浦上満氏プロフィール
浦上蒼穹堂店主
幼少の頃より、コレクターであった父、浦上敏朗(山口県立萩美術館・浦上記念館 名誉館長)の影響で古美術に親しみ、大学卒業後、繭山龍泉堂での修行を経て浦上蒼穹堂を設立。
数々の展覧会を企画開催。また、日本の美術商として初めて1997年から11年間ニューヨークで「インターナショナル・アジア・アート・フェア」に出店。ベッティングコミッティー(鑑定委員)も務めた。現在、東京美術倶楽部取締役、及び、東京美術商協同組合理事、国際浮世絵学会常任理事。
春画:”江戸のクール”と”クールじゃない”今の日本
春画:”江戸のクール”と”クールじゃない”今の日本
2013年5月19日付の東京新聞の朝刊に、この10月から来年1月にかけて、大英博物館(イギリス・ロンドン)で開催される春画展について、いかに大きな関心が寄せられているか、また、この展覧会を日本に巡回させるにあたって、引き受け先となる美術館がなかなか決まらないのはなぜか……といった内容の、今までになく詳細な記事が掲載されて大きな関心を集めた。
この大英博物館で開催される展覧会に、自身のコレクションからも春画を貸し出される浦上蒼穹堂主人の浦上満氏は、世界的に知られる東洋美術の美術商・コレクターであり、今年がちょうど日英交流400周年を記念する年にあたることから、大英博物館での展覧会企画には全面的に協力してこられた経緯がある。また、大英博物館での展覧会が大規模なもので、学術的にも充実した研究論文に基づくカタログが展覧会に合わせて出版されることからも、この展覧会を丸ごと日本に巡回させ、本来、春画を生んだ日本において美術館で展示し、正当な評価を得られるようと尽力されてきた。
そんな最中、10月の大英博物館での展覧会の前評判が高いこともあって、オークション・ハウス、サザビーズ・香港のギャラリーが浦上氏の春画コレクションを展示する特別企画を7月に行うこととなり、弊誌編集長・岩渕潤子が7月18日のオープニング・レセプションで浦上氏と現地で合流することとして、その直前、なかなか日本での展覧会受け入れ先が決まらないもどかしさについて、浦上氏にお話をうかがった。
浦上蒼穹堂主人・浦上満氏との春画をめぐる対話
岩渕:なぜ、日本の美術館は春画展の受け入れを躊躇するのでしょうか?
浦上:江戸時代の日本人というのは、女性も含めて、もともとおおらかだったわけですが、明治になって西洋人のキリスト教的な倫理観が持ち込まれ、お風呂の男女混浴は恥ずかしいとか、今まで日本の文化の一部であった価値観が「後進的である」とされ、そうした中に春画も含まれてしまったわけです。今では逆に、欧米では春画の美術的価値というものが認められて、普通に「アート」として鑑賞の対象になるわけですが、日本のほうが明治以来の固定観念に縛られてしまい、春画は「日本文化の恥部」であると思い込んでいる人が少なからず存在して、美術館側は「こういうものを公共の場所で見せて、もし、苦情を言う人が出たらどうしよう」ということで、とりあえず問題が起きるかもしれないことはやめておこうといった考え方に、どうしてもなってしまうのでしょうね。
キュレーターの皆さん、研究者の皆さんは「素晴らしい! ぜひ、やるべきだ」と仰るのですが、最終的な判断をするところで、スポンサー候補であるメディアを含めて今ひとつ煮え切らないのです。「応援します」と皆さん口を揃えるものの、「ぜひ、うちでやりましょう」という話にはなりません。
すでに話題にもなっていて、大英博物館で学術的にもきちんと検証された展覧会として開催した後日本に持ってくるので、実際に展覧会をすれば多くのお客さんが詰めかけることは目に見えています。開催できれば、皆さん「この展覧会ができて本当に良かった」という話になると思うのですが、それがなかなか簡単にいかないのが、いかにも日本といった印象です。
浦上蒼穹堂主人・浦上満氏との春画をめぐる対話
岩渕:日本では最近のアニメや漫画こそが「クール・ジャパン」を代表するコンテンツのように言われていますが、北斎漫画をはじめとする版画、いわゆる浮世絵や春画は、元祖クール・ジャパンとでもいうべきものの代表ですよね。これらは経産省が何億もの予算をつけて売り込まなくても、今回の大英博物館のように、世界に冠たる美術館や博物館が展覧会を企画してくれるわけで、日本発の最高のコンテンツだと思うのですが?
