2013/08/02 12:00

第12回 J Prep 斉藤塾代表・斉藤淳さんに聞く
―「自由に生きるための学問」としてのリベラル・アーツ、
「学問の手段」としての英語―

Photo:英語塾LOGOSでの斉藤淳さんによる授業風景 写真提供:斉藤淳

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

第12回 これからの日本人にとって必要な英語教育とは?

岩渕: 歴史認識について議論するような場合、小さい時から繰り返して話すことに慣れていないと、どういうボキャブラリーで語ったらいいかということからしてとまどうと思うのですが、何か工夫されていることはありますか?

斉藤: 弊塾で歴史認識問題を議論するときに、日本とは直接関係のない問題、例えばトルコとアルメニアの間で起こった歴史認識問題の紛争事案を最初に取り上げます。対立の要因などについてひと通り議論した後に、日本と近隣諸国の間での歴史認識問題を議論するという手順をとります。今度は、日韓関係、日中関係の専門家を教室にお招きして、議論する機会を設けるなど……そういうことをする予定を今立てています。

岩渕: 最後に、「これからの日本人にとって必要な英語教育とは」というのを斉藤さんの言葉で語っていただけますか?

斉藤: 英語だけを切り離した英語教育というのはあり得ないわけですよ。英語で学ぶというよりは、日本語でも色々なことを貪欲に学ぶと同時に、英語でも学ぶ。英語で学ぶための、最低限のスキルを最短距離で習得する。

岩渕: シンガポールみたいに公用語に英語を入れてしまって、英語中心で教育したほうが良いというようなことを言っている人もいますが、それについてはどう思われますか?

斉藤: いろいろな人が英語公用語論を共有すると言っていますよね。船橋洋一さんの本もありますし、楽天などの企業が英語公用語化する動きもあります。
 考え方としては間違ってはいないと思うのですが、ただ公用語にすれば、必要なリテラシーが高まるとか、英語運用能力が高まるとか、それほど単純なものではないのではないかと思います。公用語にするかしないかということとは切り離して、英語の運用能力を誰がどういった形で向上させるかということを考えたほうがいい。
 基本的に、自分がサービスを提供しているのは中・高生、特にこれから大学に進学して、研究や実業で日本社会を引っ張っていくであろう若者に教育サービスを提供しているのです。そういった人たちの英語力、語学力というものを考えた時、必ずしも英語が公用語である必要はないのではないかと僕は思います。

岩渕: 先ほど、英語のライティングスキルを向上させると仰っていましたが、それは日本語のライティングスキルとも正比例すると思うのですが、いかがでしょうか?

斉藤: 残念ながら、日本の学校できちんとした日本語の作文指導、読書指導がなされてないわけですよ、英語以前に。

岩渕: 私は子供の時から文章を書くのが好きでしたが、アメリカの大学に行った際、たまたま有名な詩人や劇作家が先生をやっておられる環境でした。そういった先生の授業を必須や選択で履修することになって、文章を色々書かされたら、結局、日本語の時と評価は同じだったのです。評価されているポイントは、自分の頭で考えたことなので、日本語で書いても、英語で書いても同じなのですよ。それがとても面白いなと思いました。それで語学力は移植できるというか、根本的な表現能力の部分は共通なのだなと思うに至ったので、母語のスキルは重要だと考えるようになりました。

斉藤: どういうスキルかということにもよりますよね。だから、教室において生徒間で仲良くやっていく空気を読むスキルというのは、日本の生徒は非常に長けています。でも本当に大切なことはそれではない。論理的な思考力を高めるための誘導策だったり、論理的思考力を持つことが教室の中で評価されるようにしなくてはいけない。
 友達の中で浮き上がらないことだけに気を遣うような教室文化を、学校や学習塾がどう変えていくか、も重要になるのではないかと僕は思っています。

岩渕: 私は小学校からカトリックの学校で育ったのですが、神学で博士号を持っているような先生が宗教の時間に教えに来るので、そういう先生たちに反抗して、なんとか自分で考えて先生を論駁しようと頑張るので、演繹法などのごく基本的な部分は自然と身についたような気がします。

斉藤: 議論の文法は、別に神学経由ではなくても教えることも学ぶこともできます。弊塾でやっている議論の文法や作文の文法というのは、欧米の文化の中で歴史的に培われてきたものとかなり密接な繋がりがありますけれども、必ずしもそういった神学論争を経て教えているわけではありません。
 こういう仮定があって、エビデンスがあって、だからこうであると推論できるという議論のやり方はきちんと教えています。大学で教える、論文を書く時に必要な引用の仕方とか、そういうとこまで丁寧に教えなければならないと思っています。

岩渕: 技術的な文献の書き方というと、定番は「シカゴ・マニュアル= The Chicago Manual of Style」ですが、ああいう英語論文の書き方は日本の高校や大学では教えられていないですよね。ああいったマニュアルも、今はオンラインで見ることができるので、やる気があれば調べることができる。便利になったと思います。

斉藤: 重要なのは、生徒に自分で本を選んで買わせること。そして、それを要約させる訓練を重視します。押し付けられたものを訳していく、我慢比べのような教育はそもそも辞めた方が良いです。自分でテーマを選んで、それが好きな内容だから一生懸命できるよねというところがとても大切なので、テーマはなんだっていいわけですよ。中学生の内に一冊でいいから、どこのオンラインストアで買ってもいいし、図書館から取り寄せてもいいから、やっぱり英語の本を一冊自分の手元に置いておく。それも学校から与えられたものではなくて自分で選ぶ。
 そういう作業を経て学ぶことの方が身につくと思いますし、アウトプットを前提とした学びの場を提供するというのが、日本では今まで少なすぎたのではないかと思います。反省と批判的な分析の上に立って、我が塾では教育活動を組み立てているわけです。

 僕は、自分の活動が英語教育に限定されたことだとは思っていないのです。結局、一言でまとめて何が自分の活動のコアかというと、自分で自分の考えを表明するために必要なことは何か、自分が考えを表明する前提で相手の見解を聞く。そういう言葉のキャッチボールをするための基本的なトレーニングが、日本語、英語、その他の外国語を問わず、必要なのではないかと考えています。もちろん、弊塾では非言語コミュニケーションの訓練も重視していますが、やはり、重要なのは、言葉できちんと考えを伝えられることだと考えます。

PROFILE

斉藤淳(さいとう・じゅん)氏プロフィール
J Prep 斉藤塾代表 株式会社 J Institute 取締役

山形県酒田市の農家で、将来は田んぼを嗣ぐことを期待されて育つ。四季折々に表情を変える 鳥海山の麓で、農業の将来に思いをめぐらしながらも、夜になると短波放送で世界各国のニュースを聞く日々を過ごした。インターネットもない冷戦時代に、各国の主張をそのまま聞き比べていたことで、批判的に物事を考えるための基盤が培われただけでなく、大学で語学や社会科学を幅広く学ぶきっかけになった。

斉藤氏は、イェール大学大学院在学中に衆議院補欠選挙に出馬。2002年10月から1年間、衆議院議員を務める(山形4区)。イェール大学で博士号 取得後、ウェズリアン大学、フランクリン・マーシャル大、イェール大で政治学の教鞭を執る。

主著『自民党長期政権の政治経済学』で日経経済図書文 化賞を受賞した他、TBSラジオで選挙解説なども務める。研究者としての専門は比較政治経済学。