2013/07/12 12:00

第3回 J Prep 斉藤塾代表・斉藤淳さんに聞く
―「自由に生きるための学問」としてのリベラル・アーツ、
「学問の手段」としての英語―

Photo:2003年、第43回衆議院議員総選挙のポスター 写真提供;斉藤淳

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

第3回 研究者志望の大学院生から一転、衆院議員に

岩渕: 衆院選の補欠選挙に出馬されたのは、イェール大学の大学院在籍中のことですよね?

斉藤: 大学院の博士課程の4年目で、博士論文を書けば卒業できるというその前年に出馬しました。

岩渕: なぜそのタイミングで出馬を決意されたのでしょうか?

斉藤: 若気のいたりですね……かっこ良く脚色するつもりはありませんが、政治を通じて教育を変えられるのではないかと考えて、機会があれば何らかの形で参加したいという思いはずっとあって、10代後半、20代前半くらいから考えてたいた事ではありました。

岩渕:それまでは地元に地盤があるとか、組織的な支援者がいるとか、いわゆる選挙に必要な地元とのつながりみたいなものはなかったのでしょうか?

斉藤: ありませんでした。ただ中学時代の同級生は、将来私が市長かなにかになって帰って来るものと思っていたのではないかと思います。PDF化された市の広報などはまだ無い時代でしたが、市職員になった友人が自分のポケットマネーで定期的に市の刊行物を送ってくれたりしていました。地元に関心を持ち続けてくれれば、いつか帰ってくるという形で期待していた友人が何人かいたのですね。
 議員になったきっかけですけれども、自分は研究者としておおよそ残せる業績については、このぐらい頑張れば成果がどれくらい出せるだろう……ということが見えてきてしまっていた時期でした。逆算して、これだったら、もういいだろうとか、人生一回生きちゃった感じがしてしまって。
 一生懸命勉強すれば1年後に博士論文が通って、そこそこの大学に就職して、以後4年間にどこの雑誌に何本論文載せて…と先のことを見通してしまうと、極端に気力が無くなるタイプなのです、私は。あと、たまたま当時の地元の現職代議士が政治資金問題で不祥事を起こして失脚するということがあって、補欠選挙が行われることになったわけです。その頃、何名か民主党の議員の方とメールのやりとりもあったものですから、打診があったりしました。
 政治学専攻の博士課程の院生でしたから、小選挙区制が導入されて政権交代が起こるかもしれないという歴史的な瞬間に差し掛かっていることは分かりました。そこで当選できるのだとすれば、自分が参加する意味はそれなりに大きいと考えました。
 ただ、たとえ自分がその補欠選挙で当選したとしても、前職の元代議士が必ず返り咲こうとするだろうことは明らかでした。その後の選挙で当選し続けられるかはわからないなか、30代をどう生きるかということを必死に考えて出馬を選択しました。この場合、成果がでると分かっている研究の道を選択するよりも、当時まだ若いし、人生ギャンブルするなら今だと思ったんでしょう。当時妻は妊娠中でしたがなんとか挑戦させてくれと無理を言って、博士課程を一回辞めてですね、2002年に33歳で初当選して一年間代議士を務めました。

PROFILE

斉藤淳(さいとう・じゅん)氏プロフィール
J Prep 斉藤塾代表 株式会社 J Institute 取締役

山形県酒田市の農家で、将来は田んぼを嗣ぐことを期待されて育つ。四季折々に表情を変える 鳥海山の麓で、農業の将来に思いをめぐらしながらも、夜になると短波放送で世界各国のニュースを聞く日々を過ごした。インターネットもない冷戦時代に、各国の主張をそのまま聞き比べていたことで、批判的に物事を考えるための基盤が培われただけでなく、大学で語学や社会科学を幅広く学ぶきっかけになった。

斉藤氏は、イェール大学大学院在学中に衆議院補欠選挙に出馬。2002年10月から1年間、衆議院議員を務める(山形4区)。イェール大学で博士号 取得後、ウェズリアン大学、フランクリン・マーシャル大、イェール大で政治学の教鞭を執る。

主著『自民党長期政権の政治経済学』で日経経済図書文 化賞を受賞した他、TBSラジオで選挙解説なども務める。研究者としての専門は比較政治経済学。