2013/07/19 12:00

第6回 J Prep 斉藤塾代表・斉藤淳さんに聞く
―「自由に生きるための学問」としてのリベラル・アーツ、
「学問の手段」としての英語―

Photo:来日したイェール大学レビン総長の通訳として首相官邸に同行 写真提供:斉藤淳

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

第6回 イェール大学での教員・研究者としての生活

岩渕: 教職についてからは学生さんとの交流は多い方だったのでしょうか?

斉藤: 私自身は学生との交流が好きですが、こればっかりは人によりますよね。教育が嫌いで、研究者として自分の価値を最大化したいという人と、両方好きだという人と教育の方が好きだっていう人と色々いますね。

岩渕: イェール大学に戻って教員をされることになった経緯について教えて頂けますか?

斉藤: 僕は、もともと一生大学の先生をするつもりはなくて、いずれは日本に帰らなければとも考えていました。それで2年間小規模な教養型の大学で教えて、そのまましばらくはずっと行くのかなと思っていたのですけれども、その当時、イェール大学で日本政治を担当する教員の人事が中々決まらないという事情がたまたまありました。
 それで、選考委員会の先生たちが候補者の研究業績など色々見た上で、本来であれば自分の学校でPh.Dを取った人を採用するのは滅多にないことなのですけど、今の希望者の中では斉藤くんが一番適任者だという判断がなされて、イェール大学から2008年にオファーをもらいました。同時に他の大学からもオファーはあったのですけれども、せっかくに機会ですから母校に戻って4年間お仕事をさせて貰ったわけです。イェール大学での4年間は充実していました。

 教員として在籍している間に、一流大学の人事慣行がどうなっているか、教授会がどうなっているか色々学ばせていただきましたね。あとは、東アジア研究の学部課程の責任者を2年間勤めました。
アメリカの大学文化の中でどう組織経営していくかということを目の当たりにできたことは非常に勉強になりました。あと、学生寮に3年間住み込みで生活したのですが、そこで学んだことが非常に大きかったですね。
 日本の高校や大学の教育がほとんどユーチューブで代替できるものだとすれば、アメリカの大学が最も力を入れていることはユーチューブでは決して代替できないことなのです。それは学生寮の中での濃密な人間関係の構築であったり、一方通行の講義からは学ぶことのできない、議論で学ぶスタイルの学習であったり、音楽や芸術の実技指導であったりといった部分です。

岩渕: やはり集まってくる学生は優秀な人が多かった?

斉藤: もちろんです! 皆意欲的ですし、オールラウンドないい人材をあつめて、さらにその能力を高めて世に送り出そうという気概がありました。

 大学院生の頃にイェール大学のレビン総長が訪日する際に、総長付の通訳を拝命しまして、首相官邸で当時の小泉総理とレビン総長との通訳をやりましたけども、その時に総長の発言の端々からイェール大学というのは、どういう基本理念で学生をトレーニングしているのかなど学ぶことが色々と多かったです。

岩渕: アメリカって理念に生き、理念に死ぬといったところがあると思うんですけれども、言ったことを、本当にやろうとするじゃないですか!(笑)

斉藤: 理念を実現するために、それを最大の最高のプライオリティとして掲げて、実現するための財源を確保し、人を育てることを行うわけですね。
 レビン総長というのは非常に面白い人で、スタンフォード大学で英文学の学士号を取って、その後イェール大学の経済学部で博士号をとった人なのですよ。言葉の選び方が非常に洗練された方でした。

PROFILE

斉藤淳(さいとう・じゅん)氏プロフィール
J Prep 斉藤塾代表 株式会社 J Institute 取締役

山形県酒田市の農家で、将来は田んぼを嗣ぐことを期待されて育つ。四季折々に表情を変える 鳥海山の麓で、農業の将来に思いをめぐらしながらも、夜になると短波放送で世界各国のニュースを聞く日々を過ごした。インターネットもない冷戦時代に、各国の主張をそのまま聞き比べていたことで、批判的に物事を考えるための基盤が培われただけでなく、大学で語学や社会科学を幅広く学ぶきっかけになった。

斉藤氏は、イェール大学大学院在学中に衆議院補欠選挙に出馬。2002年10月から1年間、衆議院議員を務める(山形4区)。イェール大学で博士号 取得後、ウェズリアン大学、フランクリン・マーシャル大、イェール大で政治学の教鞭を執る。

主著『自民党長期政権の政治経済学』で日経経済図書文 化賞を受賞した他、TBSラジオで選挙解説なども務める。研究者としての専門は比較政治経済学。