2013/07/15 12:00

第4回 J Prep 斉藤塾代表・斉藤淳さんに聞く
―「自由に生きるための学問」としてのリベラル・アーツ、
「学問の手段」としての英語―

Photo:衆議院議員として初登院する斉藤淳さん 写真提供:斉藤淳

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

第4回 国会議員という仕事

岩渕: いわゆる「選挙戦」というのは、実際にやってみると、どういうものだったのでしょうか?

斉藤: 議員在職中の歳費は全て秘書の給料とか政治活動に使って、借金もそれなりに残りました。選挙を戦って、民主党の当時の固定票を2倍以上増やしましたけれども、50年以上、お父さんの代から続く相手候補の地盤を切り崩すということは、やはり、なかなか難しかったですね。資金でも圧倒的な差があるし、補欠選挙で勝っても、その後、3回は負けるだろうと自覚していました。で、実際、次の選挙では負けてしまったわけですが……。
 そこで、普通の政治を目指す普通の候補者として埋没していくよりは、この経験を活かした研究をした方がむしろ日本の民主主義の理解を促進する上でプラスだろうという思いがあって大学に戻ることにしました。支援してくださった方たちには大変申し訳無いと思ったのですが、イェール大学に戻り、博士論文を完成させて、大学に就職したのが2006年ですね。

岩渕: 代議士を務められていた時に携わっていたのは農水関係が主ですか?

斉藤: そうですね。私は農水委員会に所属していました。ただ、私は票集めのための農政ということはあまり考えていませんでした。日本の農業の未来のために何が必要かということを考えると、ヨーロッパ型の直接支払いに移行して、農業従事者が良いものを作ることに対してインセンティブが働くように、市場メカニズムが適正に作用する、そういう農政にすべきだという立場でした。
 減反というのは、日本型公共政策を考える上でひとつのキーワードだと思います。要するに官僚統制による減反というのは護送船団方式ですよね。農業は明確に水田の減反を通じて厳格に適用されているわけですけれども……そうではない、ベーシック・インカム型の経済的な支援制度の導入を検討していました。
 考え方としてはきちんと耕作していれば農業従事者に一定のお金が入り、その代わり値段の上がり下がりは市場のメカニズムに任せますという方法です。クライエンタリズム、恩顧主義的なえこひいき型の行政のメカニズムから所得再配分のメカニズムの働く、比較的ユニバーサルで透明な、簡素なベーシック・インカム型への体制変革が農業では必要だと考えていました。
 他に関心を持っていた分野というとインフラストラクチャー関連ですね。国土交通省の管轄になりますが、特に当時、高速道路の民営化のお話がありましたので関心がありました。
 僕は、民営化というのは、大都市圏の高速道路の運営では比較的結果を残すことができると思うのですが、地方の、まだ高速道路が未整備な地域や、高速道路が完成しても利用状況がよくない地域については、社会的収益性全体で考えると、一般国道と計画を統合して予算を整備した上で無料化するのが最も合理的であると考えていました。ですから、当時民主党の無料化政策に関わったりしていました。

岩渕: 教育については、議員時代は直接関わらなかったのですか?

斉藤: 教育については、その時少子化対策などのプロジェクトチームには所属していたのですが、直接関わる機会は残念ながらありませんでした。教育について当時党内で議論されている方向性を見ていると、まだ自分の出番ではないと思いました。ただ長期的には、文教族議員として、日本の教育全般を変えていく作業には参加したいなと思っていました。

PROFILE

斉藤淳(さいとう・じゅん)氏プロフィール
J Prep 斉藤塾代表 株式会社 J Institute 取締役

山形県酒田市の農家で、将来は田んぼを嗣ぐことを期待されて育つ。四季折々に表情を変える 鳥海山の麓で、農業の将来に思いをめぐらしながらも、夜になると短波放送で世界各国のニュースを聞く日々を過ごした。インターネットもない冷戦時代に、各国の主張をそのまま聞き比べていたことで、批判的に物事を考えるための基盤が培われただけでなく、大学で語学や社会科学を幅広く学ぶきっかけになった。

斉藤氏は、イェール大学大学院在学中に衆議院補欠選挙に出馬。2002年10月から1年間、衆議院議員を務める(山形4区)。イェール大学で博士号 取得後、ウェズリアン大学、フランクリン・マーシャル大、イェール大で政治学の教鞭を執る。

主著『自民党長期政権の政治経済学』で日経経済図書文 化賞を受賞した他、TBSラジオで選挙解説なども務める。研究者としての専門は比較政治経済学。