2013/03/25 12:00
香港国際映画祭 エグゼクティブ・ディレクター
ーロジャー・ガルシア氏に聞くアジアのコンテンツ・ビジネスの今、そして未来ー
Photo:香港の街中を行く二階建ての路面電車 Ⓒ Mai Kato
かつての”映画好き青年”が世界を一周して香港に帰ってきた! Vol.1 / 全12回
by 岩渕 潤子(いわぶち・じゅんこ)/AGROSPACIA編集長
今年も3月17日から4月2日にかけて、香港国際映画祭が開催される。
アジアで最も長い歴史を持つ映画祭のエグゼクティブ・ディレクターであるロジャー・ガルシア氏に、香港国際映画祭の歴史と特徴やアジアのコンテンツ・ビジネスの現状、世界の映画産業における香港の立ち位置などについて弊誌編集長・岩渕潤子がお聞きした。
ガルシア氏は香港出身だが、イギリスのボーディング・スクールからセンター・フォー・ワールドシネマズで知られるリーズ大学に進んで映画について学び、その後、香港国際映画祭の立ち上げに二十代の半ばでかかわった経歴を持つ。香港の中国返還後は、主にカリフォルニア州のバークレーに拠点を構え、世界中の映画祭におけるプログラムづくりについてアドバイスしてきた。
そんな彼が2010年9月2日、香港国際映画祭事務局(Hong Kong International Film Festival Society)の要請を受けてエグゼクティブ・ディレクターに就任し、現在は香港ベースでアジアの映画作品に関する情報発信を通じて、世界の映画産業の発展に貢献している。
Q:香港映画祭の歴史について教えて下さい
アジア初の国際映画祭 1:商業映画全盛時代に示した異なる視点
1977年に始まった香港国際映画祭は、アジアで誕生した初の映画祭です。当時は商業映画全盛時代であり、また、自宅でビデオなどを借りて映画を鑑賞するといったことはまだできない時代だったので、香港で芸術性の高い映画作品を観ようと思ったら、アリアンス・フランセーズやゲーテ・インスティテュート、あるいは、今はもう存在しないスタジオ・ワンといった所へ行くほかありませんでした。より多くの人に世界各国で制作された芸術性の高い映画を観てもらえる場を作ろうという意図で、映画祭を企画することになったわけです。
当初は香港政庁の文化セクションの、アーバン・カウンシル内に置かれたアーバン・サービシズ部門というところが市庁舎の460席のホールと80席のセミナー・ルームを使って、上映とレクチャーのプログラムを行いました。かなり小規模なスタートだったわけです。最初の1〜2年、映画祭で上映された作品数はだいたい40本前後でしたが、第三回を迎える頃には100作品の上映を行うようになりました。プログラムの中には「香港レトロスペクティヴ」という、主に若い観客層に向けた、香港映画の歴史を振り返るセクションがあり、これがやがて香港フィルム・アーカイブの設立へとつながりました。
1979年には、それまで「海外映画作品」として一括りにされていた中から「アジアの視点」によるアジア映画セクションを設置。過去の作品の特集上映や、特定の監督作品によるプログラムを展開するようになりました。国際映画祭で「アジア映画部門」を独立させたのも、香港国際映画祭が世界初でした。
川喜田夫妻との縁で日本映画も積極的に上映
日本の大島渚監督作品の上映を行いましたが、大島監督は川喜多記念映画文化財団の川喜田かしこさんと一緒に来られました。その後、かしこさんのご主人である長政さんにもお目にかかる機会がありました。ベンガル語による映画制作のインドの大御所、サタジット・レイ(Satyajit Ray)を招聘し、インド領事館でパーティーがあった際、長政さんを彼にご紹介したのです。
川喜多長政さんといえば、第二次大戦中の上海で何人もの映画人を救ったことで知られる方ですよね。そのため、中国政府は川喜田氏に対して敬意を表しています。川喜多氏について、もう一つ興味深いのは、ハリウッドの名匠ジョセフ・フォン・スタンバーグによる、第二次大戦末期に太平洋の小さな島で起こった事件に基づく『アナタハン』という、スタンバーグ最後の作品の制作を日本の映画関係社に取りもったことです。
今までは日本映画といえばクロサワ、検閲制度にチャレンジしたことで世界的に話題となっていた大島渚ぐらいしか知られていませんでしたが、川喜田夫妻が香港国際映画祭と関わりを持つようになられたことで、より多様なセレクションでの作品が上映されるようになりました。また、我々は当時はあまり知識も人脈もなかったのですが、韓国映画の紹介も始めました。
このような流れで、香港国際映画祭は、アジアの様々な国における芸術性の高い映画を積極的に上映する映画祭として認知度を高めていきました。フィリピンやインドネシア人の監督作品を世界に先駆けて紹介したのも私たちです。
ロジャー・ガルシア氏プロフィール
香港国際映画祭 エグゼクティブ・ディレクター
2010年9月より香港国際映画祭事務局(正式名称は Hong Kong International Film Festival Society)で、香港国際映画祭 (HKIFF), エイジアン・フィルム・アウォーズ (AFA), 香港=アジア・フィルム・ファイナンシング・フォーラム (HAF)の運営責任者として辣腕を振るっている。香港生まれだが、英国のボーディング・スクールで育ち、 リーズ大学で映画について学び、卒業後、二十代の 半ばで香港国際映画祭の立ち上げに尽力。その後渡米し、自身もプロデューサーとしてインディーズ、及び、ハリウッドで映画制作に携わり、世界各地の映画祭でアジア 映画上映のプログラミングに関与してきた。カリフォルニア州のバークレーに自宅があるが、現在は香港ベース。美味しいものが大好きで、料理が得意 という一面も。