカン」というと、「きっと教養書ではないか」と思われがちだと思うのですが、今回は、パレスティナの片田舎で生まれたマイナーな宗教団体が、いかにしてグローバルな組織へと変貌を遂げ、しかも幾多の時代の転換期を乗り越えて2000年以上生き残ることができたのか・・・を現代の文脈に解釈して、考察したものです。本書では、共通言語としてのラテン語、優秀であれば出自を問わないエリート教育、教理やその伝え方の徹底的な標準化などにスポットを当てていますが、これらは正しく、私たちが日々直面しているテーマと変わりないでしょう。 
 かつて19世紀の半ばに至るまで、広大な教皇領の支配を通じて信者の心を支配するだけでなく、地上における君主としても絶大な権力を振るったローマ教皇とヴァティカン。キリスト教の発生から今現在に至るまで、本来は目に見えないはずの「魂の救済」を「天国」や「慈しみ深き聖母マリア」など、わかりやすいイメージに具象化し、音楽や絵画・彫刻、巨大建築空間を活用した演出によって、階層を越え、多くの人々を魅了、統率し、時には異教徒との闘いにも駆り立ててきた彼らは、現代の文脈でいうなら「メディアの覇者」と解釈することができると私は思い、この本を書くことにしました。

 ローマ教皇庁は、その創世記より莫大な冨を背景に、現代のCNNやアルジャジーラのように、多くの地域に優秀な特派員を派遣し、的確な情報を収集・分析する能力を持ち、これらの一次情報を編集、時には脚色して、世界へ向けて再発信する国際的メディアという側面を持っていました。各教区における教会は、TVの無かった時代、ニュース映画を上映する劇場のようなもので、ヴァティカンというメディアのチャンネルとして有効に機能しました。この「メディア」は、より多くの 信者を獲得すること、信者たちの離反を防ぐことを主な目的として活用された点で、公共性を求められる現在の報道機関とは一線を画する性質のものですが、視点を変えるなら、事業のブランディング、嗜好品のマーケティングにおけるメディア戦略としては、極めて秀逸で洗練されたものと言えるでしょう。

 幾多の戦乱、歴史の転換期を生き延びてきたヴァティカンの、地位を不動のものにするためのメディア戦略を歴史的に俯瞰し、特に時代の大転換機となった宗教改革における生き残り戦略としての反動宗教改革において、絢爛豪華な教会を次々と建立し、信者を視覚的に圧倒する美術品で飾り立てたことの意味は何なのか? 優秀であれば国籍を問わず、世界中から人材を受け入れ、ヴァティカンは現在に至るまで、高度な学術機関としての権威を保ち続けていること、地上の支配権を失い、科学の進歩にも抗えなくなったキリスト教会が文化的存在へと変容を遂げることで、精神世界の支配者としての不変的地位を強固なものとした経緯について、多角的に考察をしてみたいと思いました。

 続きは拙著、『ヴァティカンの正体―究極のグローバル・メディア』(ちくま新書)で、ぜひお読み下さい。ご感想、ご意見をお待ちしています!