2013/04/03 12:00
香港国際映画祭 エグゼクティブ・ディレクター
ーロジャー・ガルシア氏に聞くアジアのコンテンツ・ビジネスの今、そして未来ー
Photo: 空港から市内への移動は エアポートエクス プレスで24分 Ⓒ Mai Kato
かつての”映画好き青年”が世界を一周して香港に帰ってきた! Vol.5 / 全12回
by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長
Q:香港国際映画祭のエグゼクティブ・ディレクターとしての職務内容について教えて下さい。
映画祭を運営するということ1:重い責任と多岐にわたる仕事
映画祭に関して今までお話したすべてのことに責任がある……と申しますか、香港国際映画祭の事務局運営そのものが仕事と言ったほうが良いでしょうね。もちろん映画は大好きですし、いろいろな映画祭のプログラミングに携わった経験があるのも事実です。が、今のポジションでは、上映プログラムをどうするかといったことだけではなく、安定的に映画祭や事務局が主催するイベントを開催できるようにするための資金集め、そして文化機関としてのポリシーの決定などが主な仕事になります。
私の強みは、ニューヨーク、ベルリン、トリノなど、他の映画祭のプログラム決定のプロセスにたずさわった経験があり、海外の映画祭がどう運営されているかの知識もあることかもしれません。
プロデューサーとして映画制作をした経験もあれば、批評家として映画についての本を書いた経験もあります。カンヌ、ヴェニス、ベルリンなど、メジャーな映画祭のトップとも長年面識があるので、コミュニケーションに苦労することもありません。映画祭を運営する事務局のトップで、映画そのものに理解がある人物というのは、意外と珍しいかも知れませんね。
私はこの仕事に就く以前、米国に住んでいましたが、実は香港国際映画祭がスタートした当時、英国の大学を出たばかりだったにも関わらず、この映画祭の立ち上げに携わりました。アジアに他の映画祭はまだ無かったですし、上映プログラムを含めて、映画祭のすべてを取り仕切ることになった私は、世界中の映画関係者の誰とでも会うことができたわけです。
競争相手がいないということは、一身に注目を集めることができるということでもあるわけですね。私は25歳で、世界で最年少の国際映画祭のディレクターになりました。もちろん、その頃の映画祭の規模は小さく、映画作品を選んで上映だけしていれば良かったわけで、今のように職務内容は複雑ではありませんでした。その後、しばらく香港を留守にしていて、また、古巣に戻って来たわけですが、今度は最年長の映画祭のオーガナイザーとしてリタイアすることになるかも知れません。
世界中でどんどん増え続ける「国際映画祭」
現在では、3,000に及ぶ映画祭が世界中で行われています。それどころか、実際に開催されているすべての映画祭を数えれば10,000を超えるほどの数があり、その中で「何らかの価値がある」と映画関係者の認める映画祭だけでも3,000ぐらい存在しているのです。
この中で、ある程度レベルの高い「シリアス」な映画祭がおよそ100ほどとされています。我々の香港国際映画祭も「シリアス」な映画祭の一つとみなされています。
映画産業を取り巻く環境も、私が二十代だった頃とは大きく様変わりしました。昔は、映画祭で作品を上映しようと思ったら、監督に直接電話をかける、あるいは、監督から直接電話がかかってきて「じゃあ、やりましょう」という話がほとんどでした。それが今では、権利関係が複雑になり過ぎてしまい、いろいろなエージェントや配給会社が間に入るようになりました。監督自身を知っていて、直接電話で世間話ができるような間柄でも、映画祭で作品を上映するとなると、自分一人では判断ができないような状況があります。そして、映画祭も産業の一部となった今では、作品を上映するために間に入ったすべての人たちにフィーが発生することになり、以前に比べると、映画祭の運営コストも跳ね上がってしまいました。
ロジャー・ガルシア氏プロフィール
香港国際映画祭 エグゼクティブ・ディレクター
2010年9月より香港国際映画祭事務局(正式名称は Hong Kong International Film Festival Society)で、香港国際映画祭 (HKIFF), エイジアン・フィルム・アウォーズ (AFA), 香港=アジア・フィルム・ファイナンシング・フォーラム (HAF)の運営責任者として辣腕を振るっている。香港生まれだが、英国のボーディング・スクールで育ち、 リーズ大学で映画について学び、卒業後、二十代の 半ばで香港国際映画祭の立ち上げに尽力。その後渡米し、自身もプロデューサーとしてインディーズ、及び、ハリウッドで映画制作に携わり、世界各地の映画祭でアジア 映画上映のプログラミングに関与してきた。カリフォルニア州のバークレーに自宅があるが、現在は香港ベース。美味しいものが大好きで、料理が得意 という一面も。