第1回 文化的多様性の実現に向けて・・・
言うは易く行なうは難し
新しいプロジェクトの発足を念頭に、編集長・岩渕潤子が駆け足でアメリカ西海岸からニューヨークまで、多くの人たちと会ってきました。その中には、多彩なテーマで新たにコラムの執筆をお願いする方たちも含まれています。
生まれて初めて、ユダヤ教の祝祭行事であるハヌカに参加したり、親しい友人やその家族たちと感謝祭の食卓を共にしたり、長年会いたいと思っていた出版社の社長とついに会うことができたり…。今回の旅を通じて強く感じたのは、以前にも増して多様化するアメリカ社会という現実と、日々変容する価値観にどこまでも寛容であろうと努力する人たちの勇気でした。
2013年の年末の締めくくりは、変わることを止めないアメリカの一断面から感じたことを3回に分けてレポートします。
11月27日に成田を発って、米西海岸のシアトルに到着したのは同日の27日の水曜日。アメリカでは翌日の感謝祭とその後の週末を家族と一緒に過ごそうと空港が民族大移動状態で、日頃離れて暮らしている家族を迎えにきた人たちでごったがえしていました。日本であっても、アメリカであっても、家族や友人たちが再会を喜びあって嬉しそうにしているのを見るのは良いものです。泊めてもらう予定の友人が、27日は午後4時までオフィスを出られないとのことだったので、友人を待つまでの間、別の友人夫婦とウォーターフロントにあるホテルのダイニングで落ち合って、お昼ご飯をのんびりと一緒に食べることにしました。食事の後は、NYのアポの日程が詰め切れていなかったこともあり、ホテルのロビーで仕事をしながら友人を待っていました。
このホテルでは、宿泊客でなくてもレストラン利用やロビーの待ち合わせのためだけでも、名前とメアドの登録だけでWi-Fiにフリーアクセスさせてくれてとても助かりました。天井まで届くガラス窓に向かって心地の良い大きな椅子に座っていると、足下まで波が打ち寄せてくるほど海に近い、桟橋がそのままホテルのロビーになったようなつくりだったので、日没の眺めは圧巻でした。久々に自然の神秘を肌身に感じ、思わず息を飲んでしまうほど、太陽と海に飲み込まれるかのようなすさまじい夕陽の光景でした。
27日は、今年の暦上ではユダヤ教のハヌカ(マカバイ戦争 <紀元前168年 - 紀元前141年> 時のエルサレム神殿の奪回を記念する祝祭行事で、8日間にわたって灯りをともして祝う)の初日に当たっており、その翌日が感謝祭の木曜日ということもあって、アメリカでは例年以上にホリデー気分が盛り上がっているようでした。
その日、自宅に泊めてもらうことになっていた友人がユダヤ系だったので、「シナゴーグに行って、伝統的なお料理を食べるのにつき合わない?」と誘われました。「ヘブライ語はできないけど」と私はかなり戸惑ったものの、一緒にハヌカの行事に出席する約束をしました。
彼女は、「シアトルよ! そもそもうちのシナゴーグは信者の数が少なくて、独自の建物がないから、ファースト・バプティスト教会に間借りしているの。今年はハヌカと感謝祭の日程がほぼ重なるので、教会とシナゴーグが合同でハヌカと感謝祭を一緒にお祝いするのよ。だから、ハヌカの伝統的なポテト・パンケーキ、ラトケスも食べるけど、七面鳥やベイクト・ハムなど、感謝祭のお料理もディナーでは振る舞われることになってるの。何も気にすることはないわ…礼拝の時は、みんなと一緒に立ったり、座ったりさえしていれば問題ないって!」と言っていました。
そして彼女は、「シナゴーグのラビはまだ若いフランス人の、とってもリベラルな人なの。教会の牧師さんはゲイで、長年のパートナーの男性のことも、みんなよく知っているわ。人種もいろいろだし、ゲイやレズビアン、年齢もまちまちな人たちよ。文化的に多様であることがシアトルらしいし、私らしいでしょ?」と、続けました。
彼女自身、「自分はユダヤ系」という認識ですが、母方の祖母がアイルランド系の牧師の娘であったため、戒律の厳しい一部のユダヤ教徒からは、ユダヤ人とは認められないバックグラウンドだったのです。そのため、彼女が「リベラル」で「文化的多様性に寛容なシナゴーグ」を探すことは納得できることでした。
(続く)