2013/06/14 12:00

2013年 第66回カンヌ国際映画祭・特別レポート Ⅲ

Photo:ズラリと並ぶカンヌ国際映画祭オフィシャルパートナーRenaultの公式車両 ⒸMai KATO

2013年 第66回カンヌ国際映画祭の現場から
―相変わらず強いヨーロッパ作品とドイツ映画の新潮流―

by Mai KATO/Contributor(特別寄稿)

第66回カンヌ国際映画祭の概況

 2013年5月15日から26日にかけて南仏のカンヌで開催された第66回カンヌ国際映画祭(Festival de Cannes)。今年度はオフィシャルセレクションのコンペティション部門に日本映画が2本選出され、是枝裕和監督の作品『そして父になる』が審査員賞受賞という快挙を果たし、その嬉しいニュースが日本中を駆け巡ったことは記憶に新しい。

 そのほか、グランプリには「コーエン兄弟」ことジョエル&イーサン・コーエン監督のアメリカ映画『Inside Llewyn Davis』(2013年)、監督賞にはメキシコのアマト・エスカランテ(Amat ESCALANTE)、脚本賞には中国のジャ・ジャンクー(賈樟柯)が選ばれるなど、世界三大映画祭の一つというだけあって国際色豊かなラインナップとなった。最高賞にあたるパルム・ドールに選ばれたのは、アブデラティフ・ケシシュ監督のフランス映画『La Vie d’Adèle – chapitre 1 & 2』(2013年、英題『Blue is the Warmest Color』)だった。

やっぱりヨーロッパ映画は強い!

 カンヌ国際映画祭の会期3日目にあたる5月17日、アジア映画専門業界紙である『Film Business Asia』に「Japanese buyers grab Euro titles(日本のバイヤーがヨーロッパ映画をわしづかみ)」という記事が掲載された。まさにタイトル通り、日本の複数の配給会社が映画祭受賞作などヨーロッパの話題作を次々に買い付けているという内容だ。

 今回のカンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクションには、フランスを中心に、イタリア、ドイツ、オランダ、ベルギー、スペインなどヨーロッパの共同制作作品が数多く並んでいる。個人的にも、今年のベルリンや香港、そしてカンヌでのマーケットを見る限り、アメリカ映画の豪華さやアジア映画の勢いは無視できない一方で、それでもやはりヨーロッパ映画の安定した質と量には目を見張るものがあるという印象が強くあり、この記事には大きく頷いてしまった。

 そんなヨーロッパ映画のなかでも、最近はドイツ映画がバツグンに面白い。これまでドイツ映画といえば、ドイツ表現主義の『カリガリ博士』(1920年)や『ノスフェラトゥ』(1922年)のような名作のほか、近年ではヒトラーやナチスをテーマにした雰囲気の重たい作品が多いというイメージがあった。しかし、ここ数年に出会ったドイツ映画の数々は、そのどれにも当てはまらないのだ。

ドイツ映画のニュートレンドは「ドイツじゃない」?

 その代表例が、2013年第63回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門のラインナップだったトーマス・アルスラン監督の『Gold』(2012年)。「ドイツ映画なのに、西部劇?」と衝撃を受けたのは、おそらく私だけではないだろう。この作品は1898年、クロンダイク・ゴールド・ラッシュのカナダが舞台。ドイツ系アメリカ人の移民を描いているので台詞はドイツ語だが、ドイツ以外の国や地域を舞台にしているという点で興味深い。

 実を言うとこの『Gold』以外にも、ドイツ以外の国や地域を舞台にし、なおかつドイツ人ではない人々を描いたドイツ映画が最近目につくので紹介したい。ドイツの映画会社Beta Cinemaが提供する『Tom Sawyer』(2011年)と『The Adventures of Huck Finn』(2012年)はその名の通り、マーク・トウェインの小説を原作にアメリカのミシシッピ川近辺を舞台にして、ドイツ人がドイツ語でアメリカ人を演じている。

 そのほか、今年のベルリンやカンヌのマーケットに出品されている『Ruby Red』(2013年)は、イギリスのロンドンを舞台に16歳の現代っ子グウェンドリンがタイムトラベルをするというお話。原作はルスティン・ギア(Kerstin Gier)によるドイツで大人気のタイムトラベル・ファンタジー小説(三部作)で、日本でも『紅玉は終わりにして始まり(時間旅行者の系譜)』(東京創元社)という題名で翻訳書が出版されている。

 これらの「ドイツ映画なのに全然ドイツじゃない」作品群は、一見、違和感がありそうなのに、実際に鑑賞するとスッと自然に受け入れてしまうから不思議だ。トム・ソーヤーがミシシッピ川のほとりで無邪気にドイツ語を喋っていても、制服姿のロンドンっ娘たちがペラペラとドイツ語を話していても、作品の出来が素晴らしいのでついつい没頭してしまう。いわゆる正統派のドイツ映画が数多くあるなかで、これほど斬新かつ完成度の高い作品が作られていることを知ってしまうと、今後のドイツ映画の動向に注目せずにはいられない。