2013/05/20 12:00

第5回 NYでちょっと知られたステキな日本食レストランHIBINO

Photo:いろどりも繊細な煮もの ⒸHIBINO Brooklyn

NYでちょっと知られたステキな日本食レストランHIBINO
 オーナー、福田しゅうこさんに聞く「NYでレストラン経営をすること」

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

開業への道のり:5
夫は寿司職人として永住権を取得

Q:勝さんがNYへいらしたのは日本の大学を卒業されてからですか?

A:テレビの仕事をしながら大学を卒業し、アルバイトで1〜2年お金を溜めてからニューヨークに来ました。私自身、NYに来た時は親と仲違いしていて、家からの援助なしで留学してきた経緯があったわけですが、彼も自己資金での留学だったので、いくら素晴らしい名門校で、フィルム・スタディで有名だからといって、授業料の高いNYUや、コロンビア大学のフィルムなどには行けないので、CUNY(City University of New York)のブルックリン・カレッジで映像の勉強をすることになったのです。
 同時に、生活資金を稼がないとならないので、大学に通いながら、文章を書いたり、撮影は撮り貯めをし、授業のない日の昼はTVのコーディネーターの会社でアルバイト、夜はお寿司屋さんでアルバイトしていました。

Q:日本食レストランで勝さんはホール・スタッフではなく、板場にいらしたのですか?

A:そうです。お寿司を作っていました。私が最初に留学してきた頃、福田はすでにニューヨークに来て半年か一年たっていましたが、その時、彼は学校に通いながら働いていていました。
 二人とも、いっしょうけんめい頑張ってやっていたわけですが、やはり、アメリカで落ち着いて暮らしていくためにはグリーンカードがないと話にならないということになりまして……。
 たまたまその頃は、お寿司屋さんであれば早くグリーンカードが取れるという、永住権を取るための、優先順位の高い職種に寿司職人が入っていた時期でした。

Q:90年代前半のことでしょうか?

A:90年代後半ですね。すでに80年代後半から日本食、寿司はブームで、特殊技能者として寿司職人でグリーンカードを取得する、という道筋はありました。タイミングのいい事に、97年か98年くらい、おそらく日本からの永住権申請数が他の国からと比べて少なく、また、何か政府間での協定みたいなものがあったのかも知れませんが、寿司職人が再び「推奨カテゴリ」に入ったことがありました。
 それで、寿司職人ということで、一年半ほどでグリーンカードが取れまして、認可が出たのが2000年の終わりくらい。それから、日本に一時帰国して、アメリカ大使館で面接を受けた(ヴィザ取得のための面接は、原則として、出身国にあるアメリカ大使館の領事部で行われる)のは2000年の12月のことでした。
 振り返ると、私たちはすべてタイミングが良くて、2001年でも、もっと後だったらこんなにすんなりいかなかったとおもいます。同時多発テロがその年の9月でしたから、きっとグリーンカードの取得は延びていたのではないかと思います。
 今、振り返ってみると、ほんとうに綱渡りのようだったと思います。

PROFILE

福田 しゅうこ
日本での薬剤師からNYにてグラフィックデザイナーに転身。NYにて夫であるフクダと出会い結婚、二児を授かる。子供の誕生を機に起業を考え始める。フクダがNYでシェフをしていたことから、起業すなわちレストラン開業へ、と思考。3年間の準備期間を経て2007年、3月、ブルックリンに「私たち日本人が日常的に食べている食事を提供する店」をコンセプトに「ひびの食堂」を開店。現在「自分の時間を楽しむ。手酌の店」を出店準備中。

福田 勝
映像業界からNYにてシェフに転身。 子供の誕生を機にレストラン開業を目指しアメリカ人オーナーの下で、アメリカ式レストラン・ビジネスについて学ぶ。定番メニューを主軸にした和食の店の開業準備に取りかかり、自身が京都府出身であることから惣菜の京都弁である「おばんざい」を日替わりで提供し、新しい形の豆腐である「瓶詰め豆腐」を提供する店「ひびの食堂」を6年前にブルックリンに開店。妻と二店舗目の出店計画中。