2013/05/13 12:00

第2回 NYでちょっと知られたステキな日本食レストランHIBINO

Photo:オリジナルの瓶がかわいい瓶入りのお豆腐 Ⓒ HIBINO Brooklyn

NYでちょっと知られたステキな日本食レストランHIBINO
— オーナー、福田しゅうこさんに聞く「NYでレストラン経営をすること」 —

by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長

開業への道のり:2
地震が怖くてNYへ

Q:お産まれが青森と言うことで、東海岸の冬の寒さは問題ではなかった? 地震のある、なしが大きな理由だったというわけですね

A: 妙な感じに聞こえますが、本当に地震を避けたくてニューヨークを選んだんです。変ですよね?

Q: 妙というか、何か本能的な、予知能力的なものがあったのかもしれないですね。実際、カリフォルニアでは、1989年にサンフランシスコ・ベイエリアが被害を受けた大きな地震が起きていますし、南カリフォルニアではその後も、かなり大きな地震が起きています。

A: それで、地震のある地域に住むのは、やっぱり怖いなと。この話をするとみんな笑いますが、福島での震災があって以後、誰も笑わなくなりました。
 去年の夏くらいだったか、ニューヨークと言うより、ワシントンDCの近くで地震があった時、私は西海岸のサンノゼにいました。ちょうど友人のところに遊びに行って、NYに帰る日で、空港に行こうと時間を確認するため携帯電話をチェックしていたら、ニューヨークの友人がみんなtwitterで「揺れた、揺れた」って。はぁ?と思って見てみると、本当にニューヨークが揺れていてすごくびっくりしました。
 日本的な感覚ではそんなに大きな地震ではなかったのですが、バージニアの古い建物で被害が出たところもあって、NYでもダウンタウンの高いビルから人が避難する騒ぎになっていた。

Q:CUNY(City University of New York)に留学されたわけですが、日本で勉強されていた薬学は選ばなかった?

A:最初はクリエイティブライティングの勉強をしようと思っていたんですよ。でも、結局、英語の壁に負けまして……。やっぱり外国語でライティングっていうのは、もちろん、英語はある程度できるようになって留学してきているのですが、すぐには難しいですよね。そのうち、ふと気づくとアート関係の科目をいっぱい取るようになっていました。もともと好きでしたし、その後、今も私のメンター的な存在となっている先生の授業を受けるようになって、いつの間にかグラフィックデザインを専攻することになっていました。

Q:それでお店のメニューのリニューアルもご自分でデザインをなさっていたわけですね?

A:そうですね。で、学生時代は美術館……MoMA(NYの近代美術館)だとか、スミソニアンのアメリカン・ネイティブのミュージアムなどでインターンをさせてもらって、そのインターン先の一つがカーネギー・ホールでした。卒業して、インターンからそのままプラティカルトレーニング(海外からアメリカに留学している学生が有給で働くことが可能な研修プログラム)で雇ってもらって、その時にグリーンカードを申請して、最終的には正社員となってカーネギー・ホールのマーケティングで働くことになりました。

PROFILE

福田 しゅうこ
日本での薬剤師からNYにてグラフィックデザイナーに転身。NYにて夫であるフクダと出会い結婚、二児を授かる。子供の誕生を機に起業を考え始める。フクダがNYでシェフをしていたことから、起業すなわちレストラン開業へ、と思考。3年間の準備期間を経て2007年、3月、ブルックリンに「私たち日本人が日常的に食べている食事を提供する店」をコンセプトに「ひびの食堂」を開店。現在「自分の時間を楽しむ。手酌の店」を出店準備中。

福田 勝
映像業界からNYにてシェフに転身。 子供の誕生を機にレストラン開業を目指しアメリカ人オーナーの下で、アメリカ式レストラン・ビジネスについて学ぶ。定番メニューを主軸にした和食の店の開業準備に取りかかり、自身が京都府出身であることから惣菜の京都弁である「おばんざい」を日替わりで提供し、新しい形の豆腐である「瓶詰め豆腐」を提供する店「ひびの食堂」を6年前にブルックリンに開店。妻と二店舗目の出店計画中。