2014/01/15 12:00

第2回 目に見えないものをデザインする
—日本発の「香」で世界を目ざす 株式会社 DEICA JAPAN

Photo: DEICAのアロマ・プロダクトを並べた華やかな店舗ディスプレイ ⒸDEICA

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

第2回 「香り」を仕事の素材に選ぶまで

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

 目に見えない「香」をデザインする西田卓矢さんは、もともとファッションの世界で活躍するデザイナーだった。独自のブランドを設立して、ファッション・デザイナーとしても、経営者としても成功を収めてきた彼が「香」のデザインに手を染めることになったのは、いくつもの偶然が重なった結果である。

岩渕:株式会社 DEICA JAPANを始められる以前、きっかけとなるキャンドルづくりは、プレゼント用に「趣味」の範囲で作っておられたとのことですが、もともとは、どういう仕事をされていたのか教えて頂けますか?

西田:もともと僕は関西出身なのですが、高校を卒業して、ファッション専門学校への進学を機に東京に出てきました。卒業後、そのまま東京に残りアパレル関係の会社に就職して、普通にサラリーマンとしてパタンナーを8年間勤めました。

ちょうどバブルの時期だったこともあって、東京にはクラブがどんどんオープンして、どこも面白いイベントを企画していました。僕もいろいろなクラブへ遊びに行っていたのですが、ドラッグ・クィーンの衣装をデザインするファッション・イベントに参加して賞を頂く機会があって・・・その頃、GOLDというクラブのイベントで準優勝を頂いたのですが、そのイベントの審査委員だったアン・ルイスさんから衣装デザインの依頼がきて、それをきっかけに衣装デザイナーの仕事をするようになりました。

岩渕:その時はすぐに独立して会社を立ち上げようとはなさらず、会社にお勤めのままだったのでしょうか?

西田:一年ぐらいはパタンナーの仕事と両立してやっていましたが、衣装の仕事が忙しくなってきたのでパタンナーとしての会社勤めはやめて、衣装デザイナーとして仕事をするようになりました。

2〜3年経った頃、まだ、デビューしたてだった浜崎あゆみさんとの出会いがあり、それから彼女のほぼ専属のデザイナーとして、4年間走り続けることになりました。浜崎さんとはドーム・ツアーという大きな仕事をご一緒させていただき、彼女もレコード大賞を取って、自分の中では一区切りというか、一つの仕事をやり切った感が得られたので、それを機に浜崎さんの元を離れ、前々からやりたかったストリート・クチュールのショップを代官山に立ち上げました。これは芸能人向けではなく、普通の人向けの服を作るというオーダーメイドのブランドで、当時の雑誌の表紙などを飾り、かなり話題になりました。同時に、以前にも増して多くの芸能人やミュージシャン、映画の衣装のお仕事もさせて頂くようになっていったのです。

(続く)

PROFILE

西田卓矢(にしだ・たくや)

株式会社 DEICA JAPAN代表取締役/クリエイティブ・ディレクター

アパレル業界でパタンナーとしてスタート、その後、独自のデザインを追求するようになり、数多くのアーティストやCM衣装を手掛けてきた。デビュー以来、2001年まで浜崎あゆみの衣装を専属デザイナーとして担当。その後、自身のブランドSNARLEXTRAを立ち上げ、ストリート・クチュールをキーワードに、リメイク・デニムなどの斬新なデザインが注目された。2001年のレコード大賞での、記憶に残るhitomiの衣装は西田のデザイン。2005年、LAに拠点を移し、東京とLAからTAKUYA NISHIDAブランドを発信。2007年、安室奈美恵の復活ともいえる「Hide & Seek」の衣装を担当。中島哲也監督「パコと魔法の絵本」の衣装なども手掛けた。

2006年、趣味で始めたキャンドルが銀座エルメスのショーウィンドーに飾られ、それを機にラグジュアリー・キャンドルのブランドとしてDEICAをスタート。ホテル・ニューオオタニ、シャングリラなどの一流ホテル、シャネル、ピアジェ、マセラッティなどのヨーロッパの老舗ブランド、浜崎あゆみ、安室奈美恵、EXILEなどのアーティスト、バーニーズ・ニューヨーク、ANA、伊勢丹、梅田阪急などにも商品を提供。2011年からは新たにDEICAビューティのラインナップをスタート。2013年、ヴォーグ・ビューティアワードに選ばれた。

2014年はワインのラベル・デザインやジムなど、ライフ・スタイル全般のプロデュースに仕事を広げ、世界をフィールドに今後のさらなる飛躍が期待されている。