浦上: 日本の出版における検閲は以前はとても厳しく、あれはいけない、これはいけないということで、黒く塗りつぶされて発行されることもありました。しかしながら、この二十年ほどで印刷物の表現に関する規制はずいぶん緩和されました。春画に関する書籍で規制の対象となるものは、もうありません。それなのに、本ならば良くて、オリジナルの作品は見せてはいけないというのはおかしな話です。しかも、もともと日本で制作された春画を日本に持ち込むなとか、美術館で展示することができないとしたら、納得できませんよね。しかも、誰も「展覧会をしてはいけない」と言ったわけではなく、「何かあったら大変だ」という反応で、こうした日本国内の反応には海外の研究者たちも戸惑っています。
岩渕:美術館は、美術作品を見る目的で訪れる場所ですから、一般的な公共空間である駅やホテルのロビーとは求められる基準は違うはずですよね。しかも、「美術作品」としての説明もきちんとされた上で鑑賞者は春画を見るわけですから、美術館側が予め自主規制的な対応を取ることには納得できません。
浦上:当然、未成年者に見せるべきではないという描写を含む作品はありますから、大英博物館での展示についても入り口で明示されます。日本でも同じように作品の特殊性についての説明をし、未成年者への対応をすれば済むはずです。そして一番大事なのは、春画はどれもが素晴らしいというわけではなく、品のない作品もあります。しかしながら、今回は美術の表現として優れた、品の良い春画だけを選りすぐった展覧会企画なのです。それだけに、かつて文化の一部として享受してきた私たち日本人が日本で見ることができないとしたら、そんな勿体ない話はないと思うのですよね。
香港での浦上コレクション展
7月18日から31日の日程で行われた浦上満氏所蔵の春画コレクション展は、2012年の5月にオープンしたばかりの、サザビーズ・香港の1500平方フィートの旗艦ギャラリーを会場に”not for sale”で、純粋な展覧会企画として開催された。” Beyond the Paper Screen”と題した展覧会には、北斎や喜多川歌麿など、誰もが知る浮世絵師の手になる「品位のある」美術品として優れた春画が多数出品された。ギャラリー入り口壁面には、浮世絵についての年表も掲示され、作品の一点ずつが美しく浮かび上がるような照明、また、版本として綴じられた作品はガラスケースに収められた素晴らしい構成となっており、「さすがは一流のオークション・ハウスの手による展示」と唸らされる、洗練されたインスタレーションとなっていた。
オープニング・レセプションに先立ち、サザビーズ・アジアCEOのケヴィン・チン氏と浦上満氏のトークイベントがおこなわれた。ギャラリー入り口に30席ほどが設けられていたが、トークイベントが始まると詰めかけた人々であっという間に座席は埋まってしまった。最後まで20名を越える立ち見が出るほどの混雑ぶりで、現地での注目の高さがうかがえた。トーク及びレセプションの最中にも撮影するメディア関係者の姿が目についたが、前日に行われたプレス公開日には50名近くのジャーナリストが訪れ、これにはサザビーズのスタッフも驚いたとのことだった。トークイベント及びレセプション来場者の構成は欧米人を含め圧倒的に若い女性が多く、日本でも若い女性が春画に関心が高いと浦上氏から指摘されていたが、香港でも同様だった。女性同士の二人連れや、仲良く手をつないだカップルなどが笑顔で展示作品の前で立ち止まっては会話している様子がとても微笑ましかった。
トークイベントでは、根っからの浮世絵ファンと思しき純然たる英国系の初老の紳士が最前列に陣取って浦上氏とチン氏の対話に熱心に耳を傾けていた。春画の表現についてどう言葉を選んで話そうかと、時々言いよどむチン氏に、この紳士が高度に知的なユーモアに溢れる助け舟を出すなど、会場は和気藹々とした雰囲気に包まれ、ウィットに富んだ浦上氏の率直なコメントには拍手喝采だった。その会場に集う、洗練された美術愛好家たちの反応を実感して、大英博物館での春画展もきっと大きな成功を収めるに違いないと確信した。
レセプションには何人か知人を誘っていたが、香港政庁の高官だった東洋美術のコレクターは、「ロンドンの展覧会も必ず見に行きたい」とその場で断言していた。米国で映画や舞台の衣装デザインを仕事にしている友人は、春画に描かれた室内のしつらえ、男女の衣装の柄や色彩、髪型などに大いに興味を示し、熱心にメモを取りながら鑑賞していた。彼女によると、春画は江戸時代の風俗を克明に記録した絵画でもあるため、当時の装束の研究などにも重要視される資料となっているそうだ。
香港サザビーズの展覧会は、比較的短期間の会期だったにもかかわらず、大英博物館での展覧会の前哨戦という見方をされたようだ。実際に、英語圏のメディアから大きな注目を集めて、浦上氏はわずか三日の滞在であるにもかかわらず、入れ替わり立ち代りの取材が入り、帰国日にはFMのラジオ番組に出演するほど引っぱりだことなっていた。
レセプションの後で、サザビーズのスタッフや浦上夫妻、友人夫婦などと一緒に夜景の美しいレストランで夕食を共にしながら会話を楽しんだ。その際に、ダイナミックな美術市場としての香港の懐の深さを改めて実感させられた。10月の大英博物館での春画展はきっと、歴史に残る展覧会となることと思うが、その展覧会をなんとか日本にそのまま巡回させられないものか……。日本社会の文化的成熟度が問われている。