2013/05/17 12:00

第4回 NYでちょっと知られたステキな日本食レストランHIBINO

Photo:アボカド入りのかわいいコロッケ ⒸHIBINO Brooklyn

NYでちょっと知られたステキな日本食レストランHIBINO
 オーナー、福田しゅうこさんに聞く「NYでレストラン経営をすること」

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

開業への道のり:4
運命の出会いと永住権の取得

Q:普通、大学卒業後の、一年間のプラティカルトレーニングから、そのままグリーンカード(永住権)が取れるなんて、滅多にありえないことですよね?

A:グリーンカードが取れたのは、実は、カーネギーが雇い主としてスポンサーしてくれたからではなくて、旦那が頑張ってくれたおかげなのです。プラティカルトレーニングは一年の就労ヴィザしか出ないので、その後をどうしようかということで、直属のボスに相談していました。
 念のため、米国での滞在資格をつなぐために、大学院の修士のプログラムに出願するなどもしていました。その後、福田のグリーンカードが取れたので(グリンカード申請時に結婚していると、その伴侶も自動的にグリーンカードが取得出来る)、カーネギーホールでも無事に仕事を続けられることになり、上司が人事部に話をつけてくれて「正社員として雇いましょう」ということになったわけです。その時のカーネギーのボスには感謝の気持が一杯で、今でも大好きです。

Q:カーネギーホールには通算で何年くらい勤めておられたのでしょう?

A:正社員として働いていたのは、たぶん2年半か3年くらいですが、学生の頃からずっと出入りしていたので、通算するとかなり長いつき合いです。
 学生の時にインターンで行っていた期間だけでも2年くらいあり、正社員で働いた期間は短かったのですが、インターンやフリーランスをしていた時期まで含めるとかなり長く出入りしていました。いまだに同じドアマンが働いているので、目の前を通ると、やめてから10年くらいにもなるのに「おー、元気か!?」って声をかけてくれるのですよ。昔ながらのニューヨークらしいですよね。

Q:グリーンカードの取得にも貢献された旦那様とはNYで出会われたのでしょうか?

A:旦那のことをサラッと説明させてもらうと、彼は日本では物書き志望、明治大学の文学部文学科で日本文学を専攻していました。
 もともとドラマの脚本をやりたかった人で、大学生の時に『世にも奇妙な物語』って言う……あれが深夜枠だったころに、何本かスタッフライターみたいな感じで書かせてもらっていまして。担当のプロデューサーさんに、日本の脚本家は従弟制なので、どこかに弟子入りしなければいけないから、誰か良い人を紹介すると言われたのだそうです。
 でも、その頃、旅行でたまたまこちらに来る機会があって、学生のフィルムフェスティバルを見て感動して、「映像の仕事をしようと思ったら、なにも脚本家の弟子にならなくてもこんなやり方があるんだ」と思い、一度日本に帰国した後、バイトでお金を貯めて、ニューヨークに来たようです。

PROFILE

福田 しゅうこ
日本での薬剤師からNYにてグラフィックデザイナーに転身。NYにて夫であるフクダと出会い結婚、二児を授かる。子供の誕生を機に起業を考え始める。フクダがNYでシェフをしていたことから、起業すなわちレストラン開業へ、と思考。3年間の準備期間を経て2007年、3月、ブルックリンに「私たち日本人が日常的に食べている食事を提供する店」をコンセプトに「ひびの食堂」を開店。現在「自分の時間を楽しむ。手酌の店」を出店準備中。

福田 勝
映像業界からNYにてシェフに転身。 子供の誕生を機にレストラン開業を目指しアメリカ人オーナーの下で、アメリカ式レストラン・ビジネスについて学ぶ。定番メニューを主軸にした和食の店の開業準備に取りかかり、自身が京都府出身であることから惣菜の京都弁である「おばんざい」を日替わりで提供し、新しい形の豆腐である「瓶詰め豆腐」を提供する店「ひびの食堂」を6年前にブルックリンに開店。妻と二店舗目の出店計画中。