2013/05/22 12:00

第6回 NYでちょっと知られたステキな日本食レストランHIBINO

Photo:はすの入った涼しげなあえ物 ⒸHIBINO Brooklyn

NYでちょっと知られたステキな日本食レストランHIBINO
 オーナー、福田しゅうこさんに聞く「NYでレストラン経営をすること」

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

開業への道のり:6
いよいよ飲食業でやっていこうという決断

Q:勝さんは寿司職人として、無事にグリーンカードを取得されたわけですが、それで飲食業でずっとやって行くことに納得されていたのでしょうか?
 もともと目ざしていた映像制作のお仕事については諦めることができたのでしょうか?

Q:グリーンカードが取れたのは2001年のことでした。2000年12月に日本の米大使館で面接、2001年1月に米に再入国する際にイミグレーションで再面接。その後にグリーンカードが発行されました。それで、滞在資格としては問題がなくなり、フィルムの方をもっと頑張るのか、さぁどうしようということになったのですが、生活があるのでお金を稼がなければなりませんでした。私もちょうどカーネギーホールでフルタイムとして働き始めたばかりで、保険などのベネフィット(社会保障)はきちんとしていて、とても良い職場環境でしたが、非営利団体なのでお給料はよくなくて・・・。
 そのうち、そろそろ子供も考えなきゃいけないなと思っていたところに子供ができたので、福田は「俺、寿司屋で行くわ」と決断するに至りました。1996年に結婚して、2001年にグリーンカードが取れ、子供を出産したのが2003年の5月なので、妊娠したのは2002年の後半くらいだと思います。

Q:その時点では、勝さんはどこかのお店で働いておられたのでしょうか?

A:すぐに自分のお店を持ったわけではなく、しばらく違うところで働いていました。もともと彼はアメリカのクラブというか、ラウンジ系のはしりのような、セレブ系の人がいっぱい来る大きなお店で働いていて、その後、グリーンカードを取得する際には日系のお寿司屋さんで働き、ヴィザ取得を支援してもらいました。その後は、Sushi Sambaという、日本人が聞いたら「それって本当に日本食のお店」というような名前の、小洒落たお店で働いていました。Sushi Sambaでは結構長く、店を開けるまではずっとそこで働いていました。

Q:ご自分たちでお店を持とうと思われるようになったのはいつ頃、どんなきっかけで?

A:子供も二人になって、どうしようかと……。ひとり目の子供が生まれた時に、色々悩みましたが、カーネギーを辞めました。というのも、子供を預けて働くのにかかるコストが、 私の給料とほぼとんとん。アメリカは医療保険料がとんでもなく高いので、健康保険の為だけに働き続けようか、とも思いましたがいろいろな事を秤にかけて、辞める決心をしました。
 その頃までには、グラフィック・デザイナーとして、フリーランスの仕事を振ってもらえるようになっていたので、カーネギーからの仕事をフリーランスで受けたり、昔からのクライアントさんの仕事をやっていました。
 とはいえ、子供2人目出産後は、締め切りのきっちりある仕事はだんだん難しくなってきて、私のデザインの仕事はセミ・リタイアのような状況になりました。私たち家族の人生、これからどうしましょう……と考えた結果、自分たちで店を開けようかという話になって、それが今のお店というわけです。

PROFILE

福田 しゅうこ
日本での薬剤師からNYにてグラフィックデザイナーに転身。NYにて夫であるフクダと出会い結婚、二児を授かる。子供の誕生を機に起業を考え始める。フクダがNYでシェフをしていたことから、起業すなわちレストラン開業へ、と思考。3年間の準備期間を経て2007年、3月、ブルックリンに「私たち日本人が日常的に食べている食事を提供する店」をコンセプトに「ひびの食堂」を開店。現在「自分の時間を楽しむ。手酌の店」を出店準備中。

福田 勝
映像業界からNYにてシェフに転身。 子供の誕生を機にレストラン開業を目指しアメリカ人オーナーの下で、アメリカ式レストラン・ビジネスについて学ぶ。定番メニューを主軸にした和食の店の開業準備に取りかかり、自身が京都府出身であることから惣菜の京都弁である「おばんざい」を日替わりで提供し、新しい形の豆腐である「瓶詰め豆腐」を提供する店「ひびの食堂」を6年前にブルックリンに開店。妻と二店舗目の出店計画中。